公園を出た僕は真っ直ぐに『Cafe Red Poppy』へと向かった。
店に入ると中にはもう客はいなかった。
「人はいないか。タイミング的にはよかったのかもな」
僕は店内を見渡しながら呟いた。
店はまだギリギリ営業時間なはずだからもしかしたら人がいるかもしれないと思ったけど、この時間帯だとさすがにもういないようだな。
カウンターの方を見てみるとしゃがんでいたのか、立ち上がった
昨日に比べると元気が無いように感じる。やっぱり気にしてるのかな。というかエプロンしてないじゃん。
目も充血してるからもしかしたら泣いていたのかもしれない。だとしたらある意味タイミング悪かったな。
それでもここまで来て帰るわけにもいかないので、僕は雛罌粟さんに言った。
「まだ閉店時間ギリギリですよね。コーヒー、貰えますか?」
出来るだけいつものように普通に話しかけた。といっても基本的に話しかけないからそれ自体が普通じゃないんだけどね。
それにしても昨日までは普通に話せてたのに、今は気をつけないと普通に話せないとは。人間関係ってのは面倒だな。
僕はそのままカウンター席に座った。
そういえばここに座るのは初めてだな。
この席だとどうしてもカウンターにいる雛罌粟さんと向かい合う事になるからな。何となく避けていたのかもしれない。外では極力人との関わりをさけていたからな。
けど今はこの向かい合うのが大切なんだよな。だから心の準備が必要だったわけで。
「えっと……」
雛罌粟さんはいきなり僕が来て驚いているのか若干オロオロしている。ちょっと可愛い。
雛罌粟さんも僕がここに来た理由は分かっているだろう。
その上でこれを言われたんだ。そりゃ驚くよな。
いつもとは違う雰囲気だけど、それでもやっぱりここは落ち着くな。
僕が一息ついていると雛罌粟さんは戸惑いながらも言った。
「ごめんね……その……もう片付けしちゃったから……無理なんだけど」
……え〜嘘だろ。せっかくいいタイミングで来れたと思ったのに。それに雰囲気台無しじゃん。
どうしようか。このまま帰るのもなんかすごく残念なんだけど。
なんだか気まずくなってきてしまい、どうするべきか悩んでいると雛罌粟さんがボソッと言った。
「それならさ……私の部屋……来る? この上……なんだけど」
…………え? そうなるの?
そりゃ確かにそれでもいいかもしれないけど。
けどなぁ、この状況で雛罌粟さんの部屋に行くのは余計に気まずくなりそうなんだけど。
「私もね、君にちょっと話があって。だから……二人で話せる場所がいいなって」
なるほど、それはたしかにそうだな。僕だって話があってここに来たんだ。
ここにいるともしかしたら人が来るかもしれない。それならここは避けたいよなぁ。
僕が無言で頷くと、雛罌粟さんは階段を上って行った。僕もそれについて行く。
それに伴って僕は初めてカウンターに入った。へぇ喫茶店のカウンターってこうなってるんだ。
僕達が階段を上り終えると、目の前に一つの部屋が待っていた。
ここが雛罌粟さんの部屋かな。
雛罌粟さんが部屋のドアを開けた。
そこに広がっていたのはシンプルなデザインの部屋だった。
特に目立った装飾がされているわけでもなく、唯一の装飾といえばタンスの上に置いてあるぬいぐるみくらいだろうか。
他には時計や本棚などがあり、僕の部屋とはまたちょっと違う感じの部屋だった。
「ソファーにでも座って待ってて。今コーヒー入れてくるから」
雛罌粟さんはそう言うと一階に戻って行った。
待っててって言われてもなぁ。何をしてればいいのやら。
なんかすごい緊張してきたな。僕はただ話に来ただけなのに、何でこんな状況に。
いやもちろん何か如何わしい事をしようとしているわけではないから緊張するのも変な話なんだけどさ。
それでもやはり女性の部屋にいるってのは結構緊張するな。
僕は雛罌粟さんに言われた通りにソファーに座った。
しかし何かを出来るようは余裕も無く、ただ固まったまま座っているだけだった。
しばらくして再び部屋のドアが開き、お盆にコーヒーカップを二つ乗せた雛罌粟さんが入ってきた。
普段のシンプルな服装はこの部屋の内装ととてもマッチしていた。
「お待たせ、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
僕は若干緊張しながらもコーヒーカップを受け取った。
一口飲むといつも店で飲んでいるものと変わらない味がした。ちょっと緊張が解けた気がした。
「美味しいです」
「そう、よかった」
それ以降特に会話をする事は無かった。
やっぱり気まずいなぁ。どうやって接したらいいのか分からなくなる。
何か話さないといけないのにそれが出てこない。
どうしようか……。とりあえず軽い話題から。といってもその話題が出てこないんだよな。だって基本的に人とこんな会話しないし。どうしようかな。
僕はしばらく考えてから口を開いた。
「えっと……雛罌粟さん、調子は……どうですか?」
自分で言って馬鹿だなと思った。今すぐ訂正したくなった。早速コミュニケーション能力の低さが全開である。
いつも明るい人がこんな空気で調子がいいわけない。人の傷抉るようなことしてどうする。
僕が言った後長い沈黙が流れた。どうしよう、益々空気が重くなった気がする。
何とかフォローしてあげないととは思っても何と言えばいいのか分からない。
すると雛罌粟さんが俯いて呟いた。
「…………いよ……」
「え?」
僕が聞こうとすると雛罌粟さんはバッと顔を上げた。
その顔はあの時と同じで泣いていた。目の端からはポロポロと涙が溢れている。
「いいわけないよ……。私が悪かったことも分かってるし、君に嫌われても当然だよ。それでも嫌なの……。せっかく君とここまで近くなったのにまた遠くなるのが、それ以上に君が離れちゃうのが。だからそれを考えると……とても仕事どころじゃなくなるくらい嫌な気持ちになるの」
雛罌粟さんは泣きながらも話し出した。ただ感情をこぼしていて、まるで子供のようだ。
それでも僕はそれを黙って聞いていた。
本当は言ってあげたい言葉がたくさんあった。でも今はその時じゃない。
「だからね、いなくならないで。勝手なのは分かってるし、自分でも何言ってるんだろうって思ってる。……それでも君にだけは離れて欲しくないの。これ以上近くにいたいなんて思わないよ。……でも離れないでよ……まだ君に話してない事があるの……そんなの……悲しいよ……」
そう言って雛罌粟さんは僕に縋り付いてきた。
でもその力は弱くて、まるで振り払われて当然だと言わんばかりだった。
「何でそこまで。僕達は……そんな関係ではないでしょう?」
正直彼女がここまで僕を求めてくる理由が分からない。
昨日までただの客と店長の関係で、お互いの名前すら知らなかったのだ。
それなのに何でそこまで……。ただの気まぐれだとは思えない。
「私ね…………君が好き………かも」
僕はその短い言葉を聞いた瞬間に、自分の中から言い表せない何かが湧いてくるのを感じた。
「最初はただの変わったお客さんだなって思ってた。でも君を見ていているうちに………何だか気になってきちゃったんだ。何でかって言われたらうまく言えないけど……私の事を本気で助けようとしてくれて、ちゃんと向き合ってくれて………それがすごい嬉しかったの。それで気がついたらいつでも君を見ているようになっちゃったし………君といる時のことで頭がいっぱいになっちゃった」
そんなの……助けたなんて別に大した事じゃないのに。
雛罌粟さんの話を聞いている間に僕から湧き出てくる何かはどんどんその量を増していく。今にも満たされて溢れそうだ。
「けどやっぱりこんな年齢差じゃ私達が付き合うのは難しいし、君が私を受け入れてくれるかどうか怖かったの……。だからこの気持ちは隠しておくつもりだった。でも君は私を受け入れるって言ってくれたでしょ? だから私はそれが嬉しかったの。だからあんな事を……」
そこまで言うと雛罌粟さんはまた泣き出してしまった。
「ごめんね、ごめんねっ。………本当にごめんなさい」
雛罌粟さんは泣きながらもただ謝り続けていた。その声は今にも消えてしまいそうだった。
「……こんな事言っても仕方ないわよね。また迷惑かけちゃってごめんね。でも………」
雛罌粟さんはそう言うと僕の顔を見て言った。
至近距離で言われたその言葉は吐息まじりに僕の耳に届いた。
「でも最後にこれだけは言わせて…………竜胆くん、大好きだよ」
そう言って雛罌粟さんは僕から離れようとした。
その言葉によって湧き出てきた何かが心の中を満たすような感覚になった。
嫌だ、離れないで。いなくなって欲しくない。
それは口にするだけで充分だったはずだ。しかし満たされた事によるものなのか、僕は衝動的に行動にしてしまった。
僕は離れようとしていた雛罌粟さんを離してたまるかとばかりに抱きしめると、そのまま彼女をソファーに押し倒した。
最後まで読んでいただきありがとうございました。