僕は何か良い匂いがしたような気がして目を覚ました。
ぼんやりと目を開けると僕は自分がベッドの右に寄って寝ていたことに気がついた。
何でだろう? と思ったが、意識が完全に覚醒していくにつれて段々と思い出してきた。
そうだ、昨日僕は一人で寝たんじゃない。
僕がたまに行っている喫茶店『Cafe Red Poppy』の店長、雛罌粟 罔象さんと一緒に寝たのだ。
昨日あの台風の中僕に耳栓を届けようと僕の家を探してまで来てくれた彼女を泊めることになり、なんやかんやあって一緒に寝たんだった。
なんかベッドで話していた感じがするんだけど……ダメだ、忘れかけている。まぁどうでもいい事だろ。
というかよくその状況で僕は寝られたな。物心ついてから女性と寝るなんて初めてだったんだけど。
やっぱり眠気には勝てないって事なのかな。まぁ寝られなくて寝不足になるよりかはマシか。
と、そこで僕はおかしいことに気がついた。
一緒にいたはずの雛罌粟さんがいないんだけど。少なくとも部屋の中にはいない。
あれ? どこに行ったんだろう?
部屋を見渡していると、僕はそこでふと外の景色が見えた。
外はもう昨日の台風を忘れたように晴れていた。風も穏やかになっている。
となるともしかして帰ったかな? それならちゃんと服回収して行ってくれただろうか。
そんな事を思いつつ、今日はこれからどうしようかを考えていた。
特に今日やるべき事も無いし、もうちょっと寝るってのもアリだな。
それか今からゲームをするのもいい。せっかくの休みなんだ。有意義に使わないと。
そう思っていると僕はまたさっき感じた良い匂いを感じた。
そういえば僕はこの匂いで起きたんだった。
これは……一階からか?
というか匂いに加わってジュウジュウと音が聞こえる。
僕はのっそりとベッドから起き上がると、部屋を出て一階に降りて行った。
するとそこには昨日の夕方同様にエプロン姿の雛罌粟さんがキッチンにいた。
「あ、竜胆くんおはよう」
雛罌粟さんは僕に気がつくと朗らかな笑顔を向けてくれた。
そう言う雛罌粟さんの周りには昨日のように食材が置いてある。
状況から見るに僕よりも早く起きて朝食の準備をしていてくれていたらしい。帰ったんじゃなかったのか。
「お、おはようございます」
僕は適当に頭を下げながら挨拶をした。まさか朝食まで作ってくれているとは思わなくてちょっと戸惑ってしまった。
「もうすぐでできるから準備よろしくね」
僕は言われた通りに朝食の準備をした。
朝食がテーブルに並べられると僕と雛罌粟さんは席についた。
「「いただきます」」
僕達は手を合わせると朝食を食べ始めた。
メニューはトーストにサラダとハムエッグ、それに野菜スープだ。朝は洋風ですか。
「朝食まで作らせてしまってすみません」
「いいのいいの、私が好きでやってるんだし」
そうは言われてもちょっと申し訳ないな。まぁ美味しいしありがたいんだけどね。
「というか作ってくれたのは嬉しいんですけど、こんな時間までここにいていいんですか? お店大丈夫なんですか?」
時刻は八時くらい。ここでのんびりしていてはマズいと思うんだけどな。
「ウチは日曜日は定休日なの。だから大丈夫」
そうだったのか。基本的に外出することが無いから全く知らなかった。
「ねぇ君は今日どうするの?」
トーストを齧りながら雛罌粟さんが聞いてきた。
「まだ決めてないですね。とりあえずいつも通り家でグダグダしてますよ」
「なんとも君らしいね」
そうなのか? 自分だとよく分からないんだけど。
「雛罌粟さんはどうしますか? このまま帰ります?」
色々とお店の事もあるだろうし、いくら休みとはいえ掃除くらいはしておかないとマズいだろ。
ここまで晴れたならもう帰れるだろうし、ここにいてもいい事は無い。
しかし雛罌粟さんは即答はせずに、ちょっと悩んでから俯いて小さい声で言った、
「あのさ、君のお邪魔じゃなければまだいたいんだけど……ダメ、かな?」
そう言う雛罌粟さんの顔は少し暗くなったような気がする。
は? まだいたいって。急にどうしたんだ?
「えっと……それは別に全然構いませんけど、何でですか?」
僕が聞くと雛罌粟さんはハッとしたように顔を上げた。
「あ、あの変な意味は無くてね! その、もうちょっとだけ君といたいかなって……いいかな?」
はぁ、どういう事だろうか? 変なとかそれ以前に意図が分からない。
まぁいいや。それじゃ雛罌粟さんはまだここにいるって事ね。何かやる事あるのか?
「分かりました。いいですよ」
本音を言えば僕ももうちょっと一緒にいてもいいかなとは思ってたからな。
それから僕達は朝食を食べ終わると一緒に片付けをした。
それから昨日録画してたアニメの編集をやって、後ゲームも少し進めるとしよう。
うん、これはいつもと変わらないな。別にそれていいんだけどさ。
というわけで僕はいつも通りの休日を過ごした。
今は部屋に閉じこもってゲームをしていた。とりあえずはここまででいいかな。
そういえば雛罌粟さん何やってるんだろ? たぶん一階にいると思うんだけど。
ヘッドフォンを外し部屋を出て一階に降りてみると、雛罌粟さんはリビングで乾いた雑巾で雑巾掛けをしていた。
何やってんだあの人?
「雛罌粟さん、別にそんな事しなくてもいいですよ?」
僕は思わず声をかけた。まさか掃除をやってくれていたなんて思わなかったし。というかエプロンのままなんかい。
というかウチに雑巾なんてまだ残ってたんだな。ちょっと意外だ。
すると雛罌粟さんはビクッとして驚いた。
「ふぇッ⁉︎竜胆くん⁉︎二階にいたんじゃないの?」
え? 何でそんなに驚いてるの? 僕何か変なことしたか?
「そうなんですけど、雛罌粟さん何やってるのかなって気になったんで」
「あぁそう。えっと……ちょっと掃除させてもらってるよ」
いやそれは見れば分かるんだ。
「そこまで汚れ目立ちますか?」
基本的に僕は掃除というものをしないけど、それでも目につく汚れは落としてる。
「いやそんな事無いよ。ただ何となく何となーくやっておこうかなって思っただけだから。ほら特にやる事も無かったし。でももう大丈夫そうだよね。それじゃ終わろうか」
雛罌粟さんは早口でそう言うと雑巾を片付けに行った。
明らかに焦ってたよな。何か隠してるな?
僕は雛罌粟さんが掃除していた所を見てみた。
たしかに雑巾掛けはしていたようで何かを拭いたようは水の跡は見えるな。それじゃ普通に雑巾掛けしてただけか。
僕はそう思って部屋に戻ろうと………………………あれ? ちょっと待てよ。
何で跡があるんだ?
僕は思わず立ち止まって振り返った。
雛罌粟さんが持ってた雑巾って確かに乾いてたよな? そしてもちろん床も乾いていた。
乾いたものを乾いたもので拭いていたはずなのに何で跡が残るんだ? おかしくないか?
もしかして、何かこぼしたか? でもこぼすようなものなんて近くに無いよな?
まぁ何とかなったみたいだし、そこは追求しないでおくか。
というかやる事無いから掃除してたとか言ってたけど、無いなら何でここに残ったんだ?
なんか……今日の雛罌粟さんちょっと変じゃないかな?
昨日の時点で変わった人だとは思ったけど、それ以上に今日は言動がちょっと不自然だ。
落ち着きがないというか焦ってるというか。昨日とはえらく違うな。何かあったのか?
雑巾を片付けてきた雛罌粟さんはまだオロオロしていた。
「あの、どうかしましたか? ちょっと様子変ですよ?」
「え⁉︎ そうかな? いつも通りだよ?」
とてもそうには見えないんだけどなぁ。
なんか聞いたらマズいのかな? でもこれはちょっと心配になるし。
「それならいいんですけど。何かあるなら言ってくださいね? 多少の問題なら全然受け入れられるんで」
僕はなんとなくそう言って部屋に戻ろうとした。
その時だった。体が急に柔らかくて温かい何かに包まれたのは。
僕は雛罌粟さんに後ろから抱きしめられたのだった。
「え?」
僕は思わず変な声が出てしまった。そして僕は自分の状況を理解するのに少し時間がかかった。
ちょっと待て、どういう状況だ⁉︎よく分からないんだけど!
「雛罌粟さん? ど、どうしたんですか⁉︎」
焦った僕は雛罌粟さんに聞いてみた。何が起きてるんだよ‼︎
「君が『受け入れる』なんて言うからだよ」
耳元で雛罌粟さんの声がした。
その声はこれまでと同じ雛罌粟さんから発せられたとは思えないほどに、とても艶かしくて綺麗な声だった。
抱きついてきた彼女からは適度な温もりと柔らかさ、そしてとても良い匂いが感じられた。
特に背中からはより柔らかく、なおかつ弾力のあるものが二つ当たっており、それを認識した瞬間に顔がとてつもなく熱くなった。
それと同時に彼女を欲しいと強く感じた。これまでに無いほどまでに強く、それが頭の中を満たしていく。
雛罌粟さんは僕の耳に口を近づけるとそっと囁いた。
「受け入れて、ね?」
吐息混じりに言われたその言葉に、僕の体はゾクゾクと震えた。
人に襲われた時に感じるような危機感を孕んだものではなく、体が受け入れようとしている感じだ。
抱きしめられた状態の僕は、そのままソファーに座らされた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。