「水鶏ちゃん、リンゴ飴食べる?」
「食べる!」
「竜胆君、たこ焼きあるよ。はい、あーん」
「おっ、ありがとさん」
「コラそこ、ナチュラルにイチャつくな」
小さな山奥の森。僕達はそこでシートを広げて買った食べ物を広げた。僕の隣には罔象、東風、分、水鶏がいて僕達以外には誰もいない。
今日は毎年恒例の花火大会だ。去年は罔象と東風、分と四人で来ていたわけだが、今年は水鶏もいる。
濁酒組に狙われてたこともあり、去年は家で花火を見ていた。
しかし日本にいた『Salvation Of Sin』がほとんど壊滅されて、水鶏の身の安全はある程度確保された。
というわけで水鶏の要望もあり、今年は五人で花火大会を楽しむことになった。
罔象は青、東風は緑、分は赤、水鶏は白の浴衣を着ている。まぁ僕は適当に着てきたパーカーだけど。
「冬青お兄ちゃんと害富お兄ちゃんも来れたらよかったのに」
「まぁ、仕事があるから仕方ないよ」
「というか、害富って組員じゃないんだよね?何で屋台手伝ってんの?」
フランクフルトを食べながら分がボヤいた。
虚宿さん達牛尾菜組は、この祭りで的屋をやっている。鱏棘さんも相変わらず付き合わされており、さっき神社で見かけた。
実はそれが水鶏と一緒にいる理由の一つでもある。
牛尾菜組組員が的屋で出払って、水鶏一人で花火大会の会場を出歩くのが危険だから任されたというわけだ。
ちなみに今食べてるのもその的屋で買ったもの。こういう屋台って美味しそうなものばかりだから困るよね。
「そういえば、分ちゃんは今年もりん兄の家に泊まってるの?」
「うん。お盆まではこっちにいるつもり」
「けど、元々竜胆君の家に泊まってるのって勉強教えてもらうためでしょ?大学生になって学部違うのに、教えてもらえることなんて無くない?」
「って思うでしょ?でも分、SPIの授業が本当に出来ないんだよ。ものによっちゃ中学生レベルの数学とかあるのに」
「あんなの覚えてるわけないじゃない!私が文系だし、大学入ったら数学とか縁切れると思ったのに。ホントにしんどい………」
そんなわけで分は今回もウチに来ていた。それにウチからだとバイト先である『Cafe Red Poppy』にも近いという利点もある。
まぁ変わらず家事は全部やってくれるので、僕としては全然いいんだけどさ。
「水鶏もパパの家に泊まりたい!ママも一緒に!」
「そうだね。また一緒にいれたらいいよね」
「えぇ………う〜ん、まぁ出来なかないけどなぁ、って痛い痛い痛い!」
僕が首を捻って考えていると、目が
笑っていない罔象に思いっきり脇腹をつねられた。
「仮にも彼女が隣にいるのに、他の女の子を家に泊める話をするのはどうかと思うけどなぁ」
「分かった、分かったから!ごめんって!」
ジト目で睨んでくる罔象に謝りながら、身をよじらせて彼女の手を引き剥がした。
「ねぇママ、花火まだなの?」
「うーん、あと三十分くらいかな」
三十分かぁ………まぁまぁ時間があるな。
「それなら、僕はちょっとその辺で何か採ってくる」
僕は立ち上がると下ろしたリュックを背負った。
「採ってくるって、食べ物なら屋台で買ったものがありますよ?」
「適度につまめる果物が欲しいの。たしかこの辺にブルーベリーの木があったはずだし、まだ実があるかも」
「アンタ大学であれだけ好き放題やって、ここでもやるの?」
「え?竜胆君、大学でそんな事してるの?」
「大学の敷地内で採れるもの採ってるだけ。別に問題無いでしょ?」
タケノコにフキにゼンマイにビワに草イチゴにヤマモモに桑、あの辺結構いいもの採れるんだよね。
栗の木もあったから、夏休みが終わる頃には採れるはずだ。
「ってなわけで、ちょっくらその辺散歩してくる」
「パパお散歩に行くの⁉︎お散歩なら水鶏も行く!」
「え?まぁいいよ、行くか」
「うん!」
「りん兄、行くのは止めませんが、ちゃんと水鶏ちゃんが危ないことしないように見ててくださいね。あと、花火までには戻ってきてください」
「はいよ。それじゃあ行ってくる」
ぴょんっと立ち上がった水鶏と一緒に、僕は森の中へと入っていった。
「行っちゃった。相変わらず自由だねぇ」
「っていうか、いくら暇だからって、友達&彼女と花火見に来てるのに、普通単独行動とるかな?」
「いいじゃないですが。りん兄らしくて安心しますよ」
席を外した竜胆と水鶏を見送って、三人は山の上から街の喧騒を眺めていた。
「それにしても、ここいい場所よね。人は少ないし、座るスペースもあるし、見晴らしはいいし。まさに穴場って感じ」
辺りを見渡して分が呟いた。広々としたスペースを味わうように、足を伸ばして大きく伸びをする。
「昔東風ちゃんが見つけたって竜胆君から聞いたけど、よく見つけられたよね。どうやって見つけたの?」
「どうやって、ですか………」
罔象に尋ねられて、東風は夜空を見上げた。星の数は少なく、深い闇が強調されている。
そんな景色を見て、東風は立ち上がり前へと歩き出した。
東風達の目の前は急斜面で崖のように削れている。多少木々は生えているとはいえ、足を滑らせて落ちたら死んでしまうかもしれないだろう。
「東風ちゃん、そんなとこにいたら危ないよ?」
「分かってますよ。たぶん、私が誰よりも分かってます………」
「東風?」
夜空に向かって微笑むと、東風は近くの木の隣に座った。木の幹を撫でて目を閉じる。
「私がこの場所を見つけた日、七年前の今日なんですよ。毎年恒例の花火大会の日」
「ってことは、やっぱり花火見るためにここに来たの?」
当然とも考えられる罔象の推論に、東風は首を横に振った。
「私はその夜、ここで倒れてたんです。お腹を二箇所刺されて、腕も五箇所、脚は三箇所、だったかな。とにかくいっぱい刺されて、血塗れで、ここに倒れてたんです」
「「えっ?」」
あまりにも予想外の独白に、罔象と分は顔を見合わせた。
刺された、ということは人為的に人から危害を加えられた、ということだ。
どんな経緯があったにせよ、小学六年生の女の子に危害を加えるなんて只事ではない。しかも腹まで刺したのなら、殺意があったと思っていいだろう。
でも二人にはそれをやりそうな人物に心当たりがあった。
「それやったのって、まさか………アンタの、お父さん?」
なんと言えばいいのか分からず、自然とぼんやりとした言い方になってしまった。
昔東風が父親から虐待を受けていたのは二人とも知っている。小さな東風を刺す人なんて、彼くらいしか思い浮かばない。
しかし東風はまたもや首を横に振った。
「りん兄ですよ。私はりん兄に刺されて、ここに倒れてたんです」
「はぁっ⁉︎」「ッ⁉︎」
思わず分は声をあげた。罔象に至っては声すらも出せずに目を見開く。
たしかに竜胆は誰かを傷つけたり、殺したりすることに抵抗のある人じゃない。それはたとえ小さな子供に対してでも変わらないだろう。
でも、あれだけ大切に想って、妹同然のように目をかけている東風を殺そうとするなんて、二人には想像も出来なかった。
「一体、何があったの?」
東風は立ち上がると、崖の上から下を見下ろした。自分よりもずっと低い位置に生えている木の枝が、夜風に揺れている。
「七年前の今日。私………ここで死ぬつもりだったんです」
私は昔からお父さんに虐待されていて、学校でもいじめられていた。
少しでも自分の環境を変えようと先生にいじめのことは話したけど、公にして大事にしたくなかったのか相手にされなかった。
お昼はクラスメイトから馬鹿にされたり物を盗られたりされて、夜になれば酒浸りになったお父さんに殴られ続けた。
お母さんは何とかして私を守ろうとしてくれたけど、お父さんからは逃げられなくて。私が一度家出してからは、さらに暴力は酷くなった。
お父さんのこともあってか周りからは嫌厭されて、痛みを味わい続けるのが私の日常だった。
そんな毎日の中でも、私には幸せな時間があった。数少ない友達のりん兄と一緒にいる時間だ。
りん兄は私がどんな人間なのか、最初から全部分かってた。分かってた上で、当たり前のように優しくしてくれて、側にいてくれた。
二人で本読んだり、勉強したり、お昼寝したり、ゲームしたり………りん兄と一緒にいる時は、嫌な事を忘れてありのままの自分でいられた。
無愛想で自由奔放で空気が読めないところはあるけど、ずっと私の心を支え続けていてくれた。私の心が腐らずにいれたのも、りん兄のおかげだ。
りん兄が殺し屋だと知ってからも、私達の関係は変わらずに毎日二人で一緒にいた。りん兄から殺し屋としての訓練も受けて、少しは強くなった気もする。
でもどれだけ自分を変えられても、周りは変えられなかった。相変わらずお父さんからは暴力を受けて、学校ではいじめられている。
そんな自分が嫌で、それと同時に自分がりん兄に頼りきっているようにも感じていた。
りん兄がいなくちゃ私は何もできない。そう思うようになっていて、その悩みはどんどん大きくなっていった。
別にりん兄が悪いわけじゃない。彼は心の底から私を助けようとしてくれている。
でも私はその助けに甘えてばっかりな気がして、少しでも自分で周りを変えようとしていた。
そんなある日のことだった。
その日、私は公園にいた。学校は夏休みに入ってお休み、私は公園でお絵描きをしていた。
「〜〜〜♪」
鼻歌混じりに私は目の前の野良猫を描いている。自由帳には他にも木や石や虫なんかが描いてある。
実はこのお絵描きは趣味でもあるけど、りん兄から課されている殺し屋としての課題でもある。
『自然から学べることは多い。絵を描くことで自然を観察して想像して、技に昇華させてみな。この手の想像力は子供のうちに磨いておかないと』
との事らしい。絵を描くことが得意になった私に向けた課題、らしい。
たしかにりん兄が見てせくれる武器の中には生物の体の一部や、石や木を使ったものがある。技も自然の仕組みを利用したものもある。
だから私は絵を描くことで技を身につけている。
武器や戦い方など、色んなことを想像して、りん兄と話して試してみるというのを毎回のようにしていた。
ちょっと絵も上手くなり、想像して絵を描くのが楽しくなっている。
そんなわけで今日も私は近くの公園で絵を描いてた。
「ッ!痛た………」
絵を描いていたらズキッと腕に痛みが走った。お父さんに殴られたところがまだ痛むみたいだ。
いや、腕だけじゃない。お腹や足にも所々痣があり時々痛む。
その度に涙が溢れそうになる。痛いからだけじゃない。自分の無力感を突きつけられ、何で自分が生きてるのかが分からなくなるからだ。
「うぅ………」
でもだからといって泣きたくない。自分の弱さが増してしまう気がするから。私は涙をグッと堪えて目を拭う。
泣いちゃダメ………泣いちゃ………
私は最近泣きたくなると前に描いた絵を見る。
実は絵をよく描くようになったのも、りん兄のおかげだったりする。
私は自由帳をパラパラと捲って、一枚の絵を見た。
それは私の住んでいる家に私とお母さん、そしてお父さんが笑って並んでいる絵だ。
いつかこうなって欲しい、今は乱暴なお父さんとも、笑って一緒に暮らしたい。そう思って描いたものだった。
私がりん兄の家で描いていたこの絵を見て、彼は『おぉ、絵上手いね』って言ってくれた。
そしてこうも言った。『いい家族だね』って。
普段は笑わないりん兄が、この時だけ少しだけ笑ってくれたように見えた。
りん兄にとっては何気ない一言で、大した意味は無かったかもしれない。それでも私は嬉しかった。
これまでお母さん以外の人に褒められたことのない私は、りん兄に褒めてもらえて少しだけ自分に自信が持てた。
それに根拠は無いけど、もしかしたらこの絵のような光景が実現するかもしれない。家族三人で笑える日が来る、そう思えた。
だから自信が無くなった時は自分の描いてきた絵を見て、自分を奮い立たせている。私の心の支えだ。
「おい、あれ東風じゃね?」
すると目の前から声がした。そこには同級生の男子が五、六人ほどいる。いつも学校でいじめてくる人達だ。
「コイツ公園で絵描いてるのかよ」
「公園ってのは遊ぶとこなんだからよ。絵描きたいなら他所に行けよ」
「お前がいると迷惑なんだよ。はい、鉛筆ぼっしゅ〜!」
私が公園にいることが気に入らないのか、男子の一人が私から色鉛筆を取り上げた。
私が絵を描くようになったことを知ったお母さんが、去年誕生日にプレゼントしてくれた色鉛筆だ。
「か、返してッ!」
「はぁ?うるせぇよ!」
「きゃっ!」
色鉛筆を取り返そうとするが、突き飛ばされて私は尻餅をついた。お父さんから受けた傷口が開いて血が滲む。その痛みが私を地面に縫い付ける。
持っていた自由帳が地面に落ちて、男子達がそれを拾った。
「おい、コイツ自分の描いた絵見てニヤついてやがったぜ!」
「ナルシストかよ!キモチワル〜!」
私の自由帳を見た男子達が私を指差して笑ってくる。
「んだよ、こんな下手クソな絵」
「破っちゃえ破っちゃえ!」
自由帳を奪った男子が、ビリビリと紙を一枚一枚破っていった。そしてその手が私の描いた家族の絵にも伸びる。
そんな………それはダメ。その絵は………私の大切な絵なの………ッ!
「やめて………やめてッ‼︎その絵だけは、破らないでッ‼︎」
「あぁ?何だこれ?家族の絵か?」
「小六にもなって家族の絵描くとかwwwガキかよ!」
私は必死に手を伸ばし、絵を取り戻そうとした。どれだけ馬鹿にされてもいい。他の絵はともかく、これだけは破られてはならない。
しかしそんな私を嘲笑うように絵がビリッと音を立てて引き裂かれた。
「いやあぁぁぁ───────────ッッッ‼︎」
破られて紙切れとなった絵が地面へと撒き散らかされた。取り乱して駆け寄り紙切れを拾う。
「あ、あぁ…………ッ」
どうしようもないほどにまで引き裂かれた絵を拾って、私は泣き崩れた。さっきまで堪えようとしていた涙が溢れ出て紙切れとなった絵を濡らす。
「何だコイツ?たかが絵破られたくらいで馬鹿みたいに騒ぐとか、頭イカれてんじゃねぇの?」
「一緒にいたら俺らも馬鹿になりそうだし、もう行こうぜ」
「お〜、行くか!」
蹲る私を置いて男子達は去っていった。しかし私はそんなことを気にもならなかった。
破られてしまった絵を見て、溢れ出る涙を止められずに流し続けている。流れ落ちる涙で絵が滲んでいく。
「ッ………うっ、うぅ………」
自分の心を支え続けていてくれたものが壊されて、下り坂から転がり落ちるように気持ちが落ち込んでいく。
希望が打ち砕かれて、何で自分が今ここにいるのかが分からなくなった。自分の存在意義が見当たらなくなり消えたくなる。
自分には何かを成し遂げる力なんかない。何も変えられず、自分の希望すらもまともに守れない私に、もう生きてる必要なんて………
私は絵の欠片を全て拾い集めると、公園を出ていった。身体に力が入らず、沈んだ心が残った力までも蝕む。
そんな私の脚が自然と向かっていたのは、りん兄の家だった。放課後毎日のように行っていたからか、身体が覚えてしまったようだ。
いつもならインターホンを鳴らして入るが、今日はそんな気分にはなれなかった。ただ家の前で佇んでいる。
「ん?東風か?こんな所で何してるの?」
背後からすっかり聞き慣れた声がした。誰なのかなんて振り向くまでもない。
「りん兄………」
りん兄は薄手のコートを着て、背中にはリュックを背負っている。どうやらお仕事帰りのようだ。
「こんな猛暑の中遊びに来たの?ご苦労なこったねぇ」
そう言ってりん兄は家の鍵を開けると、私を家の中に入れてくれた。
りん兄はいつもそうだ。私にどんなことがあっても、変わらずに私を招き入れてくれる。
「何か飲むか?アイスココアとか昆布茶とかあるけど」
「いや、大丈夫だよ…………」
「ん、そう。僕はココア飲もうっと。お供は………枝豆でいいや」
りん兄はコートを床に脱ぎ捨てると、棚を漁っておやつの準備をする。
「んで、今度は何してコケたんだ?」
「え?」
ココアを淹れながら言われた脈絡のない言葉に、私は思わず聞き返した。
「スカートに土と草がついてるし、手もちょっと汚れてる。ついてる草の種類から見て公園にいたんでしょ?汚れ方からして後ろに転んだな。目も赤いから、どうせコケて泣いてたのかな、って思って」
相変わらずの観察力だ。私のことちょっとしか見てないはずなのに、そこまで見てたとは。
当たらずも遠からずな推察に私は何も言えなかった。
「それで、何かあったのか?」
「え、えっと、実は………」
そこまで言いかけて、私は言葉に詰まった。
まただ。私は何気なくりん兄を頼ろうとしてしまっている。本来だったら自分で解決するべき問題を、りん兄に押し付けようとしている。
こんなだから、私は………
破れた絵の入っているポシェットを握りしめて、私は俯いた。
「公園で遊んでたら、転んじゃって………」
「………あ、そう」
りん兄は平坦な口調で頷いた。興味がないのか、それ以上は追求してこなかった。
「ちょっと怪我してるみたいだし、絆創膏だけでも貼っておくか?」
「りん兄………」
りん兄はいつもこうだ。興味ないようでどうしても良さそうに振る舞っていても、人をよく見て気遣いできる。
私もそんなりん兄にいつも助けられてきた。だからついりん兄に手を伸ばしてしまう。
だから私は弱いんだ。何かあるとすぐにりん兄に頼ってしまう。
………ダメだ。私は、ここにいちゃいけない。
「だ、大丈夫だよ。私、用事思い出したから、そろそろ帰るね」
「え?いいけど、何しに来たんだ………」
呆れたように目を細めると、りん兄は淹れたココアを運んできた。
「まぁ、お前ならまた転ぶ可能性もあるし、一応持つだけ持っておきな。ほら」
そして一緒に持ってきた絆創膏を私に手渡す。それから私の肩にそっと手を乗せる。
「危ないことは、しないようにね」
「………うん。それじゃあ、ね」
「あぁ」
こうして私はりん兄と別れた。
何となく家に戻る気になれなくて、私は町の中を歩いていた。
いつもなら、帰らなければお父さんに殴られる、その恐怖で帰るしかなかった。でも今は、その恐怖は感じても、身体が動かない。
頭の中に浮かんでくるのは大切な絵を破られた絶望と、家に帰ることへの恐怖、そして自分の不甲斐なさ。考えがまとまらずにぐちゃぐちゃになっている。
この思いの行き場が分からなくて、気がつけば私は近所の森の中にいた。
一昨年、私はここでりん兄の仕事してるところを見て、彼が殺し屋なことを知った。
それからもたまにりん兄とここに遊びに来ていた。
りん兄はその辺に生えてるもの何でも食べようとして、その採取に私も手伝わされて。
でも、私は楽しかった。
私は森の中へ入り、奥へと進んでいく。外は暗くなってきて、夕陽が傾きかけている。
いつもなら森に入ってすぐの所でしか遊んでいなかったけど、何故か私の足は奥へと進んでいった。
辺りが暗くなり、木々のざわめきや虫の声がより鮮明に聞こえるようになる。
しばらく歩いていると、ずっと暗闇だと思っていた森の奥から光が見えた。身体は自然とそちらに向いて歩き出す。
暗闇を抜けると、そこは崖のようになっていて、その先にある町の景色が一望できた。
「こんな所、あったんだ………」
私は目を凝らして町を眺めた。
そこには、浴衣を着て提灯の垂れている町の中を歩く人達が何人もいた。
そういえば、今日は花火大会の日だったなぁ。去年りん兄と一緒に行ったっけ。
カツアゲしようとしてきたチンピラにちょっとりん兄が反撃し過ぎたり、射的屋で景品取り過ぎてりん兄が出禁になったりしたんだよなぁ。
そんなことを思い出しながら、私はぼんやりと人通りを眺める。
人混みの中には、小さな子供が両親と手を繋いで歩いてる姿も多く見られた。
子供は親と楽しそうに話しながら、周りをキョロキョロ見渡し、両親はそんな子供を微笑ましそうに見て笑い合っている。
きっとそれはあの家族からしたら当たり前の光景で、周りの人達にとってもよくある光景。
でも、私は………そんな当たり前のものすら、持ってない。
ポシェットを開けて、ビリビリに破かれた絵を取り出した。私とお母さんとお父さんが手を繋いで笑っている絵を。
実現したいと思ってた。こんな素敵で、こんな当たり前の光景が、実現できたら………
「うっ………ッ、うぅ………ッ」
気がつけば、私はまた泣いていた。泣きたくないと思えば思うほどに涙が溢れてくる。
もう、嫌だ………何かを失うのが、何も実現できない弱い自分が、そんな私でしかいられないこの人生が………
視線が下に傾き、崖の下へと向いていた。とても高くて、大きくて硬そうな岩がいくつもある。
ここに落ちたら、きっと無事では済まないだろう。死んでもおかしくない。
そう分かっていても、私の足は前へと進んでいた。
終わりにしたい、何もかもから。どうせ私は弱い人間なんだ。それなら弱い人間らしく、人生から逃げて終わりたい。
きっとお母さんに迷惑かけちゃうかもな。お父さんは………何も変わらないか。
死ぬことなんてあり得ないって思ってたのに、いざこうして立ってみると、自然と受け入れてしまう。
生きてやりたい事も、全て霞のように消えていって、残った悲しみから解放されたいと、心が叫んでいる。
けど、その中で消えずに輝き続ける、私の唯一の心残り。それは………
『どんなに否定されても自分の正しさを貫いてみてはどうですか?どうせ誰も分かってはくれないんですから』
彼のかけてくれた言葉が、頭をよぎった。
りん兄………あの人ともうちょっと、家族でいたかったなぁ………
でも、こんな私に、りん兄の隣にいる資格なんて………無いんだ。
崖のギリギリまで足が伸びて、重心が前に傾こうとする。身体が軽く感じて、心が………
「危ないことはしないようにって、言わなかったか?」
「ッ⁉︎」
突如後ろから聞こえた声に、私の足は止まった。その声はついさっきまで聞いていた声だ。
でも、どこか懐かしくて………いや、待ち遠しかったのかもしれない。
私は振り向いて、そこにいる彼の名を呼んだ。
「りん兄………」
最後まで読んでいただきありがとうございました。
評価、感想等ありましたら、ぜひよろしくお願いします。