ゴールデンウィークが始まって二日目、僕は家でただゴロゴロしていた。心が鉛のように重く、外に出る気どころか食欲すら無い。
偶然のように仕事も来ないため、僕は一日中こうやってベッドで横になっていた。
頭の中を巡るのは後悔と悲しみと怒りと焦燥だ。全て自分に対する。
あの時泣いていた罔象の顔が、嫌でも頭から離れない。何度も何度も頭の中で繰り返されて、その度に色んな感情が押し寄せて、体をベッドに縫いつける。
罔象と喧嘩した………いや、あれは喧嘩とは言わないか。僕が一方的に襲って拒絶された。そして逃げた。
あの日から罔象の家には行っていない。罔象から何かしてくれる事も期待したが、そんなことがある訳もなく。
申し訳なくて、どんな顔をして会えばいいのかもわからない。もしかしたらもう会いたくないと拒絶されるかもしれない。
そう思うと罔象と会うどころか立ち上がる勇気も出なくて、ため息しか出てこない。
もう、嫌われちゃった、かな………
こんな事を考えるのは今日で何度目だろう。あの日の夜の段階で数えるのはやめた、五十回以上も考えて疲れたから。
「はぁ………」
僕はため息をついて枕に突っ伏した。
いつもなら当たり前に動く心が、錆びたように止まっては少しだけ動く。
別に襲うつもりはなかった。今だってそうだ。
きっと罔象はただ知り合いと一緒にいただけで、罔象に特別な気持ちは無かった。そんなの見れば分かったはずだし、何となくそれは分かってた。
でも、あの時は………
「あぁ〜〜〜〜〜ッ‼︎」
僕は頭を掻きむしると仰向けになる。
そういえば昔、東風から今回みたいな光景を目にしたらどうするかと、聞かれたことがあったな。
あの時は何ともないと思ってたし、実際見ても普通に流してた。
けど今はどうだ。情けなく感情的になって、暴走して、このザマだ。恋人に襲いかかって、これじゃあ強姦魔と何も変わらない。
状況を見て、落ち着いて判断する。感情に動かされずに冷静に分析して対処する。何度もやってきたことだ。
それなのに………何で今は、それが出来ないんだ。
「罔象ぁ………」
罔象に会いたい、けど怖い。
嫌われて、拒絶されたら………もちろん誠心誠意謝るつもりだ。今回は完全に僕が悪いわけだし。それでも………
罔象のいない僕は、何と空虚で味の無いものだろうか。何とかして気を紛らわそうとしても、頭に浮かぶのは罔象のことばかり。
彼女が隣にいて、僕と一緒にいてくれるのが貴重なのは分かってるはずなのに、大切にすると決めたのに、あんな事して………もう、会えないかなぁ。
それは嫌だ、でもそんな事言う権利は僕には無くて………
せめて、謝りに行かないと。たとえ拒絶されようとこのままじゃダメだ。
僕の考えとか意見とかは置いておいて、やってしまった事はやってしまった事だ。謝らないと。
重い体を起こして、僕は前に踏み出した。恐怖が足を止めそうになるが、やるべきことに集中して振り払う。
今はお店にいるのかな?
適当に上着を着て外に出る支度を済ませ、玄関で靴を履こうとすると
ピンポーン
家のインターホンが目の前で鳴った。
ん?誰だ?
何か宅配で頼んだ覚えもないし、仕事関係の人なら電話で連絡が来るのがほとんどなんだけど。
「はーい」
僕は玄関を開けると、そこにいる人を見て目を見張った。
「み、罔象………」
「竜胆君!こんにちは」
僕の目の前にいる罔象は僕を見て嬉しそうに微笑んだ。いつもの私服で腕には大きな手提げ袋を提げている。
「なんで………」
「なんでって、あんなに変な様子でいきなり飛び出したら心配するに決まってるでしょ!どこも具合悪くない?」
罔象が僕の顔を覗き込んで首を傾げる。その表情からは本気で僕を心配しているのがわかる。
「あ、う、うん………大丈夫」
「そう?よかったぁ」
安心したように微笑むと罔象は僕の手を握った。
「あんまり無理しないでね。新しい生活で慣れてないこともあるんだろうし」
「あぁ、はぁ………」
その口調からはこの前のことを気にしてる様子はなく、ただ純粋に僕を心配してくれている。
「あ、そうだ。竜胆君、もうお昼ご飯食べた?」
「え?あぁ、食べてない、けど………」
とても食事なんてする気になれずに、この二日まともにご飯は食べていない。
「よかった。キッチン借りていい?食べて欲しいものがあるんだ」
「え、あ、いいけど………」
状況がよく分からずに、僕は何となく頷いてしまった。まぁ実際に問題無いけど。
その手提げ袋に入ってるのは、もしかしてもそのための材料か?
「それじゃあ、お邪魔します」
罔象は僕の家にあがると、キッチンに手提げ袋を置く。エプロンを着て腕を捲ると手を洗う。
「さてと、ちょっと時間かかるけど待っててね」
「あ、うん………」
僕は隣で調理を始める罔象の様子を呆然と眺めていた。
罔象にとってはこの前のことはあんまり気にしてないのだろうか?怒るどころか、こうやってわざわざ来て心配までしてくれた。
それは嬉しい一方で、どう話せばいいのか分からない。
罔象はホットケーキミックスと卵、牛乳を入れてかき混ぜている。まな板にはレタスや卵やチーズ、きゅうりやベーコンなどがある。
僕がボーッと考えている間に、罔象は手際よく調理を進めていった。
「これで………よし、っと。できたよ」
罔象はフウッと息を吐くと、完成したものを僕に差し出した。
「これは………パンケーキ?」
「そう。パンケーキのサンドイッチ、って感じ」
上から見ると小さめのパンケーキに見えるけど、横から見ると色んな具材が入っていてボリュームがある。
「ウチでパンケーキっていうとだいたいスイーツって感じだったんだけどさ。こういうおかずにするのもいいかなって思って、新しいメニューとして出すつもりだったの」
「それを、僕に?」
「君に最初に試食して欲しかったんだ。竜胆君が帰っちゃったあの時も、これ作るための買い物してたの」
そうか、だからあんなに大きな袋を持ってたのか。
「君が帰っちゃって、本当はすぐに追いかけようとは思ったんだけどね。せっかくならこのパンケーキもそこで作ってあげようって思って。元気なかったから、ちょっとでも美味しいもの食べて欲しかったんだ」
「罔象………」
あんな事されたのに、罔象はそれでも僕の心配をしてくれてたんだ。それなのに、僕は自分のことばっかりで………
「あの、罔象………その、ごめんなさい。あんな、襲うようなことして………」
ようやく、僕はそれを口に出すことができた。ずっと言いたかった謝罪の言葉を。
頭を下げる僕に罔象は優しく微笑みかける。
「君がただ欲望に任せたなんて思ってないよ。何か理由があったんでしょ?教えてほしいな」
なんだ………そこまでお見通し、か………
「罔象が………男の人と歩いてて、それで………」
「あぁ………何か誤解させちゃったなら悪いんだけど、あの人はただのウチの常連さんで………」
「分かってる!分かってるけど………怖いんだよ。もし、罔象が誰かに取られたりしたら………僕は………」
罔象はこれまで僕を裏切ったことは一度もない。でも、彼女の意思に関係なく襲われたことはそれなりあった。
その度に思ってきた。どれほど相手を信頼してても、それは安らぎにはならない。
だから罔象があの男と一緒にいるのを見た時にも、その恐怖が襲ってきた。向こうに下心があるかどうかも分からなかったのに。
罔象が奪われる、その生まれた焦りと恐怖からあんな事を………
「本当に、ごめん………」
「竜胆君………」
今言えることは全て言った。それでも、こんな自分勝手な僕を罔象は許してくれるだろうか。
罔象は僕をジッと見つめると、食器棚からフォークとナイフを二本ずつ取り出した。
「とりあえず、冷めない内に食べよう。話はそれから、ね?」
「………うん」
僕は食器を並べると、罔象と一緒に席に着く。
「「いただきます」」
手を合わせてパンケーキを食べ始める。ナイフで挟んである具材ごと切って口に運ぶ。
「どう、かな?」
「すごい、美味しい………」
もちろんパンケーキそのものも美味しい。そしてさらに僕のために作ってくれたという罔象の気持ちが、より美味しく感じさせる。
「よかったぁ。おかずとして食べられるように生地とか中の具材とかも、色々改良してみたんだ」
罔象が自分のパンケーキを食べて、安心したように笑った。
その笑顔が眩しくて、僕は目を細めた。
それから僕達は食事を楽しむと、二人で片付けをする。
「ねぇ、竜胆君」
お皿を洗い終わった罔象が口を開いた。
「竜胆君は、怖がりすぎだよ」
「………」
「そりゃ、これまで襲われそうになったりとか、色々嫌なこともあったけどさ。その全部を竜胆君が気にして悩む必要なんて無いんだよ」
罔象はタオルで手を拭くと、エプロンを脱いで畳んだ。
「私はそんな強くて誠実な紳士なんて求めてないし、何か間違えたからってそんな簡単に君と離れようなんて思わないから」
「それは………」
「竜胆君前に言ってくれたよね?『僕は気安く罔象を選んだわけじゃないよ』って。私だってそう。きっと竜胆君は知らないことがたくさんあって、その中には知りたくないような嫌なこともあるかもしれない。けど、そんなことで嫌いになるような人を、私は家族に選んだりしないよ」
罔象は僕の隣に立つと優しく手を握った。皿洗いしていて冷たいはずなのに、体が火照りそうなほどに温かい。
「私は今の竜胆君が好き。これまでの竜胆君も、これからの竜胆君も、たぶんね。だからお願い、無理はしないで」
「罔象………」
「まぁこういう時『自分の身くらい自分で守れる』って言えれば安心させられるんだろうけど、私が言っても説得力無いかな」
クスッと笑うと罔象は僕と額を重ねた。僕達の距離がギリギリまで近づく。
「罔象、ありがとう」
「もういいよ。そんなに気になるんだったら………」
罔象は腕を大きく広げると僕に抱きついてきた。罔象の温もりが僕を包み込む。
「これでおあいこ、でしょ?」
「………そうだね」
僕も罔象を抱き返した。
これでいい、のかな………よく分からない。
「それじゃあ、これで仲直り」
罔象は耳元で囁くと、自分の唇を僕の唇に軽く触れさせた。
「んっ♡………仲直りのキス、もっとする?」
「………する」
今度は僕から唇を触れさせた。すぐには離さずに、お互いの身体を密着させてより深く相手を求める。
「んんっ、んちゅ、ぷぁっ♡………あむっ、くちゅ、ちゅるっ、んっ♡!れろっ、ちゅぷっ、はぅ、んちゅうっ♡!」
舌を絡め唾液を交換していく内に、体の内側から熱が込み上げてきた。罔象も同じようで、どんどんキスが激しくなっていく。
「ぷはぁっ♡!はぁ、はぁっ………ねぇ、竜胆君は今から予定ある?」
「………無いけど」
「それならさ、シない?身体、火照ってきちゃった」
熱を帯びた目で見つめる罔象が僕に身体を預けてきた。
こうしてまた罔象と触れ合えて、僕も興奮が高まっていく。もっと罔象と触れ合いたい、罔象が欲しい。
けど………
「今日は、ちょっと我慢しない?」
「え?」
僕は罔象の身体を離すと、恥ずかしくなり声を小さくして囁いた。
「今からゴールデンウィークの予定、立てない?」
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