「罔象………!」
僕は罔象の真後ろで止まると名前を呼んだ。罔象も一緒にいる男性も、僕が現れたことに驚いている。
罔象はともかく、彼女と向かい合っていた男性にとっては僕は目の前にいたはずだ。それでも彼は気がつくことなく、僕に驚いて目を見開いている。
「り、竜胆君………びっくりしたぁ、何してるの?」
いきなり現れたのが僕であることを知って、罔象はホッと息を吐いた。
特に彼と一緒にいることに関して、後ろめたさは感じていないようだ。
「今日はもう授業終わったから、帰ってきたの」
僕は短く答えた。それ以上答えてしまうと、言っていけないことも言ってしまいそうだ。
「………あの、今から罔象の所行ってもいいかな?その………ゴールデンウィークのこととか、話したいし」
そんな言い訳をして、僕は罔象の左手を握った。軽く僕の元に引き寄せる。一秒でも早くこの場を離れようとする。
本音はこれ以上ここにいたくなかった。罔象と彼を一緒にいさせたくない。
「え?あぁ、うん、いいけど………」
戸惑いながら頷いた罔象を見て、罔象に近づいていた男がハッとした。
「お、おい、ちょっと待てよ!何だよお前⁉︎罔象さんは今俺と一緒に食事しようとしてんのに、何強引なことしてんだよ!」
罔象を連れていく僕を止めるように、男が僕達の前に立ち塞がった。大柄な身体で行く道を妨げ、ドスの効いた声で怒鳴る。
もうこの人とは話したくないのに………話したら、何するか分からないから………
僕は罔象の手を握ったまま男に詰め寄った。頭の中が仕事をする時の気持ちがいっぱいで、自然と足音が消える。
握った罔象の手を男に見せつけて小声で、それでもしっかりと聞こえるように短く言い放つ。
「僕の妻に、何か用ですか?」
「ッ⁉︎」
僕の言葉を受けて男の顔が引き攣った。
それは罔象が僕のあげた婚約指輪を見てのことか、僕の全身から溢れる殺気を感じ取ってのことか、それは分からないしどうでもいい。
抑えなければいけないのに、いつもなら出来るはずなのに、殺気が抑えきれずに自分でも分かるほどに体から漏れ出ている。
自分では抑えられないソレを、罔象に気取られないように全て目の前の男のみにぶつける。
「荷物、こちらに渡してください」
「ひ、ひぃ………ッ!」
男は怯えた声をあげて、荷物を持っていた手の力をすぐに緩めた。僕は素早く取り上げる。結構重いが、今はそんなことどうでもよかった。
「罔象、行こう」
僕は膝の震える男を置いて罔象の手を引く。
「え、あ、うん………それじゃあ、鶤鶏さん。またお店来てくださいね」
罔象は状況が分からないのに律儀に男に挨拶をすると、僕と手を繋いだままついて来る。
そこから『Cafe Red Poppy』に着くまで、どんな風に歩いたかは覚えてない。ただ必死に心の中に巣食うものと戦っていた。
『Cafe Red Poppy』に着くと、僕は罔象の手を離した。
「罔象、これ」
「あぁ、ありがとうね。重たくなかった?」
「まぁ、ちょっと」
罔象は僕から買い物の荷物を受け取ると、それをキッチンの冷蔵庫にしまいに行く。
「それにしても、いきなり現れるからびっくりしちゃったよ。東風ちゃんや分は?一緒じゃないの?」
罔象は特に僕の心情を察することなく話しかけてくる。罔象にとって、さっきまでの事はその程度のことでしか無いのだろうか。
「まだ、授業あるみたい」
何とか感情を抑え込もうとすると、どうしても言葉が少なくなってしまう。
「そうだ、今のうちにお弁当箱受け取っとくよ」
「うん。ありがとう」
僕はリュックの中からお弁当箱を取り出すと、キッチンから顔を覗かせた罔象に手渡す。
「コーヒーでも飲む?そろそろオヤツの時間だし、何か作るよ?」
「あ、いや、その………」
「ん?どうかしたの?今日は随分と静かだけど」
僕の様子がおかしい事に気がついた罔象が、カウンターから出てきて僕の顔を覗き込む。
「………さ、さっきの人、って」
聞いたら失礼かもしれない、それでも聞かずにはいられなかった。
「あぁ、鶤鶏さん?ウチの常連さんだよ。ここ一年そんなに来てなかったけど、たまたまスーパーの前で会ったんだ。買いすぎた荷物持ってくれてたの」
罔象の言葉からは、さっきまでのことを悪びれる様子は見受けられない。
そりゃ当たり前だ、相手はただの常連でたまたま会っただけ。そこに後ろめたさなんて感じるわけもない。
きっと罔象にとっては助けてもらっただけで、彼女に非があるわけもない。
けど………
「何で、一緒にいたの?」
「え?だから、買ったものを持ってくれてて………」
「それはッ………そうなんだろうけど………!」
いっそのこと心の内を全て曝け出してしまおうか。いや、そんな事はできない。それはあまりにも勝手で理不尽だ。
それでも分かってほしい。僕がどう思ってるのか………
それこそ勝手なのは分かってても、自分の気持ちを抑えることが出来ない。
「えっと………どうかした?気分悪いなら、ちょっとここで休んでいってもいいんだよ?」
僕の事を心配してくれた罔象の言葉が、僕の感情を堰き止めていたものを壊した。
「分からない、よね………」
僕は罔象の方を振り向くと、お店の壁まで追い詰める。これまでこんな事をした事が無く、罔象も驚いて後ずさった。
「ッ⁉︎竜胆く………」
僕は罔象を強く抱きしめて、彼女の言葉を遮る。
「罔象………ッ!」
「キャッ⁉︎」
いきなり抱きしめられて罔象の身体がビクッと跳ねる。それを止めるように全身を密着させた。
罔象の熱が僕の体に染み込んできた。心がさらにその温もりを求める。
「罔象………罔象ッ!」
「痛ッ!ちょ、ちょっと竜胆君⁉︎どうしたの⁉︎」
あまりにも強く抱きしめたからか、罔象は痛みに顔を歪める。それでも構わず罔象を自分の体で縛りつけた。
坂から転げ落ちるように、一度溢れでた想いは止められずに僕の体を突き動かす。
「竜胆君、落ち着いてって!痛いよ!何かあったの⁉︎」
「罔象ッ………僕、僕は………罔象と………!」
想いだけは止めどなく溢れ出るのに、それを言葉にすることができない。体ばっかりが動いて罔象に押しつけている。
自分でも自分が何をしているのかが、ぼんやりとしか分からない。
目頭が熱くなり耳の奥が痛い。息が荒くなり体中が震えている。
「り、竜胆君………」
そんな僕の熱を奪ったのは、罔象の震えた声だ。彼女の怯えた声が冷水のように僕に浴びせられる。
「ッ………!」
その勢いで体から力が抜けて、僕は罔象を解放した。
罔象は壁にもたれると怯えるように蹲り、その目からは涙が流れていた。
彼女を見た瞬間僕の体を支配していた熱が一気に冷めて、僕は自分が何をしてしまったのかを理解する。
ぼ、僕は………なんて事を………
自分のしてしまった現実が、僕の心臓を締めつけて頭の中がパニックになる。
大切にしようと思った人を傷つけて、一方的に気持ちを押しつけて、僕は………最低だ。
「み、罔象………ごめんッ」
僕はそれ以上何も言えなかった。その場にいる事すらも耐えられなくなり、僕はその場から逃げるように駆け出した。
「コンビニで何かオヤツでも買って行こうかな」
「いいですね。私もちょうど買ってみたいお菓子があるので」
三限までの大学の授業を終えた二人は、揃って駅まで歩いていた。東風は別に電車に乗る必要はないが、どの道駅からでも帰れるのでついでだ。
「あ、そういえば。ちょっと気になってたんだけど」
「何ですか?」
「昼ごはんの時、竜胆がお姉ちゃんと喧嘩しないって言ったらさ『それはそれでどうかと思う』って言ってたじゃん?あれってどういう事?」
「あぁ、あれですか?何というか、ただの私の勘なんですけど………」
「あれ?東風ちゃんに分ちゃん!」
すると少し前の方から名前を呼ばれた気がした。声のする方に顔を向けると、そこにいたのは車から出てきた刑事の鯨波だった。
「鯨波さん!こんにちは」
「こんにちは、二人とも大学の授業終わったところ?」
「はい。鯨波さんはお仕事中ですか?」
「まぁね。というか、本当は今日は早くあがれる予定だったんだけど………」
「どうかしたんですか?」
東風達が首を傾げると、鯨波は呆れたように自分の車の中を指差した。
指差す方を覗き込んで、少なくとも東風は何があったのか大体察しがついた。
「あ、虚宿さん………」
「ん?おぉ、東風じゃねぇか!そっちは………分だったか?こんなとこで何してんだ?」
車の助手席にいたのはヤクザの虚宿 冬青だった。車内にも関わらずタバコを吸っている。
こんな昼間に知り合いとはいえ刑事の車に乗ってる時点で、あまりいい事があったとは思えない。
「私達は学校帰りですよ。………一応聞きますけど、何があったんですか?」
「ヘッ、ウチのシマでシノギやってた半グレ共がいたから、ちっとヤキ入れてやったんだよ。そしたらサツのヤツらが俺までパクりやがったから、あくせく働くそこのポリ公に出させた」
概ね東風の予想通りだった。分に関しては軽く引いている。
「虚宿さん、あまり鯨波さんに無理させちゃダメですよ?」
「何言ってんだよ、これもアイツの仕事だっての。ちゃんと勤務時間内に呼んでやったんだぜ?優しさ以外の何者でもねぇだろ」
「鯨波さん、胃薬買うならそこに薬局ありますよ」
「ありがとう分ちゃん。このバカ送ったらすぐ買うわ」
「誰かバカだっての………って、ん?」
鯨波の車に乗っていた冬青が、道路の奥を見て目を細めた。車から出て声をあげる。
「あそこにいるのって………おーい!」
冬青に呼ばれて、道をトボトボと歩いていた男性が顔を上げる。
屈強で派手めなシャツにジーパン。髪型をツーブロックにした若い男だった。
「あっ!兄貴!それに流鏑馬さんに、橡さんまで!こんちわッス!」
男は冬青達を見ると深々と頭を下げた。
「えっと、あなたは………鶤鶏さん、でしたっけ?」
「はい!お久しぶりです、橡さん!」
記憶の中から名前を引っ張り出した東風に、鶤鶏と呼ばれた男はお辞儀をする。それに目を細めたのは
「あの………この人………」
「ん?あぁ、そういやテメェは知らねぇのか。コイツは鶤鶏、ウチの舎弟だ」
「いや、『兄貴』って呼んだ時点でそれは分かってたんだけど………何で東風にこんなぺこぺこしてるのかな、って」
「あぁ、それか。ウチの舎弟のほとんどは、東風にはこんな態度だよ」
「私はやめてほしいんですが………」
丁寧に頭を下げる鶤鶏に、東風が顔を引き攣らせる。
『Salvation Of Sin』がデパートを襲い、分達を人質にした時。東風は人質を救うために、外にいた『Salvation Of Sin』のメンバーを牛尾菜組の面々と倒した。
その時に実力を見せる事になった東風は、牛尾菜組の舎弟達の本能に『彼女に逆らってはいけない』という恐怖を植え付けた。
そしてその結果こうなっている。
「…………ヤクザをビビらせた女、か」
「あんまりこういう事は言いたくないですけど、誰を助けるためにこうなったのか考えてくださいね!」
別に東風は実力を見せつけようとしたわけではなく、危機的状況に陥りパニック状態になっていただけだ。結果的にテロリスト達を殺しかけたが。
「つーか、鶤鶏。テメェ何この世の終わりみてぇな情けねぇツラしてんだよ。何かあったのか?」
「は、はぁ………とある男に殺されかけたと言いますか、脅されたと言いますか………」
「あぁ?筋モンがそんなくだらねぇ事でビビってんじゃねぇよ!」
「そ、そうッスよね………」
「? どうかしたんですか?」
明らかに様子のおかしい鶤鶏に、東風は首を傾げた。
「じ、実は………前から狙ってた女がいまして。それで今日たまたま道端で会ったんスよ。それで色々あって一緒にいられるようになって、メシにでも誘おうと思ったら、彼女の夫だってヤツが現れて………」
「人妻に手出そうとしたの?そりゃ殺されかけるでしょ」
「結婚してたって知らなかったんスよ!そんで、ソイツにガン飛ばされて………」
「ビビって逃げてきたってか?テメェ、んな肝っ玉ちっせぇヤツじゃねぇだろ。その男ってのはどんなヤツなんだ?まさかと思うが、どっかの組のヤツらとかじゃねぇだろうな?」
「そんな風には見えなかったッスよ。橡さんよりちょっと背が高めの、目の死んだひょろいガキでした」
そんなヤツにビビらされたのかと冬青は呆れるが、鶤鶏を怯えさせるほどの人間というのに興味を持った。
「んじゃあ、お前の狙ってる女ってのは、どこのどいつだ?」
「兄貴が教えてくれた喫茶店のマスターッスよ。ここ一年近く会えてなかったんで、ラッキーだと思ったんスけどね」
「あ?おれテメェに喫茶店なんか紹介したか?」
「昔よく行ってたとか言って紹介してくれたじゃないッスか。『Cafe Red Poppy』ですよ」
「「「「あっ…………」」」」
鶤鶏の言葉に、四人が同時に声を漏らした。それから顔を見合わせる。
それと同時に納得してしまった。彼、竜胆ならば、鶤鶏を怯えさせるに充分な殺気を放ってもおかしくない。
もっとも鶤鶏は何も知らずに惚れた女性にアピールしようとしただけだし、竜胆もそんな鶤鶏を見て止めに入っただけだ。どちらが悪いとは決め難い。
「えっと………鶤鶏。テメェ『Salvation Of Sin』が立てこもり事件起こした時どうしてた?」
「はい?そりゃあ兄貴と一緒にアイツらシメに行きましたよ。まぁ、その後すぐに警察に引っ張られて事情聞かれてましたが」
「あぁ………」
それなら解決した後に合流した竜胆の顔は知らないはずだ。牛尾菜組の組員は、冬青以外そこまで竜胆と会うことはないのだから。
「ん?どうかしたんスか?」
「いや、その………あれだ、手ェ出す人間は選べよ」
ついさっきまで『情けない』とまで言っていた冬青も、こればっかりはこう助言するしかなかった。
「そうッスね。それじゃあ、これで失礼します」
鶤鶏はそう言って頭を下げると冬青達と別れた。彼を見送って、東風はポツリと呟いた。
「りん兄………暴走してないといいけどなぁ」
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