状況を整理しよう。
桃井と北は準備室にいる。桃井は北のシャツを着ていて、北はインナー姿だ。この部屋は窓が開いておらず、また開けようにもカラリと音がしてしまうだろうから、二人はじっとり汗をかきながら息を潜めていた。
準備室を繋ぐ扉の外、被服室には男女が一組おり、イチャイチャしている。女は甘い声を出し始めたし、ゴソゴソと衣擦れの音もし始めているので、このままいけば、恐らく最後までいくだろう。
そうなればどんなに気まずいか、想像に難くない。
二人はそれを阻止するため、「準備室に人がいるからやめたほうがいいですよ」と物音を立てる作戦に決めた。
しかしこれに男女が阿呆にも「えっ誰かいんの?」と準備室に入ってきたら、二人は詰む。どちらも普通の格好をしていないからだ。
よって、今から二人は着替えなければならない。
桃井は北のシャツを脱いで、自分の制服を着る。北は、桃井が脱いだ自分の服を着て、誰かに発見されても「何もやましいことはない」と主張できるようにする必要があった。
タイムリミットは扉の向こうの男女の行為が本格化する前。あまり猶予はない中で、音を立てないよう慎重に動かなければ。
なお、桃井は北のことを恋愛的に好いていて襲う気満々であり、北は彼女に性的なリアクションをしてはならないと自らを制している。
二人きりの空間、外にはイチャつく男女、気づかれてはならない条件下、人の身体に勝手に触れてはいけない制約……そういう特殊な状況であった。
「……、」
唾液が溜まってしまって飲み込んだ北は、その音が静まり返った部屋では大きく聞こえた気がして、体を硬くさせる。長机に身を屈めているので、ますます背中が丸くなるようだった。
今、彼の後ろでは、桃井がシャツを脱いでいる。ボタンを外す音がするから間違いない。
彼の脳内には、さっきの生乳とか白いブラジャーとか、耳をちょんと触れた指先とか、腕を撫でた胸の重みとか、そういうのがグルグル回っていた。
「きゃっ。ちょっと、急に抱きついてこんで」
「ええ〜? 今日ずっとこうしたくてたまらんかったのに」
「あっ、もうっ。変なとこ触っちゃ……」
遠くから男女の戯れる声が聞こえてくる。しっかり耳をすませば、会話の内容までわかるくらいだった。
聞きたくないのに耳に入ってくるそれをBGMにしながら……なんか、なんかおかしくないか? と北は事態に気づき始めていた。
ただ階段でお喋りをしていただけなのに、いつのまにか密室でリアルタイム生着替えである。
何がどうしてそうなった? まるで何者かに仕組まれているようだ(後ろで着替える後輩が仕組んだ部分が大きい)……。
「北先輩」
「な、ん?」
突然囁くように話しかけられて、北はビクッと体を揺らして返事をする。その後に背中をつんつんと指で押されたので、変に反応してしまいそうで頑張って抑え込んだ。
「脱ぎました。シャツ、お返しします」
「ああ……」
「本当は洗ってからがよかったんですけど」
「ええよそんなん」
後ろ手で制服を受け取り、中腰のまま素早く袖を通す。
その瞬間、ふわっ……と桃井の香りが広がって、ブワッと体温が上昇したのがわかった。
シャツは、脱ぎたてだから当然なのだが、ほかほかしていて、温もりがあった。片腕を通したそれから甘い匂いもしており、北はズシン……と石のように固まる。
後ろにいる女の子が脱いだものを今着ているのだ……と実感したのである。
「私も早く着ないと……」
背後から独り言が小さく聞こえた。
まだ桃井が自分の服を着ていないということは、今の彼女はブラジャー剥き出しの格好ということだ。
それを意識してしまえば、もうダメだった。
北の頭には、下着姿の桃井が鮮烈に妄想できてしまって、後ろを振り向けば目撃できる状況にあると理解して……理性がグラグラ揺れ始めた。
ちょっと顔の向きを変えるだけで、とんでもなくかわいい後輩のえっちな姿を見られる。そんな好機、二度と訪れるかわからない。
バレてしまっても、着替える拍子に見えてしまったとでも言えばいい。わざとじゃないと伝えれば、彼女はスッカリ信じるだろう。北先輩が言うならそうなんですね、と。
何も怖いことはない……。
「っ、」
北は手の甲をつねった。
不埒な妄想に取り憑かれた自分を、痛みで殺したのである。
彼は鋼の精神力で理性を取り戻した。今日、何がなんでも桃井に性的な欲求を押し付けることをしないと誓った。
指一本も触れずに、頼もしい先輩像を崩さないように。それだけが北の希望だった。
の、だが。
「───やんっ♡」
「!!」
被服室の方から一際高い声が響いて、びっくりした北は咄嗟に床に手をついた。すると小さい手に触れる。
桃井が置いていた手の上に、北の掌が覆い被さったのだ。
二枚の手のひらが重なった瞬間、反射的に振り返った北がパッと手を引っ込めた。
「触っ、」
言いかけて、北はガチンと口を閉じる。目を見開いて、視線がばっちり固定された。どこにか? 言うまでもなく桃井の胸部に、である。
凶悪的なサイズの胸が、ブラジャーにぎちぎちに詰まっていた。
ボタンが弾け飛んだ時にチラ見えした谷間が、今や何にも遮られることなく露出している。両乳を支える下着のおかげで、谷間はくっきり深い縦のラインを作っており、ドン! と胸が溢れそうになっていた。
その様があまりに堂々としていて、佇まいには貫禄があった。
胸がとんでもなく大きいので、エロいとかそういう気持ちは湧いてこなかった。
ただド迫力の生乳に圧倒されている。
でっっっっっっか………と宇宙猫、あるいはNow Loading……になって、視線が胸に釘付けになった。
しかし。この部屋は暑く、桃井も汗をかいている。
頬を伝う一雫の汗が顎から滴り落ちて、ポタ、と胸に垂れた。そのままなだらかな曲線を描く上乳を流れていって、谷間に吸い込まれていく。
その汗一滴の動きの、なんと淫靡なことか。
「あの」
「! あ、すまんッ」
「いえ……」
10秒ほど胸をガン見していた北は、桃井に話しかけられて正気に戻った。
ガバッと顔を向こうに逸らして、バクバク鳴る心臓にせき立てられ、荒い呼吸をする。
桃井は自分のシャツを羽織っただけだった。正面側のボタンを閉じておらず、胸元も腰のくびれも全部見えていた。少し動くだけでぷるんっと揺れるおっぱいが、目を閉じても頭の中に現れる……。
一般的な男子高校生ならば、致し方ないことだった。
巨乳の飛び抜けて可愛い女の子のブラジャー姿なんて、一目見たら一生忘れられない絶景である。
「もおっ、胸ばっかりいじっちゃヤ……」
「お前のデカ乳好きなんやもん」
「いっつも見てるのバレとるからな? こぉんなにやらしー目で」
エロいことをし始めた男女の話し声が聞こえて、北は桃井にセクハラしている気分になった。
今すぐ話を止めろ! 即刻そこから立ち去れ! と内心叫ぶ。
「あん♡ ホンマにおっぱい大好きやね♡」
やめろ!! 北は心の中で大焦りした。全部が自分に返ってくる気持ちになったのだ。
そのまま何か……舐めるような、ピチャピチャぺちゃぺちゃした水音と、女のあられもない喘ぎ声が聞こえ始めたので、終わった……と北は絶望した。
もう物音を立てて気づかせるには、手遅れだと認識した。こうなれば奴らの行為が速やかに終わることを祈るばかりである。
「あー……」
後ろで桃井の小さな声が聞こえてくる。
きっと彼女は、本格的におっぱじめた男女と、自分の胸を無遠慮に舐め回すように見た先輩に失望したのだろう。
背筋が冷たくなるような心地とは反対に、しかし北の体の熱は昂まっていた。
いや、昂まる、というか。これは……。
「北先輩の、そこ……」
膝立ちになった桃井が北の背後から覗くようにして見下ろした。
言われてから北が視線を落とせば、ズボンがテントを張っていた。
「………!!」
北はいよいよ顔まで真っ赤にして、背中を丸めた。これで桃井の視界からは隠れただろうが、目撃された事実は変わらない。
最悪だ、終わりだ、と意味のない単語が頭の中を駆け巡った。
この特殊な状況をさらに混迷に突き落とす事態に、自ら引き込んだ……と頭を抱えているのである。
こんな時に、いやこんな時だからこそか。勃起してしまうなんて、不可抗力だが、そんなものは言い訳にはならない。
萎えさせるために北は集中するも、意識すればするほど、どんどん大きく硬くなる感じがした。というか集中もまともにできない。
扉の向こうにはセックスを始めたカップル。真後ろにはシャツを羽織っただけの巨乳のかわいい後輩。身動きが取れなくて、派手な音を出すわけにもいかなくて、北はパニックになって言った。
「し。しずめる、から。すまん、」
「ずるい」
「あ。あ、えっ、なんてっ?」
「さっき。北先輩、私の胸を見てましたよね?」
「ッ!」
「じぃーって、穴が空くくらい」
「……、」
「目、見て。ちゃんと、答えてください」
そんなことを、言われても。
首を伝う汗がゾワ〜ッとした。付き合っていない女の子の下着姿を見て興奮していると自覚して、底なしの羞恥が理性をまたもや溶かそうとしてくる。
「………見、た」
北は、今度も目をまともに見ることはできなかった。耳を澄ませても聞こえるかどうか。
そんな返答に、しかし桃井は瞳をどろりと弓なりにしならせた。
「そうですよね。ボタンが弾けた時もガッツリ見てましたから、今の格好なんてたっぷり時間かけてガン見しますよね」
「……ふっ、ふーっ……」
「でも、それって不公平ですよね。私ばっかり見られるなんて」
「……あ、それは、」
「見せてください、ここ。北先輩の恥ずかしいところ」
桃井はズボンの膨らみを指差して、蠱惑的に微笑んだ。
獣の唸り声のような吐息を漏らし、胸を激しく上下させて、北は沈黙している。
しかし桃井には、彼が葛藤しているのが手に取るようにわかった。あと少しで強固な理性を崩せると確信し、声色に甘さを含ませる。
「触りたいです」
「私の胸を見て興奮してくれたんですよね?」
「私の体も好きに触っていいですから」
「いけませんか? ああ、それとも」
畳み掛けるように、うっとりと悪魔の囁きをした。
そして、最後には。
「このままの状態で見つかるのは、非常にマズイですよね? うっかり大きな物音が立てば、あのカップルがこの部屋に来てしまうかも……」
とびきりの脅しをしてきた。
ここで北が拒否するようなら、被服室で盛り合う男女を、ここに呼ぶと、そう言ったのだ。
もし彼らが二人を発見したら、何を思うか……。何事もなかった、なんて都合良い展開にならないことは容易に想像できる。
だって二人ともシャツがはだけていて、ふしだらに汗をかいていた。頬を紅潮させ、ハアハアと激しく息をし、北に至っては勃起している。見ようによっては、北が桃井を襲っている構図になりかねない。
もしそう判断されたら? 社会的な死が待っている。
そうなる前に、桃井は北の性器を見せろ・触らせろと言ったのだ。
「あっ♡ やん、ぁ……あ、あっ、ゆび、ダメ、激しっ♡」
「あーーークソ気持ちよさそ、えっろい顔」
静かになった準備室には、二人分の乱れた呼吸の音と、扉の向こうの女の喘ぎ声、激しい水音なんかが聞こえている。
それらをBGMにしながら、北は……これは夢か? と沸騰した頭で思った。
だって、あまりに都合がいい。
学校一の美少女(巨乳)が、ブラジャー丸見えの姿で迫ってきて、自身の勃起したそれを見たい・触りたい、拒否すれば殺すと脅してきたのだ。
北の選択肢は2つ。拒否をして地獄を受け入れるか、甘言に乗って天国を見るか。そんなもの、答えは一つだった。
誰だって天国を味わいたいに決まっている。
しかも相手は自分の体を好きにしていいとも言っているのだから、こんなの、エッチなことしましょうと誘惑しているに他ならない。
「……フーッ」
好きな人とか、交際前の男女とか、校則違反とか、倫理観とか、常識とかモラルとか、そういう規律正しい枠組みがバラバラと音を立てて崩れていくのを、北は無意識に理解した。
正確には、桃井の手により懇切丁寧に理性を炙り殺されたと思った。
ここまで念入りにお膳立てされて手を出さないほど、彼は禁欲的ではない。
むしろ理性を本能で押さえ込んでいた分、反動が出ていた。
最後に頭に残ったのは加害意識だ。今からやる行為を予感して、膨れ上がった汚らわしい欲求を彼女にぶつけてしまっていいものか、という認識。
しかし。
「さあ、どうしますか?」
桃井の目を見れば、そんなことは全てどうでもよくなった。
ギラギラした目は期待に濡れていて、吊り上がった唇から熱い吐息が漏れていた。
きっと自分も同じ顔をしている。加虐心と性的欲求が今にも暴走してしまいそうで、今までひた隠しにしてきた激情が溢れそうになっていた。
扇情的な彼女に見下ろされて、北は最後に大きく息を吐き。
ベルトの金具を慎重に外し、盛り上がったズボンのチャックに指をかけ、ジジ……とゆっくり降ろしていった。