僕は出て行った分を眺めながら、その場にしゃがみ込んで小さく息を吐く。
「りん兄…………いいんですか?分ちゃん、行っちゃいましたよ」
「………」
「追いかけないんですか?間違いなくこの前みたいに喧嘩になりますよ?」
「………かもな」
僕は短く返事をした。それでももう体に力が湧かないんだ。追いかける気力もない。
情けないなぁ………たかが人にフラれただけでこんなにも力が抜けるんだな。
「雛罌粟さんのとこに行かないんですか?」
「僕が行ってどうすんだよ。あの人はもう、僕には関係のない人だ」
分はあぁ言ってくれたが、雛罌粟さんの恋愛は雛罌粟さんの問題だ。僕が介入するべきではない。
「雛罌粟さんの事、諦めるんですか?」
「新しく好きな人ができたんだ。そんな人といたって仕方ないだろ」
あの人の迷惑にはなりたくない。あの人が今を幸せに生きていけるなら、それでいい。
それがたとえどんな人間であっても、これからずっと僕といるよりは幸せになれるはずだ。
僕は人を幸せには出来ない。むしろ不幸にしてしまう。本当は東風や分だって、隣にいてはいけないのに。
「そんなの………いつものりん兄らしくないですよ」
「そうか?」
「いつものりん兄なら雛罌粟さんの事なんて無視して、自分の気持ちを貫くはずです。人の事情で自分の気持ちを遠慮するなんて、らしくないですよ」
たしかに。いつもの僕なら雛罌粟さんがどうなろうと自分の気持ちを押し通していたな。
自分が正しいと思うから。それを貫けばいい。
けど………
「今回は無理だな。僕はあの人を幸せに出来ない。それならあの人といる意味はない」
「それは、りん兄が………」
東風はそこで言い淀んでしまった。何て言っていいのか分からなくなったんだろう。
けど、何を言いたいのかは分かる。
「それもある。でも、それだけじゃない………お前だって知ってるだろ。僕のせいで………父さんと母さんが、どうなったのか……」
「それは………けど、それってりん兄は悪くないじゃないですか!あれは元々………」
「誰が元々とか、そんなの関係ねぇんだよ‼︎」
僕は思わず叫んでしまった。東風がビクッとして黙ってしまう。
「僕のせいで、父さんと母さんは死んだ………僕が殺したんだ………ッ」
僕に力があれば………二人は死なずに済んだんだ………僕のせいで………
今でもずっと夢に見る。忘れられないあの時の光景。あんな事………
「もう、あんな事……二度と起こしたくないんだよ………僕のせいで、大切な人が死ぬのなんて………見たくないんだ」
だから誰とも一緒にいたくない。誰も信じたくない。その人が僕の大切な人を、傷つけてしまうかもしれないから。
大切な人を守るためだったら、僕は何だってする。何を敵に回そうと、自分にとって自分が正しいと信じる。
それでも、また守れなかったら………大切な人が死んでしまったら………そんなの、もう嫌なんだよ。
「僕のせいで雛罌粟さんが傷つくかもしれないなら………別れてくれた方がいい」
それは雛罌粟さんと知り合ってから、いつも考えていた事だった。
けど、この関係を終わらせたくなくて、ずっと先延ばしにしていた。それならちょうどいい機会だ。
いつかは別れようと思ってた。それが少し早まっただけの事。そう思わなきゃいけないんだ。
「そんなの………」
「ん?」
ポツリと呟いた東風の言葉に、僕は思わず聞き返した。
すると東風はグッと顔を近づけて鼻先がぶつかりそうになるまで近づいてくる。
「そんなの絶対ダメです‼︎それじゃあ………それじゃあ、りん兄がこれまで頑張ってきた意味がないじゃないですか‼︎」
「東風………?」
突然の東風のエラい剣幕に、僕は思わず身を引いた。
「だって、りん兄昔のことが嫌で、そのために今までたくさん頑張って来たじゃないですか‼︎それって、りん兄のお父さん達みたいな人をもう作らないで、大切な人を守るためでしょ⁉︎」
「それは………そうだけど」
「それなら、ずっと雛罌粟さんの側にいなきゃダメですよ‼︎それでちゃんと守って幸せにしてあげないと!出来るとか出来ないとか関係ない‼︎そうしなきゃ、りん兄の選んだ道の意味がないです‼︎」
「…………」
僕は何も言えなかった。
そう、だよな………僕はそのために今の道を選んだんだ。
どんなに否定されても、関係ない。僕が正しいと思った、それだけで他には必要ない。
大切な人を傷つけない。そのために僕は………
危険だから何だ、不幸だから何だ、そんなの全部僕が潰せばいい。出来る出来ないじゃない、それをやるために僕は生きてるんだ。
「後はどうするか、決まりましたか?」
「あぁ‼︎」
自分の存在意義は確かめた。後は自分のやりたい事をやるだけだ!
他に好きな人ができた?雛罌粟さんに拒絶された?向こうの気持ち?
んなもん知るか‼︎僕はあの人といたい、他は一切無視で構わないだろ‼︎どうせ分かり合えないんだし。
それが僕の正しさだ。文句あるなら立ち向かってこい!僕の正しさのためだ、全部捻り潰す‼︎
「ふふっ、やっと普通のりん兄に戻ってくれました」
東風はフッと笑うといきなり抱きついてきた。その柔らかさに思わずドキッとする。
「ちょッ、おい!いきなり抱きつくなよ!」
「あ、す、すみません!けど、よかったです………」
東風は離れる事なく、そのままギュッとしてくる。フワッといい匂いがして、心臓の鼓動が大きくなる。
何でコイツこういうの平気でやるかな?そろそろ離れて………
ん?………匂い?
その瞬間、僕の頭に何か重大な事が過った。
そうだ!この前お店に来てたチャラ男、アイツに感じた違和感は匂いだ!
あの匂いはたしか………
「ッ⁉︎………まさか………ッ!」
その匂いの正体に気がついた僕は、心臓が凍りつくような感覚に見舞われた。動悸が激しくなり体が震える。
僕はなんて事を………とんだ大馬鹿じゃないか‼︎
「りん兄?どうかしましたか?」
「大変だ………ッ!」
僕は勢いよく立ち上がると二階に駆け上がった。近くにあったトレンチコート、クラッシュハットを手に取った。必要なものはポケットに入ってるな。
くっ!こんな事になるなんて………けど、これで終わるならそれまでだ‼︎
全てを身につけると一階に降りていく。
「東風‼︎そこのカレンダーに
「えっ⁉︎その格好………あの人って………何で⁉︎」
「いいから早くしろ‼︎時間がねぇんだ‼︎」
「は、はい‼︎」
後の事を東風に任せて僕は外に出た。自転車に乗って最速で走り出す。
頼むッ‼︎間に合ってくれ‼︎
「アンタ………木偶………!」
『Cafe Red Poppy』では、私と分がいきなりの来訪者に驚いていた。
「おぉ、分ちゃんじゃん。久しぶりぃ」
目の前に現れた男に、分は目を見開いていた。
「何で、アンタがここにいるのよ………」
「えぇ〜、彼氏が彼女に会いに来るのがおかしい?」
「彼氏って………ッ⁉︎」
分は驚いた様子で私の方を振り向く。私は目を合わせられずに逸らした。
「そ、俺が新しい罔象ちゃんの彼氏なのぉ」
「そんな………お姉ちゃん!どういう事⁉︎」
分が怖い表情で睨んでくる。それもそうだ、分にとっても木偶さんは許せない相手だろう。
「ごめん………こうするしかなかったの………」
私は震える声で話した。
この前の夜、いきなり木偶さんがお店にやって来た。
昔私と付き合っていた木偶さんは、寄りを戻そうと言ってきた。
けど今の私には竜胆君がいる。それ以上に木偶さんは私とっても許せない相手だ。付き合うなんてあり得ない。
けど木偶さんはしつこくて、そのタイミングで竜胆君が来たから帰ってくれたけど、翌日にまた来た。
そしてこう言ったのだ
『罔象ちゃんの実家の周りには俺の手下がいるんだよねぇ。今ここで俺が連絡一本入れたらぁ、君のお母さんと妹ちゃん殺せるよ?」
それを聞いて私は凍りついた。昔の事が頭に蘇る。
木偶さんはそれを面白そうに笑うと続けた。
『あのガキの事好きなんでしょ?新しく好きな人ができたって言って昨日のガキと別れてよ。それで俺と付き合って。あ、誰かにこの事話しても殺すからぁ』
「だから私は………竜胆君を………」
「そんな………」
理由を知った分は愕然とした。
「いやぁ、映像観たけどあのガキ面白いくらいに落ち込んでたよね!面白かったぁ〜!」
「いい加減にしなさいよ‼︎」
分は大声で叫んだ。その表情はさっきよりも怒っていた。
「アイツが何をしたのよ‼︎お姉ちゃんだって………何も悪いことしてないでしょ‼︎」
「う〜ん、だって俺昔罔象ちゃんに拒絶されたし?まぁ、本音は面白そうだったら何だろうけどねぇ」
「ふざけないで‼︎」
分は叫ぶとカウンターを飛び出して木偶さんに飛びかかった。
けど体格差がありすぎる。木偶さんは向かってきた分を蹴り飛ばした。
「きゃッ‼︎」
分は窓際まで吹き飛ばされた。
「ガキが。お父さんみたいに殺されたい?」
「まさか………ッ、あの銀行強盗もアンタが………ッ!」
「まぁねぇ、もっとも目的はお金じゃなくてお前とお前のお父さんだったけどね」
木偶さんは追撃とばかりに分の腹を蹴って腕を踏みつける。
「がぁッ‼︎」
「あはははッ‼︎ほらほら、抵抗してみてよ!僕に怒るからこうなるんだ!ギャハハハハッ‼︎」
「止めて‼︎」
見ていられなくなった私は止めようと飛び出して木偶さんを止めた。
「うるさいなぁ」
木偶さんは私を振り払うと、思いっきり突き飛ばした。私は倒れてしまう。
「きゃッ‼︎」
すると木偶さんは私の方を向くと近づいてくる。私は身の危険を感じた。
「ッ‼︎何するつもり⁉︎」
「ん〜恋人同士なんだし、ヤったって別に変じゃないでしょ?あの時のリベンジだよぉ」
木偶さんは私に覆い被さってきた。
竜胆君に迫られた時は高揚感すら感じたのに、今は嫌悪感しか感じない。
「やぁッ!来ないで‼︎」
「いいの?ここで連絡して、お母さん殺させてもいいんだよ?分ちゃんなんてここで殺せるし」
そう言われて私は何も言えなかった。ここで抵抗したら………お母さんが………
「おっ!大人しくなったね。それじゃあ早速」
木偶さんはそっと肩を撫でてきた。嫌悪感がさらに増す。
この辺りをこの時間に通るのは車が数台くらい。助けてが来るとは思えない。
いやッ………怖い!こんな人に抱かれたくない!けど、そうしないと………家族が………
竜胆君………助けてッ‼︎
誰もあなたの事は分かってくれません。だから、自分の正しさは自分で決めないと。大切なのはそのためにどれだけの事が出来るか、ですよ。
ふと、竜胆君の声が聞こえた気がした。
私の、正しさ………そのために私は………ッ‼︎
「離して‼︎」
私は叫ぶと木偶さんを突き放した。
「おっとぉ………はぁ?何で抵抗すんの?家族殺されたいの?」
たしかに、お母さんも分も私にとって大切な家族。無くしたくない。
でも………
「それで殺されるなら、私はその責任を全部背負う‼︎それでも竜胆君を好きでいたいの‼︎大好きな人とずっと一緒にいる。それが私の正しさだから‼︎」
重いかもしれないし、おかしいのかもしれない。でもそんなの関係ない‼︎
それだけ私は竜胆君の事が大好き‼︎
ふと分の方を見ると、分はフッと笑っているように見えた。
「このッ!何で俺に怒るんだよ‼︎バカな女程度が上から目線で話しやがって‼︎」
そう叫ぶと木偶さんは私に襲いかかってきた。無理矢理犯すつもりだろう。
怖くて身体が震える………それでも最後まで抵抗する!
そう思って立ち上がろうとした時だった。
バタンッと勢いよく開かれた。
みんなの視線が扉の方に集まる。
そこにいたのは………
「随分と派手なある音が鳴らしてますけど、喫茶店のBGMにしちゃちょいと場違いじゃないですか?」
クラッシュハットを目深く被った、どこかいつもと違う雰囲気の竜胆君だった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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