第86話 年越し
「すみませーん」
今日は大晦日。外もすっかり暗くなってしまった夜空の下、僕はいつものように『Cafe Red Poppy』に入っていった。
これがもう少ししたら初詣とかで賑わってくるんだろうなぁ。帰り道大丈夫だろうか。
さすがに迷惑だと思って、年末年始に訪れるつもりはなかったんだけど、何となく雛罌粟さんのコーヒーが飲みたくなって、夜遅くではあるが来てみたのだ。
迷惑になるかもしれないから、ダメならダメでちゃっちゃと帰るか。
「あ、竜胆君。いらっしゃい!」
僕が店の中に入ると、なんとエプロン姿の雛罌粟さんがカウンターに立っていた。僕に綺麗な笑顔を向けてくる。
いつも通りすぎる光景に、僕は少し驚いてしまった。嘘だろ、三ヶ日はお店やってないはずなのに。
「えっと………入って大丈夫ですか?」
「もちろん。コーヒー飲みに来たんでしょ?」
どうやら僕が来るのも察していたらしい。すごい人だなぁ。
僕は雛罌粟さんに誘われるままに店に入ると、カウンター席に座った。
「今日大晦日ですけど、来て迷惑じゃなかったですかね?」
「全然。むしろ昨日とかも来てくれて良かったんだよ?ちゃんと待ってたんだから」
そうだったの?てっきり年末年始くらいは無しかと思ってた。さすがにお店のこともあるだろうし。
何か僕にとってこれがプライベートの時間なのは間違いないんだけど、どうしてもそこは考えてしまう。
「でもちょうどよかった。出したいものがあるから、ちょっと待ってて」
そう言って雛罌粟さんは厨房の方に視線を向ける。コーヒー以外に何かあるのか?何だろ?
しばらくして何やらいい匂いがしてきた。お、これは………
「はい、どうぞ」
そう言って雛罌粟さんが差し出して来たのは………
「年越し蕎麦、ですか」
目の前にあるお椀にはたっぷりの蕎麦つゆが注がれていて、その中に蕎麦が浸かっていた。軽くネギか散らされていて、出汁のいい匂いが漂ってくる。
「うん、今日食べようと思って作ったんだけど、作りすぎちゃって。竜胆君が来たら食べてもらおうかなって思ってたの」
なるほど、たしかに大晦日の今日にはピッタリな料理だ。思わぬところで雛罌粟の手料理が食べられたな。
それにしても美味しそうだなぁ。この匂いは食欲をそそる。
「蕎麦、食べられる?」
「はい、いただきます」
長期休みに入って、例のごとく食生活が夏休み同様なので、正直食べようと思えばまだ食べられる。
僕は渡された箸を使って一口食べた。蕎麦なんて久しぶりだなぁ。
「⁉︎ 美味しいです」
蕎麦は硬すぎず柔らかすぎずで、ちゃんとコシがある。蕎麦つゆも僕好みの濃さだ。
「そう?よかった。お店だと蕎麦なんて作らないし、他でもあんまり作らないんだよね。上手くできてるか心配だったんだけど」
そうは言ってもほんとに美味しい。蕎麦って家で作るとしやすいって聞いたことがあったけど、全然大丈夫だ。
「それなら、私も貰おうかな」
すると雛罌粟さんも自分の分の蕎麦を持って来て、僕の隣に置いた。カウンターから出てくると、僕の席の隣に座る。
手を合わせると蕎麦を一口食べて頷いた。
「うん、よくできてる」
それから僕達は年越し蕎麦を食べていた。
そもそもそこまで量は無かったが、結構な満足感がある。あっという間に食べ終わってしまった。
「ごちそうさまでした」
「うん。上手くいって良かった」
相変わらず雛罌粟さんは料理が得意なんだな。それをプライベートで食べられる僕はラッキーだ。
「それじゃあコーヒー出すね…………って、蕎麦の後にコーヒーって変?」
「別に僕は全然構いませんよ」
なんだかんだでここに来た目的はコーヒーだし、せっかく貰えるなら貰いたい。
「そう。それじゃあ私の部屋で飲まない?持って行くから、先に行っててよ」
そこからはいつもの僕と雛罌粟さんの時間だ。雛罌粟さんの部屋でゆったりとした二人だけの時間が流れる。
「今年ももう終わるんだねぇ。全く実感が湧かないよ」
「そうですね」
僕はそう答えながら、雛罌粟さんの淹れたコーヒーを飲んだ。
同じソファーに座りながら、僕と雛罌粟さんは話していた。
外を見ればいつもの夜空だ。見た目だけならいつもと何も変わらない夜だろう。
「今年は色々あったねぇ」
「それは毎年の事ですよ」
一年三百六十五日あれば色んなことがあって当たり前だ。起こる頻度が少ないだけ。
「それはそうだけど…………やっぱり私にとって今年は特別、かな」
「そうなんですか?」
僕にとっては割と平凡な一年だったけどな。まぁ強いて言うなら無駄に疲れた年かな。主にこの前の文化祭。
「だって………こんな形だけど君を…す、好きになれて、付き合えた年だもん。幸せだし、特別に決まってるよ」
「あ…………そ、そう、ですか」
雛罌粟さんは少し恥ずかしそうにしながら言った。僕も恥ずかしくなって顔を俯かせる。
「り、竜胆君は………違うの?」
「それはまぁ………そういう意味なら特別、ですかね」
ヤバい、顔がすごい熱く感じる。それに何かちょっと僕達の間の空気が………
でもたしかにそうなんだよな。こうやっていつも会ってるからか、時間の感覚が狂ってるのかも。
この関係が当たり前、とは思っていない。それでも何となく落ち着いてきた感じがあるかな。
それにかけた時間が長いような短いような微妙な感じで、いつこうなったかも曖昧になってくる。
「竜胆君は来年の目標とかあるの?」
「そうですね………平和に暮らせる事、ですかね」
「君らしいなぁ」
どんな世界でも常に平和はない。だからこそ自分の周りだけでも平和であろうとするものだ。
「雛罌粟さんは………割と多そうですね。そういうの」
何か色んなことにチャレンジしそうだよなぁ。でもそういうのも大切な事だ。
「あぁ、やってみたい事とかも含めればね。でも、大きなところで言えば一つかな」
「そうなんですか?」
「うん、まぁ、もしかしたらお願いに近いのかもしれないけど」
それは仕方ないよな。目標とお願いって割とごっちゃになりそうな時あるもん。
でもその目標って何なんだろう?分かりやすく商売繁盛とか?
「いいんじゃないですか?自分がやりたければ何でも」
結局出来ればいいんだし、その辺に囚われる必要はないでしょ。
「うん、ありがとう。それなら…………」
するといきなり雛罌粟さんは口ごもってしまった。
「? どうかしましたか?」
「え⁉︎な、何でもないよ‼︎そ、それよりさ!ほら、コーヒー冷めちゃうよ!」
何故か雛罌粟さんは焦っていたが、そうこうしながらも僕達はゆったりとしたコーヒータイムを過ごした。
「そういえば竜胆君って、この後時間ある?」
会話も弾まなくなり静かになっていた時、雛罌粟さんが問いかけてきた。
「はい?ま、まぁ、特にこれといった用事はありませんが」
大晦日のゲームイベントは、ここに来るまでに終わらせて来た。新年のイベントは少し遅く帰ってからでも間に合うだろ。
「それならさ………一緒に新年を迎える、っていいかな?」
「え?」
一緒にって………雛罌粟さんと新年を?
僕はふと自分の腕時計を見た。時間は八時ちょい前。まだまだ年越しまでは時間がある。
でも帰ってやる事はといえばゲームを進めるか、実況者の年越し生放送を見るくらい。
先週まで見ていたアニメは終わってしまったし、家でなければ出来ない事はない。
強いていえばPCゲームくらいだけど、イベントはあらかた済ませてある。欲しかったアイテムも手に入ってるしな。
「別に、構いませんよ」
「うん!ありがとう!」
「けど何するんですか?四時間くらいありますよ?」
さすがにずっとこのままってわけにはいかない。まぁ一緒にいるだけでも満足といえば満足なんだが。これはさすがに気まずくなる。
「えっと…………どうしよう?」
「そうですね…………あ、そうだ」
僕はバッグの中からスマホを取り出して、某動画サイトを開く。えっと、そろそろだと思うんだけどな。
「お、やっぱり。僕の好きなゲーム実況者グループの年越し生放送があるんですよ。観ますか?」
「ん?生放送?」
僕はスマホをイジって画面を拡大すると、雛罌粟さんにも見えるようにしてテーブルに置いた。
そのタイミングでちょうど生放送が始まった。僕にとっては某歌番組よりも楽しみにしてたものだ。
雛罌粟さんは最初は不思議そうに観ていたが、時間が経つにつれて放送にのめり込んでいた。
この放送ってゲーム実況者のだけど、実況以外にも色んな企画があるからな。雛罌粟さんでも楽しめると思う。
今のところ僕の一番好きな実況者という事もあって、僕も放送にのめり込んでいた。
そういえばこうやって生放送一緒に観るの、昔に東風と観て以来だな。アイツ、ホラー系苦手だったっけなぁ。
僕と雛罌粟さんは放送の内容に関して話したりしながら、年末までの時間を過ごしていた。
年が変わる瞬間も放送の中で教えてくれたので、二人でカウントダウンなんかもした。
実況者グループのメンバーが新年の挨拶を済ませて、生放送は終わりを迎える。
「うわぁ!面白かった!」
「ですよね!僕も観れてよかったです」
まさか雛罌粟さんと一緒に観る事になるとは思わなかったけどな。でも気に入ってもらえて何よりだ。
「こういうの初めて観たけど、すごい面白…………あ」
すると雛罌粟さんは急に顔を赤くして俯いてしまった。ん?何だ?
「あの………距離が………」
「へ?………あ………」
雛罌粟さんに言われて、僕も顔が赤くなるのを感じた。
放送の内容がハラハラドキドキしたものだったからだろうか。僕達は当たり前のように手を繋いで、抱き合うように身を寄せ合っていた。顔も鼻先が触れ合いそうなほど近づいている。
「す、すみません‼︎」
僕は慌てて雛罌粟さんから離れた。何失礼な事やっちゃってるんだよ‼︎
「え………あ、いや、別にいいのに………」
すると雛罌粟さんは少し沈んだ表情になったが、すぐに切り替えた。
「あ、そうだ。時間の経たないうちに言わないと」
雛罌粟さんは僕の方を向くと、小さくお辞儀をした。
「あけましておめでとうございます」
「お、おめでとうございます」
僕も釣られたように頭を下げて新年の挨拶をする。個人的に新年の挨拶なんて何年振りにやっただろうか。
年が明けた、つまりもう時間は〇時を過ぎている。これ以上ここにいるのは雛罌粟さんにも迷惑だ。
「それじゃあ僕はそろそろ寝ないと帰りますね」
僕はスマホをバッグに入れて立ち上がった。まだ触れ合っててドキドキしてるの隠さないと。
「あ!ちょっと待って!」
僕が部屋を出て行こうとすると、雛罌粟さんに呼び止められた。
「何ですか?」
「もうちょっとだけ時間ある?………ちょっと相談があるんだけど………」
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ちょうど年越しの時間に年越しのお話を投稿させてもらいました。感想、評価等ぜひよろしくお願いします。