六月に入り雨の日も多くってきた頃。と言っても僕達の生活は何一つ変わらないけど。
いつも通り僕は罔象の所にコーヒーを飲みに行っている。
仕事が忙しくなってはいるけど、何とか時間を作る事が出来ていた。
とまぁそんな風に何事もなく過ごしていたある日のことだった。
「竜胆君。お泊まりして、いいかな?」
罔象が突然そんな事を言い出したのは六月の中旬だった。
いつも通り罔象の部屋で二人きりの時間を過ごしていると、罔象が提案してきたのだ。
「はい?お泊まり?」
罔象の部屋のソファーに座り罔象の隣にいた僕は、思わず首を傾げた。
「うん」
罔象が小さく頷く。また随分といきなりだなぁ。
これまでにお互いお泊まりの経験は、罔象がウチに泊まったのが一回。僕が罔象の家、つまりここに泊まった回数は………秘密だ。ほとんどが体を重ねる時なもんで。
「えらく急だなぁ………えっと………どっちがどっちに泊まるの?」
「どっちでもいいんだけど………出来れば私が竜胆君のお家に、かな」
なるほど。まぁ出来なくはないけどさ。
それこそ過去に
どこかで期待してた、ってのは大袈裟かもしれないけど、別にお泊まりに抵抗があるわけじゃない。
ただ問題は………
「泊まるってもいつ泊まるの?日によっては仕事で忙しい時もあるんだけど」
せっかく罔象とのお泊まりなら出来るだけ長い時間一緒にいたい。でも仕事が忙しいとそれが出来ないからな。
「そ、そうだよね………今月の28日がいいんだけど」
28日?たしかその日に仕事は無かったはずだな。
それじゃあ問題は………って、あれ?ちょっと待て。
「28日って月曜日じゃない?」
てっきりある程度暇な時間が作れる日曜日辺りかと思っていたら、まさかまさかの週始めの月曜日とは。
もちろん僕だって学校があるし、罔象だって仕事がある。それこそ夕方までは自由ではいられない。
「私はお店を早めに切り上げて、竜胆君が帰ってきたところで一緒に君の家に、みたいな感じで考えてたんだけど」
それでも休日に比べれば一緒にいられる時間は明らかに少なくなってしまう。
「日曜日とかなら時間に余裕あるけど、そっちじゃダメなの?」
「うん!」
「うぉっ!」
すると突然罔象がグッと僕に迫ってきた。いきなりの事で少し体が仰反る。
「で、出来れば………その日がいい」
「そ、そうか………」
何でそんなに拘るのかは不明だけど、罔象は28日がいいらしい。何か意味があるのかな?
「まぁ僕としては構わないし、いいよ」
「本当に⁉︎ありがとう!」
罔象は嬉しそうに笑った。
「でもいきなりお泊まりだなんて、何かあったの?」
「え?………あぁ、まぁ君ならそうか………そうだなぁ、当日にちゃんと話すよ」
「? 分かったけど………」
28日………何かあったっけ?まぁ、罔象といられるならどうでもいいか。
そんなこんなで僕と罔象のお泊まりが決定した。
「それじゃあ罔象、また明日」
「うん。おやすみなさい」
竜胆君が出て行って私は竜胆君と私が使ったカップを洗う。そしてお店の中を見渡した。
竜胆君がいなくなっちゃうと、いつもちょっと寂しいなぁ。明日会えると思ってても。
「さてと、お風呂入るか」
パジャマを持ってお風呂場に向かう。脱衣室に入って服を脱いで浴室に入る。
いつものように身体を洗っていると、ふと目の前の鏡に映った自分の身体が見えた。
「あ、キスマーク、まだ残ってる」
私の胸元には赤い痕がうっすらと残っている。この前竜胆君とシた時につけてくれものだ。
「まぁ、他にも残ってるんだけどさ」
竜胆君容赦なく腕とか手にもつけるから、翌日恥ずかしくて仕方ない。
もっとも竜胆君からの指輪をいつもつけてる時点で、お客さんにはそういう関係の人がいるのはバレてるわけだけども。
ちなみに指輪を貰って最初に仕事した時に一番かけられた言葉は『おめでとう』と『相手は誰?』だ。
話したわけじゃないのによく見てるよねぇ。相手の名前は竜胆君が嫌がるかもと思ったら言ってないけど。
けどそれは私にとっても嬉しかった。ちゃんと竜胆君と一緒になる事が出来たんだと、強く実感出来たから。
だからこそ、今度のお泊まりはあの日にやりたかった。一緒にいれる時間が短いのは残念だけど、そこはどうしてもね。
それに竜胆君の家に泊まるのも、本当に久しぶりだなぁ。
どんな事して過ごそうかな。
いつものように話すのももちろん大好き。でも、せっかくなら色んなことしたいんだよなぁ。
そんな事を考えながら私は身体を洗っていく。
「んっ………胸、また大きくなったかなぁ?」
最近ブラが妙にキツいと思う事がある。まぁ理由は御察しの通りなんだけど。
竜胆君のおかげでこうなってると思うと、どこか恥ずかしいと思いながらも嬉しいものがある。
彼と一緒にいる事がちゃんと私の身体に刻み込まれているんだなぁ。
その一部始終を思い出してしまうと良からぬ気分になってしまうので、その前に頭を振って考えを払う。
身体を洗って湯船に浸かると、私は窓の外を見た。
今日竜胆君コートで来てたなぁ。となると仕事を終えて来たんだろうな。
私の知らないどこかで、誰かが竜胆君に殺された。改めて思ってみても実感が湧かないんだよなぁ。
当たり前だけど竜胆君は仕事の話をしない。聞いてもどうしようもないしね。
竜胆君がどんな思いで、どんな仕事をしてるのか。それを知りたくないと言えば嘘になる。
まぁ竜胆君が何をしていようと、私の彼への気持ちは変わらないけど。
「よし!」
私は湯船から出ると浴室を出て身体を拭いた。それからパジャマを着る。
髪をタオルで拭いてドライヤーで乾かすと、自室に入った。
それから本棚に置いてあるノートと机に、置いてある筆記用具を取る。
椅子に座ってノートを広げた。
これは『竜胆君ノート』だ。
名前の通り竜胆君の事が書かれている。その日に渡したお弁当のメニューとか、夜に出したコーヒーのブレンドとか。
より竜胆君の好みに近づけるように、栄養とか色々と考えて書いている。いつもの私の日課だ。
ちゃんと成果は出ている、と思いたいな。さすがに聞きにくいし。
そしてもう一つ、これに書いてある事がある。
それは竜胆君と過ごす特別な日に何をするか、だ。
あまりデートとかしないし書くことは少ないけど、別に予定が決まってなくても書くことがある。
私の開いたページには中央に『竜胆君とのデートプラン』と書かれていて、そこから放射状に線が引いてある。
そこからお家デートとか屋外デートとか、色々と考えを広げている。
もちろん(と言ったら悲しくなるけど)あんまりというか、ほとんどというか、全然というか、全く実行されたものはない。
普通に働く社会人と学生兼有名殺し屋に、休みの合う日は少ないんだよね。
後連絡先交換してないから連絡が取りにくい。つい聞くの忘れちゃうんだよね。
いや、いいのよ。こうやっていつも会いにしてくれてるし、それだけですごい嬉しい。
とはいえ、こういう時こそ色々書くべきだろう。私だけじゃない、竜胆君にも楽しんでもらうようにしないと。
実はお泊まりという選択肢は前々から考えてはいた。さてと、どんな事をしようか。色々書いていこうっと。
「まずは駅で待ち合わせして、それで竜胆君の家に行く、っと。出来れば手繋ぎたいなぁ。時間あったらちょっと寄り道とかして、夕ご飯の買い物とか………ちょっと夫婦みたい。ふふっ♡後はやっぱり同じベッドで寝たいなぁ。ちょっと抱き合ったりとか………」
そんな事をブツブツ呟きながら、私はノートを書いていく。
部屋の壁にあるカレンダーは六月になっている。そこの28日には大きく花丸が描いてある。
それはずっと前、このカレンダーを買った時に描いたものだった。
罔象からお泊まりの提案が出て数日が経った。今日は6月28日、ついに来たお泊まりの日だ。
学校の帰りで罔象と駅で待ち合わせになっている。
すっごい楽しみだなぁ。とはいえどんな事するのかがよく分からない。お泊まりしようとしてお泊まりになるの初めてだからな。
というわけでとりあえず僕は目の前の課題を片付けている。
「あ、はい竜胆です………はい、あぁ昨日のことですね。舎弟が数人警護していたのでそれもまとめて………はい。死体はこちらで処分しました。報酬は明後日でいいので、はい………わかりました。それでは」
学校を出て人気のない所で殺し屋の仲介人からの電話に出ていた。昨日のヤクザ殺しの事での電話だ。
詳細を説明して、これにて完了っと。一応昨日報告はしてるけど、その後に鯨波さんに呼ばれてちゃんと説明出来なかったからね。
いつもなら帰り道に仲介人の所に寄るんだけど、今日は罔象とそのまま家に直行だからな。
電話を終えて駅に向かう。遅刻するわけにはいかないからな。
するとそこには東風がいた。
「あ、りん兄」
「おぉ」
水鶏の一件が終わってから、僕の中で東風との距離感はちょっと揺れている。
いや、あんな事されたらそりゃ意識もするでしょ。しばらくはまともに話せないどころか、顔すら合わせられなかった。
それでも東風は相変わらずなので、下手に意識するのもやめようと思って、これまで通りに接するようにしている。
もしかして今時の高校生でキスは当たり前のコミュニケーションなのだろうか?いや、考えるのはやめよう。
「りん兄が私より遅いなんて珍しいですね」
「仕事の電話だよ。そこでしてたんだ」
僕達は電車に乗って話していた。
「そうですか………あ、そうだ。今日りん兄と家に行ってもいいですか?ちょっと勉強教えて欲しくて」
「悪い、今日は無理。罔象がウチに泊まるの」
さすがに罔象を置いて東風の勉強を見るわけにもいかないし、今日は勘弁してもらおう。
「雛罌粟さんが、りん兄の家に、ですか?しかも月曜日に?」
「あぁ。何故か知らんけど、今日がいいんだと」
本当に訳がわからないが、まぁ罔象と会えるならそれでいいや。
「そうですか………ズルい」
「は?何が?」
「い、いえ!………そうだ!それなら、私も今度りん兄とお泊まりしたいです」
「ゴールデンウィークにしたばっかだろ。言っとくけどあの後何やかんやで、牛尾菜組との後始末手伝わされたんだからな」
まったく、あんな事二度とゴメンだ。本当なら東風とっ捕まえて手伝わせようかと思ったし。
そんな事を話していると目的の駅に到着した。
「それじゃあ、僕はこれで」
「私も一緒に行っちゃダメですか?」
「やめてくれ、面倒な事になる」
直感的にそう思った僕は、東風と分かれて駅の入り口に向かう。
そこにいたのは………
「お帰り、竜胆君」
大きめのバッグを肩にかけた罔象だ。
こうして僕達のよく分からないお泊まりが始まった。
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