初めはただの行きつけの喫茶店のマスターだった。
何の特別感もない。その場所は気に入っても、そこにいる人間になんて目も向かなかった。
いや、向けようとしていなかった。僕みたいな人間が仕事を、人を殺す事以外に目を向けてはいけないような気がした。
そういう意味では東風は特別。僕が表社会の人間と関わる事は許されないと思ってた。
でもあの日、どしゃ降りの中必死に僕を探してくれたあの人に、僕は彼女の強さを垣間見た。
それから彼女を家に入れて、一緒にお風呂入って、ご飯を食べて、一緒に寝て。
その日僕は彼女の優しさに救われ、美しさに戸惑い、温かさに安堵し、弱さに触れた。
たった数時間一緒にいただけで、僕は彼女をどこか特別な存在に見てしまっていた。
あんな大人、僕の周りにいなかった。感じた魅力が僕の目を彼女へと向けさせた。
『何をふざけている』『お前はそんな事を思っていい人間じゃない』
自分の心のがかけてくれた言葉はたしかに正しい。僕が誰かを愛せば、その人は不幸になるかもしれない。僕が彼女を殺してしまう。
でも僕の感じた彼女の魅力が、もう目を背けさせてはくれなかった。
鯨波さんとも、東風とも似たようで違う強さ。ありふれたようで、でも僕が心のどこかで求めていた。そんな強さだった。
それから彼女と一緒にいるようになって、僕はどんどん彼女に夢中になっていった。
自分の事を隠して彼女といる事に罪悪感はあったし、マズいとは思った。でもそれ以上に側にいるたびに感じる魅力に、心を奪われた。
気がつけば僕は彼女の隣にいたいと思うようになっていた。離れるべき彼女への想いは強くなる一方だった。
そして僕の正体が分かっても尚、彼女は僕を受け入れてくれた。結ばれて堂々と隣にいれるようになった。
ずっと一緒にいるなんて無理だし、どこかで別れるかもしれない。
でも僕はそれでもいいような気がした。今彼女の家族でいられる。それは揺るぎない事実なのだから。それでいい。
彼女の側にいる。そのためならどんな事でもする。
まぁ結局話をまとめると簡単な話だ。
僕は、罔象が大好きだ。
私はお店のお客さんと深く関わるつもりは無かった、
昔のことがあって人が怖くなった。それを克服するために、私はお店を継いだ。
どれだけ慣れてもやっぱり根本は変わらない。心の底から愛する人なんていなかったし、そんな人と出会うのが怖かった。
また裏切られたら、大切な何かを失ったら。そしてそれ以上に………その人が私のせいで死んでしまったら。
そう考えると身近な誰かと特別な関係になるなんて難しかった。
でもそんなある日、大雨が降っていた日だった。お客さんの一人が、耳栓を忘れて行ってしまった。
あんまり目立つ人じゃなかったけど、私はそれがその人にとって大切なものだって分かってた。
車は修理に出してるので、歩きで返しに行こうとした。
その時だ。彼とちゃんと一対一で顔を合わせたのは。彼が私を見つけてきてくれたんだよね。
お店によく来てくれて、前から不思議な子だなとは思ってた。暗い雰囲気で、いつも一人だった。正直どんな人かなって、怖いところもあった。
彼は優しい、とはちょっと違う。でも温かい人だった。
私よりも全然歳下なのに大人びてて、マイペースなところもあるけど、私のことを心配してくれた。
無口で大人しいけど、感情が爆発すると誰よりも激しくて………まぁ主に夜に、ね。
独特の考え方とかテンポとか、今までに会ったことのないような人で最初は戸惑ったけど、一緒にいてこんなに安心できる事は無かった。
彼のかけてくれる言葉の強さが、慣れてないぎこちない表情が、それ以上に彼から滲み出てくる温かさが私には嬉しかった。
その揺るぎない強さは、かつて私が無くしてしまった、自分の中の正しさだった。
それは私を心の奥から救ってくれるような、いや、自分で自分を救わせてくれるような力強さだった。
一緒にいる内にもっと側にいたい、彼ともっと仲良くなりたい、そう思うようになった。
それから私達はお互いの気持ちを伝えて関係を持った。
最初はどこか勢いのような気持ちもあったけど、一緒にいればいるほど彼のことが好きになって、側にいたいと思えた。
でも心のどこかでは昔の事がちらつく事もあった。
『またお父さんみたいに彼を亡くしてしまうんじゃないか』『また私のせいで大切な人が………』
そう思うと彼といる事が怖くなって、このままでいいのかなって悩んだりもして。
一緒にいてあんなに楽しいのに、彼の側にいたいって気持ちを自分で押さえつけてた。彼と別れようとしたのも、そういう弱さからなんだろうな。
でも彼にプロポーズされて、やっぱり彼といたいと思った。
たとえ彼がどんな人間だろうと関係ない。私は彼の側にいたい、ただそれだけ。
彼の背負ってるものを手伝うのは無理だけど、側にいて彼の手を握っていたい。
これから何があっても、今の気持ちだけは本当だから。
彼から教わった自分の正しさをずっと貫きたい。どんな事をしてでも彼の隣にいたい。
だからちゃんと伝えたいんだ。
私は竜胆君のこと、大好きだよ。
「んっ………」
朝日が目に届いて僕は目を覚ました。そこは自分の部屋だ。
でもいつもとは違う。どことなく心地よい倦怠感を感じた。頭の中もスッキリしてる。
それと同時に右腕に温かい柔らかさを感じて、僕は右隣を見た。
「あ、竜胆君。起きた?」
そこにいたのは夢の中で何度も見た僕の彼女、というかまぁ………婚約者の雛罌粟 罔象だ。
心がほぐされるような温かい笑顔を僕に向けてくれている。目がとろんとしているから、起きたばかりなのだろう。
一糸纏わぬ姿で僕の右腕に抱きついて手を握っていた。柔らかい胸が僕の腕を挟んでいる。
黒くて艶やかな長い髪が肩へと垂れていて、側にいるからかとてもいい匂いがする。
白い肌には赤いキスマークがいくつもついていて、昨日の夜に激しく身体を重ねた事を示している。
それは神々しいとも思える美しさだった。思わず罔象の全身をジッと見てしまう。
すると僕は、自然と罔象に手が伸びていた。肩を抱いて優しく抱き寄せる。
「!………竜胆君♡」
いきなりの事だったのに、罔象は戸惑うどころか嬉しそうに微笑んだ。
澄んだ罔象の瞳に惹かれるように、お互いの顔が触れるギリギリまで近づいた。
僕達はそっと唇を重ねた。
罔象の唇の感触が全身に快感となって伝わり、意識がはっきりとしてきた。
夢の中で何度も何度も罔象を見た。でもようやく肌で感じられた彼女は、その何倍よりも魅力的だった。
重ね合った素肌から罔象の体温がじんわりと染み込んでくる。少しでも罔象に触れようと指を絡めた。
そして名残惜しげに唇を離すと、それを埋め合わせるかのように抱き合った。
「竜胆君、おはよう」
「うん、おはよう」
あんな夢を見たからか、罔象に対する想いが抑えられない。強く抱きしめると、今度は自分からキスした。
「んっ♡………んくっ、くちゅ………んぁ、はぅっ、ちゅるっ♡」
ゆったりと舌を絡めて唾液を交換した。快感が口移しに流される。唇を離すと、僕は罔象の頭を優しく撫でた。
「はぅ………竜胆君と触れ合ってるだけで、心蕩けちゃいそう♡」
何が前触れがあったわけでもない。けど僕達は自然とお互いの気持ちを交わした。
「私、夢見たんだ。君と出会ってからの夢」
「そうなのか?僕もだよ」
「ふふっ、偶然だね。今まで見た中で………一番幸せな夢だったよ♡」
「嬉しいなぁ。でもやっぱり、夢の中より実際に罔象に会った方がいいかな」
頭を撫でられて嬉しそうに微笑む罔象に、僕は言葉が漏れた。
「綺麗だなぁ」
「もう………そんな事言われたら、朝からドキドキしちゃうよ」
すると罔象は僕の頰に唇を触れさせる。それからペロッと舌を見せた。
「お返し」
「それなら………」
僕達は抱き合ったまま再び唇を重ねた。モゾモゾと体勢を変えながらキスを楽しむ。
「んっ、んんっ、れろっ、んぁ、あむっ、ちゅるるるっ、んぁ♡………竜胆君、相変わらずキス魔だなぁ♡」
「罔象だって、いっぱいしてくれるじゃん」
「君がたくさんするからクセになっちゃったんだよ。だから………もっと、いい?」
「うん。時間はあるし、いっぱいしようか」
僕達は握った手に少し力を込めると唇を重ねた。
それからお互いの気が済むまで舌を絡ませた。激しく絡み合う事は無かったけど、お互いを離すことなく触れ合っている。
「んちゅ、ちゅるっ、ちゅっ………んくっ、ふぁ、れろっ、くちゅっ♡」
ゆったりとしたキスが倦怠感の残った体に僅かに快感を流してくる。
「んぁ………そろそろ起きる?」
「そうだね。罔象が先にシャワー浴びなよ」
「うん。竜胆君がシャワー浴びてる内に朝ご飯作っちゃうよ」
罔象は最後に僕と抱き合うと、ベッドから抜け出してお風呂場へと向かった。
何というか申し訳ないなぁ。なんだかんだでご飯はほとんど罔象に作ってもらってるし。
それから数分して、入れ替わるように僕が入った。何か罔象がソワソワしてたけど、どうかしたのかな?
一緒に入ろうって言ったらもしかしたら…………なんて発想が浮かんだけど、すぐに追い払った。何考えてるんだよ。
今一緒にシャワー浴びたら、絶対に理性のタガが外れて襲ってしまう。本来なら朝はそういう事はしないって決めたはずなのに。
けど、また罔象と一緒に………。僕の中で密かな目標ができた。
シャワーを浴び終えた僕は、タオルで髪を拭きながら着替えてキッチンへと向かった。
「罔象、何か手伝うこと………」
そこまで言って目の前の光景を見た僕は、動きが止まってしまった。髪を拭いていたタオルが床に落ちる。
「あ、竜胆君………その、早かった、ね」
どことなくぎこちない言葉になってる罔象が、キッチンから出てきた。恥ずかしそうに俯き気味になっている。
キッチンから出てきたよって、半分近く見えていた罔象の姿が全て見えるようになった。
その姿を見て、僕の視線は罔象に釘付けになった。
罔象が身につけていたのは、いつも着ているエプロンだった。しかし、その下には何も着ていない。
いわゆる裸エプロンの姿だった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
評価、感想等ありましたら、ぜひよろしくお願いします。