【シャニマス】中年プロデューサーの華麗なる暗躍 作:黒胡椒サラミ
恋鐘、樹里、凛世、咲耶(原作で住んでいる千雪は未スカウト)
現地民ではないので長崎弁は変換サイト等を利用させていただいております。明らかにおかしいという点があれば指摘していただけると助かります。
「どうしてうちが、あがん人にプロデュースされんといかんの?」
陰平には一瞬意味が分からなかったが、「あがん人」……「あんな人」ということか。あんな人とはご挨拶だが、恋鐘がそうやって怒るのも無理はなかった。
今日の彼女は、事務所に来るなりプロデューサーに会議室に呼び出された。何の話だろうと思ってそこに行ったら、中には暗い表情をした自分のプロデューサーと、もう一人中年の男がいた。
その中年男性の顔は、恋鐘も知っていた。陰平という名の、このプロダクションのもう一人のプロデューサーで、イルミネーションスターズを担当している。しかし、恋鐘が知っていたのはそれだけであり、ほとんど接点のないそのプロデューサーについて、恋鐘は特に考えた事も無かった。
「どうして、プロデューサー、どうして?」
九州の方言独特のイントネーションで、恋鐘はプロデューサーに詰め寄った。紛らわしいが、彼女にとっての「プロデューサー」は一人しかいない。恋鐘の前で苦し気な表情をしているのは、若い伊庭であった。
「恋鐘……」
「うちがダメダメなアイドルだから、もううちの面倒を見たくなくなったと?」
伊庭はうっと言葉を詰まらせた。恋鐘は怒っているというより、悲しんでいるのかもしれなかった。デビュー以来、ずっと信じて一緒にやってきたプロデューサーに見放されたと思って、彼女は絶望しているのだ。
「プロデューサーは、うちの事が嫌いになったと? うちに、うちにアイドルの才能が無いけん」
伊庭の胸元で、まるで彼を壁際に追い詰めるようにしながら、恋鐘は言った。彼女の声は震えている。同じ部屋に陰平が居なかったら、恋鐘は伊庭の胸にすがり付いて、お願いだから捨てないでくれと泣き喚いたかもしれない。
売れないという事は、プロダクションにとってもそうだが、アイドル自身にとってはより一層悲惨な事だ。
恋鐘は283プロのオーディションに受かってデビューして以来、伊庭のプロデュースのもと、精一杯に努力してきた。ダンスにもボイストレーニングにも人一倍熱心に取り組んで、必死に自分を磨いてきた。しかし、彼女の知名度は思ったように上がらなかった。アンティーカというユニット単位で見ても、他のメンバーに人気が集まって、どうも彼女の努力は空回りしている。そのことを、恋鐘自身も痛いほどに自覚していた。
恋鐘はアイドルになるという夢を抱いて、単身はるばる長崎から東京に出てきた少女である。283プロに拾われる前は、様々なプロダクションのオーディションを受けて全敗したとも聞いている。だからこそ、自分をアイドルにしてくれたプロデューサーにすら見捨てられそうになって、恋鐘はいつになく取り乱しているのだ。
売れないという事は悲惨な事だ。それ以上に、アイドルが輝けないのは、もっと悲惨な事だ。無表情に伊庭と恋鐘のやり取りを眺める陰平は、そう思った。
「違う、違うよ、恋鐘。俺は――」
伊庭は何とか言い訳を絞り出そうとしているが、具体的な言葉は出て来ない。恋鐘が納得できる説明を求めて彼を見つめているのに、それと目を合わせる事も出来ていない。
「うちはプロデューサーの言う通りに頑張ってきたとよ? なのに、どうして? うちにダメなとこがあるなら、一生懸命直すけん――」
恋鐘の目の端に涙が溜まり、あと少しでそれが落ちるかに見えた。ここで割り込むべきかと陰平が思った時、伊庭が恋鐘の両肩を掴んだ。
「恋鐘、聞いてくれ……!」
「プロデューサー……?」
陰平は浮かしかけた腰を、再びパイプ椅子に落とした。伊庭がこの場をどうさばくのか、見てやろうという気持ちだった。
「君は才能のあるアイドルだ。ダメなのは、俺のほうなんだ」
「え……?」
「結果が出ないのは、俺のせいだ。恋鐘たちが必死に努力してるのに、結果に結びつかないのは、プロデューサーである俺の能力が足りないからなんだ。俺はずっと、君たちに申し訳ないと思ってた」
「プロデューサー……」
「俺じゃダメなんだ。俺じゃあ、君たちを輝かせることはできない」
「どうして、そんなこと言うの……?」
恋鐘の瞳が曇る。
恋鐘が欲しかったのは、そんな言葉ではあるまい。自分の足りなさを自覚するのはいいが、だから自分ではできないなどとは言ってほしくなかったはずだ。お互いに足りないけれど一緒に頑張ろうとか、そう言うほうがまだ良かった。しかし伊庭は、今は自分の事しか見えなくなっていた。
「陰平さんは、俺よりもずっと優秀だから、きっと恋鐘を輝かせてくれる」
伊庭が陰平をどう評価しようと、恋鐘は陰平のことを「あんな人」だと思っているのだ。そんな言い方では、伊庭に捨てられたという恋鐘の印象は覆せまい。
「恋鐘、俺を信じてくれ」
しかし、イケメンは得であった。
自分でアイドルをしたほうが売れるんじゃないかという好青年に、じっと目を見つめられてそう言われると、大抵の娘は無条件で信じたくなる。プロデュースの腕前はまだ未熟だが、伊庭が逸材をスカウトしてくるのに長けているのはそういう理由だ。
19歳の娘にあれだけ顔を近づけて、しかも両肩をがっしりと掴むことができるのは、イケメンだからこその距離感である。自分がやったら通報されるだろうと、己の顔の不味さを弁えている陰平は思った。
「…………うん」
どうにか瞳の輝きを取り戻した恋鐘は、最終的に頷いた。まあ、彼女が拒否したところで、283プロは企業である。プロデューサーの一時変更は社長の許可も得たことであり、彼女の好き嫌いでどうにかなる話ではなかった。
それに、これはあくまで一時的な話だと、伊庭は念を押すように繰り返した。
「じゃあ、陰平さん、お願いします」
そう言うと、恋鐘の横をすり抜けるように、伊庭は会議室を出て行った。居たたまれなくなったのだろうが、これも対応としては下手である。伊庭は今、恋鐘の横に並んで、一緒に陰平のプロデュース方針を聞くべきだったのだ。恋鐘の本当のプロデューサーはあくまで自分であるという姿勢を見せ、恋鐘と二人三脚で、年上のプロデューサーから教えを請おうという態度を示すべきだったのだ。
だが、伊庭にその手のアドバイスするのは後からでいい。陰平にとっては、伊庭は最高の振る舞いをしてくれた。
伊庭がどう思っていようと、恋鐘は伊庭によって、恋鐘が「あんな人」と思っている男と二人きりの部屋に取り残されたのだ。恋鐘は陰平を見ようともせず、まるで助けを求めるように、伊庭が出て行った扉のほうを見つめている。しかし、伊庭は律儀にきっちりと扉を閉めて去った。閉じられた狭い会議室に、恋鐘は自分がよく知らない中年男と二人だけになった。
「伊庭君は――」
パイプ椅子に座る陰平が口を開くと、恋鐘の背中がびくりと震えた。まるで不審者扱いだ。
「伊庭君は、最近とても悩んでいてね」
伊庭の名前を冒頭に持ってきたのは、そのほうが恋鐘が耳を傾けやすかろうと思ったからだ。声色もできるだけ穏やかに、恋鐘を怯えさせないように注意を払う。
「自分が君たちの力になれていないと、苦しんでいた。この前も、それで相談を受けたんだ」
「…………」
「俺がプロデュースすれば、君たちがもっと輝けるんじゃないかと、伊庭君は思い込んでいた」
恋鐘が拳をぎゅっと握り締めたのが見えた。そんな事は無いと、彼女は抗議したいのだろう。
「俺は反論したよ。そんな事は無い。君たちを一番よく知っているのは伊庭君だ。きっと伊庭君なら、君たちをもっと高い所に連れて行ってくれるはずだ」
「…………じゃあ」
どうしてと、恋鐘が小声でつぶやいたのが聞こえた。どうしてプロデューサーの一時変更などを受け入れたのかと。
「これは、伊庭君には言わないで欲しい。伊庭君以外にも、誰にも言わないでくれ」
秘密を打ち明ける口調をすると、恋鐘はこちらを振り向いた。泣いていたのだろうか。涙の痕が見える。
「……この前相談に乗った時、伊庭君の様子が明らかにおかしかった」
「え……?」
「彼は若いし、とても真面目だから」
陰平は、己の額に手を当ててうつむいた。
皆まで言わずとも、この態度で恋鐘は察したはずだ。仕事に悩む若いプロデューサーが、朝の通勤時、衝動的に電車を止める――。そんなシーンでも想像したに違いない。
しばらく無言になった。小さく音楽が聞こえてくるのは、他のアイドルがレッスンをしているからだろうか。
恋鐘に考える時間を十分に与えてから、陰平は口を開いた。
「伊庭君が言っていた通り、これはあくまで一時的なものだ。君の本当のプロデューサーは伊庭君で、俺じゃない。俺は、君の活動が軌道に乗るまで、手助けをするだけだ」
「……アンティーカの皆は?」
恋鐘はその事も気になっていたようだ。だが、そもそもアンティーカは、最近ユニットとしての目立った活動をしていない。ほとんどはソロで動いているようなものだ。色々事情があるらしいが、個性派のメンバーをまとめるのに、伊庭が対応を間違ったという事もある。
「他の子たちは、引き続き伊庭君が担当する。俺が手助けするのは、まずは君だけだ。センターの君の活動が軌道に乗れば、他の子たちも上向いてくるだろうしね」
戦術の基本は各個撃破だ。他のアイドルたちをどうするにせよ、恋鐘を他のメンバーから切り離すのはそのためだ。
「放クラの担当も、これまで通り伊庭君だ」
「……っ」
そう言うと、まるで伊庭は恋鐘だけを手放して、陰平に押し付けたように聞こえる。だが、まさにその通りだし、そう聞こえるように言っている。
「心配いらない。君のプロデュースの進捗状況については、ちゃんと伊庭君と情報交換をする。いつ元の態勢に戻ってもいいように」
少し我慢すれば元通りになれるのだと、陰平は恋鐘を優しく諭す。しかし、陰平に恋鐘を手放すつもりは微塵も無かった。もしも伊庭の手元に戻すなら、それは陰平のメスとして、恋鐘の調教を完全に終えた時だ。一度自分がプロデュースし始めたアイドルは、何があろうと決して手放すな。プロデュース業について、陰平が伊庭に一つだけアドバイスするとしたら、それだけであった。
「短い間だけど、よろしく頼むよ…………月岡さん」
呼ぶまでに間があったのは、名字で呼ぶか名前で呼ぶかに迷ったからだ。しかし、自分は伊庭のようなイケメンとは違う。ここは安全なほうを選ぶべきだろう。
恋鐘は拳を握り締めたまま、うんともはいとも答えなかった。
―――――――――――――
夕方、寮に戻る恋鐘は、歩きながら泣いていた。
自分の知らない所で、勝手に決められていたプロデューサーの交代。何を言われても、納得できる気がしなかった。元気が取り柄の恋鐘であるが、その表情は完全に曇っていた。裏切られたと思うのは、プロデューサーの伊庭が、仕事上の大切なパートナーだからだけではない。彼女は自分のプロデューサーに、はっきり言って恋をしていたのだ。
かつて恋鐘は、アイドルになると決意して長崎から出てきて、東京の都会ぶりに圧倒されながら、色々なプロダクションのオーディションを受けた。その結果は全滅。その時も、恋鐘は今と同じように、人目に隠れて泣いていた。
ここで落ちたらもう帰ろうと思って受けた、283プロのオーディション。そこで初めて、恋鐘はアイドルとして認められた。認めてくれたのが、他ならぬ伊庭だったのだ。
アイドルとしては武器にすべきものだろうが、恋鐘は自分の大きな胸にコンプレックスを抱いている。伊庭は恋鐘の身体を見ずに、笑顔や内面を評価してくれた。他のプロダクションでは難色を示された方言についても、肯定してくれた。
だから恋鐘は、伊庭のためにもアイドルとして輝きたいと思っていた。伊庭も、自分の事を大切に思ってくれていると信じていた。伊庭が自分に恋愛感情を向けていないと知っていても、いつか変わるかもしれないと、どこかで期待していた。
それなのに――
「うっ、うう……ぐすっ」
寮に戻り、急いで部屋に入ると、恋鐘は電気も付けず、扉に寄り掛かってしゃくり上げた。
「う、うえ~~~ん!」
やがて堪えきれなくなり、恋鐘は鬱憤を晴らすように、大声で泣き始めた。どのくらいそうしていただろう。涙も止まり、扉の裏で茫然とへたり込んでいたところに、ノックが響いた。
「恋鐘、いるのか? 帰ってたのか?」
それは、恋鐘と同じくこの寮で暮らしている、放課後クライマックスガールズ所属の、西城樹里の声だった。ショートカットの髪を金色に染めていて、見た目は不良のようだが、実際には誰よりも面倒見がいい。恋鐘に何かあったのを敏感に察して、話を聞きに来たのだろうか。
「大丈夫か? 事務所で、様子が変だったって聞いたからさ」
やはりそうだ。恋鐘は目元を拭うと、慌てて立ち上がった。
「な、何でもなかとよ~」
ちょっと声が上ずってしまったが、恋鐘はいつものように、明るく返事をした。
「……そっか、ならいいんだけどよ」
「うん、心配せんといて。……ありがとう」
「……凛世が、お土産で寿司をもらってきたんだ。食堂で一緒に食べようぜ。……用意ができたらでいいから、来いよ」
「わあ、お寿司? 豪華やね~。うち、お寿司大好きよ」
樹里の笑い声が聞こえ、その気配が扉の前を離れようとした。が、彼女はどうしてか戻ってきて、一つ付け加えた。
「後から、はづきさんが来るってさ。なんか、アタシたちに話があるんだって」
「話?」
その時、恋鐘は嫌な予感がした。今日の昼も、彼女は事務所で同じように呼び出されて、プロデューサーの交代を知ったのだ。
「なんの話?」
「さあな。でもそう言えば、玄関に誰のか分からない荷物があったな」
恋鐘は一直線に部屋まで戻ってきたから、視界の端に捉えただけだが、そう言えば段ボール箱がいくつか積まれていたような気がする。
「もしかしたら、新しくここに住む奴が居るのかもな」
何気なく樹里が口にしたその予想は、まさに大当たりであった。
―――――――――――――――
「陰平プロデューサーに、今日からこの寮の寮監を兼ねてもらう事になったので、その説明と、お引越しの手伝いに来ました~」
「陰平です。よろしく頼みます」
はづきの言葉に続いて、陰平がぺこりと頭を下げた。
ここは283プロの寮の食堂である。大テーブルの周りには、恋鐘と、樹里と、杜野凛世、そして恋鐘と同じアンティーカに所属する、白瀬咲耶の四人が居る。その四人が四人とも、何も言わずに固まっていた。
「寮監……? イルミネーションスターズのプロデューサーが……どうして?」
初めに硬直がとけたのは咲耶だった。咲耶の質問は、他の三人も抱いた当然の疑問である。
「近頃、この辺も物騒ですから~。ちょっと前に不審者も出没したそうですし。アイドルだけで暮らしているのは危ないっていう事で、社長に言われて、以前から寮母さんを探していたんです」
「それは……分かるけど。寮母さん?」
咲耶は陰平を見て首を傾げた。
「ボディガードになる男の人も必要だと思ったので~」
「俺が、寮監になることになったんです。はづきさんに言われて。……プロデューサーなのに」
まるで、それが不本意だとでもいうように陰平は言った。私も事務員なのに他のお仕事をお手伝いしているから、おあいこですとはづきは言った。
「それにそのぶん、家賃は格安ですよ~?」
「家賃も払わなきゃいけないんですか? 聞いてませんでしたが。寮監の手当も出ないのに?」
陰平は眉をひそめて抗議する。もちろん、これはアイドルたちの警戒を和らげるために、事前に用意された小芝居である。
「そうか、そういう事ならよろしく頼みます、陰平さん」
納得したらしい咲耶が、王子様然とした微笑みを見せる。見た目に反して少し天然な所があると聞いていたが、その通りのようだ。
「ボディガード……? アンタ、アタシや咲耶よりも弱そうだけど……」
樹里が率直にそう言った。だが彼女の言葉にも、陰平を不審な侵入者として見る響きは無い。場を和ませるべく、陰平は苦笑交じりに言った。
「俺もはづきさんにそう言ったんです。俺に格闘技経験なんかは無いので、そっちのほうは期待しないでください。本当に」
「まあ、男の人が住んでるだけで、不審者の人たちも警戒するでしょうから~」
「何か、はづきさんに言われると、釈然としませんね」
「ははは」
樹里は陰平とはづきのやり取りを見て、快活に笑った。
「陰平さんはどの部屋に住むんだ?」
「玄関脇の部屋は、元々寮監用の部屋だそうですから、そこに」
「そっか」
同じ女性で、しかも信頼するはづきが、陰平を警戒する様子を全く見せていないのだ。それに、同じ事務所で普通に働いていて、プロデューサーとしてもある程度の実績がある人間が、いかに見た目は不審者そのものであっても、本当に不審者であるとは、咲耶も樹里も考えもしないのだろう。彼女たちの純粋な心は、本質的に人を疑うことに向いていない。
「杜野凛世でございます。陰平様、改めて、よろしくお願いいたします」
着物を着た、日本人形のような美少女である凛世にしても、それは同じことだ。彼女が若干おどおどしているのは、単に大人の男に慣れていないからであって、陰平を疑っているからではない。
ただ、この寮に住む最後の一人、恋鐘に関しては、昼間にああいう事があったのも手伝って、素直によろしくとは言ってこなかった。彼女は、怯えた視線で陰平を見つめている。
「陰平プロデューサーは不審者除けの置物で、別に皆さんの生活に介入する事はありませんから、ご安心ください」
一応の挨拶が終わると、はづきは陰平に対する若干の毒を織り交ぜながら、説明を再開した。
「お風呂もトイレも、キッチンも寮監の部屋についていますし、できるだけ部屋に引きこもって、出ないようにしてもらいますので~」
だから、アイドルであるあなたたちのプライバシーは安全なのだと強調する。
この寮の建物は、都内に弱小プロダクションが所有するにしては立派だ。アイドルたち各人の部屋も、それなりに広い。どうやら社長が不思議な人脈を使って、どこかの企業か学校法人が、かつて寮として使っていたものを手に入れたらしい。それゆえ、新築という訳ではなく、オートロックや監視カメラも取り付けられていなかった。
アイドルといえば、行き過ぎたファンによるストーカー被害などは当然警戒すべきである。零細プロの限られた予算の中でそれらに対処するために、これは最善の策であるとはづきは語った。その弁舌は、陰平も感心してしまうほどに迫真だった。
それに説得されたのか、恋鐘も挨拶こそしなかったものの、強いて反対する声は上げない。これで良いと、陰平は内心でほくそ笑んだ。
「まあ、頼りないボディガードだとは思いますが……」
よろしくお願いしますと、陰平は社会人らしいきちっとした礼をした。
――――――――――――
(初日としては、上々ってとこだな……)
荷解きも終わっていない寮監室で、ジャージ姿の陰平はパソコンに向かっている。
引っ越ししてまずやるべきことと言えば、PCのセットアップだ。高性能のタワー型PCのファンが回っているほか、デスクの上には既にモニターが三つ設置されており、画面に何かを映し出している。
そして、デスクとは別の平テーブルに広げられているのは、この寮の見取り図だ。
(だがやはり、恋鐘はまだ俺を警戒している。他のアイドルたちがそうでもなかったのは、少し意外だったが)
PC上で何かのインストールが行われている間、陰平は見取り図の確認をすることにした。古い平面図を見ながら、指でなぞる。それがピタリと止まったのは、恋鐘が住んでいる部屋の上だ。
(恋鐘の部屋は、二階か……)
この女子寮は三階建てで、一階には陰平がいる寮監室のほかに、リラクゼーションルームを兼ねた食堂や、共用の浴室、そして洗濯機と乾燥機が並んだスペースがある。アイドルたちの部屋があるのは、二階と三階だ。恋鐘たち四人が使っている以外の部屋は、空き部屋になっている。
(特定の空き部屋は、実家暮らしのアイドルが泊まる際に利用する……。逆に泊まりの仕事で、アイドルたちが部屋を空ける機会も多い)
この部屋に積まれている段ボールの中には、陰平自身の日用品や服の他に、多くの機械類が入っている。それには仕事で使うカメラなどに紛れて、監視カメラなどが混じっていた。
(部屋を空けている隙に、こいつらを設置するのは難しくないかもな……)
それに今日の様子だと、セキュリティ強化のためにとでもはづきに言わせれば、ある程度は堂々と工事をすることが可能かもしれない。これから始まるスムーズな「プロデュース」のためには、どんな手でも使う。それがひいてはアイドルたちのためになるのだ。そう考える陰平の心には一片の曇りも無く、それがまた質の悪さを助長していた。
(おっ、終わったか)
ポンというポップアップの音がして、陰平はPCに目を戻した。
「さぁて……、音質はどうかな」
そう独り言ちながら、有線のヘッドホンを耳にあてる。
『なんか、急に豪華な晩飯になっちまったな』
『そうだね、樹里。はづきさんと陰平さんに感謝しないと』
『あのオッサンは、本当に一緒に食べないのか?』
上々だと、陰平は唇を歪めた。ヘッドホンから聞こえているのは、先ほど陰平がアイドルたちに挨拶した食堂内の音声である。あの時にこっそりと、テーブルの裏に盗聴器を仕掛けておいた。最近は、ネットで何でも買えるのだ。
『この寿司、美味いなぁ』
これは樹里の声だ。主に聞こえてくるのは樹里と咲耶の声だが、凛世と恋鐘も食堂内に居る。どうやら彼女たちは、仲良くテーブルを囲んで食事をしているようだ。
『でも、無理してウナギなんて差し入れしなくてもな。あのオッサンも、アイツと一緒で安月給なんだろうしさ』
また樹里の声が聞こえた。彼女たちが食べているのは、凛世が仕事先でもらってきた寿司折と、陰平が引っ越しの挨拶に差し入れたうな重だ。美味い美味いと、樹里は大げさに喜んでいる。
『ほら、恋鐘も食べろよ』
『……』
『美味いぞ』
『……』
『そっか。……まあ、後で腹が空いたら、その時でもいいかもな』
しばらく聞いていて分かったが、樹里の声ばかり聞こえるのは、そうやって彼女が会話を回そうとしているからのようだ。特に、彼女は恋鐘に気を使っている。恋鐘がカラ元気を出す余裕もないのは、昼間の会話に加え、その日のうちに自分が寮に現れたからだろうか。
そうやって盗聴器の性能テストを済ませると、陰平は録音設定をして、ヘッドホンから耳を離した。
(さて、明日から、恋鐘と楽しいお仕事が始まるな……)
ベッドに寝転ぶと、陰平は明日からの事を考えた。
(恋鐘は俺を警戒しているようだが、そんな事は大した話じゃない)
恋鐘の警戒をほぐす一番の方法を、陰平は知っている。それは、彼女にアイドルとしての成功体験を与えてやればよいのだ。そのためのアイデアは、積まれている段ボールの中にあるノートにびっしりと書かれている。それも、そのノートは何冊にも渡っていた。
少しまどろみながら、陰平はアイドルとして煌めく舞台のスポットライトを浴びている恋鐘と、メスとして己のチンポに貫かれている恋鐘の、両方の姿を同時に夢想した。
そして、彼が眠りに落ちようとした時、ノックの音がした。
「んぁ?」
間抜けな声を出し、陰平は起き上がった。
ここにはアイドルたちしかいないはずなのに、誰がノックなどをしているのだろうか。
「よ、よう」
扉を開けると、そこに居たのは樹里だった。
流石に意表を突かれ、陰平は咄嗟に言葉が出なかった。
「これ、アンタも食うか?」
「え?」
樹里が差し出したのは、皿に盛りつけられた寿司とうな重である。
「アタシたちばっかり御馳走になるのは、何か悪いからさ」
樹里が、はにかんだように笑う。断る間もなく、陰平はその皿を樹里に押し付けられてしまった。
「ん? あれ、何だ?」
樹里は目ざとく、寮監室内の物々しいモニター群に気が付いた。陰平はマズいと思ったが、樹里は首を傾げてから、感心したように言った。
「やっぱ、プロデューサーの仕事って大変なんだな……。あんなにいっぱい機械を使わなきゃならねーんだからさ。アタシは機械に弱いから、よく分かんねーけど」
「あ、ああ、そうかもしれませんね」
陰平は的外れな返事を返す。樹里が何をしに来たのか、彼には読めていなかった。
「あの、さ、恋鐘の事なんだけど……」
まさか、この娘は自分の目的に気付いているのか。一瞬ぎくりとした陰平だったが、彼女の次の台詞で、それは杞憂だと分かった。
「アイツ、何か元気ないんだよ。事務所で何かあったのか、アンタは聞いてないか?」
(なんだ、驚かせるなよ……)
この少女は、単純に友だち思いなだけなようだ。陰平は少し考えてから、樹里に事情を話した。どうせいずれは分かる話だ。
「プロデューサーの、交代……?」
「あくまで、一時的に、ですが」
「なんでそんなこと……! でも、そっか、それでアイツ……」
「伊庭君に見捨てられたように感じて、月岡さんは、かなり落ち込んでいたようです」
「そりゃそうさ! だって恋鐘は――」
樹里が大きな声を出したので、陰平は人差し指を立てて「しっ」と言った。
「あ、わ、悪い。うるさかったよな」
「ここだと、月岡さんに聞かれるかもしれません」
「そうだよな」
「ええ」
だから、部屋の中で話そう。陰平はそう言った。
「アンタの部屋で?」
「何か?」
陰平はとぼけた。実際、今夜の彼に樹里をどうこうするつもりは無い。だが、こうやって距離を縮めることも、今後何かの役に立つだろう。男の部屋に入ることにためらいは有ったようだが、恋鐘の事を聞きたがっている樹里は、結局大人しく寮監室に足を踏み入れた。
それから、陰平は樹里に、今日の出来事のあらましを語った。樹里は、恋鐘のプロデュースを放棄するような真似をした伊庭に、小さくない憤りを覚えたようだ。そうなるように、陰平に巧みに思考を誘導されて。
「何やってんだよ、アイツ! 恋鐘を何だと思ってんだ!」
樹里は大声で怒った。彼女が口を開くと、チラリチラリと八重歯が覗く。
「よく知らねーやつに、恋鐘を任せるなんて……っと、悪い、別にアンタの事を悪く言いたいんじゃねーんだ」
「大丈夫です。分かっています。……確かに俺も、引き受けたのは軽率だったかもしれませんし」
「うーん……」
「ですが引き受けた以上は、恋鐘さんのことを全力でサポートします。お約束します」
これは彼の本心であった。樹里にもそれが伝わったのか、彼女は頷くと、頼むよと言った。
「……西城さんは優しいんですね。月岡さんのことを、本当に心配しているのが分かります」
「なっ……! アンタもそういう恥ずかしい台詞を言うタイプかよ。でも……まあ、な。一応、アイツも同じ事務所の仲間だし」
それで、樹里は聞きたいを事を聞き終えたのか、遅い時間に邪魔しちまったなと言った。引き留めるつもりは無い。陰平は、彼女を廊下まで見送った。
「お休み」
そう言った時の樹里は、やはりアイドルであった。スレンダーな体型に笑顔と八重歯が眩しい、つまり、非常にソソるメスだ。
「ええ、お休みなさい、西城さん」
「樹里でいいよ。アンタのほうが、アタシたちよりずっと年上だろ。じゃあ、また明日。え~っと……」
「……?」
「アンタの事もプロデューサーって呼ぶのは変だよな。ひとつ屋根の下で暮らすんだから、陰平さん、っていうのも何だし。アンタ、下の名前は?」
「忠治、ですが」
「ちゅうじ? 侍みてーだな……。じゃあ、忠治さん、また明日な」
そう言うと、樹里はひらひらと手を振って、二階へと上がっていった。