Purgaturium/英雄 cupiditas 作:トラロック
何故だかアルトリアという少女が付きまとってくるのでは、と危惧したからだ。
妙に馴れ馴れしいところが気になって不安を覚えた為だ。
部屋に到着すると安心感に包まれる。他の【ファミリア】に狙われる理由に心当たりはない。――あるとしても自分の【ファミリア】か【アルテミス・ファミリア】くらいだ。
不安のせいか普段以上に周りが気になり、肌と耳の感覚が鋭くなったような気がした。
獣人特有の能力をもってしても追撃者の存在は無く、一般市民の往来程度しか感知できない。
(……気にしすぎか。妙にしつこいのは苦手だ。いくら外見的に幼くとも)
近所の子供とていずれ自分の家に帰る。相手がもし浮浪者なら炊き出しの場所や孤児院に連れていくだけだ。最後まで面倒を見る事はいくら子供好きのアタランテでもしない。
子供好きといっても眺めるだけで誰彼構わず話しかける気は無い。ただ彼らが元気に走り回っている姿を眺めるだけで心の癒しとなる。
欲しいわけではない。時々
この日は外に出ず、丸々一日寝て過ごした。――本当に寝たままで居る事は出来ないので、時々起きて柔軟体操や瞑想に耽った。
半ば自堕落な生活を続けている為か、割りと体力が落ちたような気がした。片足が無いから走り込みが出来ない。黙っていても腹が減る。
自然とふくよかな体形になりそうな予感がして不安になる。姿鏡で確認する限り、目立った変化が無いように思われる。
(……体力をつける事は変わらない。健康にも気を付けて風呂にも入らなければ……。身嗜みは必須。耳と尻尾の毛並みはいつも通り)
後の問題は食事。片手ではどうしても料理が出来ない。
解決する方法は簡単だ。協力者を募ればいい。
短期間だけでも同棲してくれて料理が得意な者。――心当たりは全く無い。
ここに【キュベレー・ファミリア】は含まれない。彼らと離れる事を選んだのだから本末転倒もいいところだ。
恐る恐るといった
杖を突く移動は身体全体を一気に動かす為に意外と重労働だ。例え気持ち的な問題だとしても身体が重いと思ってしまうと何もしたくなくなる。それを解消するには毎日の日課にして心と身体の両方を鍛えるしかない。
疲れたら肉を食べる。野菜も果物も。そうして三日が過ぎ、その間アルトリアの追跡は無かった。おそらくただの被害妄想だったのだろうと自分を納得させておく。
(……全く私は何をしているんだか。……鍛錬の役には立っている気がするけれど……)
いつものように中央広場へ散歩に出かけ、備え付けの長椅子に座る。
行き交う者の多くがダンジョンに向かう冒険者だ。
剣と槍と大きに荷物を背負う者。極東風のいでたちも中には居た。
モンスターを倒す者も居れば素材採集や一八階層に居る仲間達の下に向かう者。目的は様々だが怖気づく者は殆ど見当たらない。
広大な地下世界には凶悪なモンスターが無限のごとく湧いて出る。それらを駆逐し、稼ぎにするのが彼らの主な目的だ。
ただ、大半が中層までしか行かない。
理由は単純に実力が伴わないからだ。
下層から深層域に行けるのは大手【ファミリア】かレベル5以上の冒険者に限られる。アタランテでさえ中層より下はまだ数度程度しか挑戦できていなかった。
団長アルテミス・タウロポロスはレベルこそ
(……戦闘から離れると彼らが羨ましく見えてしまう。かといって私の状態では足手まとい……。……これが嫉妬というものか。それとも羨望? 何しても脱落した私は彼らを見送り、出迎える事しかできない)
戦えなくなる時は年老いた時くらいだと思ってた。それがこんなに早く戦線離脱する事になるとは思いもよらなかった。
それと少なくない悔しさが自分にはあるようで、素直に喜べない事に驚く。
もし、怪我をしなければ、と思うのは不毛だ。
自分ではない者がここに座り、同じ感傷に浸っていたらアタランテはどう見るのか。
負け犬と思うのか、救いの手を差し伸べるのか。
――もちろん後者だ。戦士は常に戦い続け、敗者に情けは必要ない。
「……よい……しょ……」
可愛らしい掛け声と共に椅子にズシリと荷物が乗り、近くに居るアタランテに振動が伝わって現実に意識が戻ってきた。
急な事で思わず呻いてしまった。
振動が起きた方ら顔を向けると見知った顔があった。
軽戦士用の武具をまとう桃色の髪の冒険者。【シン・ファミリア】の団員アストルフォだった。
今日は大きな背負い袋を持ってきたようだ。アタランテの記憶では彼はサポーターではなかったはずだ。
「……サポーターに転向したのか?」
「んっ? ああ、アタランテ……。なんか久しぶり」
いつもの事のように愛想笑いを浮かべるアストルフォ。
聞けば特訓の一環で背負う事になったらしい。『
ダンジョンに潜る前から既に汗だくに見えた。少し前なら気にしなかったが汗臭いまま戦うのは意外と苦痛ではないのか、と。
獣人ではなく
(汗臭いわりに顔立ちは綺麗だな。……歳は確か私より下だったか?)
性別が男性というのは分かっている。それ以外は興味が無かったので知らない事が多い。『二つ名』とか。
仲間の一人が親戚のブラダマンテという女性冒険者。――他に思い出せる項目が出てこない。
【シン・ファミリア】の団長はローランという男性冒険者。それ以外の情報は知らない。
「今日は鍛錬だけ。ボクの【ステイタス】は『敏捷』以外の伸びが悪くて」
「……私は他所の【ファミリア】だぞ。あまりベラベラと言うものではないと思うが」
「隠さなければならないような自慢できるスキルも魔法も無いよ。……いや、あったかな? アタランテは知らない仲じゃないし」
敵対【ファミリア】ではないが懇意にしている程でもない。
団長ではないから問題視していない、ともいえる。
(……気さくさは相変わらずか。……ダンジョンで最初に会った時もそうだったような)
多くのモンスターに取り囲まれた彼を助けたり、助けられたり――
何度か鉢合わせする機会に恵まれたことは確かだ。アタランテも男性だからと言って毛嫌いはしない。彼は気さくだが引き際を心得ている。
ここで彼の二つ名がどんなものか思い出してきた。確か――
【
その名の謂れが分からず、どのような意味合いなのか。
彼の言い分では恐れ知らずじゃないかな、と。どういう根拠があるのか、本人も分からないようだったので聞き流してしまった。
尋ねた事に全く躊躇しない為に知らず知らずアタランテも――日常的なものだが――彼の会話に付き合ってしまった。
だが、すぐに思いとどまり、深呼吸して意識を保つ。彼のペースにはまるとこちら側も知らず知らずのうちに全部喋ってしまいそうになる。
(……素直過ぎる。……こういう男だったか? ……全く……。なら、その素直さがどこまで発揮されるのか確認すべきではないだろうか)
普段であれば他人の事など全く興味を覚えないアタランテも今は事情が違った。
使えるものは何でも利用しようという卑屈さを持っている。それこそ先日の娼館への訪問が事実を物語っている。
まず彼に料理が出来るのか尋ねてみた。すると出来るよ、と即答に違い速度で返事が返ってきた。
「……見た目は私と歳が変わらないように見えるのだが……」
「子供っぽいって言われるけれど……。まだ二十歳前だよ、ボク」
「酒は飲んだことがあるのか?」
オラリオには多種多様な人種が居る為に年齢制限のある事柄が少ない。
子供だと思っても単にそう見えるだけの
下手をすれば八歳児が酒を飲んでしまう可能性がある。そして、それを取り締まる法律に覚えがない。
親として子供に大きくなってから飲まないと死ぬかもしれない、と教えるのが精々だ。
「多少はあるよ。エールとかワインとか」
「……もし、良ければ料理を作ってくれないか。隻腕になってから食堂通いだ。たまに食料を買うものの片手ではまともな料理が作れない」
「ああ……、その腕じゃあ難しいよね。ボクも危うくそうなるところだったっけ。よくくっついたよ、ボクの腕……」
【ランクアップ】の為に切り落とした腕の傷口を擦るアストルフォ。接合に成功したものの縫合痕が今も残っていて、たまにそれを見て自分の愚かさを反芻する。
いくら考え無しと言われても完全に都合の悪い事を記憶から消すわけではない。彼にだって後悔している事の一つや二つ心にしまってある。
もし、苦境に立つことがあれば過去の所業を思い出して前に進む為の糧にする。
「ボクでよければ。……でも、大したものは作れないと思う。簡単に食べられてお腹が満たされる程度だけど……」
「それで充分だ。……後、栄養面も考えられていると助かるな」
「もちろん、ただ美味しいだけじゃないよ。栄養に予算、ブラダマンテの為に最近では美容関係の食材選びもやっているんだ」
「……それは都合がいい。家で腐っていると体臭が気になるからな」
素直に答えてくる彼に今後の予定を尋ねてみた。今日はこのままダンジョンに向かう筈だから無理に止めることは出来ない。
必要な食材や日程、待ち合わせの場所などを何の気兼ねも無く尋ねていく。それと念のために【ファミリア】に内緒に出来ることがあるのかも聞いてみた。
答えは秘密にするような事が無いので分からない、だった。それを聞いて当たり前かとアタランテは納得する。
(急に友人が出来たと言うのもおかしいな。……泊まれないなら朝から夜までにしてもらうしかない。過保護な【ファミリア】なら許されないところだ)
それと嘘を言っても無駄だ。主神シンがすぐに見抜いてしまう。
姑息な方法を考えるのが得意ではないアタランテも直線的な言い方しかできない。こんな時、オリオンならばどういう言い訳を用意するのか――
(……素直な相手には素直に返す。……結局のところ考えても無駄だ)
「友人に夜通し料理の手ほどきをする、というのはどうだ? こちらの礼はせいぜい風呂と寝る場くらいしか用意できない」
一人暮らしだが三人までは寝かせられる筈だ。
足跡の料理だけでは味気ないし、時間のかかる料理もあると彼は呟いた。
それと友人が
友人というか冒険者仲間だと思うけれど。
(異性だから言い訳を考えてしまうのか? ……彼は
思い切って素直に数日料理を教えに来るという想定で頼むとアタランテは告げた。それに対してアストルフォは何の悩みも無いような顔で分かったと答えた。
深読みした自分がこの時、物凄く惨めな気分になった。彼にとってアタランテは冒険者仲間の一人にすぎないのだと気づく。――それはそれでいいのか、と疑問に思った。
この日は一旦解散し、後日朝方同じ場所で落ち合う事を約束した。
アストルフォがダンジョン攻略を休み、数日間の暇を貰ったのは四日後になってから。その間、必要な材料などを朝方に会うたびに聞いて用意した。
主神の許可も問題なく貰えたようで彼はとても嬉しそうな顔で待ち合わせ場所に来ていた。
彼が来るまでの間に『
今日のアストルフォの服装は普段着だった。武具をまとっている姿しか見たことがなかったので最初見た時は驚いた。とても冒険者には見えない。どこでも居そうな一般人の男の子の印象を受けた。
対するアタランテは金属製の武具を身につけないので
念のために外套を用意し、備考に対する対処をしてもらう。これにアストルフォは驚いたようだがアタランテの頼みという事で素直に応じた。――彼女からすれば少し頭を使ってくれてもいいのに、と思わないでもなかった。
いくつかの曲がり角を曲がってからダイダロス通りに入り、自宅に案内する。
「他の【ファミリア】に襲われたくないのでな」
「ここで一人暮らししてるんだー」
片足で歩く都合でアタランテだけは身を隠す事に意味が無く、姿を隠すのは気分の問題でしかない。
集合住宅の一角がアタランテの部屋だが中身はだいぶ改造している、と告げて案内した。扉を潜れば外套は必要ない事も。
表は小汚い壁面が目立つが中は新品に近い様相を醸し出していた。貧乏長屋だから結構臭いのではないかとアストルフォでさえ危惧していたが実際は掃除が行き届き、気になるほどの匂いが無かったのが意外だと思えた。
部屋履きに代えて室内に入ると一人暮らしにしては充実した中身に改めて驚く。
「わぁ、台所がある。風呂場があるのは聞いていたけれど……、ここって結構高級住宅じゃないの?」
「借りた後で改造した。ここの土地と建物はギルドの管理下にあるが、他の建物の多くは不法滞在者に占拠されている。度々【ガネーシャ・ファミリア】が見回りに来ること以外は平和なものだ」
アタランテは正規の手続きを踏んでいるので摘発される事は無い。それだけでも
部屋の説明を簡単に済ませて設置してある食材貯蔵庫の中身を見せる。
個人の冷凍庫は高価だが維持費は安い。
「一番の格安を見たらこれだった。一人暮らしには充分だが長期滞在には向かない代物だそうだ」
「そうだねー。二日分の食料を入れたら満杯になるんじゃないかな」
台所に併設されている冷凍庫の大きさは高さが一
現在ここに野菜と肉が詰め込まれている。飲み物は長期保存が利くものだけ買い、床下の――断熱材を敷き詰めた――貯蔵庫に並べていた。
下水道がちゃんと完備されているので飲み水を得る事に支障はない。
女性のお宅訪問というのに平然とあちこち見回るアストルフォと男性を招き入れた事に躊躇しないアタランテ。
男女を意識する者が居れば決して平静で居られる状況ではない。
片腕だけで掃除を適度にしているので部屋の中は綺麗だった。とても片腕とは思えないほどの清潔感に彼は軽く嘆息する。自分の
(風呂とトイレもきちんと掃除されてる。……貧民街だと聞いていたけれど、アタランテの努力の賜物だね。ボクも見習わないと……)
(……他人を入れるのは初めてだな。……二人だけなのにえらく狭く感じる。一人の時は広いと思えたのに……)
台所に案内し、一通りの道具などを見せる。
使い古した刃物は研ぎの専門家に任せるそうだが新参者であるアタランテはまだ利用したことが無い。
煮物や焼き物は魔石製品によって加熱処理できる。
「皮むきなどは大雑把にやるしかなく、今は最初から加工を頼むようになった」
「……大変そうだねー。それってお金に余裕があるから平気なんだよね?」
「そうなるな。だからこそ、将来に不安を覚える。……今はこの不便な身体で出来ることを模索している」
(……潤沢な資金がある人と無い人が居るからね。ボク達は恵まれている。……それを忘れてはいけない)
一つ頷いたアストルフォは洗面所に向かい、手と顔を洗って自分に活を入れる。
単に料理を作るだけじゃなく、冒険が出来なくなった人の気持ちも考えなければならない。
一般人であれば
そうして気が付けば互いに料理を始めて意気投合する。
「調味料も一通り揃っているとは……、至れり尽くせりでありがたい事です」
「いつか使おうと思って購入したものだ」
(……いずれ招く雄の為に用意したものだ。後で買おうとした時、品切れになっては困るし)
物品の説明を終えた後で実際に彼に料理を作ってもらう事になった。
自炊経験があると言っていたので様子を窺うと真面目な顔で手際よく処理していく。普段の子供っぽさが無く、今だけは料理人に見えた。
男性だからと言って大雑把な内容ではなく、繊細な味付けをアタランテに懇切丁寧に説明してきた。
食べ合わせなど。煮込み過ぎないように。焼き過ぎないように。塩加減がどの程度なのか。
(煮込み料理なのは分かった。香草を沈めて……)
(これはダンジョンの中で造る簡単なシチューだけど……。甘いものが苦手な人向け、だったかな)
鍋料理の合間に穀物の用意も整える。
様々な国から輸入されたり、農業系【ファミリア】の収穫物が並ぶオラリオでは大抵ものが手に入る。
オラリオ独自の料理は何か、と聞かれて答えられるものはおそらく『ジャガ丸くん』くらいだ。
芋を油で揚げただけの簡単な料理だがかけるソースによって好みががらりと変わる。安価で栄養もあるところから多くの冒険者に愛される料理だ。
(……彼女は右腕が無いんだった。貯蓄が無かったら完全に炊き出し頼りじゃないか。……ボクも一歩間違えればこうなっていたかも)
反省の意味も込めてアタランテの好みの具材を多めに入れ、冷めても食べられるように工夫もした。
最初の一品をテーブルの上に並べて実際に食べてもらうとアタランテは真面目な顔からすぐに笑みを浮かべた。その顔を見られただけでアストルフォの心が落ち着く。
次に肉類を焼くのだが下味を付けるために事前にタレに浸け込んでおき、その間にシチューを食べる。パンがあれば付けて食べるところだが、購入していなかったので諦める。
「店以外の手作り料理を食べたのは久しぶりだ。やはり独特の美味しさがあるな」
「ボクは日常的だから分からないけれど……。喜んでくれて嬉しいよ」
粗雑なものより手間をかけた方が上手い。
それには隻腕でも作れるようにならなければならない。もちろん、作る事を諦めるのも選択の一つだ。無理に頑張って食材を無駄にするより素直に店で食べる方が経済的な場合もある。
「……念のために聞くが。どのくらいの休みを貰ってきた?」
「三日くらいかな。今回は友達の家に泊まってくるって言ってあるから、そのくらいなら大丈夫だよ。女の子の家だと怒られるから夜は宿に泊まらないといけなくなるかも」
(宿を使えば私の家と往復してもいい事になるって事か。……眷族の雄だと色々と面倒くさそうだな)
夜中になってから動くより朝方の今時分なら込み合わずに宿を取れるのではないかと進言し、彼に外套を渡した。
隠すのは姿だけで彼は程なく舞い戻ってきた。
ダイダロス通りにほど近い格安宿で三日分払ってきたよ、と楽しそうに――
「……その宿がまっとうな店か確認したのか?」
「大丈夫だよ。ボクは一人でもちゃんと宿暮らしが出来るんだから」
始終にこやかに喋るアストルフォに一抹の不安を抱く。
彼の性格を正確に把握しているわけでもないので深く問い
彼が出掛けている間に肉の仕込みが終わり、豪快に焼き始める。その時、室内に発生する煙りを外に出す為の換気装置を作動させる。
これは一般住宅であればどこの家庭にもあるものだが貧民街は違法建築が横行しているので換気が不十分のところもある。
石造りの外壁を持つ建物が多いから安全だ、とは言えない。災害が発生した時、多くの住民が逃げ惑い、それによって二次被害に陥りやすくなる。この辺りの通路は複雑な迷路状になっているので避難時は大混乱に陥りやすい。
(……それにしても手際がいいな、この雄は……)
鼻歌交じりでフライパンを軽々と操ったり、野菜を丁寧に斬ったり、味付けの確認もしっかりとする。
煮込み料理の時に出る
見掛けの明るさで頭が悪そうに見えてしまうが意外な一面にアタランテはただただ驚いた。
「好き嫌いはあるのか?」
「んー? そんなに無いと思うよ。……あー、
試しに肉の臭みを消す臭いのきついものを美味しくいただく方法を尋ねてみた。
平たく潰してこんがり焼く、と即答してきた。ただし、匂い自体を消すことは出来ないから我慢して食べること。
食べ終わったら歯を磨くか
淀みなく言うものだから思わず聞き入ってしまった。つい将来は料理人にでもなるつもりか、と思わず口走った。
「それもいいかもね。いつまでもダンジョンに潜れるとは限らないし」
「……急な事態に私は対処できなかった。汝はおそらくまだ運がいいんだろう」
「そう……なのかな。あんまり実感が無いけれど」
知識だけじゃなくて技術力もある。
飲食店を任せればそれなりに稼げるかもしれない。――さすがに彼一人で切り盛りできるとは彼女も思わないけれど。
料理を作っている彼の顔は実に生き生きとしていた。
「料理の腕ならボクより上の子を知っているよ。年下の筈なんだけれど、料理に物凄くこだわりがあって、しかも冒険者として活躍までしている」
「……汝が言うほどか。そいつは雄か?」
そうそう、と明るく頷かれた。
気持ちのいいほど彼はよどみなく答えるのでアタランテの表情も幾分か柔らかくなる。気持ち的にも淀みが薄らぐような――
しかしそれも自身の欠損した手足を見ると冷めてしまう。それがとても悲しく気持ちにさせる。
「そうだよ。歳はまだ一二、三だったかな。【ゼウス・ファミリア】の……何て言ったっけ……。見た目がドワーフっぽくて……」
(……【ゼウス・ファミリア】か……。急成長している【ファミリア】というのは知っているが……、団員が全く浮かばない)
少人数の【ファミアリ】の繋がりならばアタランテにも覚えがあるが大手との繋がりはほぼ無いと言ってもいいくらい。
冒険者にとって他の【ファミリア】の情報を得ておくことは基本だと言われているが、アタランテはキュベレーからそのような事を聞いた覚えが無かった。
常に頭の中は狩りとモンスター討伐の事ばかりだった。
「ああ、そうだ。ザルド君。【
「……全く心当たりが無いな」
【ゼウス・ファミリア】所属で
前衛の
(……いかつい顔立ちの少年か……。童顔のアストルフォとは真逆ということか)
「暇さえあれば料理を作っていてね。稼ぎの殆どは調理器具や調味料に費やしている程だって」
「……そういう情報が
「自分から、じゃないかな。彼の手料理は結構評判だから」
楽しそうに喋りながらも肉料理が完成する。それらをいつもの調子でテーブルに並べていく。
先ほどのシチューよりも豪勢に見えた。ただ一塊の肉を焼いただけなのに。
改めて彼を見ながら内心で驚きの連続を味わっていた。
料理の腕はもはや疑いようが無い。手慣れた仕草を見ているだけで惚れ惚れとする。結局のところアタランテに手伝えたのは換気をよくすることくらい。
完成した料理の匂いにしばし悦に入る。真っ当な食事が部屋に並んだのは久方ぶり。
以前は
健全な料理は気持ちを高揚させる。それがよく分かった。
(……こういう時はワインが定番か……。
日用品は見栄えではなく使いやすさで選んでいる。それゆえか、女性の部屋にしては質素な佇まいとなっていた。
元々野生児と言われていた彼女に女性らしさは無く、血生臭い狩りの日々が日常であった。粗野な部分は本人も自覚している。
そんな彼女もここしばらく身嗜みに気を遣い始めた。だが、調度品にまでは気が回っていない。
「……それにしても調理の殆どを汝に任せきりだな。私は何もできない」
「両手を使う仕事だからねー。片手だけじゃあ……、さすがにボクもどう言えばいいのか分からないや」
予め他人に加工を委託すればアタランテでも煮込み料理くらいは出来る筈、とアストルフォは考えた。出来ない事を思い悩むより出来ることを増やした方がいい。
それには協力者を増やす。時間があれば協力してもいいと彼は告げた。
(……でも、頼ってばかりの生活も辛いよね。特に一人暮らしは……)
(早い話しが婚姻を結べと……。今の私にはそれがいいのかもしれない。ただ、何もできない妻というのは雄の立場からしてどうなんだ? 掃除は何とか出来る。……料理だけ駄目なのか?)
全く何もできないよりはマシか、と。
妻が料理できなくともアストルフォのように出来る雄を見つければいい。その理屈だと幾分か気が休まった。
食器棚からコップを取り出す。普及しているのは木製とガラス製だが落としても壊れにくい、または壊れてもいい安価な木製を購入していた。
(……雄を招き入れる想定をすべきだったな。思ったより動き難い)
食卓の用意が整い、空のコップを見てアストルフォが首を傾げる。その間にアタランテはナイフとフォークを用意した。
極東出身者であれば箸で食べるそうだが、彼らは基本的にナイフとフォーク、それとスプーンで食べるのが主流であった。
材質は木製と金属製。どちらもあるが今日は彼の為に金属製を出した。
「もう少し手の込んだ料理も作れなくは無いけれど……。これ以上は満腹になりそうだ」
「……そうだな。後は晩まで何も食べなくていいくらいだ」
事前に購入した食材で簡単なものを頼んでみたが意外と腹持ちの良い料理が出来た。それを自分一人で作れればいいのだが――現実はとても厳しいようだとアタランテはため息をつく。
調理の為だけに助っ人を呼ぶのも憚られる。そこも今後の課題だ。
そんなことを思いながら秘蔵の酒を取りに行く。――丁度いい実験材料が来ているのだから試さないわけにはいかない。
今のアタランテは雄を狩る
あくまで実験対象であって本命ではない。それに生きて帰さないという物騒な考えはない。
神が飲めるからと言って下界の者も平気という理屈にはならないが女神ペニアの言で言えば飲めむ事は一応できるらしい。一般の酒と同じく飲みすぎなければ、だと思われるが。
念のために栓を外して匂いを確認すると強烈な刺激臭の様なものを感じた。獣人の鼻だから忌避感があるのか、試しに彼にも確認を取ってみた。
「……わー、これワインだよね。……んー、なんか凄いいい香りだけど悪酔いしそう……」
あまり匂いの強い飲み物は苦手な彼女にとって、共に飲むのは抵抗があった。酒自体は嗜む程度であれば飲める。けれども、これは強すぎる部類だ。
「あー、離れると匂いしないね。これ、風味がとても強いワインなんだよ。しかもすぐに霧散する」
「……購入してからそれほど経っていないから飲めるとは思うが……。私には強すぎるな。特に匂いが……」
アストルフォはアタランテが獣人である事に今更のように気付いて納得した。
左手で少しずつコップにワインを注ぎ、すぐに
相対するアタランテは酒の代わりに水を入れた。果実水を買うのを忘れた為だ。
「仮に酔ったとしても寝床を用意してやるから安心しろ。では、頂こうか」
「うん。頂きます」
肉料理は食べ慣れているとはいえ誰かと一緒に食べると一味違う気がする。彼に事前に切れ込みを入れてもらったお陰か、片腕でも難なく食べ易かった。
しばらく会話をせずに食事をしていると皿にナイフとフォークが当たる音がだけが部屋に響いた。その次は咀嚼音だが、それほど気になる大きさではなかった。
(……味が染みて美味いな。ただ焼いたものより一手間かけるべきだな。それにナイフの通りがいい)
調理した者の力量も関わるのか、概ね満足した。
作った当人は文句ひとつ言わずにしっかりと肉を食べているのだが、とても食べ方が綺麗だった。背筋も伸びていて前かがみでガツガツと粗雑な食べ方をしない。
育ちの差かな、と。
「……んんっ!?」
アストルフォが問題のワインを一口口に含んだ途端に大きな声を出したので驚いた。
それから舌の上で転がすように味を確かめたり、何度か唸ったりする。
急に声を出した彼に思わず驚いてしまったが目に見えて気候に走る事もなく、すぐに静かになった。
(舌に痺れるこの感じは強烈、と思ったけれどすぐに馴染んだ。……ああ、鼻に抜けていく風味が心地いい。これ、相当高いワインじゃないかな。……でも良かった。一気飲みしなくて。……うふふ、これ初めて飲むけど美味しい)
ワインを飲んで笑い出した彼を少し不気味に感じつつも観察を続ける。
一分も経たずに頬が赤く染まり、顔がにやけて来た。すぐに残りを一息に飲み干すような事もなく、じっくりと味を楽しんでいるようにしか見えない。
劇物であればどうしよう、と内心で激しく驚いてしまったけれど、問題が無さそうで安心した。
「んふふ、んふっ……。ふふっ……」
最初の分を飲み終えた後、不気味な含み笑いのまま食事を続ける。どうにも様子がおかしい事にすぐ気づいたが行動自体に目立ったものは無い。
そのうち半眼になり、コップを揺らす。御代わりを
黙って
(……酔うのが早すぎないか? まだ五分も経っていないぞ。それほど強い酒だったか?)
強い酒ならば余計に御代わりは危険だ。特に健康面でも。
逆上するとは思えないが一杯だけだぞ、と言うと素直に分かった、と答えた。
念のために肉を綺麗に食べろ、と言うと皿に顔を向けて残りの肉を食べ始める。
明らかに相手の言いなりになっている。酩酊状態だから思考力が低下しているのか、命令として従おうと身体が反応しているのか。
とにかく、気分がいい内に色々と試しておく。
食事を済ませた後、アストルフォにもう一杯だけワインをふるまう。ただし、先ほどより二割増し程度だ。
強い酒は大量に飲むと身体を壊しやすい。それに倣ってやむを得ず、だ。それに悪酔いする人間がどういう行動に出るのかアタランテはよく理解している。だから、酒は程々が良い。
「水で薄めた方がいいか。……薄めていい酒なのか?」
「ワインは薄めないよ~。それは極東の酒だと思う」
頭を軽く揺らしながら彼は言う。
元々酒を飲んだと言っても試しで口にした程度。それにそれほど詳しくもない。
オリオンや主神キュベレーはよく飲んでいたがアタランテ自身は飲みたいとは思わなかった。
「アハっ。これは癖になりそうだからあまり飲んじゃいけないワインだ……。これ以上はボクでも危ないと思うな……。でも、美味しい。こんなに……こう、高揚するのは初めて~」
「身体の事を考えて、これ以上は飲まない方がいいな。癖になったら身の破滅だ。後で風呂に入れ」
「うん。これ以上飲まない。お風呂にも入る……。……あー、なんか暑くなってきた」
(……見た目ではとても少ない量なのに効果が絶大とは……。余ったら神ペニアに渡そう。これはここに残してもいい事は無い)
部屋にある窓を全てカーテンで閉め切り、昼前だが魔石灯で明るくする。その後、風呂の用意を整えて布団の様子を見る。その間、アストルフォはワインをじっくりと味わっていた。
彼が大人しい内に食器類を洗う。これは片腕でも出来るように練習したので問題ない。
事前に用意したタオルの上に乗せて水気を取る。問題があるとすれば絞り切れない事だ。
これはすぐに諦めて自然乾燥に任せている。
(少量のワインでは物足りないか。他にも色々と用意してあげるべきだったな)
昼寝程度は覚悟していたがワインの効果が想定以上に強くて驚いた。
他の飲み物と言えば歓楽街で購入した精力剤があった。こちらは酒ではないから悪酔いしない筈だ。今後の為に飲んでもらおうと丁度飲み終えた彼の前に――新しいコップに注いで――置いた。
「元気になる飲み物だそうだ。……気分的なものだと思うけれど」
「へー。では、頂きます」
朝から大量の食事を摂ると後々お腹が苦しくなるから、この程度でお開きにすると宣言する。すると彼は素直に了承した。
すっかり顔が赤く、熱い吐息ばかりついている。それとしきりに暑いな、と言っていたが額から汗が流れ始めた。アタランテの体感的に室内は平温。
あえて言えば調理台付近が暑かったくらいだ。