「別れるって…………どうしてですか?」
僕はショックのあまり声が震えていた。
いきなり言われた別れ話。僕はすぐには受け入れられずに呆然としていた。
頭の中がぐわんぐわんと揺れている。目の前が僅かに霞む。
何も前触れは無かった。それなのになんで急に?僕が何か悪いことでもしてしまったのか?ずっと出会った頃から変わらずに接してきたつもりだったのに。
「それは………」
雛罌粟さんは言い淀んだ。どこか悲しそうな表情を浮かべる雛罌粟さんを、僕はただ見ていた。
何か理由があるならはっきりと言って欲しかった。改善するとかそういう問題じゃない。ただ納得する理由が知りたかった。
「その………他に、好きな人ができたの。だから、君と別れたい」
それを聞いた瞬間、僕の体から力が抜けた。
他に………好きな人が………
それ誰なんですか?何で僕じゃダメなんですか?本当にそれだけなんですか?
聞きたい事、言いたい事は山ほどあった。けど、それは言ってはならないとすぐに判断する。
それじゃあ、まるで雛罌粟さんに縋り付いているみたいだ。そんな子供っぽい事は言いたく無かった。
元々僕達は付き合ってるわけじゃない。お互いがお互いを頼って、それが恋愛っぽくなっただけのものだ。
ただ想いをぶつけるだけ、そんな関係の僕に雛罌粟さんの恋愛をどうこう言う権利なんてない。
むしろこれまでの事があって、こうやって雛罌粟さんは新しい恋愛をする事が出来た。
大切な人が新しい幸せを手に入れられたのだ。これは喜ぶべき事だ。
それなのに心の何処かで雛罌粟さんの彼氏になった気になっていた。とんだ思い上がりだ。
好意を向けられたと言ったって、これは半年以上前のこと。人の気持ちなんてすぐに変わる。
理屈上何も変な話じゃない。それなら僕は受け入れるべきだ。
僕じゃなくて新しい人を好きになって何がおかしいんだ。大体、こんな子供が相手にされてただけで幸運ものだったんだよ。
雛罌粟さんにとって、僕はもう必要無いって事だ。価値のないものが排除される。そんなの当然だよな。
「そう、ですか………分かりました」
僕はソファーから立ち上がった。力が入らずフラついたが、そんなの気にもならない。
「あ、あの、竜胆君………」
さすがに様子のおかしい僕を心配してくれたのか、雛罌粟さんは心配そうに声をかけてくる。優しいなぁ。
「そんな顔しないでください。せっかく好きな人できたのに、それじゃあ逃げられちゃいますよ」
僕は振り向かずに言った。何とか明るい声を作って。
「わ、私………竜胆君の事が好きなのは本当なの………けど………」
「昔の事を気にしないでください。それより、ちゃんと今幸せになる事を考えてくださいよ」
「竜胆君………」
「彼氏さんとお幸せに。それじゃあ」
僕はそのまま振り向く事なく、雛罌粟さんの部屋を出た。階段を降りてお店を出る。
ここに来るのも今日で最後かな。最後のコーヒー、もっと味わって飲めばよかったな。
お店を出て自転車に跨って………やめとこ。今乗ったら間違いなく事故る。
僕は自転車を引きずってお店を後にした。それでも心に空いた穴は治らない。
僕は頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。お店の影にいた黒いパーカーの人間に気がつかないほどに。
家に着いた僕はドアを開けた。リビングでは分が勉強をしている。
「あ、おかえり竜胆。遅かったね」
「………あぁ」
「? どうかした?」
僕はそこでハッとした。
ダメだ、いつも通りにしないと。昨日夢のせいで心配をかけさせたばかりじゃないか。
雛罌粟さんの事を話したら、分は絶対に気にしてしまう。そんな迷惑はかけられない。
「別に。今日ちょっと早めに寝るから、勉強見れないけどいいか?」
「え?うん、いいけど………」
「それじゃあ、おやすみ」
僕は出来るだけ分と目を合わせないようにして、自分の部屋に向かった。
部屋に入ると、僕はそのままベッドに倒れ込む。
何やってるんだか………早く気持ちを切り替えないと。別に死ぬわけじゃない。ちょっと前の生活に戻るだけだ。
今までが幸せすぎたんだよ。普通になるだけ、ただそれだけだ。
そうだ、僕はこんな幸せであっていい人間じゃない。面倒になる前に別れられて、ちょうどよかったじゃないか。
もう今日は寝よう。
そう思って目を閉じても、僕はその日一睡も出来なかった。
とある高級マンション。そこの最上階のとある部屋にはケタケタと気持ち悪い声が響いている。
見るからに豪華や内装。そんな部屋に住める人間は限られている。
その声はベッドの上からしていた。そのベッドに寝転んでいるのは、昨日『Cafe Red Poppy』に来ていたチャラい男だ。
パソコンを広げてその映像を観て笑っている。その隣には何かが小さい紙に包まれたタバコのようなものがある。
するとその部屋に一人の女性が入ってくる。スーツを着たキャリアウーマンといった雰囲気の人だ。
「あ!山慈姑さん。いらっしゃ〜い。今日は遅いね」
緩みきった声に山慈姑と呼ばれた女性は、小さくため息を吐く。
「そうね。どこかの誰かさんが集団レイプなんてするから、その被害者と目撃者消すのに時間がかかったのよ」
「あぁ、この前ヤッちゃったヤツかぁ。お疲れ様ぁ」
山慈姑の嫌味も男には通じない。
彼女の言った消す、とは比喩でも何でもない。物理的に人を消したのだ。この世から。
「ねぇ木偶、前から言ってるけど何かやらかしたならすぐに言って。処理するのも大変なのよ?」
「えぇ?俺物覚え良くないからさ、まぁ善処するよぉ」
木偶と呼ばれた男は、ヘラヘラ笑って答えた。山慈姑は木偶に対して殺意が湧いたが、それを抑え込む。
山慈姑はそういった木偶のやらかした問題の始末、それも関わった人間の始末を専門としている。
つまりは殺し屋、というわけだ。
「というかそれ以前にホイホイ問題起こさないで。ヤりたいならデリヘルでも頼みなさいよ」
「山慈姑さんは分かってないなぁ。プロの子だとあんな面白い反応はしてくれないの。あの怖がって震えてる顔、堪らないよねぇ」
山慈姑はいよいよイライラしてきた。軽く五、六発殴ろうかと思ったが、それをやると自分が追い詰められてしまう。
「それに何かあっても父さんが何とかしてくれるでしょ?」
「実行するのは私達なのよ」
木偶の父親、酢漿草 提は有名財閥のトップだ。政治家にも顔がきく有名人である。
その息子の木偶は、地位の高い父親の息子ということでやりたい放題の人生を送ってきた。
この歳になってまともに働かなくても裕福な暮らしが出来るのもそのためだ。
犯罪なんて当たり前、それを提が山慈姑のような殺し屋が関係者も含めて始末させる。
提が雇った殺し屋は山慈姑以外にもいる。そんな数の殺し屋を雇える(もちろん秘密保持のため終身雇用)のもお金の力だ。
山慈姑は正直気が乗らないが、金払いだけはいいので仕事を引き受けている。
木偶の問題を処理して、解決と思ったら次の問題。殺し屋とはブラックな仕事だ。
「はぁ………って、何観てるの?ドラマ………じゃなさそうね」
山慈姑は木偶の観ているパソコンを除いた。そこにはカメラの映像のようなものが映っている。
「ん〜?あぁこれね。ほら、昨日榷さんにカメラ仕掛けてもらったって言ったじゃん?その映像」
「あぁ、昨日言ってたわね」
榷というのは山慈姑の同僚、つまりは殺し屋だ。
パソコンには灰色のパーカーを着た高校生の少年が映っている。どこか沈んだ表情をしている。
「何これ?場所は…… 『Cafe Red Poppy』?」
「そ。実はここのマスターの娘、僕の高校時代の同級生なの。しかも元カノ」
「へぇ」
山慈姑は無機質に応えた。たしかに木偶は見た目や外ヅラはいい。その性格を知らなければモテるだろう。
「んで、最近その娘と映像のガキが仲良いって聞いてさ。こりゃ面白いと思ってちょっとイタズラしたんだぁ」
要は元カノの恋愛にちょっかい出した、という事だろう。それも映像を観た感じマイナス方向に。
「昔その娘とヤろうとした時に、その娘僕のこと突き飛ばしたんだよ?そんなヤツが幸せになるっておかしくない?」
全くおかしくない。
と言おうとしたのを山慈姑は飲み込んだ。言っても面倒になるだけだ。
どうせ無理矢理迫ったに違いない。同じ女として同情したいくらいだ。
「それでその時も色々やったんだけどさぁ。また懲りずに幸せになろうとしてるんだよねぇ。だからイタズラしてみたの」
コイツの頭は一体何でできてるんだろうか。どう育てたらこんな思考回路になるのか不思議で仕方ない。
けどどうやら処理が必要なほどでもない。虫唾が走る話だがスルーでいいだろう。
「まったく、アンタも大人なら自分の尻拭いくらいはやったらどう?」
「えぇ〜、俺に山慈姑さん達みたいなことやれって?面倒」
大の大人が自分の尻拭いを面倒とは。呆れ果てて声も出ない。
「アンタねぇ………というかアンタは殺し屋にはなれないわ」
「そう?人殺しは得意だよぉ?」
好き、の間違いだろう。殺しの技能はからっきしだが、遊び半分で通り魔なんかもやるヤツだし。
「そうじゃなくて、性格の問題よ。アンタみたいにふざけたヤツは数年前からこの国の裏社会には存在しないわ」
「何で?どこかの闇集団が始末した、的な?」
「半分正解半分間違いよ。始末したは正解。でも集団じゃない」
「え?何それ?」
木偶が首を傾げる。こんなヤツに言う必要はないが、これからのいい釘にはなるかもしれない。
「個人なのよ。裏社会じゃ『DEAD SURVIVOR』って呼ばれてる殺し屋よ。ソイツが全て殺した、と言われているわ」
「言われてる?」
「ある種の伝説なのよ。噂だけの話だし、嘘だって言う人もいる。けどアンタも度が過ぎると殺されるかもね」
「ふ〜ん。まぁ俺はそんなヤワじゃないよ」
釘どころか薬にもなりそうにない。山慈姑はため息をついた。
「あ、それより『サドイーター』って新しいのまだ?」
男は隣にあるタバコのようなものを摘んで言った。
「明日来るから我慢しなさい」
「は〜い」
木偶は間伸びした返事をしてパソコンに向かい直す。
そんな木偶の部屋をマンションの外から眺める黒いパーカーを着た一人の人間にも気がつかず。
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