※この作品はR-18です。

どことなく壊れていて、どことなく甘い生活   作:MC RAT

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第59話 スケッチブック

 僕は雛罌粟(ひなげし)さんがギュッと握ってきた手に視線を落とした。

 えっと………何の前触れも無く手を握られたんだけど、どうしたらいいんだ?

 さっきからちょっと様子が変だけど、いよいよどうかしたか?

「あの、雛罌粟さん?どうかしましたか?」

 僕は雛罌粟さんの顔を覗き込むようにして尋ねた。雛罌粟さんの柔らかい手の感触についドキドキしてしまう。

「いや、あの………ご、ごめん。嫌、だった?」

「嫌、では無いですけど………どうかしたのかなぁって………」

 むしろちょっと嬉しい。一緒にいる時は多くても触れ合う事なんてほとんど無いからな。

 やっぱり未だに何も無い時に触れ合うのは恥ずかしいし、割とそうでない状況でも満足してるからな。

 よくこういう事言うと童貞がどうのこうの言う人いるけど、そんなの関係無いって。卒業しても恥ずかしいものは恥ずかしい。

 いつものカウンターの距離感だと全く緊張しないんだけど、こうやって近くで隣り合うとどうしてもドキドキするし。

 雛罌粟さんは顔を真っ赤にさせて目を逸らしている。やっぱり雛罌粟さんも恥ずかしいのかな。

 すると雛罌粟さんは僕との距離を縮めてきた。

 雛罌粟さんの熱がしっかりと伝わってくると同時に、お互いの腕が密着する。

 それを感じ取ると僕も顔が熱くなるのを感じた。ここからどうすればいいんだ?

「あの、さ…………ちょっとだけ、このままでも、いい?」

「ま、まぁ………いいです、けど」

 というか雛罌粟さんからやっておいて、何で緊張してるんだよ。

 僕達はしばらくの間、そのまま固まったように動かなかった。僕はせっかくとばかりに雛罌粟さんの手の感触を楽しむ。

 こうしていると雛罌粟さんのちょっとした息遣いまでも意識してしまう。雛罌粟さんがこの状況をどう思っているのかがどうしても気になる。

 僕はチラッと横目で雛罌粟さんを見る。すると雛罌粟さんも僕を見ていたようで、お互いの視線がぶつかる。

 視線なんてこれまで何回も合わせているのに、こういう時には変な緊張感がある。僕達はお互いから目を逸らしてしまった。

 僕はどうしていいか分からなくなり、手を繋いだままコーヒーを飲む。雛罌粟さんもそれに釣られるように、自分のコーヒーを飲んだ。

 しかしそんな逃げも束の間で、コーヒーはすぐに無くなってしまう。さっきから飲んでたからな。

 雛罌粟さんも同様のようで、僕達は空になったコーヒーカップを元に戻す。それからはまた緊張のお時間。

 距離が近いからか雛罌粟さんの心音が、僕の心音と混ざって聞こえてくる。それに感化されたように握る手に少しだけ力が入った。

「あの………何で今日は、一緒に飲もうって言い出したんですか?」

 流れてくる沈黙と緊張に耐えられなくなって、僕はついそんな事を聞いてしまった。

 これ聞くべきじゃなかったんだろうな。でも他に話せる内容が思いつかないし。

「その………………ちょっと、お願いがあって…………」

「…………何ですか?」

 たったこれだけの会話なのに、聞き返すのに勇気が必要だった。心の中でどこかムズムズした感覚が生まれる。

 するとその瞬間、僕は左肩に軽い重みを感じた。

 

 

 雛罌粟さんが、僕の左肩に頭を預けてきたのだ。

 

 

 それにより雛罌粟さんの距離が一気に縮まる。それによって僕の心臓はより高鳴る。

 目があった雛罌粟さんは、顔を赤くしながらも僕に身を預けてくる。

「え⁉︎あ、あの、雛罌粟さん?どうしましたか?」

 僕はつい捲し立てるように聞いてしまった。心と体の距離の違いが、この緊張を生み出しているのは明らかだった。

 

 

「うん。今日は、ね…………君を独占させて欲しいかなぁって」

 

 

 僕はそれが一瞬誰に向けて言われた言葉なのか分からなかった。それくらいに声はか細い。

「ど、独占って…………僕は誰にも共有されてませんよ?」

「そうだろうけど……………うん、やっぱりこの表現が一番しっくりくる」

 そう言って雛罌粟さんは手をニギニギとしてくる。お互いの歳とかを考えたら幼稚かもしれないけど、僕はそれが何となく嬉しかった。

「独占、されてくれる?」

「えっと…………意図は分かりませんが、こういう事でしたら、いいですよ」

 正直雛罌粟さんが何でそんな事を言ったのか分からない。それでも今の僕に雛罌粟さんを拒絶する理由はなかった。

「ありがと」

 雛罌粟さんはそう言うと小さく笑った。どこか弱々しくも見えるその笑顔は、僕に何かを訴えるようだった。

 何で言葉で伝えないんだと思うと同時に、それは伝えるべきでないからだと察する。

 知ったらきっと、僕達の中で何かが変わってしまうとかそんなところじゃないかな。

 それでもやっぱり気にはなる。さっきの雛罌粟さんの様子といい、今日の彼女は何か変だ。

「えっと、僕何かしちゃいましたか?」

「……………ううん、そんな事無いよ。君はいつも通り暖かくて優しくて、こうやって私を受け入れてくれる」

 いや、そんなしんみりして言う事でも無いような気がするんだけど。大丈夫か?

「だからかな、最近よく考えちゃうの…………その優しさが私だけに向けられないかなって」

 私だけって…………どういう事だ?僕はしばらく考えてから一つの結論に辿り着く。

「いや、一応言っておきますけど、僕は雛罌粟さん以外の人とこういう関係にはなってませんよ?」

 そもそもそんな風になる人すらいないんだ。どうやって考えたらそんな事になり得るのか。

「うん、それは前からちゃんと分かってるよ。だからこそだよ。これは私の考え過ぎ。私の悪いところ」

 そう言って雛罌粟さんは僕の腕に抱きついてきた。僕の腕が柔らかい感触に包まれて、思わず襲いたくなる。

「私だけの君でいて欲しい。君の中で唯一特別でいたい。君の心を開けるのが私だけでありたい。最近そんな事ばっかり考えちゃうの」

 そんな事言われてもなぁ。実際その通りだし、僕は何とも言えないんだけど。

 …………………いや、待てよ。もしかして。

「まさかとは思いますけど、東風(こち)の事言ってますか?」

 僕が聞くと雛罌粟さんはピクッと僅かに身体を跳ねさせた。それから俯くと小さく頷く。

「アイツはそんなんじゃないですよ。まぁたしかに色々とあってつるんではいますけど、別に付き合ってるとかそういうのじゃないですって」

 そもそも僕は東風に対してそういう感情は一切ない。

 久しぶりに会って綺麗になったとは思ったけど、だったら何だって話だ。それ以外には何もない。

 まぁその他の人達に比べたら充分特別だけど、それはまた違った方向でだ。決して恋愛対象とかでは無い。

「それは分かってるんだけどさ………………分かってても、やっぱり考えちゃうの。君がもしも、私よりも好きな人ができちゃったらって。そんなの………悲しいよ」

 ここでそんな事あるわけないと、ちゃんと言い切ってあげるべきだっただろうか。

 でも僕はそんな無責任な事は言えない。それは確実に保証出来ないから。

 人の関係は移ろいゆく。どんな形であれ、ずっとそのままの関係なんてあり得ない。それは僕達だってそうだ。

 このまま付き合えるのか、はたまたどこかで別れるのか。それは僕には分からない。

 もしかしたら雛罌粟さんの言う通り、お互いに他に好きな人が出来るかもしれない。もしかしたらお互いの事情で離れ離れになるかもしれない。

 

 もしかしたら、どちらかが死んでしまうかもしれない。

 

「ごめんね、こんなの迷惑だよね。何言ってんだろ私」

 雛罌粟さんは自嘲気味に目を伏せた。最近元気がなかったのはそのためか。

「たしかに迷惑だし、面倒ですよ…………でも、それもあなたの魅力だと、僕は感じています」

「魅力?これが?」

 ゆっくりと顔を上げた雛罌粟さんは、僕のことをジッと見てくる。

 人の別れなんてありきたりで唐突だ。今この瞬間、僕達は会えなくなってもおかしくはない。

 だからいつも会える時間を大切にしたい。どんな短い時間でも、それが彼女といられる最後の時間かもしれないのだから。

 もちろんそんな事でないのがベストだし、僕もそうでありたいと思っている。

 でも思いの力だけで乗り越えられるほど、この世界は生ぬるくない。どんなに願っても叶わない想いはある。

 だから人間は求め続ける。叶わない願いを別の願いで無理矢理塗り替える。

 ずっと一緒にはいたいという叶わない願いを、特別でありたいという願いで塗り替える。それは歪で醜いスケッチブックとなる。

 でも僕はそんなスケッチブックが好きだ。人の醜さと言ってしまえばそれまでだが、それはその人が人間である証拠だから。

「その気持ちが、あなたがあなたである証です。他の誰でもないあなたの一部ですよ」

 そんな大切な人の魅力を迷惑だとは思っても、嫌だなんて思わない。それも含めて僕の大切な人なんだから。

 むしろ僕なんかが雛罌粟さんの願いを塗り替えられてるのが、未だに信じられないし、すごい嬉しい。

 それはこの関係になってからずっと思い続けている事だ。それがこの関係の意味でもあるのだから。

「まぁ不安にさせた事に関してはすみません。僕もそういう風に思われないようにはしますから」

 僕がそう言うと、雛罌粟さんはクスッと笑った。

「本当に?言うだけなら誰でも出来るよ?」

 うっ、それを言われちゃうとなぁ。色々と恥ずかしい事になってくるわけで。

「どうしたら不安じゃなくなりますか?」

 もしかしたらそんな事聞かなくても、僕は知っているのかもしれない。

 鼻の先がぶつかるほどにまで近づいた顔が、何よりの証拠だ。

 

「そうだなぁ………………………いっぱいのキス、とか」

 

 そう言った直後に僕達は唇を重ねた。




 最後まで読んでいただきありがとうございました。
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