「りん兄………」
「どうも、っと挨拶の前に、何やってるんだ?夏休みとはいえ深夜徘徊は禁止、って先生に言われたでしょ?」
私の背後から現れたりん兄がいつも通りの落ち着いた口調で話す。遠くに広がる街の景色に目を向ける。
「おぉ、いい景色だなぁ。ここなら花火も大きく見えるし、まさに穴場って感じだ。よく見つけたね」
「りん兄………何で、ここに?」
たまたまここに来た、そんなわけはないだろう。
「ありゃ、本当に気がついてなかったみたいだね」
りん兄はゆっくりと私に近づくと、私の肩に手を置いた。そう、ちょうどさっきりん兄の家でしてくれたように。
そして彼は私の服の襟から何かを取り外した。それは小さな立方体の装置だ。
私はそれに見覚えがあった。そうだ、昔りん兄に見せてもらった物だ。
「それ………たしか、発信機?」
前に殺し屋の使う機器類を教わった時に見せてもらったことがあった。
「人に触れられた部分には何かが仕込まれてる可能性がある。だから常に警戒し確認するように。前から何度も何度も教えてることだよ」
揶揄うように笑って、りん兄は発信機をポケットにしまった。
そうか。さっきりん兄の家で仕込まれてたんだ。それでこの場所が………
「もう夜も遅い。家まで送るから、帰ろうよ」
そう言ってりん兄は私に手を差し伸べた。
私が何をしようとしてたのか、全部分かっていながらも何も追求せずに、ただ一緒に帰ろうとしてくれる。それがりん兄なりの優しさなんだろう。
でも、私はその優しさに応えることは………できない。
「心配かけちゃってごめん、りん兄。私のことは気にしなくていいから、帰っても大丈夫だよ」
私はりん兄から背を向けた。もう、彼の顔を見てはいけない気がしたから。
「東風………自分が何しようとしてるのか、分かってるのか?」
「………うん、分かってるよ」
自分でも知らない内に声が震えていた。目が熱くなり、耐えられなくなる。
「やりたい事あるんでしょ?家族三人で、笑って暮らしたいって。そのために頑張るんじゃなかったのか?」
いつもとは違う真剣な口調だ。その真摯な姿勢が私の心を締めつける。
「………私じゃ、無理なんだよ。私にはそんな力、無いの。だから、もう………」
「生きる意味なんて無い、って事か?」
言葉の先を言われて、私は口を噤んだ。それからゆっくりと頷く。
「年魚さんは、この事知らないんでしょ?心配してるんじゃないの?」
「それは………」
辺りも真っ暗になり、きっと今頃お母さん心配してるんだろうな。これで私が自殺したって知ったら………
「生きた後に死ぬことは出来ても、死んだ後に生きることは出来ない。だから、もっと生きてみないか?」
りん兄が優しく私の手を握った。無理矢理引っ張ろうとするわけではなく、ただ私を止めようとしてくれる。
もっと生きていれば、いいこともあるかもしれない。生きて良かったと思えるかもしれない。
でも私にはもう………生きる力なんて………
「ありがとう、りん兄。でも、私は………生きたく、ないから………」
小さな声で呟いて、首を横に振った。下に広がる景色に体が傾き、自然と涙が溢れた。
「東風………お前には、家族がいるだろ?本気で心配してくれて、今もお前の帰りを待ってる人がいるはずだ」
「そんなの分かってる‼︎」
私はりん兄の手を乱暴に振り解いた。
「でも、私………もう、いやなのッ………何も、失いたくないッ!………家族も、夢も、思い出もッ!………私が生きてて、また何かを失うくらいなら………ッ!もう、生きたくないの!」
「東風………」
りん兄は私のことをジッと見つめていた。何も言わずに、ゆっくりと後ろに退がった。
無理矢理にでも止めることはしない、という気持ちが伝わってくる。
「ごめんな、ちゃんと見てやれてなくて。こんな僕が何言っても、ただの戯言にしか聞こえないけどさ」
背後から言葉を投げかけられて、私はりん兄の方を振り向いた。
「お前の人生は、お前のものだ。どう生きるのかは、自分で決めるしかない。ここまで言ったんだ。東風が本気で死にたいって思うなら、僕は止める気はさらさらないし、そもそもそんな権利はない。好きに死ねばいいさ」
突き放すような物言いだが、私はりん兄ならそう言うと思っていた。
自分がどう生きるかは自分自分しか決められない。いつ、どうやって死ぬのかも。
いつでも私の気持ちを優先してくれようとする、すごいりん兄らしい。
「………けどさ」
「?」
私を突き放して終わると思っていたりん兄が、さらに口を開いた。
「もしも、もしもまだ、少しでも余裕があるのなら………一つだけ、僕のわがままを聞いてくれないかな?」
「わがまま………?」
りん兄は背負っていたリュックを下ろすと、チャックを開けて中身を漁る。
そして取り出したものを地面に放る。それは私の足元に滑ってきた。
私は自分の足元を見下ろして目を見開いた。
「り、りん兄、これって………」
「あぁ、カランビットナイフだ」
私の目の前置かれたのは反った刃を持ち、グリップに穴が空いた武器。カランビットナイフだった。
ちょっと前にりん兄に見せてもらったことがあるし、使い方も教えてもらっている。
でも、これで私にどうしろと言うのだろうか。
私が戸惑っていると、りん兄はリュックから短刀を取り出した。いつもりん兄が仕事で使っているものだ。
短い銀色の刃が月の光を反射して輝いている。
鞘から引き抜くと私に刃を向けた。これまで何度か見てるとはいえ、殺し屋の道具を突きつけられて、反射的にビクッとなる。
「り、りん兄………い、一体、何を?」
私にゆっくりと近づくと、りん兄は冷たい目で私を見つめた。
「最期に、僕と本気で殺し合ってくれないかな?」
「え………?」
「一人で死ぬなんて絶対にさせない。お前が死にたいって言うなら、僕が、この手で殺す」
りん兄が本気で言っているのは、すぐに分かった。
私の自殺を止めるための嘘なんかじゃない。りん兄は、本気で私を殺そうとしている。
これまでりん兄と戦った事が無いわけではない。殺しの術を教えてもらう中で、リアルナイフを用いて戦った事は何度もあった。
それはあくまで訓練のためであって、殺し合う緊張感はあったものの、りん兄から殺意を感じる事はなかった。
でも今回は違う。りん兄から感じるはっきりとした殺意、そしてそれ以上に私への覚悟が伝わってくる。
私を殺して、その命を背負い続ける覚悟が。
このまま殺し合ってりん兄に殺されれば、自分で飛び降りる必要も無くなる。それが一番楽なのかもしれない。
でも………
「そんなの………嫌だよ」
私は首を横に振った。
死にたいという気持ちが変わったわけではない。でも、こんなのダメだ。
「そんなことさせられないよ………私、りん兄にこれ以上何も背負って欲しくない!だって、りん兄が私に何もしなかったのは………」
「言うな!」
りん兄が私の叫びを遮った。私に向けられた鋒が僅かに震える。
「ダメなんだよ………関わった命は、背負わないと………そうでなきゃ、僕が今生きてる意味が、ないんだよ………」
それが何を意味するのか、私には何となくだけど分かった。
りん兄は自分のせいで両親を失うことになった、だから両親を殺したのは自分だと、今でも自分を責め続けている。
それはきっと中途半端にしか、両親の命を背負えなかったからだ。
自分が攫われたばかりに母親は父親に撃たれて、その父親を自分の命を助けるためだけに殺した。りん兄はかつてそう言っていた。
自分のせいで大切な人を失い、それでも自分は生き続けている。
それは地獄だ。何も背負えず、ただ野放しで生き続ける虚無感と罪悪感に今でも蝕まれているのだから。
りん兄はその中で、生きる意味を見出したんだ。
自分が弱くて誰かが苦しむなら、その命諸共一生背負い続ける。もう二度と命から逃げない。それをしなければ、今生きてる意味が無い。
それがりん兄の正義だ。
「だから、お前の命だけでも………僕に背負わせてくれないか?」
「りん兄………」
「頼むよ」
私は地面に落ちているカランビットナイフに視線を向けた。
私にはもう、生きてる意味なんてない。こんな失うばかりの人生、私には耐えられない。
でも、最期に………大切な、家族の生きる意味になれたら………少しは、生きててよかったって、思えるのかな?
「………分かった、よ」
私は頷いてカランビットナイフを拾った。穴に指を通すと軽く回して手に馴染ませる。
「私のこと、殺してくれるんだよね?」
「さぁな。本気で戦って、その結果どうなるか、だな」
りん兄は短刀を握り直すと身構えた。私もナイフを構える。
「そっか………ねぇ、りん兄」
「何だ?」
「ありがとう、ね。その………」
「よせ、くだらない」
私の言葉を遮り、リュックを遠くへと放った。
もう私を殺す対象としか見ていない、そんな彼の気持ちの表れのように感じる。
「………そうだね」
短く言葉を交わして睨み合う。
りん兄から感じる本物の殺気。でも、不思議と怖くはなかった。むしろ優しくて暖かい。
「それじゃあ………バイバイ」
「あぁ、じゃあな」
別れの言葉を告げて、私達はぶつかり合った。
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