これはまだ、竜胆と罔象が関係を持つずっと前の話。
四年前
「うぅ、寒い………」
断続的に吹く冬の夜風に身を震わせて、竜胆は自転車を走らせていた。
(仕事が片付いたのはいいけど、すっかり暗くなっちゃったなぁ。休日とはいえ、さすがに一日に依頼十二件ハシゴはやりすぎたか)
殺し屋としての仕事に励んだ竜胆は、仕事着であるトレンチコートを着たまま心の中でぼやいた。
当時竜胆は中学三年生。大抵であれば受験本番間近といった時期だ。
しかし受験に対してある程度余裕を持っている竜胆は、勉強の合間に仕事を受けていた。
こんなに働くのは稀なのだが、金曜日の昼間に設定していた受験の面接練習が先生の用事でその日の放課後になってしまい、そこでするはずの仕事ができなくなったのだ。
仕方なく今日する予定だった殺し屋やヤクザなどの殺しの依頼も含めて、合計十二件もこなしたわけだが、おかげで身体はクタクタだ。
(さてと、顋門さんに報告も終わったし、ご飯どうしようかな。今から帰って作るってのも面倒だし、その辺で何か食べていくのが一番か)
仕事に集中していて昼ご飯も食べていない竜胆は、何か食事ができる店はないか辺りを見渡す。
もっともこの辺りはよく知った道、どこに何があるかは大抵分かる。
この辺りで食事が出来る所といえば………
(ここかな)
竜胆は一件の店の前に自転車を止める。
『Cafe Red Poppy』
最近竜胆が通うようになった喫茶店だ。お店の雰囲気と料理が好きでよく通っている。どうせ外で食べるなら好きな店で食べるのが一番だろう。
まだ店内には明かりがついてるし、『OPEN』の看板も提げている。
竜胆が扉を開けようとすると、それよりも前に内側から扉が開かれた。
お店の中から出てきたのは雛罌粟 罔象。ここのマスターだ。
「外寒いなぁ、ってあれ?君は………」
目の前に現れた竜胆に罔象は目を丸くした。何となく嫌な予感を感じつつ、竜胆が頭を下げる。
「こんばんは。あの、今食事したいんですが………」
「あぁ、ごめんなさい。今日はもう店閉めようかと………」
予感が的中して、竜胆は天を仰ぐ。どうやらギリギリ間に合わなかったようだ。
せっかく料理を期待して入ろうとしたが、やってないものは仕方ないだろう。
「そうですか。すみませんでした、それでは」
こうなったら他の店で食べよう。
そう思って竜胆は軽く頭を下げて踵を返す。
「あっ、待って」
しかし後ろから罔象に声をかけられて、竜胆は立ち止まり振り返る。
「あの、やっぱりウチで食べていきます?」
「え?しかし、今日はもう店じまいなんでしょう?」
「どうせこの後にも仕事はあるし、閉店時間が三十分伸びるくらいなら大丈夫ですから」
「でも………」
「私も、お客さんはいてくれた方がいいですから、ね?」
竜胆は罔象の表情を見て考える。
罔象が自分のために気を遣ってくれているのが分かり申し訳なかったが、竜胆もここで食事できるならそれが一番だった。
「それなら、お願いします」
心の中でガッツポーズをして、お店に入った竜胆はコートを脱ぎ席に座る。いつも座っている隅の席だ。
注文を聞くために罔象がやってくる。
「あの、残ってる材料が少ないので、出すものは限られてしまうのですが、よろしいですか?」
「もちろんです。何か温まるものが食べれればいいんですが」
「そうですか………あっ、それなら一つありますので、それでいいですか?」
「はい、お願いします」
元々無理を言って食べさせてもらってる身だ。何かは知らないが、美味しい食事にありつけるなら、それに越したことはない。
調理場に入った罔象を見送って、竜胆はポケットに入れている耳栓に手を伸ばす。
しかしその手をピタッと止めて引っ込める。
『Cafe Red Poppy』に自分しかいないなんて初めてのことだ。雑音も無く、静かで温かい。
それならば、今はこの空間に浸るのも悪くないだろう。
しばらくして罔象が料理を運んでくる。
「はい、お待たせしました」
目の前に出された料理を見て、竜胆は目を見開いた。
何故なら、出された料理は、竜胆が記憶している限りメニューに書かれていないものだったからだ。
大きく切られた野菜とお肉が浮かんでいるとろみのついた赤茶のスープが、ご飯にかかっている。
「これって………ビーフシチュー、ですか?」
「えぇ、冬ならこういうメニューも必要かなって新しく出すことにしたんです。夕飯も兼ねてちょうど試作してて」
「それ、僕が食べてしまっていいんですか?」
「少し作りすぎてしまったんですよ。それに、せっかくならお客さんの意見も聞きたいですし。試食はしたので、ちゃんと出せるものにはなっていますよ」
罔象は試作品とはいえお客様に出せるものだと念を押すが、竜胆からすればただの客が新作メニューを先取りして食べられるなんて、申し訳ないくらいだ。
食欲をそそるトマトの香りに、つい手が伸びそうになる。
「温かいものがこれくらいしかなかったんですが、よかったですか?」
「はい。それでは、いただきます」
手を合わせて竜胆はスプーンを掴む。肉と一緒にスープを掬い口に運ぶ。
「ッ⁉︎」
一口食べた瞬間、竜胆の動きが止まった。驚きと困惑が湧き上がり渦巻く。
竜胆の様子がおかしいことに気がついた罔象は、彼の顔を覗き込む。
「ど、どうかしました?美味しく、なかったですか?」
罔象の質問に答えることなく、竜胆はビーフシチューをジッと見つめた。
それからスプーンを伸ばし二口、三口と食べていく。その手は止まることなく、夢中になっている。
半分ほど食べ進めたところで、竜胆はようやく食べる手を止めた。
顔を上げて小さな声で呟く。
「美味しい………」
「そう、ですか?よかったぁ」
喜んでもらえてることが分かり、罔象は安心して笑った。
その笑顔を見て、竜胆も釣られて頰を緩める。それからまた食べ出す。
(すごい美味しい。でも、それに以上に………)
自分の中の感情を確かめるように、竜胆はもう一口食べた。そして確信を持つ。
(うん………懐かしい)
口の中に広がる味は、昔に何度も味わったことのあるものだった。
(すごい似てる。母さんの作ってくれたビーフシチューに………)
竜胆の母親、連枷 長閑。もうこの世にはいない、記憶の中にのみいる存在だ。
彼女が得意としていた料理がビーフシチューだった。クリスマスや誕生日、学校のテストでいい点を取った日なんかにはよく作ってくれたものだ。
小学二年生の梅雨、両親を失った竜胆にとっては、もう二度と食べられないはずの味だった。
それがまさか、こんな所で味わえるとは………
食べる手が止まらず、竜胆はあっという間に完食した。それから改めて罔象に礼を言う。
「すごい美味しかったです。ありがとうございました」
「こっちこそ。気に入ってくれたみたいで嬉しかったです。それじゃあこれ、デザートです」
そう言って罔象が出したのは、フルーツサンドとお店のオリジナルブレンドコーヒー。いつも竜胆が頼んでいるメニューだ。
ここに来たのはまだ数回なのに、ちゃんと好みを覚えてくれているらしい。
デザートも美味しくいただき、竜胆は一息つく。
あまりにも夢中に食べていたせいで、予定よりずっと早く食事が終わってしまった。でも、ここ最近の食事で一番美味しく満足できたし、体もポカポカだ。
「ご馳走様でした。こんな時間に来たのにデザートとコーヒーまでもらってしまって、本当にありがとうございます」
「いえいえ、これはこの前のお礼です」
「この前?」
特に何かした覚えのない竜胆は首を傾げる。
「初めてお店に来てくれた時、気遣って絆創膏くれたじゃないですか。そのお礼です」
「え?あぁ………」
竜胆は言われてようやく思い出した。そういえばそんなことをした気がする。
「だから、どこかでちゃんとお礼できたらいいなって思ってたんです」
「そうですか………」
(律儀な人だこと)
そこまで大したことをした覚えはないが、きっちりとお礼してくれる罔象に竜胆は肩をすくめた。
「よく来てくれるけど機会がなかったから、ちゃんとお礼できてよかったです」
「僕のこと知ってるんですか?」
「ウチのお店に来てくれる学生なんて君くらいですから」
たしかに、自分以外でこのお店に学生が入っているのは見たことがなかった。大抵大人か親子連れだ。
「たしか中学生、でしたよね?この辺りの中学校に通っているんですか?」
「まぁ、はい………」
あまり自分のことを話すのが好きではない竜胆はぎこちなく頷いた。
「最近の学生ってもっとオシャレな所に行くと思ってたけど、そういうところには行かないの?」
「うるさいところ、嫌いなんです」
学生がよく来るところ(大人が多い所でも当てはまるが)はどうしてもうるさくなるし、人が多ければせわしない。
賑やかなのは嫌いじゃないが、竜胆にとってちゃんと食事を楽しむには、どうしても邪魔になる。
その点、ここは落ち着いているし、程よく活気がある。一人でのんびりと食事を楽しむにはもってこいの場所だった。もっともそれでもなお周りの声が耳障りだから、耳栓は常につけているが。
竜胆の様子を見て、罔象が不安そうな顔になる。
「あぁ、ごめんなさい。もしかして、話しかけられるの苦手でした?」
「あ、いや………まぁ。すみません、感じ悪くて」
せっかく親切にしてくれたと言うのに、どうしても苦手意識が前に出て失礼な態度になってしまう。
『人殺し』、『ヤク中の息子』、『可哀そうな子』
そんな言葉ばかり向けられて、いつしか竜胆は人から心を閉ざした。
どれだけ伝えようとしたって、人は誰も分かり合えない。伝えれば伝えるだけ溝は深まり、竜胆の中でその気持ちは大きくなっていった。
だから周りのうるさい声を体が拒絶し、自分の事を伝えるのが嫌になる。
それが良くないことは分かってるが、直そうとすればするほど気持ちは強まった。
目を伏せた竜胆を見て、罔象は首を振った。
「ううん。実は私も、男の人と話すのは少し苦手だから………」
「えっ?」
意外だった。あんなにいつも楽しそうにお客さんと話している彼女が、人とのコミュニケーションを苦手としていたとは。お客さんの中には男性だっているのに。
「昔、ちょっとあってね」
「そうですか」
少しだけ罔象の目に影が見えたような気がして、竜胆はそれ以上聞くのはやめた。
かつての彼氏につけられた傷は、今でも罔象の心を蝕んでいる。
もちろん全ての男性があんな酷い人であるとは思わない。
でも、自分のせいで大切な家族を失った、その恐怖は今でも罔象に絡みついて離れない。
お店を継いである程度は慣れたものの、やっぱり男性と話すのは苦手だ。
男性である竜胆に気を遣ってか、はたまた自分の恐怖を誤魔化すためか、罔象は戯けたように笑う。
「まぁ、君はあまり話さないから、意外と一緒にいてもいいかも」
「僕も………嫌いじゃないですよ。この店も、あなたも」
苦し紛れの罔象の笑顔を見た竜胆は、気がつけばそんなことを言っていた。
お互いに変なことを言ってしまい、少しだけ顔が赤くなる。これではまるで遠回しな告白みたいだ。
「あ、いや、すみません!変な意味じゃないですよ!本当に………」
「わ、分かってるよ。こんな歳上じゃ、範疇外だろうし。こっちこそ、何かごめん」
何とか誤魔化したが、余計に変な意味が含まっているように聞こえてしまい、何となく居心地が悪くなる。
チラッと目を合わせると、二人は苦笑いした。竜胆は小さな声で呟く。
「強い人だな…………」
「えっ?何か言った?」
「いえ。それでは、僕はこれで。すっかり長居してしまって、すみませんでした」
「大丈夫だよ、って………私、お客さんに口調砕けすぎか」
「別にいいですよ。そっちの方が僕もしっくり来るので」
いつもは人と距離を空けたがる竜胆は、珍しくそんなことを言っていた。
「あぁ、そうなの?」
人と距離を空けたいのか縮めたいのか分からない少年に、罔象は表現しがたい好感を覚えていた。
竜胆は席を立ち上がり、レジでお金を払ろうとする。
「って、ビーフシチューいくらなんですか?」
「あぁ、お金はいいよ。元々試作品だし」
元々自分の夕ご飯なのだし、それでお金を取るのも申し訳なかった。
「そう、ですか」
あんなに美味しかったものをタダで、というのは申し訳なかったが、竜胆はフルーツサンドとコーヒーの分のお金を払うと、トレンチコートを着た。
「おやすみなさい。また、来ます」
「うん。待ってるね」
「はい」
出ていく竜胆を見送ると、罔象は彼の出ていった扉を見てフッと笑った。
「変わった子だったなぁ………」
茫然としているとポケットに入れていたスマホが震えた。画面を見てみると母からの着信を知らせているので、すぐに出た。
「もしもし、お母さん?」
『あっ、罔象?ビーフシチューどうだった?』
「上手くできたよ。これなら、お客さんに喜んでもらえると思う」
『あら、やけに自信満々じゃない。何かあったの?』
「ちょっとね………自信がついたの」
美味しそうに食べていた竜胆の顔を思い出して、罔象は誇らしげに笑った。
「そういえば、なんでこれお母さんの時に出さなかったの?」
『あぁ、それ元々まかない用のレシピなのよ。長閑ちゃん………前にウチで働いていた人の得意料理で、まかないで作ってくれてたの。お店に出すことも考えたんだけど、提案する前にその人が結婚してやめちゃってね。何となく出すのはやめたってわけ』
「へぇ、そんな人がいたんだ………」
たしかにレシピに書かれている文字は母の筆跡ではない。きっとその得意としていた人がメモして残してくれたのだろう。
『あっ!そういえば、それで思い出したんだけどね。その前に働いてくれてた人との写真がカウンターのどこかにあると思うのよ。今度帰省する時に持って帰ってきてくれない?』
「写真?」
母に言われて、罔象はカウンターを漁ってみる。
すると写真立てに入った一枚の写真があった。そこには自分たち家族だけではない、もう一つの家族が写っている。
写真を見ていると、子供の頃、こんな感じの人たちと会っていた記憶がぼんやりと思い出される。
さっきやめた人は結婚していたと言っていたし、きっとこれのことだろう。
「見つけたよ、今度持っていくね」
『お願いね。それじゃあおやすみ』
「うん、おやすみ」
電話を切ると、罔象は改めて写真を見てみる。
きっと妹である
そしてその隣には母と同い年くらいの夫婦の姿が写っていた。さっき母は『長閑ちゃん』と言っていたし、働いていたのは女性のほうだろう。
よく見るとその女性も赤ん坊を抱えていた。
「ん?あれ………?」
その赤ん坊を見て、罔象は目を凝らした。
「ちょっと………さっきの子に、似てる?」
さっきまでいた竜胆の顔を思い浮かべて、罔象は首を傾げた。
小さくてよく見えないし、赤ん坊の写真なので何とも言えないが、直感的にそう感じる。
それに見た感じ分と同い年、つまり今は中学三年生くらいだろう。彼が何年生かは知らないが、歳は近いはずだ。
もしかして、同一人物………
「まさかねぇ」
そんな偶然あるわけない。
思考を打ち切った罔象だが、ふと思いついて顔を上げた。
「あっ………名前、聞いておけばよかったなぁ」
今さらどうしようもないことを思って罔象はひとりごちる。
ただのお客さんである謎の少年に、興味を持ち始めていることには気がつくことなく。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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