「雛罌粟さん、こんばんは」
「あ、竜胆君。いらっしゃい」
夜になって僕は『Cafe Red Poppy』にやって来た。
閉店時間なのに待ってましたとばかりに、カウンターで待ってくれていた雛罌粟さんに挨拶をする。すっかり当たり前となった日常の一コマだ。
ただ今日は休んだから別にお弁当を受け取ったわけではないので、本当なら来る必要はない。
それでも僕は最近、よく来るようになっていた。平日休日関係なくである。
この前の花火大会の時に雛罌粟さんに、理由なんていらないから来て欲しい言われたのだ。
だから僕は最近ではお弁当が無い日でも来るようになった。何となくその日の気分でだけど。
どんな時でも雛罌粟さんは嫌な顔一つせずに僕を出迎えてくれる。彼女から誘ったことではあったが、とても嬉しい。
僕はカウンターの席に座ると軽く息を吐いた。今日は色々あったなぁ、だからこうやって今、今日が終わっているという自覚がない。
「はい、どうぞ」
雛罌粟さんが僕の目の前にコーヒーを置いてくれた。コーヒーの複雑でいい香りが僕の鼻腔をくすぐる。
僕はカップを手に取ると、コーヒーを一口飲んだ。あ、また飲みやすくなってる。どんどん僕の好みに近づいているような感じがした、
雛罌粟さんと出会う前ではそういうのを気にしたことが無かった。
しかしこうやって雛罌粟さんのコーヒーを飲んでいると、不思議と自分にもこういう好みがあるってのが分かった。よく飲むようになったからなのかな。
僕は元々そこまでコーヒーを飲む方じゃない。家じゃもちろんだけど淹れたりしないし、自販機でも買うことはまずない。だから普段はあんまりコーヒーの事を考える事はない。
でも『Cafe Red Poppy』に来る時には、今日はどんなのが飲めるのかいつも考えている。
そして雛罌粟さんが出してくれるコーヒーが、僕の好みに近づいているように感じる。きっと雛罌粟さんが色々と工夫してくれているんだろう。いつも来るのが楽しみになる。
それからしばらくは他愛無い会話をしながらコーヒーを楽しんだ。
この時間では雛罌粟さんは僕の隣に来る事はなく、ずっとカウンターにいる。仕事が終わったらこっちに来ればいいのに。
ただ雛罌粟さんが言うには『この店にいる限りこの距離感は大切にしたい』だそうだ。言いたいことはなんとなく分かるけど。
相変わらず真面目だねぇ。まぁそういうところが雛罌粟さんのいいところなんだけどさ。
そんなわけで今日も僕達は、カウンターを挟んで軽くおしゃべりをしている。
「………というわけで、あれから急いで戻ったんだけど結局お客さんいなかったのよ。なんか微妙な気持ちよね」
「これからタイマーくらいかけた方がいいのでは?」
こういったおしゃべりをしている時間が僕は好きだ。騒がしすぎもせず、静かすぎるわけでもない。結構落ち着く。
ただいつもおしゃべりをしているわけではない。たまに全く話さない日もあったりする。でもそういう日も込みでこの時間が好きだ。
「そういえば、今日会った子………東風ちゃんだっけ?話したい事はちゃんと話せたの?」
「いや、別に元々話したい事なんてありませんよ」
東風の現状はちょっと気にはなっていたが、こうやって普通に会えているところを見るに何の問題も無く暮らせているのはたしかだ。
それならそれ以上僕が聞きたいことなんて無い。
「何というか………せっかく昔の友達に会ったっていうのに、君はドライだねぇ。何かあるでしょ、近況報告みたいなの」
「別に特に気にならないんで」
アイツの近況なんて知ってもなぁ。まぁ話すなら聞くのもやぶさかではないって感じだけども。
アイツもその辺は知っているから、あんまりペラペラ話したりはしないしな。
そしてそもそも僕は東風を友達という関係なのかどうかすら、ちょっと怪しいのでは、と思ってしまう。
「変わってるねぇ。私なら色々と気になるんだけどな」
「そもそも僕と東風は、そんなワイワイするような関係ってわけじゃ無かったので」
たしかに遊んでいた事もあったけど、半分以上は特に意味もなく会っていた。適当にウチでグダって、他愛無い話をしたりして。時には何も話さずに帰るなんて事もあった。
話す内容も自分のことというよりと、周りの事だった。自分の事を話すことなんて珍しかった気がする。
まぁそれも全て東風の事情が理由だった。それを何となく分かってたから僕もその辺は踏み込まなかったし、あんまり質問もしなかった。
普通の人なら『相談に乗ってあげる』くらいの事は言ってあげられるのかもしれないが、僕にそんなコミュニケーション能力は無い。
今はもう大丈夫みたいだけど、だからといって昔のノリがすぐに変わるわけも無い。
だから僕も必要以上に聞くつもりはない。話したければ聞く、僕達にはそれだけで充分だ。
「ふーん、なんか変わってるね」
「そうですか?僕は割と妥当だと思ってたんですが」
下手な事言って面倒な事になるくらいなら、適当に話を聞くだけの方が楽でいい。
別に東風のためというわけではない。単純に面倒事は嫌いというだけだ。東風もそれで問題無さそうだったし。
「それにしてもよかったね。昔のお友達とまた会えて」
「あー、いや、どうでしょうね」
雛罌粟さんの言葉に僕は苦い顔をする。嬉しい、ねぇ。
「ん?嬉しくないの?」
「嬉しいとか嬉しくないとか、それ以前にアイツの転入にそこまで思うところはありませんよ」
そんな昔の知り合いの転入で一喜一憂するような性格はしていない。だから今も特に思うところはない。
昔の知り合いがまた来た、そんなもんだ。
………………………ってのが高校生としての僕の意見だ。
別の方面から見させてもらうと、どうしても気にしてしまうところがある。妙に引っかかるところがあるんだよな。
まぁ確証があるわけじゃないし、東風自身も大丈夫と言っていた。あんまり心配しても仕方ないのかな。
ただなぁ………アイツの性格上、目に見えて面倒事が起こってからじゃ遅いんだよな。それはこれまでで嫌ってほど学習している。
うーん、まぁ東風も昔のままってわけじゃないんだ。多少の問題くらいは一人で対処出来る…………わけないか。その辺は変わって無さそうだし。
すると目の前に雛罌粟さんがカウンターに肘をついて、僕の方を見ていた。至近距離でジッと見つめられて思わずドキッとしてしまう。
「ん?何ですか?」
「いや、何か真剣に考えてるなぁって。東風ちゃんの事?」
「あ………まぁそんなところです」
ヤバい、表情に出てたか。こういう時考える時はいつも一人きりだったからな。あんまり気にしてなかった。
「そんなに心配な子なの?私が見た感じ普通の女の子にしか見えなかったけど?」
アイツが普通、ねぇ。まぁ僕に比べたらずっとマシなヤツだとは思うけどさ。
「たしかに今のアイツは普通の女の子ですよ。昔に比べてすごい変わったと思いましたし」
あれならもう僕といなくても、普通に楽しく暮らせると思う。
「それなら心配することなんて無いんじゃないの?何でそんなに心配そうにしてるの?」
「その『普通』である事が問題だからですよ」
「? どういう事?」
雛罌粟さんは眉をひそめて首を傾げた。あぁ、この説明じゃさすがに分からないか。
「変わった事自体は普通なんですよ。元々そういうヤツではあったので。ただ………」
「ただ?」
「『変わり方』がちょっと、って感じですかね」
あぁいう変わり方はちょっと予想外だった。いや、予想外というのもちょっと違うか。
あんな風に変わるとは思ってなかった。どうもしっくりこない。はっきり言って気持ち悪い。
「変わり方って………もうちょっとフィンキーになってるとか?」
「アイツがそうなったら僕腰抜かしますよ」
大元はしっくりきてるんだよな。ただ何だろうな………パズルのピースの形が変わったというより、柄が変わったといった感じだ。それも細部の。
「ふーん、でも最後に会ったのって小学生の時なんでしょ?それくらいの年頃の子なら、それからどう変わってもおかしくないんじゃないの?」
「それは、そうなんですけどね………」
やっぱり僕の気にしすぎなのかなぁ。あの件に関しては色々と思うところがあったからな。
アレが東風の心境にどういう影響を与えたかが分かってないんだよね。それが僕をここまで気にさせてるのかもしれない。
あれだけを特別扱いしていいわけないのは分かってるんだけどさ、やっぱり気になるって。
あの時は今と違ってあんまり慣れてなかったからな。その辺なんか特に。
「まぁ私があんまり踏み込んでいい事でもないみたいだからこれ以上は聞かないけど。何か不安な事があったら言ってよ。話を聞くくらいなら出来るからさ」
「はぁ、ありがとうございます」
なんだかんだで雛罌粟さんに気を遣わせてしまった。やっぱりこういう事は一人で考えておくべきかな。
まぁどうであれしばらくは様子見、かな。まさかアイツが転校してすぐに問題が起きるとは思えない。
僕はコーヒーを飲み終わると立ち上がり、雛罌粟さんにお金を払う。
「それでは、おやすみなさい」
「おやすみ。今日はちゃんと寝てね」
それは保証できないかな。と口に出す代わりに、僕は軽く頭を下げた。
お店の前に置いてあった自転車に跨ると、僕は夜の街に向かって走っていった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。