「く、
突然お風呂に入ってきた分に驚き、思わず声が裏返ってしまった。
「な、何してるの⁉︎」
「何って、お風呂入るんだけど。アタシまだ入ってないし」
さも当たり前のように言う分だが、こっちは混乱どころの話じゃない。
これまでそれなりに二人で過ごしてきたが、もちろんこれまで一緒にお風呂に入ったことなんてない。まぁ、誘われたことはあったが。
それなのに、何で急に………
「だからって………それなら、僕出るからその後に………」
「いいのいいの、アンタはそのまま、ね」
「い、いや、良くないって!」
「何で?」
「何でって、それは………僕には、罔象がいるし」
彼女がいるのに、別の女の子と混浴なんて。一緒に暮らしてるとはいえ、そんな浮気みたいなことがいいわけない。
「いいじゃん、ここにはお姉ちゃんいないんだしさ」
「そんなの理由に………」
「一人でお風呂ってのもつまらないの。たまには付き合いなさい」
まるで何でもないことかのように言うと、慌てて浴室から出ようとする僕を押し戻した。
こうなっては出られないので、仕方なく背中を曲げて蹲る。
罔象以外の人とお風呂に入った記憶は無いから、どうしても分を目線で追ってしまう。
風呂場にある椅子に座ると、分は僕の方を振り向いた。
「なぁに?アタシが身体洗うとこ、見たい?」
ニヤァッと笑うと、見せつけるように身体に巻きついているタオルを緩めた。
彼女の胸の谷間がチラッと覗き、僕はすぐに後ろを向く。
「ご、ごめん!ボーッとしてて!」
「えぇ?アンタなら、別に見ててもいいよ」
「見ないって!洗うならさっさと洗ってよ」
「あっそ。つまんないの」
楽しそうに笑うと、タオルが擦れる音がした。背後にいる分の姿が頭に浮かんでしまい、振り払うように頭を振った。
「何してんの?」
「べ、別に………」
苦し紛れだが誤魔化して、僕は石のように固まり動かない。
身体を隠していたタオルを外し、シャワーの音がして分が身体を洗い始める。
「アンタのことも、後で洗ってあげよっか?」
「さっき洗ったからいい」
「あらら、それならもっと早く入ればよかったかも」
「勘弁してって………」
まったく、心臓に悪いんだから。
これがその辺のどうでもいい女性なら、迫られても無視する。
でも相手が分だと無視することも、冗談だって一蹴することも出来ないんだよなぁ。
しばらくして水の音が止まり、どうやら身体を洗い終わったようだ。
「さてと。竜胆、アタシも入るからちょっと右寄って」
「あ、あぁ、うん」
やっぱ逃げられないみたいだ。
仕方なく右に寄ると、タオルを身につけた分が僕の隣に入った。
すぐに後ろを向いて、分を視線から外す。
「何で後ろ向いちゃうのよ」
「恥ずかしいから」
「このヘタレ〜」
「う、うるさい………」
僕達は背中合わせになって、お互いの体温だけを感じ取る。
すぐ後ろに分がいることを意識してしまい、どうしても落ち着かない。
「竜胆、いつまで恥ずかしがってんの?」
「そんな事言われても………無理なものは無理だし」
「お姉ちゃんとはいつも一緒にお風呂入ってるのに?」
「それはそれ。というかいつもじゃない」
「ふーん、『ほとんどない』とは言わないんだ?」
「べ、別にいいでしょ」
クスクス笑う分にペースを乱されて、もはや会話の受け答えをするので精一杯だ。
それでも不思議なもので、普段よりも話が弾んでいる。
「ねぇ分、何で急にこんな事を?」
「こんな事って?」
「惚けないでよ。今まで、一緒にお風呂入ろうなんてしなかったのに」
「どうせ誘ってもアンタ断るでしょ?」
「おい………」
「はいはい、冗談だって。アンタと腹割って話すには、これが一番いいかなって思ったからだよ」
それが何を指すのか、すぐに分かった。
いや、本当は浴室に入ってきた時から、何となく意図は察していた。
そしてその意図は、見事なまでに的を得ている。
「アンタ、恥ずかしがってる時が一番素直になるからね」
「………わざわざ話すことは無いから」
「えぇ?またそういう態度?」
不満そうな声を漏らす分だったが、膝を抱えて僕と背中を合わせた。
「あのさ、竜胆。アタシはアンタが生涯を共にしたい恋人じゃないし、小さい頃から守ってきた妹でもなければ、保護者でも娘でも無い。一番他人なわけだよ。溜め込んだ鬱憤ぶち撒けるには、ちょうどいい相手でしょ?」
「い、いや、別に僕そんな風に思ってるわけじゃ………」
「あぁもう、めんどくさいな!話せって言ってんだから、さっさと話せ〜!」
「ちょッ、痛い痛い!やめてって!」
後ろから手が伸びて、振り返った分に思いっきり頰を引っ張られた。何でこの姉妹は人の頰を引っ張るんだ。
何とか引き剥がすが、変に意固地になってもまた迫られるだけだ。
「はぁ………」
そんな諦めもあってか………いや、それはただの言い訳だ。
無理矢理でも寄り添おうとしてくれる分に安心感を覚え、僕はため息を吐いて俯きながら話す。
「頭の中で、音がするんだ。銃声と人が倒れる音、そしてそれを嗤う声」
「………そう」
「大切な人と一緒にいると、いつも思ってる。今目の前にいる人が死んだら、どうしようって」
「怖いの?人が死ぬことが」
「そうじゃない。僕が怖いのは、大切な人が不幸になること。貶められて、自由を奪われて、傷つけられること。僕はそれが怖い」
父さんがヤク漬けにされて、母さんが殺されて、東風が痛ぶられて、罔象が襲われて、分が殺されかけて。
自分のことを大事にしてくれたのに、僕はその人のことを大事にしてあげられない。傷つくのをただ見てるだけ。
そんなの、最低の裏切り行為だ。
「罔象はそんな僕でも好きだって言ってくれた。でも………」
「まぁ、怖いものは怖いよね」
「………どうすればいいのかな?」
こんなの、聞いたところでどうにかなるとは思えない。
人生なんて理不尽の塊だ。
どんなに善行を積んでも報われるとは限らないし、それどころか不幸のどん底に突き落とされることもある。
家族のことは信じたい。でも、信じるだけじゃ幸せには出来ない。信頼を上回る悪意なんて、いくらでも転がってるから。
僕はその悪意から、家族を守り切れる存在なのだろうか。
また、守れなかったら………
最近はそんな事ばっかり考えてる。
気がつくと、分は僕の話を静かに聞いていた。
振り向くと、まるで自分のことのように難しい顔をして俯いている。
何やってるんだ僕は………こうなるって分かってたから、黙ってたのに。
「ま、まぁこんな事聞いても仕方ないよね。ごめん、忘れて………」
「えいっ!」
「はっ?うわぁッ⁉︎」
話を切り上げようとすると、いきなり後ろから分が抱きついてきた。
それだけでも心臓が飛び出そうになるが、その感触に全身が跳ねる。
本来だったら僕と分を隔てているはずのタオルの感触がしない。
タオルの代わりに背中に当たるのは、弾力に富んだ柔らかな二つの膨らみ。
さらに内に秘めた人肌独特の温もりと、チラッと見えた湯船に浮かぶタオルに、背後の状況が嫌でも頭に浮かんでくる。
「やっぱ、ちゃんと触れ合った方が、繋がってるって感じするね」
「く、分!まさか………!」
「どう?温かいでしょ?」
分の顔が僕の隣にあり、熱い吐息が湯気と共に僕の体温を上げる。
お風呂により湿った柔肌、僕より少し低い背丈、仄かに香るいい匂い、緩やかな身体の起伏。
罔象と同じようで全く違う。それが分と身体を重ねていることを自覚させる。
「お、おい!いくら何でも、これはダメだって!」
「いいの、アタシから無理矢理やってるんだし。警察のお世話にはならないよ」
「いや、そういう問題じゃ………」
「そういう問題。いいから大人しくして」
慌てふためく僕を宥めるように、そっと肩を撫でてくる。
緊張と羞恥で体が動かず、振り向いて分の顔を見ることも出来ない。
そんな様子を後ろから見つつ、分は笑って僕の心音に耳を傾ける。
「アンタ、ドキドキしすぎじゃない?お姉ちゃんとは、いつもこうやってベタベタしてるんじゃないの?」
「そ、それは………いや、それより何でこんな事………」
「………昔ね、お姉ちゃんがこうしてくれたの」
「はぁ?」
言ってる意味がわからない。
尚も戸惑う僕を抱き締めて、分は続ける。
「小学生の時。木偶に友達も、お婆ちゃんも、お父さんも殺されて。アタシ学校に行かずに、家で塞ぎ込んでて」
初めて聞く話。それなのにその行動には覚えがあった。
僕も似たようなものだったから。
家族を奪われて、誰も気持ちを分かってくれなくて、人の感情が渦巻く場所を身体が拒絶するようになった。
当然学校にも行けなくなって。鯨波さんに殺し屋やる条件として出されなかったら、今も引きこもりだったかも。
「そんな時、お姉ちゃんがお風呂に誘ってくれてね。お風呂の中でギュッてしてくれたの」
「罔象らしいな」
「でしょ?お姉ちゃんの方がずっと苦しいはずなのに、『ごめんね、一緒に頑張ろう』って」
顔ははっきり見えないけど、少しだけ笑ってるのが分かる。
こうして触れ合って話していると、恥ずかしさでむず痒い気持ちが渦巻きながら、身体と共に心も温まる。
「まぁ、学校に復帰しても、小学生の大切な時間をすっぽかしちゃったから、素行も成績も悪くなっちゃったんだけどさ」
「それ、あんまり関係無いかと」
「うっさい」
軽口を叩きながら、僕は分を眩しく感じていた。
きっとこれが、本来の僕のあるべき姿だから。
どんなに辛くても立ち直って、人として真っ当な道を進む。そして自分と同じように苦しむ人がいたら、手を差し伸べる。
父さんと母さんは、そういう人達だった。
でも僕は違う。自分を否定されて、人を殺すことでしか自分の正義を示せない。ただの外道だ。
「まぁお姉ちゃんの代わりってほどじゃないかもしれないけどさ、ちょっとは元気になった?」
「ッ⁉︎ま、まさか、そのために?」
「即興で思いついたのがこれしか無くて。どうだった?」
そう聞かれて、僕は目を瞑った。
未だに激しい心音が、耳鳴りのように響いている。
「………あぁ、悪くない。でももういいから、早く離れて」
「もうちょっとこのままじゃダメ?これでも、結構勇気出してやってるんだけどなぁ」
背中に触れる胸の奥からは、僕と同様激しい心音が聞こえてくる。押しつけられた二つの膨らみの先が、固くなって背中に擦れる。
高まる体温も、ただお風呂に入ってるからだけじゃない。
そう思うと不思議と胸が高鳴り、自分の体に回された腕に手が伸びる。
でも、今自分から触れたら、もう戻れなくなる。
そんな気がして、ただ棒立ちになるしかなかった。
「誰にでもこんな事するわけじゃない、というか普段なら絶対にやらないんだけどね。恥ずいし」
「そんなこと無理してやらないでよ」
「アンタならいいの。………大好きだから」
ちゅっ
耳元で囁かれた直後、頰に柔らかく湿った感触が押しつけられる。
それがキスだと分かった時には、分は僕から身体を離していた。
「ッ‼︎お、おい、いい加減に………!」
「フフッ。さてと、アタシはそろそろ出ようかな」
湯船に浮かぶタオルを着直して、分は湯船から出た。
入ってきた時と違い、濡れたタオルが貼り付き、身体のラインがはっきりと分かる。
「それじゃお先に。着替え覗かないでよ」
「覗かないよ!早く出て!」
「はいは〜い」
最後の最後で揶揄うと、分は手をヒラヒラと振って浴室を出た。
「まったく………」
ようやく静かになり、僕は一息ついて天井を見上げた。
相変わらず、分のノリについて行くのは心身共に消耗するなぁ。たった数十分だというのに、何だかえらく疲れた。
これが分なりの元気付ける、かぁ。
「ハッ………馬鹿らしい」
嫌な記憶はこべりついたまま。でも吐き気がするような重苦しい気分は、いつの間にか和らいでいる。
罔象の代わりなんかじゃない。分にしかない、彼女だけの温もりが、今も心の奥まで染み込んでいる。
そんな自分に飽き飽きして、熱くなった顔を手で覆った。
「しっかり、慰められちゃったんだよなぁ………」
分が脱衣所から出たタイミングで僕もお風呂から出て、タオルで適当に髪を拭く。
リビングに戻ると、分がソファーに座って、ドライヤーで髪を乾かしていた。
「あっ、竜胆。はいこれ」
僕の方を振り返ると、分は手に持っていた物を投げ渡してくる。
「おっと。えっ、何?」
「見て分かるでしょ、アタシの櫛。髪とかしてよ」
「何で僕が………」
「アンタがアタシとお風呂入ったことお姉ちゃんに言うよ?」
「はっ⁉︎いや、それはそっちが勝手に………!」
言い返そうとするが、ニヤッと笑う分がスマホを手にしていることに気がついた。画面には罔象の電話番号らしき物が写っている。
正直対処は出来るが、変に揉めるよりもここは素直に聞いておいた方が良さそうだ。面倒だし。
「ほら、早く〜」
「はいはい、分かったよ」
ソファーに座ると、分が僕の脚の間に座った。彼女の髪を持ち上げてドライヤーで乾かして、それから優しく櫛を通す。
「アンタ随分と手慣れてるわね。お姉ちゃんにもこういうことしてあげてるの?」
「罔象じゃない、東風だよ。昔よくやっての」
あれから何年も経ってるけど、意外に体は覚えてるものだ。
「へぇ。それじゃあ、あのおさげはアンタがセットしてたの?」
「昔はね。髪長いのに結ばないと、どうしても動きにくくなるし」
小学生の時に殺し屋としての技術を教えるようになって、どうしても髪を結んでないと邪魔になったらしい。
それで頼まれて、たまにこうして櫛でとかして結んでいたのだ。
「ふーん。でもアンタ、ヘアゴムとかヘアピンとか持ってたの?」
「無いよ。東風も持ってなかったから、その辺に落ちてるヤツ黙って使ってた」
「うわっ、サイテー」
「ちゃんと洗ったし、輪ゴムとクリップでやるよりはマシでしょ?」
ヘアゴムとヘアピンって、落とし物の多さの中でもトップに入ると思う。大抵の落とし物置き場にはあるし。
「ほら、これでどう?」
「おぉ、いい感じじゃん!ありがとう」
髪を乾かし終えると、分は確認して笑った。
しかしすぐに退くかと思いきや、そのまま脚を伸ばして僕に身を委ねる。
「ちょッ、何してるの。もう終わったんだから退いてって………」
「いいじゃん。このままゆっくりしたいの」
「それなら布団敷いてゆっくりしなよ。ほら、離れて」
「嫌」
きっぱりと言うと、身体を僕の方に向けた。
今度は正面から抱きついてきて、僕の胸板に顔を埋める。
「離さないで………」
ようやく気がついた。その声は小さく、震えていることに。
さっきまで僕を揶揄って笑っていた分の頰には、一筋の涙が流れる。
吐息と共に言葉を溢しそうになるが、踏みとどまって無理矢理飲み込んだ。そうしなければ、きっと見せていた笑顔が崩れてしまうから。
「分………?」
「こんなつもり、無かったんだけどさ………何か、色々思い出して、頭の中ぐちゃぐちゃになっちゃって」
「もしかして、分も昔のことを………?」
「時々………いや、しょっちゅう夢に見る。忘れられるわけ、ないよ」
分は僕の方に身体を向けると、胸元に顔を埋める。
一緒に暮らしていたのに、全く気がつけなかった。分のこと。
自分のせいで、大切な家族を失った。その怒りと後悔は一生消えない。何度も何度も蘇って、心を抉ってくる。
分の気持ちが、必ずしも僕と同じかどうかは分からない。
でももし、僕と同じように苦しんでるなら、僕といる時だけ大丈夫なんてわけない。
それをずっと隠してたんだ。
「ご、ごめん。僕、嫌なこと思い出させちゃったか?」
「いいよ、色々やったのはアタシだから。でも、今だけは、こうしてたいな。何されても、誰にも言わないから」
表情を見せまいと、分は顔を上げようとしない。そんな彼女を前に、自然と体が動いていた。
この時間は、僕達二人だけの秘密。それなら………
「………分かった」
「えっ?何、きゃっ⁉︎」
子供のように背中を丸める分を、僕は後ろから抱き締めた。さっき分からしてくれたように、力強く。
罔象の顔が頭に浮かび、心がチクッと痛んだ。それでも離れる事なく抱き締める。
「竜胆………?」
「このままでいよう」
こんなこと、絶対に許されない。そんなこと分かってるのに、身体が動かない。
心の内から溢れ出る想いは、罔象に向けるものと何も変わらないものだ。
見方によれば、分の好意を利用してるのかもしれない。けど、例えそうでも離したくない。
驚いていた分は、僕の手をそっと握る。
「いいの?お姉ちゃんがいるんでしょ」
「えっと………こ、ここには………い、いない、し」
「………バーカ、そんなこと思ってないクセに。ありがとね、ちょー嬉しい」
「こっちこそ、ありがとう」
分は身を委ねて、僕は抱き締めて、感謝の言葉を交わす。
いつしか僕達は目を閉じて、二人で夢の中に旅立った。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
評価、感想等ありましたら、ぜひよろしくお願いします。