第100話 妄想
「バレンタインの日、一緒に出かけない?」
私が竜胆君にそう誘ったのは今日、一月末の夜だった。
竜胆君との帰省も終わり、正月休みも終わりを告げた。
竜胆君も学校が始まったようで、私は今日も彼にお弁当を渡してきたばかり。
その後はいつも通りの仕事。そんな事をしていれば一月なんてあっという間に過ぎていく。
竜胆君とは相変わらずで、特に進展は無し。
そんな私は、最近になって悩み事が一つ増えた。悩み事というか考え事というか。
一月が終われば二月に入る。
そしてそれから半月ほど経てば二月十四日、バレンタインデーである。
例によって、この日竜胆君と何か出来ないかと考えているわけだけど、今回はちょっと特別。
まずバレンタインデーに男女で過ごすというのが、明らかに特別な気がする。
クリスマスや年末年始なら、まだ友達とでもあり得る。
でもバレンタインデーで男女で過ごすなら、それは明確な恋愛関係を意味しているように感じる。
そして今年のバレンタインデーは日曜日、つまりお店がお休みになる。
クリスマスでは仕事があって一日一緒にはいれなかったけど、今回ならそれが出来るというわけ。
恋人として意識出来る日を一日一緒に過ごせる。これを逃す手はないでしょ。
デートにはもってこいの日だし。もちろんチョコレートだって用意するつもり。これは後でじっくり考えよう。
それを考えついたのが昨日の夜。そして翌日の今日の夜。いつも通り竜胆君がウチに来てくれる。そのタイミングで誘ってみよう。
個人的な意見としては竜胆君の方から誘ってくれたら嬉しいんだけど、竜胆君はそういうの頓着したいからな。
何も言わなかったら何もない日で終わりそう。
そんなわけで私は今日の夜、思い切って誘ったわけで。
これでバレンタインは二人きりのイチャイチャタイム………
「あー、その日は無理ですね」
…………………え?嘘、でしょ。
私はその場で固まった。竜胆君は涼しい顔でコーヒーを飲んでいる。
お休みだし、てっきりすぐに了承してもらえると思っていたのに。まさかまさかの無理。
「え、えっと………何か用事?」
「用事というか、そんな大したものでもないんですけどね。その日東風に家に来るように言われてまして。何かチョコレートくれるとか、どうのこうの言ってたんですけど」
固まった私の心が風化していくような気分になった。よりにもよって東風ちゃんと。
しかも話を聞く限り、おそらく目的もバレンタインなんだろうな。チョコも渡すつもりだろう。
まさか先を越されるなんて………想定外の事態に魂が抜けそうだった。これでも早めに誘ったつもりだったのに。
まぁこの反応を見る限り、竜胆君は単純に東風ちゃんに誘われたから行くってだけなんだろうだけど。
「ち、ちなみに、それいつから誘われてたの?」
「え?そうですね………一週間くらい前、ですかね。早くねとは思ったんですけどね」
さすが東風ちゃん。私が誘うって分かってるなぁ。
すると私の表情を察した竜胆君が、私の顔を覗き込んできた。
「あー………何か大切な用事があるなら東風のヤツ断りますけど?」
うん、お願い!なんて言えるご大層な性格はしてないんだよなぁ。はぁ、積極的にと誓ったばかりで情けない。
「ううん、そんな大切な用事でもないし、東風ちゃんの用事優先していいよ」
「あ、そうですか。それなら夜に来ますよ。それでどうですか?」
「そうだね、ありがとう」
そう言って竜胆君はコーヒーに口をつけた。こうやって気遣ってくれるあたり優しい子だ。
それからは話すことなく竜胆君は帰っていった。私はその姿を何とも言えずに見送る。
「…………お風呂入ろ」
私はお店の片付けを終わらせると、パジャマを持ってお風呂場に向かった。
脱衣室に入ると服に手をかける。一気に上を脱ぐと自分の胸がぷるんっと揺れるのが分かった。
ズボンも脱いで下着姿となる。部屋の涼しい空気が肌に触れて僅かに震える。
うーん、ブラちょっとキツくなってきたかなぁ?どこかで買い替えようっと。最近また胸が大きくなった気がする………気のせいかな?
私は下着を脱いで裸になると浴室に入った。
身体を洗うと、シャワーで石鹸を流していく。
それから髪も洗い、濡れた髪をまとめて湯船に浸かった。熱いお湯が冷えた身体に染み渡る。私の胸がぷかりと浮かんでいる。
「ふぅ〜〜〜」
私は大きな息を吐いた。そしてふと天井を眺める。
別に竜胆君はバレンタインデーを友達と過ごそうとしているだけだ。東風ちゃんの気持ちだって気がついてないみたいだし。
それは決しておかしな事ではなく、私だってそれを浮気だのと言いたくはない。
東風ちゃんが私よりも早くに約束してたなら、竜胆君がそっちを優先するのだって当たり前だし。
でも…………ちょっとは私とバレンタインを過ごすっていう事も考えてみて欲しい。
ちゃんとではないにしても男女の関係なわけだし、それならバレンタインデーを一緒に過ごすって選択肢はすぐに思いつくと思うんだけど。
もちろんそんな事を竜胆君に押し付けるのは間違っている。
けど、竜胆君の中でバレンタインを過ごすという事が、私といる事じゃない。その事実がどこか悲しい。
もしあそこで私が『私といて欲しい』ってわがままを言ったら、竜胆君は私といてくれたかな?
竜胆君のことだ、きっと気を遣って私といようとしてくれる。でもそれは竜胆君を拘束しているようで私が嫌だ。
私としては竜胆君がお出かけに関わらず、自分から私を誘ってくれるのが一番嬉しいんだけど、それはあり得ないかな?
お出かけしようと言われたら、私は喜んで同行するし。ギュッとしてほしいなんて、言われなくてもしてあげたい。
とにかく私はもっと竜胆君といたい。いっぱい話して、手を繋いで、抱き合って、二人きりの時間を過ごしたい。竜胆君は違うのかな?
竜胆君が私を軽んじてるなんて思ってるわけじゃない。何というか………もうちょっと無遠慮に距離を詰めてきて欲しい。
でもこうなったら仕方ない。
一緒に過ごせないなら、せめてチョコでちゃんと思いを伝えたい。せっかく夜来てくれるって言ってくれたんだし。
一応お店でもバレンタイン特別って事でチョコ系のお菓子は出す予定だ。
でもそれの使い回しは当然無し………いや、竜胆君ならそれでも喜びそう。でもやっぱり特別にしたい。
日曜日は一日暇なんだし、得意な料理を生かす絶好のチャンス。竜胆君も甘いもの好きって話だし、ここは頑張るしかないでしょ!
けど、手作りチョコかぁ………重くないかな?
最近の子って買ったものを渡すっていうのが当たり前とかないよね?
高校の頃友達から『チョコ貰ったけど正直重い』なんめ話はたまに聞いていた。自分がそれに当てはまりそう。
生憎こうやって好きな人にチョコを渡すのが生まれて初めてなもので、どうすればいいのか分からない。
あんまり手がこみ過ぎてても引かれそうだし、適度な程度が分からないんだよね。
でも東風ちゃんはたぶん手作り渡すんだろうな………となるとやっぱりそれが当たり前?けど、あの二人の距離感と私達とでは違うし。
東風ちゃんはなんて言って渡すんだろう?付き合ってるわけでもないなら不思議がられそうなものだけど、竜胆君は普通にしてたし。
それとも付き合ってなくても男女間で手作りを渡すのって当たり前?けど、重そうだなぁ。
でも私だって竜胆君と赤の他人ってわけじゃないし、別に手作りでも………けど、歳上の女性が本命チョコを手作りで渡すって………
こっそり東風ちゃんに聞いてみて………はやめておくか。それは情けなさすぎる。というか教えてくれるわけない。
私だけが頑張り過ぎてて空回るなんて絶対嫌だ。でも気持ちはちゃんと伝えたい。いつもは伝えにくい事だってこれなら………
『あ、あの………これ、バレンタインのチョコ………君のために………その、竜胆君のこと、大好き、だから………』
『これ雛罌粟さんが作ってくれたんですか?ありがとうございます!』
そう言って手作りチョコを受け取ってくれた竜胆君が、私をギュッと抱きしめて頭を撫でてくれた。
たまに見せてくれる柔らかい表情で私を見てくれる。
『僕もあなたのこと、大好きですよ』
そして私のおでこに唇を触れさせてくれて………
「………うふふふ………えへへへ………竜胆く〜ん」
私が自分の妄想でニヤけてることに気がついたのは、それから数分経って、鏡で自分の緩んだ顔を見た後のことだった。
この前のお酒騒ぎのことといい、私日に日に馬鹿になってる?
せめてバレンタイン当日でなくても、その前後で数日二人きりの長い時間が取れればなぁ。
そうしたら一緒にお菓子を作るなんてことも出来るわけだし。って、そんな時間ないよね。
私の仕事はともかく、竜胆君は学校なんだし。残念だなぁ。
これは竜胆君の学校が、私立入試のためにここ数日お休みだった事が分かる前のお話だ。
おまけ 東風の誘い方
「りん兄、バレンタインで友達にチョコ作ってあげるんですけど、余り欲しいですか?」
「お、マジか。甘いのなら欲しい」
「それならバレンタイン当日に家に来てください」
「あいよ〜」
その間十秒弱。
最後まで読んでいただきありがとうございました。