12年前
その日、僕はいつものように小学校から帰っていた。
季節は梅雨になり、雨の中を傘をさして歩いている。
父さんは警察官としてお仕事中、母さんはきっと家で僕の帰りを待ってくれているのだろう。
二年生になったとはいえ、勉強はそれほど難しくなったとは思えず、毎日をのんびりと過ごしていた。
今日もどんな本を読もうかと思いながら通学路を歩いている。
そんな時だった。
人気の少ない道路に入った所で、いきなり大きなトラックが行手を阻むように突っ込んできた。
「うわぁっ⁉︎」
驚いた思わず尻餅をついた。
トラックから降りてきたのは四人の黒服の男達だった。マスクをして顔を隠している。
「おい、いたぞ!」
男の一人が僕を指差して言った。全員がこっちに向かってくる。
その言葉から、僕を狙って現れたのは明らかだ。このままだと追いつかれる。
こういった不審者に遭遇した時にどうするか。学校ではもちろん習ってるし、父さんからも何度も言われていた。
大声を出して逃げる。それしかない。
「だ、誰か!誰か助けて‼︎」
「騒ぐんじゃねぇ!」
あっという間に追いついた男に僕は蹴り飛ばされた。
「ぎゃあッ⁉︎」
地面を転がり、近くのブロック塀に叩きつけられた僕を、二人の男が押さえつけた。
僕を蹴った男が、今度は大きな手で僕の顔を殴り、首を絞め上げる。
「このガキが。テメェ誰に向かって抵抗しようとしてんだ、あぁ?」
「がぁッ!………ぐっ!」
息ができなくなり、苦しさで目の前が霞む。
最後にトラックから降りてきた男が、周りの様子を伺いながらやって来る。
「おい、今はお前の趣味に付き合ってる場合じゃねぇ。人が来たらどうする」
「殺せばいいだろ。どうせ何やったって揉み消されるんだ」
「面倒だろ。早くエヴァン様の元に戻るぞ。ガキ痛めつけたいなら後でやれ」
「ンだよ、こっからが面白れぇのに。そんじゃあ最後の一発、なッ‼︎」
男に腹を思いっきり殴られ、僕は気を失った。
目を覚ますと、そこは薄暗い部屋だった。
コンクリートが剥き出しになった壁に囲まれて、天井には電球が二つ三つついている。
僕は手足を縛られて、周りには僕と同じように縛られた人達がたくさんいる。
大人の人もいれば、僕と同じくらいかそれより幼い歳の子供や、逆に老人もいた。
目の前の光景が現実なのか夢なのか、一瞬分からなくなる。
でもさっきの男達に殴られた。それが現実ならばこれも現実。いやでもそう思うしかなかった。
僕、誘拐されちゃったんだ………
「うぅ………助けてよぉ」
「何でこんな事に………」
「お父さん………お母さん………」
みんな俯いて、自分の置かれた立場に嘆いている。
僕だってそうだ。
さっきの誘拐された時の事を思い出す。体の痛みが蘇ってきて、身がすくんだ。
これから自分がどうなってしまうのか、考えただけでも恐ろしい。
何で、こんな目に遭わなくちゃいけないの………
「うっ、うぅ………」
体が震えて涙が溢れてくる。
母さん、今頃心配してるんだろうな。父さんにも連絡して、探そうとしてくれてるのかもしれない。
そうだ。父さんならきっと見つけてくれる。あんな悪いヤツらすぐにやっつけてくれる。
家族を信じて我慢しようとすると、部屋の扉が開いた。
入ってきたのは軍服を着て、武装した強面の男だった。筋骨隆々、見ただけで外国人なのが分かる顔で、腰には銃が提げられている。
後ろに何人かの部下を連れていて、部下の一人が頭を下げる。
「エヴァン様、こちらで全員です」
「よし。それじゃあ、早速始めるか」
エヴァンと呼ばれた男の指示で、後ろについてきた部下らしき男がビデオカメラを持ってきた。僕達に向けると。録画ボタンを押す。
「よぉ、警察のクソ共。見えてるか」
カメラの前に立ち、エヴァンは嫌らしい笑みを浮かべた。
これは警察、つまり父さんに向けられたものなんだ。僕が誘拐されたのも、そのため………
「見てわかると思うが、テメェらの家族何人か拉致らせてもらった。可哀想になぁ。テメェらが余計なことするからこうなるんだよ」
そう言ってエヴァンは、腰に提げたホルスターから拳銃を引き抜いた。漫画やアニメでしか見たことのない武器の本物を、初めて見た。
彼はスライドを引くと、近くにいた僕よりも小さな子供に銃口を向けた。
「ひっ⁉」
恐怖で震えていた子供の怯えた顔を見て、エヴァンは楽しそうに口元を歪め、引き金を引いた。
バンッ!
腹に響くような弾ける音が響き、僕は目を閉じて身がすくんだ。
ゆっくりと目を開けると、そこには銃口を付きつけた子供が倒れていた。
恐怖に歪んだ表情のままピクリとも動かず、眉間には弾がめり込み血が噴き出す。
僕は生まれて初めて人の死を見た。僕よりも幼い子供が、何の意味もなく人生の幕を無理矢理閉じられた。
「きゃあぁぁぁッ⁉」
もう部屋の中は阿鼻叫喚となった。現実を受け入れられず蹲る者や、恐怖のあまり金切り声を上げる者もいる。
僕だって同じだ。
人の死を瞬間、頭の中に流れ込んでくる現実と、それを受け入れられない体で拒絶反応が起きた。胃の中にあったものがせり上がってくる。
「うぅッ!ゲホッ、おえッ!」
耐えきれなくなった僕は、せり上がった物を床に吐いてしまった。眩暈が襲ってきて意識が遠のく。
「おいおい。人が話してるんだ、静かにしろぉッ‼」
エヴァンはわめき散らすと、叫んでしまった女性や子供を次々と撃っていった。
銃声が続けざまに響き渡り、マガジンの中身が無くなると、僕の周りには四、五人の死体が転がっている。
もう声を出す気力もない。今度は自分が殺されるかもしれないという恐怖から、みんな口をつぐんだ。
「はぁ、人質がうるさくして悪かったな。改めて交渉だ。コイツらを返してほしいなら、俺らを嗅ぎまわるのをやめろ。上司からも捜査止めろって言われてるよなぁ?」
言っている意味が分からなかった。
上司ってことは、父さんの職場の偉い人。
父さんの仕事は警察官。その上司なら父さんと同じ、人のために頑張る警察官のはず。
その人達がこんな酷い人たちの操作を止めろなんて言うはずがない。
「明日の4時、港の倉庫でコイツらとテメェらの身柄を交換だ。遅れるんじゃねぇぞ」
それだけ言って彼は録画を消した。
「まったく、ゴミが増えちまった。おい、これ片付けろ」
「はい」
エヴァンの命令で、部下がゴミと呼ばれた死体を引き摺って運び出す。
さっきまで生きていて、自分と同じように怖がっていた人の死体が、本当にゴミのように扱われている。
部下が出ていくのを見届けると、エヴァンはしゃがむ僕達を見下ろした。
「さてと、よかったなぁ。これでテメェらは生き残り、明日には晴れて自由の身だ」
攫った本人にそんなことを言われても、ちっとも安心できない。そんなことも分からないのか。
しかしエヴァンの言葉は止まらない。
「けど、テメェらの家族は代わりに俺らの物になる。本来ならテメェらがされることの代わりになる」
それが何を示すのか。真っ先に思い浮かんだのはさっきの殺された人達。
もし運が悪ければ、自分があんな目に遭っていたかもしれない。
父さんが、その代わりに………
そう思った瞬間、喉が締め付けられるような感覚に襲われた。
さっきの人達みたいに殺された父さんの姿が、頭の中に浮かび上がり息が詰まる。
大切な家族が、自分の代わりに殺される。
僕のせいで……
「テメェらが強くて捕まらなかったら、こんなことにはならなかったのになぁ」
大切な家族が傷つくことへの恐怖、後悔、悲しみ、怒り、そしてなにより罪悪感。
いろんな感情が駆け巡る僕達に、エヴァンは吐き捨てるように言葉を叩きつけた。
「テメェらみてぇな弱い無能のせいで、大事な家族が死ぬんだよ!」
僕が弱いから、僕のせいで、家族が、大事な人が………死ぬ。
「あ゛ぁぁぁッ‼︎」
目を覚ますと、そこは家のリビングだった。
視界に映るのはいつもの白い天井だけだが、ふんわりと漂う甘い匂いが普段との違いを示す。
自分が寝ているのはすぐに分かったが、どこで寝ているのかを理解するのには、少し時間がかかった。
頭の下に何か柔らかいものが敷いてある。ぷにぷにしていて、温かい。甘い匂いはそこから来ていた。
「あっ、竜胆。起きた?」
頭の上から声がした。目を動かすと声の主が視界に入る。
「
天井をバックに分が僕を覗き込む。不安そうな表情を浮かべて真っ直ぐ僕を見つめる。
今年はゴールデンウィークを過ぎた辺りから、ウチに来てくれている。
何でも春学期にやったSPIの模試が悲惨な結果だったんだと。
だからこれまで通り勉強教える代わりに家事をしてくれている。
起きたばかりでイマイチ状況が掴めず、僕は分の顔から身体にかけて視線を走らせる。
膝の辺りまで見ていった段階で目の動きが限界になり、その先は追えなかった。
これ………もしかして、膝枕されてる?
どうやら僕はソファーで横になっていて、分が膝枕してくれているようだ。
そうか。僕、夕飯食べた後にソファーで寝ちゃってたのか。
「僕、どれくらい寝てたの?」
「30分も寝てないんじゃない?食器洗って、お風呂組んでたら寝てたから」
そういえば夕ご飯を食べ終わってから、少しウトウトしていたことを思い出した。
仕事終わりだったし、疲れてるのかなぁ。
「そうか。悪い、分」
「私はいいけど………竜胆こそ、大丈夫?すごいうなされてたけど………」
「えっ?あぁ………」
僕、またあの日のことを………何やってるんだか。
思い出すと嫌な汗が流れ、襲いくる寒気に手が震える。
夏休みも終わりに近づき、すっかり秋らしく涼しくなってきた。
でも、この寒気は涼しいからじゃない。自分の内側から襲ってくる何かが原因だ。
脳が揺さぶられているみたいで、体調の調節が出来ない。
いつものことだが、分の前では絶対に見せないようにしてきた。見せれば絶対に不安にさせてしまうって分かってたから。それなのに………
思わずため息が出るが、明るい声を出して乗り切る。
「気にしないで、大丈夫」
「けど、顔色すごい悪そうだし………」
さすがに不自然なことに気がついたのか、分が僕に手を伸ばす。しかし、僕はその手を拒絶する。
「大丈夫だから。本当に、大丈夫………」
息が乱れて眩暈がするのを我慢して、僕は体を起こす。
「竜胆………」
「ごめん、先にお風呂入っていい?」
「えっ、あぁ、いいけど………」
これ以上迷惑をかけまいと、立ち上がって足速にリビングを出て行く。
「はぁ………」
浴室に入ると体を洗い、僕はため息をついた。
体はサッパリしたというのに、頭の中はドロドロとしたものが澱んだままだ。
「うっ………!」
さっきまで見ていた
いつもならこの時間帯なら罔象の所に行ってる頃だ。
でも今日は出来ない。というのも、今日は大学の同窓会なんだと。
僕なら絶対に行かないが、やはり罔象は会いたい友達もいるんだろう。実に罔象らしい。
こんな時に限って、不思議と罔象に会いたくなる。会って、他愛ない会話を楽しみたい。
たった一日だけなのに、それも我慢出来ないのか。
こういう所、まだまだ子供だよねぇ。本当、情けない。
「竜胆、入るよ」
すると脱衣所の扉がノックされ開く音がした。曇りガラスの向こうに人影が見える。
「分、どうかしたの?」
「洗剤詰め替えないとと思って」
「あぁ、ありがとう」
そういえば昨日切れたから、今日買ってきてくれたんだっけ。
元々家事をしてくれるという約束とはいえ、よくもまぁここまで甲斐甲斐しくやってくれるものだ。本当に助かる。
「ねぇ、アンタもう体洗い終わった?」
「うん」
「それならそこ退いて。アタシも身体洗うから」
「あぁ………はっ?」
言われるがままに湯船に入った僕は、言われた言葉を反芻して、思わず変な声を漏れた。
顔を上げると、曇りガラスの向こうで何かゴソゴソと音が聞こえる。
向こうで何が起きているのかを察する前に、浴室の扉が開いて分が入ってきた。
「はい、お邪魔しま〜す」
「ッ⁉︎」
いきなり入ってきたことももちろん驚きだが、それ以上に度肝を抜かされたのは、彼女の格好だ。
見てはいけないとは分かっていても、その光景が目に飛び込んできた瞬間に、背筋が震えて体が硬直する。
浴室に入ってきた分は、身体にバスタオルを巻きつけただけで、他は一切身につけていなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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