偽蟲 ニセノムシ 作:淫徳
第十四蟲
朝日が差し込み涼しげな風が木々を揺らす、雪が兄の夢から復帰したのはゆうに七時間以上の時間が経ってからだった。
内蔵内を触手が蠢く気持ちの悪い感覚も、へその穴から広がる鈍い痛みと熱も雪は、目の前にいる人間の登場で意識から消し飛んでしまっていた。
「ま、舞ちゃん…なの?」
朝日を受けて佇む舞の姿は、雪にははっきりと見ることができない。
麦わら帽子と、ワンピースを着ていることが辛うじてシルエットでわかるくらいだった。
舞のような人影は雪に覆い被さる巨大な、普通の木程もあるトカゲのような尖った顔の、昆虫に似た生物を一別し、その赤黒い身体に触れた。
「駄目だよ、乱暴しちゃ。その子は私の親友なんだから、食べちゃ駄目…」
抑揚の無い口調で生物に語りかけると、赤黒い生物はキュルルルと不満そうに声をあげて前足を片方地面から引き抜き舞の首もとに突きつけた。
邪魔するなとでも言いたいのだろう、対して巨大な前足を向けられたら舞の対応は冷め切っていた。
「いいの?そんな事して、私が居なくなっちゃったら、もう私達は増えれないんだよ」
せめるような、冷徹な中に内包される怒気に圧されて、赤黒い生物は渋々前足を下げ、雪に刺さっていた触手を丁寧に引き抜いた。
赤い血液が糸を引き、触手はそのまま生物の固い甲殻に開いた穴へと吸い込まれていった。
「う、んっ」
内蔵は神経は何も傷つけられていないにしても、針を抜かれるのは痛かった雪は、呻き声をあげてしまう。
ガチと固い金属がぶつかり合うような音が空気を振動させ、それが甲殻に開いた穴が閉じられたからだと、あとに雪は気づく。
生物は名残惜しそうに雪を眺めていたが、舞が咳払いをして生物を睨みつけると、観念したようで巨体を引きずりながらゆっくりと森の中へ消えていった。
「ふうっ…大丈夫だった雪?」
「舞ちゃん、舞ちゃんっ!」
労るように雪の傷ついた身体を起こした舞は、そっと雪の身体に抱きついた。
それで雪の張っていた琴線も切れてしまったらしく、頭をなで続ける舞にしがみついて、堰を切ったようにわんわんと泣き出してしまったのだった。
「ま…っいちゃん、わだじ、ごわ…っかった、もう…まい…さがそうって…」
「ごめん、ごめんね、雪…一人にして、本当にごめんね。
でも、嬉しかった、こんなのに成った私の事もまだ舞って呼んでくれるんだね?」
舞は自虐的に微笑み、雪には自分の顔を見られないように、顔に暗い陰を作って雪の肩に自分の首をかける。
独り言のように呟いた舞の言葉だが、親友だと言い合うだけはあるのだろう。
自分の泣き声にかき消されてしまいそうだった舞の声を、雪はしっかりと聞き、間髪入れずに答えたのだ。
「舞ちゃんは、舞ちゃんでしょ?
ほら、いつも私を…たすけてくれる、何もかわってないよ?」
「……雪」
独り言に、夢にも思わないような、痒くなる台詞で応えられてしまった舞は、一瞬何を言われたのかわからなかった。
一時の間を置いて雪の、友情とも言える言葉を噛み締めた舞は、麦わら帽子を深く被り直し、雪を抱き締める力を強めたのだった。
雪は多分というか、絶対しらないだろう、舞が以前の舞ではなくなっているという事に。
しかし、それでも舞は嬉しかった、雪が自分をどうあろうと自分だと言ってくれたことがどうしようもなく嬉しかった。
その雪に対する溢れる好意が、舞にもたらされた、ある機能を目覚めさせる鍵になってしまう。
「雪はさ、私の事好き?」
桜色に紅葉した舞の頬、彼女の心拍数もそれに比例して、早鐘のように鳴り響くのに雪は気付かない。
だから答える、彼女の言う「好き」が親友としてではなく、恋愛感情としてだと言う事にも気付けずに。
雪の茶髪のポニーテールを解いた舞は、色素の薄い茶髪の髪にこびり付いた土や草葉を手でつまんで落としていく。
その動作一つ一つに愛情表現が込められ、また昔から長い髪を舞にいじって貰っていた雪は、緊張が解れていったのだ。
そうして雪は言ってしまう、後戻り出来なくなる言葉を。
「うん、舞ちゃんのこと大好き!」
瞬間、舞の中で抑えられていた、必死に抑え込んでいた感情が、風船が破裂するように爆発した。
舞は雪を抱き締めたまま、前に体重をかけ、雪を仰向けに地面に押し倒したのだ。
雪が頭を打たないように、手を首もとに添える配慮も忘れない。
「ひゃっ…、えっ…まいちゃ!?」
再開した親友に押し倒されて訳が分からなくなった雪は、それでも舞を引き剥がす事はためらわれ、そのままの体制で抵抗を止めてしまう。
ここで、舞を引き離し正気に戻るよう促したなら、未来はまた変わっていたのかもしれない。
舞が猪突猛進と進むのを、後ろから雪が手綱を引くようにストップをかける。
いつもの雪ならそれが出来ただろうが、感動の再会を果たすというイベントをクリアした彼女達は、お互いへの好感度が振り切れてしまっていた。
危機的状況で起こる緊張を恋愛感情と取り違えてしまう吊り橋効果も上乗せされて、雪は舞に嫌われてしまうのを避けたいと思ってしまった。
元々、舞が森の中へ行く原因を作ってしまったのは、雪が森の中へ消えていった赤い隕石の様な物を見た所為だ。
だから、舞が森の中へ行こうとしてしまったのも、舞がいつもと違ってしまったのも全て自分に責任がある。
客観的に見れば誰もが、雪の周りの人が聞けば絶対に否定するはずの責任を感じた雪は、舞を受け入れてしまう。
舞本人であっても、そんな思い込みは否定しただろうに……
どうだったでしょうか、お陰様で偽蟲も十四話なりました。
これからも頑張っていきますので、是非感想をお願いします。