【シャニマス】中年プロデューサーの華麗なる暗躍 作:黒胡椒サラミ
「よぉ、忠治のオッサン」
283プロの事務所の一角には、ソファやテーブル、テレビが置かれた休憩スペースのような場所がある。そこは時にはアイドルのたまり場になっていて、彼女たちが談笑したり、菓子か何かを食べていたりする。時には、ソファの裏に事務員のはづきが寝ていたりもする。そこを通りかかった陰平に気さくな声を掛けてきたのは樹里であった。
この事務所で、陰平の事を曲がりなりにもファーストネームで呼ぶのは、社長の天井と樹里しかいない。
高校の制服姿の樹里は、ソファの上であぐらをかいて、シャーペンを口に咥えている。
「オッサン、何してんだ?」
「ん? ああ、いや……」
「何言いよどんでんだよ、気持ち悪い」
気持ち悪いという言葉は人生で言われ慣れた陰平だが、樹里のそれには毒が全く無い。どうも調子が狂うと、陰平は思った。
「給湯室に用があったんだ」
「飲みもんでも飲みに来たのか?」
「いや……?」
「はぁ?」
「う~ん……」
やはり陰平は言いよどむ。が、隠す事でも無いと、結局はここに来た目的を樹里に教えた。
「恋鐘が、冷蔵庫にプリンがあるから、食えって言うんでな」
「プリン?」
「ああ」
「オッサン、プリンって顔かよ」
「そうだよなぁ……」
陰平もそれには完全同意する。
「樹里のも――ていうか事務所の全員分あるみたいだから、食うか?」
「おっ、マジか!」
樹里は身を乗り出すと、シャーペンを咥えるのを止めた。陰平が給湯室の冷蔵庫から、恋鐘が言っていたプリンというのを二つ取り出し、スプーンを添えて樹里のもとに持ってくる。プリンの容器になっているのは何かの瓶を再利用したもので、そのプリンが明らかに市販品ではないと分かる。
「これ、恋鐘の手作りか」
「らしい」
「ラッキー。恋鐘の料理はマジで美味いからなぁ」
「そうだな」
陰平はそれにも完全同意する。蓋代わりのラップを外して、二人は恋鐘手製のプリンをスプーンですくった。
「美味いなぁ」
「ああ、美味いな」
「恋鐘もああ見えてマメだよな。アイツのために、ほとんど毎日差し入れ作ってさ。アタシたちもおこぼれに与れるからいいけどよ」
「う~ん……」
「だから何だよオッサン、アンタみてーなおっきいオッサンがうんうん唸ってたら気持ちわりぃって」
「うん? ……う~む」
――冷蔵庫にプリンが入っとるけん、食べてくれんね。
陰平は、恋鐘が彼にそう言った時の顔を思い出していた。
――プロデューサー、いっつも適当にご飯済ませとるやろー? ご飯はちゃんと食べんといかんよ? お肉ばっかじゃなーて、野菜も食べんば。
まるで母親が、不摂生な息子を心配しながら叱るような表情。陰平はただ頷くしかなかった。自分は嫌がる恋鐘を無理やり手籠めにし、それを順調に調教しているはずなのに、やはりどうも調子が狂う。
めぐるたちにしてもそうだ。自分を手酷く扱う中年男に、彼女たちは愛をささやく。どうしてこんな不細工な男にそんな真似ができるのだろうと、彼はふとしたときに不思議に――不安に思うのだ。
「…………」
「また考え込んでるし……」
「はは、そうだな」
やはりメスというものは、チンポでマンコを耕し調教してやれば従順になるのだ。彼はそう結論付け、心の中で卑しく笑った。だから自分は、彼女たちをプロデュースしやすくするため、強引に強制的に彼女たちを支配するのだ。
「…………」
だが、それはそれとして、このプリンは本当に美味いな。陰平はそう思った。
「今日は恋鐘は?」
「ああ、幽谷さんの病院に行ってる。新曲の作詞に」
「げっ、じゃあ霧子も今日は外か。古典教えてもらおーと思ったのに」
頭に手を当てる樹里の前のテーブルには、ノートや教科書が開かれている。どうやら宿題のようだ。樹里は不良っぽい見た目だが、根が真面目である。高校二年生同士という事で、彼女は霧子の知恵をあてにしていたのだろう。
「寮で杜野さんあたりに教えてもらったらいいじゃないか」
「高一に勉強教わるほど、アタシも落ちぶれてねーし。……いや、でも確かにいいアイディアだな。凛世、古典詳しそうだもんな。――なあオッサン、座って食えば?」
「ん?」
真面目に検討し始めた樹里の前で、陰平は立ってプリンを食べていた。確かにそうだ。しかし、じゃあどこに座るかと思ったところで、樹里が自分の横のクッションをどかした。
「ほら」
樹里は自分の隣に座れと言っている。陰平は眉をひそめた。大してよく知りもしない中年男相手に、この距離感の近さはアイドルとして問題だ。それでなくとも、あぐらをかく短いスカートの中身がちらちらと見えそうなのに。
前に伊庭が樹里について語っていた事が有る。それによると、樹里は伊庭に対しては、なかなか素直ではない発言が目立つようだ。しかし、陰平の前ではそれが無い。つまり、ほんのりと意識しているイケメンの前では、照れ臭くてついつい思わぬことを言ってしまうという事だろうか。逆にこの不細工な中年男に対しては、意識する必要も無いと。
――これはやはり、どこかで思い知らせてやらなければならない。そんな事を考えつつ、陰平はお誘いに甘えて樹里の隣に座った。
至近距離に座ると、樹里という17歳の少女の身体から立ち上ってくる匂いが、陰平の嗅覚を刺激する。恋鐘の身体が甘い桃のような香りだとしたら、樹里のそれは、どこか清涼感のある、レモンのような柑橘類を思わせる。しかも、まだ熟しきっていない部分が残る――それはそれでたまらなく魅力的だ。アイドルとしても、メスとしても。
ぐぐっ、と、陰平のズボンの前が持ち上がりそうになる。
「なあオッサン」
陰平が何を考えているのかも知らず、スプーンでプリンをすくいながら、樹里はやはり無警戒に話しかけてくる。
「恋鐘と霧子が詩を作ってる新曲って、オッサンが用意した奴なんだろ? オッサンは一緒に居なくていーのかよ」
「ああ、それか……まあ、ちょっとな」
「ちょっとなって何だよ。なんか、いつもより変だな、アンタ」
今日の陰平はどのアイドルの付き添いをするでもなく、事務所で書類仕事をしている。アイドルをプロデュースするというのは当然現場仕事だけで済む話ではないから、それに違和感はない。ただ、陰平が恋鐘と霧子のために用意したデュオ曲の作詞については、ちょっと陰平の予想外の事があった。
――プロデューサーは、完成まで見んで。
恋鐘がそう言って、作詞に関する陰平の手伝いを拒否してきたのだ。詩に関しては二人の好きにしていいと言ってあったから、陰平が口出しするつもりは元からあまり無かったのだが、その時の恋鐘の口調があまりにも断固としたものだったので、彼は気圧されてしまった。と言って、彼女は伊庭の協力も拒んだようだから、どうしてあれほど恋鐘が頑なになったのか、彼にはよく分からなかった。
「なあオッサン、この問題分かるか?」
「は?」
いつの間にか、樹里はソファからカーペットに降りて、ソファに背中を預ける感じで座っている。彼女は古文の問題集を開いて、首を反らして陰平に助言を求めてきた。位置関係に高低差ができたので、樹里の第二ボタンまで開けたワイシャツから、鎖骨と控えめな谷間が見える。
それはそれとして、樹里が見せてきた問題は、古文の和歌に関するものだ。どうやら恋の歌らしい。その意味を答えよとか何とかいう問いが書いてある。陰平はしばし首をひねってから答えた。
「いや、俺には分からんなぁ」
「やっぱりか? アタシも」
恋鐘手製のプリンを食べ終わった二人は、それからちょっとの間、ちょうど事務所にやってきた凛世がすらすらと解答を教えてくれるまで、並んで問題に首をひねり続けた。
―――――――――――
(やっぱり、俺はプロデューサーに向いてないのかな……)
陰平と樹里が古文の問題に首をひねっていた頃、伊庭は街をウロウロと歩いていた。別にサボっているのではなく、むしろ逆だ。彼は今、社長の天井が命じた新ユニット結成のため、そのメンバーとなるべき新しい輝きの原石を捜し歩いていた。
自分は陰平と比べて、アイドルのプロデュースに劣る部分が多い。ただ、人だかりに紛れているアイドルを見つけ出す事にかけては少し自信がある。陰平が伊庭について評価していたようなことを、伊庭自身も思っていた。だから彼はいつにも増して気合を入れ、あちこちの街を歩き回って、有望な女性を探し求めていたのだ。
しかし、全国にあまたいるアイドルの頂点に立てそうな人材が、その辺りを都合よくほいほい歩いているはずもない。ここ最近、彼は暇があれば、たとえプライベートな時間でもこうやって街歩きをしていたのだが、それらは全て空振りに終わっていた。
ひょっとしたら、今まで彼がスカウトしてきたアイドルたちとの出会いも、自分の実力ではなく単なる偶然だったのだろうか。弱気になった伊庭は、その考えを振り切れないでいた。
(陰平さんのおかげで持ち直したけど、アンティーカがなかなか上手く行かなかったのも、俺のせいだし……)
それでアイドルたちに哀しい思いをさせてしまったのはもちろん、社長と陰平にも失望されてしまった。それが、伊庭の心をより一層重苦しくさせる。
そうやってトボトボと肩を落としていても、伊庭はやはり美男子であった。むしろ表情に落ちた影が、その男前っぷりを引き立てているきらいすらある。すれ違う女性の何割かは、ハッとしたように彼を振り向いていた。伊庭がそんな女性たちに声をかければ、きっと彼女たちは、283プロにも街角のホテルにも喜んでついてきたに違いない。
だがそういった女性たちは、もともと伊庭の視界には映っていなかった。人を外面でしか見れないような者は、たとえ美しくとも、決してトップアイドルにはなれはしないからだ。
(俺に足りないものって、何なんだろう……)
それは何なのだろうか。自問自答しているが、伊庭には薄々、その答えが分かりつつあった。それは多分、伊庭に無く、陰平が持っているものだ。陰平は、時に伊庭が戦慄し、萎縮してしまうほどの執着を、アイドルに対して向けている。単なる仕事への情熱以上の、愛情とか思い入れという言葉では片づけられないような凄まじい感情。あれが、自分に足りないものだ。
「あの……」
では、どうしたらそれが手に入るのかというと、それは伊庭には分からない。出口の無い迷路を、彼は歩いているようなものだった。
「――あの、すみません」
「……え?」
そこでようやく、伊庭は自分が声を掛けられている事に気が付いた。
顔を上げた彼の前に、ロングスカートを履いた、お下げ髪の柔らかい雰囲気の女性が立っている。
「……お、俺ですか?」
「はい。突然声をかけたりして、すみません。袖のボタンが落ちそうで、気になってしまって……」
「えっ? ……あ、本当だ」
ここのところ、身なりに気を遣う心の余裕もなかったと言える。アイドルのプロデューサーがこんな事じゃ駄目だなと、伊庭は苦笑した。
「すみません……ありがとうございます。恥ずかしいところを見られちゃって……」
「ふふ、いいえ~」
はははと力なく笑いながら、伊庭はこの女性の笑顔に、普通には無い何かを感じ取っていた。
「あの……よかったら、私に直させてもらえませんか? 裁縫道具を持ってるんです」
とても綺麗な女性だ。そして、彼女は伊庭の外面に反応して、彼に近寄るためにそんな事を言っているのでもなさそうだ。誰かのボタンが取れかかっていたら、彼女はきっと、それが老人でも子供でも、男でも女でも関係なく手伝いを申し出ただろう。そう直感した。
二、三の言葉のやり取りがあって、伊庭は女性の申し出を受けた。
彼女はとても慣れた手つきで、パパパっと伊庭のボタンを付け直した。その手指も、とても綺麗な形をしている。再び縫い留められたボタンは、仕立て上がりの時よりも一層とスーツの袖に馴染んでいた。
「ありがとうございます。何とお礼を言っていいか――」
「いいえ、お役に立てて良かったです。それじゃあ、私はこれで……」
伊庭が礼を言うと、女性は謙遜し、その場を立ち去ろうとする。
「あ、ちょっと――」
考える前に、伊庭は女性を引き留めていた。
「突然すみませんが……アイドルになってみませんか?」
この女性は間違いなく、光るものを持っている。他のアイドルをスカウトした時にも働いた直観が、彼を突き動かしていた。
「え、でも……私、雑貨屋に勤めているんです。今の仕事が好きですし……そういうのは、ちょっと」
当然ながら、伊庭の急な申し出に女性は困惑し、断ろうとする。しかし伊庭は、まずはレッスンだけでもと食い下がり、女性に事務所の連絡先を伝えた。少し考えさせてほしいと言っていたが、最後には彼女も、ちょっとだけ乗り気になっていたようだった。
彼女ならば、社長が構想する新ユニットのメンバーとして相応しい――いや、センターだって務められる。女性と別れた後、伊庭はさっきまで自分が落ちこんでいた事も忘れて、通行人が驚くのにも構わず声に出して言った。
「うん、あの人ならきっとトップアイドルになれるぞ……! きっと、社長と陰平さんも気に入ってくれるはずだ!」
女性は都内の雑貨店で働いているという。彼女は自分のことを、桑山千雪と名乗った。
――――――――――――
霧子の家庭環境は少し特殊で、彼女は色々な都合上、高校二年生であるにもかかわらず、都内の大学病院の寮に住んでいた。一人暮らしである。
普段からボランティアや献血を行い、「人を癒す」という事に強い関心を持っている彼女にとって、病院での暮らしはこれ以上なく肌に合うようだ。病院の花壇には、霧子が水をやり育てた花々も咲いている。入院している老人から子供まで、この病院には日常に癒しを与えてくれる霧子のことを慕っている者は少なくなかった。
「サルビアさん……お水、美味しいですか?」
その霧子は今、じょうろを片手に、花に話しかけながら水を撒いていた。その横には恋鐘もいる。
「た~んと飲むばい! も~っと飲むばい! ――え? 何ね霧子」
「あ、あんまりあげすぎたら……お花さんが枯れちゃうから……!」
霧子が恋鐘の暴走を抑止しつつ、彼女たちは休憩がてらの水撒きを終えた。ベンチに座り、キラキラとした水玉をたたえる花々を眺めながら、新曲の詩の話を再開する。
「だいぶ……、形になってきたね」
「霧子のおかげばい~。難しい言葉もいーっぱい知っとって……ほんなこつ霧子はすごかね~」
恋鐘は霧子に身体を寄せて、よしよしと頭を撫でる。年配の看護師がそれを微笑ましそうに眺めながら通り過ぎ、霧子はあせあせとしながら言った。
「こ、恋鐘ちゃん……み、みんなに見られちゃってるから――、ね?」
「別にい~ばい! うちの霧子が優秀なとこ、皆に見てもらえば。――い~こ、い~こ! ふふ~、霧子はいい子やね~」
「あうう……」
霧子はその白い顔を真っ赤にして照れた。アンティーカの中でも、恋鐘と霧子はどこか姉妹を思わせる間柄だった。おっちょこちょいな所もあるが自信満々で頑張り屋な恋鐘と、優しいが、ちょっと自己表現が苦手なところがある霧子は、対照的ながらもとても仲が良かった。
しかし、恋鐘のアイドルとしての活動が暗礁に乗り上げた事で、恋鐘は段々と元気がなくなり、追い詰められた表情をすることが多くなっていた。恋鐘と仲が良く、感受性と共感性の強い霧子だからこそ、それは我が事のように苦しく辛かった。特に伊庭のプロデュースを離れると聞いた時、絶望した抜け殻のようになっていた恋鐘の表情を、霧子は今も忘れる事ができない。
だが、新しいプロデューサーである陰平の下で、恋鐘は大きなライブを成功させた。霧子はそのライブを見る事ができなかったが、それを聞いた時、彼女は涙を流して喜んだのだ。
「作詞って思ったより楽しかね~!」
今も恋鐘は、霧子が知る元通りの彼女として、お日様のような元気を振りまいている。
だからこそ、陰平という人間が、霧子にはよく分からなかった。
霧子はあまり、誰かを「悪いもの」として捉えた事がない。だが、イルミネーションスターズの担当であった陰平が、伊庭から恋鐘のプロデュースを引き継いだと耳にした時、改めて陰平という人間を遠くから観察してみて、霧子は彼を「悪いもの」だと思ったのだ。
陰平は普段、愛想の良い笑いを浮かべていたが、その目の奥には、明らかに恋鐘に対する邪な感情が隠れていたから。
「…………」
「霧子? どーしたん?」
だから、あのラジオ局で彼が恋鐘を怒鳴りつけていた時には、やっぱりと思ったのだ。やっぱり彼は恋鐘を伊庭や自分たちから無理やり引き離して、酷い扱いをしているのだと。デュオ曲の話が持ち上がった時も、恋鐘と再び働けることは嬉しかったが、そこに何か良くない予感も感じた。陰平が、恋鐘に対する何かを企んでいるような気がして。
しかし、こうやって恋鐘と作詞を行っていて、霧子はさらに分からなくなっていた。
恋鐘は今回の詩のテーマを、「癒し」にしたいと提案した。恋鐘には今、よしよしと優しく包み込んで、癒してあげたい人が居るからと。実際に詩を作っているのは大部分が霧子だが、中身のメッセージの大部分は恋鐘のものだ。霧子は恋鐘の「伝えたい想い」を聞いて、それをカタチにしようとしているに過ぎない。
そして、恋鐘が語る想いというのは、霧子が圧倒されてしまうほどに、慈愛に満ち溢れていた。
その愛に当てられて、思わず霧子が赤面し、ドキドキと鼓動を早くしてしまうほどに。
恋鐘のこれほどの想いが向けられている先は、一体どこなのだろう。霧子は夜、一人の部屋でそれを考えた。プロデューサーの伊庭だろうかとまずは思った。恋鐘が伊庭に恋をしている事は、恋鐘本人に尋ねなくとも、霧子も承知していたから。
でも、恋鐘が語るメッセージは、恋とかそういうものともまた違う。自身は身を切るような恋というものを体験した事が無い霧子は、そう判断した。今の恋鐘の想いに恋の甘酸っぱさなどは無く、ただただ、相手の良い所も悪い所も全てを受け入れようとする――「愛」としか表現しようのないものが溢れていた。
恋鐘がそれを自覚しているとは限らない。人とは違う共感性を持つ霧子だからこそ、恋鐘のメッセージの奥底に沈むそれを読み取れたのかもしれない。
そして、そのメッセージを受け取って書いた詩は、書いた霧子自身が驚いてしまうほど良いものになりつつあった。これならきっと、聞いた人全てに魂の安らぎを与えられる。そう思ってしまう位に。
だから、霧子には陰平という人間がよく分からないのだ。
霧子は恋鐘の言葉を聞くだけでなく、ときおり恋鐘の目を覗き込んで、そこに映る世界を共有しようとする。そして、歌について語っている時の恋鐘の目には、確かに陰平が映っていたのだ。
「…………」
「霧子どーしたん? どっか苦しいん?」
「な、なんでもないよ恋鐘ちゃん……」
霧子が胸を押さえると、恋鐘がその顔を覗き込み、心配そうに声を掛けてくる。
恋鐘の愛に当てられた霧子の胸は、トクトクと、密かに鼓動を早くしていた。