偽蟲 ニセノムシ 作:淫徳
感想くれーよ!
全ては無から始まったと言われているが、私達人類はその無を知識として知ることは、まだ現代の科学では行えていない。
無とは何か「何も無い」という現象を人類は未だ観測したことがないのだ。そこに有るのは「無い」と言うことで、観測しようにも観測するべきモノが「無い」。
「無い」モノはどうやっても見つけることが出来ない。逆に「無い」を見ることが出来たとすれば、もうそれは「何も無い」ではないのだ。
有ったことに、存在したことになってしまう。基礎として「無い」モノであるはずの現象が、有ってしまっては矛盾も良いところである。
だからこそ人類は、「無い」とは何かと想像を巡らし、頭で思い描くことでしか、その現象を見ることが出来ないのだ。
当然だが、「無い」がどういうモノなのか解っていない人類には、想像したところで本当に「無い」を頭に浮かべることが出来るのかという疑問が出てくる。
人間は想像するという技能を持っている動物だが、この技能は莫大な知識に依存されがちだ。
つまり、自己が吸収して蓄えた情報を頼りに組み立てる仮説こそが、想像であり未来なのだ。
よって人類は情報に有るはずもない「無い」というモノを想像する事は非常に困難であることが言える。
そしてこの情報から、1人の哲学者[サリージャ・マクニシア]はある発見をした「無い」という概念は「無い」。
つまり「何かが無くなった状態」なのではなく、「一つモノが消えた、ただの状態」なのだ。
無いという現象ではなく、有るという事実こそが真実なのだと彼は答えた。
その理論を持ち出し、もう一度無から全てが生まれたというモノを考えていくと。
「無」ではなく「有」…始めから何かが有り、それが人類を作ったと考える方が適切だろう。
人類はわざわざ、有りもしない現象を信じ事実として認識していた。
この事が人間の無知の恐ろしさであり、発想が無ければ自身の理論さえ曲げることが出来ない頑固なモノなのだ。
そして、また今日も動き出す。
無ではなく「有」から現れた人類には理解し得ない生命がまた、やってきた。
彼らは間違った概念では決して見つけることが出来ず、また有りもしない空論でたまたま見つかることもある。
「有」であり観測不能のこれらの生物を人類は名前を付けない。
何故なら存在しないのだから、しないと「無」にしてしまっているのだから。
「無」という概念などないと、口を酸っぱくしていったとしても、人類はやはりそれを無かったことにしてしまうのだ。
だから、だからこそここで、この場で彼らに「有」を確定するべく名前を付ける。
有りながらにして否定される矛盾を持つ生物を、人類は「偽蟲」と呼ぶと…