第151話 疲れ
「があぁッ‼︎」
人気のないひっそりとした森の中、男の断末魔が響き渡る。
その男は地面に倒れていて、首からは血が流れている。
「ふぅ、これで終わりっと」
男の隣で一息吐いた僕は、短刀に付いた血を払うと鞘に収めた。
すると向こうから足音が聞こえてくる。
「お〜い竜胆、そっちはどう?」
それは鯨波さんの声だ。木の影からその姿を表す。
「今終わった」
「ん、殺し屋殺しお疲れさん」
僕は近くに生ってるビワの木から、実を一つ採って皮を剥いて食べる。
もうビワが美味しい季節かぁ………っと、食べ過ぎに注意だな。
「それにしても意外だねぇ」
「何が?」
「お前がまだ殺し屋やってる事だよ。あんな綺麗な奥さん捕まえたら、もう来ないと思ってな」
まぁ、たしかに普通ならそうするよな。でも僕は違う。今は罔象達が応援してくれている。だから止める気はない。
「でもお前、むしろ昔よりも仕事に力入ってんじゃん。何か
「それは………当たり前ですよ」
昔なら仕事でいつ死んでもいいと思ってた。いや、今も無くなったわけじゃない。
けど今は帰るべき場所で待ってくれる人がいるからな。命をかけて殺しをする。でも死ぬわけにはいかない。
「この死体私達の方で処理しとくから、お前はもう帰って大丈夫だぞ」
「本当ですか?よし!」
僕はグッと拳を握った。今ならまだ大丈夫だろ。
「それじゃあ、後はよろしくお願いします」
そう言って僕は素早く森を後にした。
『Cafe Red Poppy』は今日はもう終わったが、店の中の明かりはまだついている。
僕は足早に向かうと、そのドアを開けた。そこには一人の女性がいる。
「あ、竜胆君!いらっしゃい」
「こんばんは罔象」
罔象がカウンターから出てきて僕に近づいてきた。
「ギリギリ来れたよ。時間大丈夫?」
「うん。待っててよかった」
仕事が夜に多いため、終わるのが深夜とかだとその後行くのも罔象にも迷惑だと思って、お店には行かないようにしてるからな。
「お弁当、今日もありがとうね。美味しかった」
僕は罔象にお弁当箱を手渡した。
「ありがとう。上で待ってて、コーヒー持ってくから」
「うん」
僕は先に罔象の部屋に入ると、コートを脱いで彼女が来るのを待った。
しばらくして罔象がコーヒーを運んできた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
罔象からコーヒーを受け取ると、一口飲んだ。ふぅ、美味しい。
それから僕達はコーヒーを飲みながら二人だけの時間を過ごした。
それから数十分ほど。コーヒーも飲み終わり、話すことも無くなってきた。
「それじゃあ、僕そろそろ帰るね」
「うん………また明日」
僕は立ち上がって部屋を出て行こうとした。その時
ギュッと罔象が僕の手を握った。
「………罔象?」
突然の事を僕は驚いた。どうしたんだ?
「やっぱり、もうちょっと一緒にいよう」
「どうかしたの?」
まさか引き止められるとは思っていなかったので、僕は首を傾げた。
「………な、何か理由がなきゃ引き止めちゃダメ?」
罔象は指を絡めて僕との距離を縮める。罔象の熱が弱くも伝わってくる。
「ダメだなぁ………最近、もっと君と一緒にいたいってすごい考えちゃう。ワガママだね」
ほんのりと顔を赤く染めて、僕の方を見てくる。
「僕は………別にいいよ。時間はあるし」
「いいの?」
罔象の問いに、僕は小さく頷いて答えた。
「そっかぁ。ありがとう」
罔象は僕の肩にぽてっと頭を乗せた。身体を委ねられるような体勢になり、顔が熱くなる。
外も暑くなってきて、その上で感じる熱なのに全く嫌とは感じなかった。
握った罔象の左手の薬指にあるシルバーリングが見えて嬉しくなる。
「君から貰った指輪、仕事の時もつけてたらお客さんに『結婚するの?』ってすごい聞かれるんだよ」
「仕事の時外してないんだ」
「もちろん。竜胆君からの最高のプレゼント、手放せるわけないでしょ」
「そうか、嬉しいな」
僕達は見つめ合うと微笑み合った。しばらくそのまま手を繋いで身を寄せ合う。恥ずかしいけど、どこか心落ち着く時間だ。
「そのコート、仕事終わってそのまま来たんでしょ?疲れてない?」
身体を預けたまま罔象が僕を見上げた。
「いつもの事だからなぁ、慣れてるよ。それに疲れてるからこそ、罔象のコーヒーが飲みたいの」
僕も少しだけ罔象に身を委ねた。この時間だけはどんな時でも僕を癒してくれるんだ。
「それなら、さ………もっと、竜胆君のこと、癒してくてあげたり、とか………しようか?」
「え?」
罔象の言葉に僕はポカンとした。僕の手を握る罔象の力が少しだけ強まる。
「そ、その………君が疲れてるなら、癒してあげるのも、か、彼女の私の役目かなぁって………」
「た、例えば、何してくれるの?」
すると罔象が僕の方に顔を向ける。
「えっと………そのまま、ね」
そう言って罔象は僕に向かって少しだけ首を伸ばした。
罔象の柔らかい唇が僕の頬に触れた。
「チュッ………どう、かな?元気出た?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ‼︎」
僕は俯き気味に何度も頷いた。体に溜まっていた疲れが一気に吹き飛んだ。
「よかった。でもこれくらいの事だったらいつでもしてあげるよ」
僕達は抱き合うようにして身体を密着させる。あぁ、これだけでも癒される。
でもそれと同時にもっとして欲しいという欲求が湧き出てくる。
その欲求に従って、僕は罔象を抱き寄せた。
「ひゃっ⁉︎」
柔らかい身体の感触と共にフワッといい匂いが漂う。どことなく甘くて、求めたくなる匂いだ。
「あっ、ちょっと………もっと、するの?」
「う、うん」
僕は抱きしめる力を強くすると、自分の意思を示した。どうしよう、体が止まらない。
たまらなくなった僕は、そのままソファーに押し倒そうと………
「ちょ、ちょっと待って」
その前に罔象が僕を止めた。
「ダメ、だった?」
「そうじゃなくて、その………先にお風呂、いいかな?ほら、その、汗とかかいちゃってるし。君もそのままじゃ嫌でしょ?」
「あ、そうか………」
そういえば殺し屋殺してそのまま来たからな。返り血とかはついてないけど、汗もかいてる。
「私カップとか洗っておくから、先にお風呂入ってて」
「うん、分かった………」
僕は罔象の部屋を出るとお風呂場に向かった。
あぁ、いきなり押し倒そうとするとか、何やってんだか。頬にキスされて舞い上っちゃったな。
ちゃんと自制しないと。よく考えたら癒されたいって変だったかなぁ。
とりあえずシャワーを浴びて体を洗いながら頭を冷やす。あんまりガツガツし過ぎたら嫌われちゃう。
変だなぁ、仕事の時は頭完全に冷えてたのに、罔象といるとどうしてもそれが出来ない。
いくら彼女とはいえ節度を持ったお付き合いでなきゃ。
シャワーを浴び終えた僕は、お風呂場を後にした。そのタイミングでお風呂を入ろうとしていた罔象とすれ違う。
「あ、竜胆君。先に部屋で待っててね。すぐに行くから」
「うん」
さっきの事もあり、思いっきり抱きしめたい気持ちを何とか押し留めて、僕達はお互い見つめ合うと分かれた。
罔象の部屋に入ると、僕はソワソワしながら罔象を待った。
コートの中にある短刀を鞘から抜いては振ってはしまい、それを繰り返す。
それからしばらくして部屋の扉が開かれる。
「竜胆君、お待たせ」
入ってきたのは夏用のパジャマを着た罔象だった。
前に見た冬用のものよりも薄くなっていて、罔象の煽情的な身体のラインが浮き出ている。生地の水色もよく似合っていた。
袖も半袖になっているため二の腕まで露わになっているのが、とても美しい。
濡れて艶の増した黒髪をタオルで拭きながら、僕の方を見て微笑んでいる。結んでいた時とはまた違う魅力があった。
大人っぽい綺麗というより、可愛いが先に頭に浮かんだ。
罔象は僕の隣に座った。見れば見るほど罔象の美しさが見つかる。
無意識に僕達の距離は近くなっていった。お互いチラチラと見合っている。
ふと罔象の胸元を見ると、服の中から深い胸の谷間が見える。
前のボタンを止めるタイプのパジャマで、下着をつけていないから尚更。
でもなんか失礼な事をしているように思ってしまい、僕は距離をあけて目線を逸らした。
さっきちょっと強引に迫ってしまった事もあり、どうも誘いにくい。罔象もさっきの事があってか、僕をジッと見てくる。
「ねぇ、竜胆君」
「な、何?」
いきなり声をかけられて僕はドキッとした。
「私の脚の間、座らない?」
「え………?」
「たまにはさ、こんなのもどう、かな?」
あけた距離を詰めるように罔象が近寄ってきた。さっきまでと変わらない距離なのに、どことなく恥ずかしい。
「いいの?」
「うん。君がよければ、だけど」
罔象は閉じていた脚を広げて指し示した。その仕草はとても艶やかに感じる。
「そ、それじゃあ………座ろう、かな」
僕は誘われるがままにソファーから立ち上がった。
「し、失礼、するね」
「うん」
罔象の前に立つと、ゆっくりと腰を下ろそうとした。でも子供っぽいかなと思って、戸惑ってしまう。
「竜胆君?」
「えっと、その………」
どうしよう。いい、のかな?
「…………おりゃっ」
「うわっ!」
罔象が後ろから服を引っ張ったからか、僕はストンと腰を下ろす事になった。開いた罔象の脚の間に収まる。
「み、罔象?」
「う〜ん、やっぱり君って背丈の割に細いねぇ。ちゃんと毎日ご飯食べてる?」
そう言うと僕の体に腕を回した。回された腕が温かく、背中に柔らかい膨らみが押しつけられて心臓が高鳴った。
夏めいてきたとは言っても、まだ夜は肌寒い。そんな時にこの温かさは心地よかった。
「捕まえた」
「え?」
「あ、あんな事されて………我慢してたの、君だけじゃないんだからね。私も、身体熱くなっちゃったし」
罔象が僕の背中に顔を押し付けたのが分かった。優しく頬擦りしてくる。
僕は自分の腹に回された罔象の手をそっと撫でた。そして覆うようにして手を握る。
「ふふっ、君との二人っきりの時間。離れてたら損でしょ?逃がさないよ」
「べ、別に、逃げるつもりはないよ。ただ、また襲っちゃいそうで」
「そしたら私も竜胆君のこといっぱい求める」
「何か罔象、積極的になったね」
「どこかの彼氏さんが、いつまでも求めてくれないからだよ」
「そ、そういうの………何か、理由が無いとさ………」
「ふーん………」
すると罔象の口元が僕の耳元に近づいた。吐息混じりに囁いてくる。
「このまま帰ったら湯冷めしちゃうよね?」
「………うん」
「それじゃあウチ泊まる?」
「………うん」
「一緒に、寝る?」
「………うん」
「その前に………お互いの熱、何とかしよ。ベッドでさ」
「………うん」
「ありがとう♡」
僕達は手を繋いで立ち上がると、部屋の明かりを消した。
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