偽蟲 ニセノムシ 作:淫徳
第九蟲
園山市、美土里町は近年、少子高齢化が進み子供の姿があまり見られなくなっていた。鮎が泳ぐ透き通る小川の上流にある、風が吹けば壊れてしまいそうな大きな建物。
それは歴史ある、何十年と生徒たちを見送り続けた小学校だった。
全てが木で作られた校舎は、雨風にさらされてひび割れたり、補強の跡があったりと年代を感じさせる。
隣接された運動場は、しっかりと手入れが施されていて、草一本たりとも生えていない。
だが、その広い校舎に対して生徒人数は40人というもの悲しさがある。
皆、成長した子供たちは、良い仕事場を求めて町を市を出て行ってしまうのだ。
この町にある職業と言えば、農業や郵便業、簡単な接客業といったものしかなく、大人になった子供たちが、都会の大きな企業に憧れてしまうのは仕方のないことだった。
まあ、出て行くと簡単に言っても今まで田舎で育ってきた人間が、都会という人間関係が殺伐とした世の中でやっていけるのかは兎も角として、無い物ねだりの様に若者は美土里町から去りつつあった。
そして、古い校舎の校門に腰掛けて携帯電話を弄る黒を基調とした、一風変わったセーラー服の少女も、また美土里町から去りゆく者の一人だった。
美土里町の隣町にある高等学校に通う彼女は、つい昨日の朝に両親から転勤を言い渡されて、慌ててこの小学校にやって来ていた。
学業を学ぶ施設の中で、一番心に残り、そして友人が最も作れるものは、矢張り小学校だろう。
幼稚園、保育園とは違い100人単位の大人数で学ぶ小学校は、先月まで30人だとかの幼稚園を経験していたセーラー服の少女には衝撃的だった。
彼女が入学した当時は、その小学校の生徒数は一年生だけでも150人は越えていたのだ。
彼方此方から聞こえる子供の声に翻弄されながら向かった小学校生活をしみじみと思い出し、目元を潤ませる。
「しばらく、戻ってこれないな」
生徒の寄贈作品だろう、校舎の入り口にそびえ立つ巨大な木製の時計塔を見上げ、携帯を操作し写真を取る。
泣き出しそうな顔を唇を噛んで無理やりな笑顔を作った少女は、長めの髪をより分けていた花柄の髪飾りに指を触れた。
思い返すのは、入学した翌日の事、少人数の幼稚園から来た所為で、上手く雰囲気に馴染めなかった少女を、心無い暴言を吐く奴らから守り、毎日学校へ通うことが楽しくしてくれた人物の姿。
俗に言うスポーツがりで頭を丸め、何時も面白く無さそうに口をへの字に曲げた、その実とても優しく誠実な人物…
少女が触る髪飾りもその人からプレゼントされたものだった。
だが、少女がやっと学校に馴染み三年生に進級する頃に、彼は何処かへ引っ越してしまったのだった。
何時も話しかけていた、人の姿が消えてしまった時は、心に穴が開いてしまったかの様な空虚さがあった。
だが、時の流れはその心の穴を埋め、中学、高校へと進学する頃には、彼へ抱く気持ちも随分と薄いモノになってしまっていた。
そんな今の気持ちを昔の自分が聞いたら、非常に激怒するのだろうと苦笑し、携帯のカメラを校舎の方へと移動させる。
親の転勤先は東京、一度美土里町を離れてしまえばそう簡単に戻ってこれる距離ではない。
電車だとしても、少なくとも一介の高校生が小遣い片手に一人で往復できる金額ではないのだ。
ならばと、せめて思い出の小学校の写真だけは持って行こうと、親を説得して数日引っ越しの日を延ばして貰ったのだった。
両親も高校生の少女に、自分の都合で故郷を離れさせてしまうことに負い目を感じていたようで、少し説得しただけで、小学校や森、川を回ることを許してくれた。
「あれ、琴美お姉さん?」
「ひゃっ……って、風香ちゃん」
校舎を念入りに写真を撮っていると、そのシャッター音に気がついたのか、道を歩いてきた女の子が彼女の背中に飛び込んできた。
突然の事に反射的に飛びついてきた女の子を振り払いそうになるが、声を思い出して笑顔で抱きしめ返す。
セーラー服の少女、もとい琴美が受け止めた、小学校一年生ほどの女の子は、風香と言う琴美の遠い親戚にあたる人間だった。
黄色いキャラクターが印刷されたTシャツに、薄緑色を基調とした花柄のスカートをはいた風香は、笑顔の琴美にまた笑顔で返し、嬉しそうに琴美に頬ずりをする。
「琴美お姉さんの匂いだぁ、いい匂い…」
「ふふ、風香ちゃんの匂いも言い香りだよ?シャンプー変えた?」
ふわふわとした柔らかい髪を後ろで、軽い三つ編みにした風香の髪型は独特で、聞けば某ヒロインが悪と戦うアニメのモノらしい。
それを自信満々に風香に自慢された琴美は、それとなく凄いなと答え、興味が無かったのだが。
後日、その番組なるものを風香の家に遊びに行ったときに見せられた琴美は、風香の髪型のクォリティが神がかった作品だと知り、素で驚いてしまった事は記憶に新しい。
優しく風香の髪を、髪型が崩れないよう気をつけながら撫でると、風香も一層顔に花が咲いたような笑みを浮かべ、琴美に抱きつく力を強める。
と言ってもまだ小学校一年生の腕の力では、高校二年の琴美の力には適わず、ちょっとしたことで転けてしまわないかと不安になった。
「そう言えば、風香ちゃんはどうして此処にいるの?
今日学校、休みだよね」
「う~ん、ちょっと待ち合わせしてたんだけど、来ないんだよ」
すっぽかされてしまったのか悲しそうに、ずっと小学校の周りで待っていたと話す風香。
頬を膨らませて、腕を上にあげ怒っているというアピールを見せる。
何気ない風香の仕草だったが、親戚同しと言うこともあり、本当の姉妹のように親しかった琴美は、風香の微妙な同様を見逃さなかった。
風香は嘘をついたり、後ろめたいことがある時、決まって本人の顔を見ない癖があった。
それに今日は日曜日だ、中学、高校の部活動でもなしに、しかもこんな西日が差し込む時間帯まで小学生が一人で彷徨いていたというのは見逃せない。
神童と言うわけでもないが、風香は町でもかなり上の方の成績を持つ優等生であり、こんな時間まで一人で外出するような活発な子供ではなかった。
頭の中に思い浮かぶ、麦わら帽子を被った自由奔放な少女を想像し、慌ててかぶりをふる。
あの活発な少女に風香の付き添いで一緒に遊んだことのある琴美は、その少女の無尽蔵かと思われる体力に振り回された苦い経験がある。
何にせよ、風香は何かあると確信した琴美の行動は早かった。
何時になくお姉ちゃん気質を発揮した琴美は、しゃがみこみ風香と同じ目線に立って、真剣な眼差しで風香の目をしっかりと見据える。
「え、えっと…琴美お姉さん?」
「答えて?」
一言、近所の子供に「鬼の琴美」といわしめる彼女の笑みは怖い。
いや、怖いなんてものではない、小さな子供なら聞いてもいないことでもペラペラと喋りたくなる様な黒い笑み。
詳しい説明はいらない、風香に伝えたのは真実を話せという命令のみ。
未だかつてこの笑みに対抗できた子供はいない、本能的に感じてしまうからだ、逆らうことは駄目だと。
琴美に自分のついた嘘を見破られ、さらに怖い笑顔で迫られた風香に逃げ道はない。
いや、厳密には逃げ道はあったが、逃げた所で高校生の琴美から逃れられるわけもなく。
仮に逃げられても、報告は風香の母親の元へと届けられるだけだろう。
だから、だからこそ風香は口を開く。
親に言わないでと前置きをして風香は堅い口を開けた。
「秘密だよ…実は」