偽蟲 ニセノムシ 作:淫徳
第二二蟲
「どこ、なのよ、舞…」
全身をぴっちりとした身体のラインが出るスポーツインナーを着込んだ女の子が、森の中から無事脱出出来たことは奇跡だった。
青いリボンのついた麦わら帽子を右手に握り締めた彼女は、踊という。
活発で有名な妹と、過激な姉という似たもの同士で通ってきた彼女は、妹の救出の為に森へ入っていったのだった。
だが、それも此処で費えてしまった。方向音痴と言うのか、頭ではなく勘に重きを置いて行動する彼女は、森へ入ったものの、数分もせずにまた出てきてしまったのだ。
森の中を探すのではなく、森から出ようと勘が働いてしまう。
妹を探したい踊は、その後何度となく森に挑んだのだが、一度も奥に行くことなく引き戻されてしまう。
「聖域」と書かれた看板がひっそりと立つ、森の入り口で息を吐きながら、荒い呼吸を繰り返し彼女は森を睨む。
「舞を…返せ!」
目をカッと見開き、吠えるように叫ぶと、その音に驚いたのか森の近くに居た鳥や虫がざわざわと驚き逃げ出していく。
だが、どの動物も決して森には逃げようとはしないのだ。
踊もどちらかというと、舞とは違う種類の活発さが目立つ女の子だ。
舞が無邪気なら、踊は野生的、彼女の勘が本物ならそれは、周囲の動物達と似たものを感じたのかもしれない。
森に近づいてはならないという、巨大な危機感を…
「うがああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
吠える、それは勝利の雄叫びのような崇高なものではない。
逆だ、敗者の負けた者が放つ、悔しさの滲み出る魂の叫び。
愛する妹を見つけ出すことが出来ないうえに、そもそも森に入れないとは…
草の生える地面に膝をつくと、梅雨明けの湿った土が彼女の疲れ火照った身体を癒してくれる。
しかし、それでも踊の抱える悔しさ、有り余る気持ちを押さえることは出来なかった。
「あああああああああああっ!!」
当たり所のない怒りを地面にぶつけ、思い切り拳をぶつける。
柔らかい土だが、打ち付けた拳は皮が剥がれ、血が滲んだ。
何も出来ないというもどかしさは、彼女の目から沢山の涙を溢れさせ、周りを見えなくさせる。だからなのだろうか、彼女の野生の勘が鈍ったのは。
近付いてくる危機に気付けた彼女はだが、妹の事しか考えられず、そして感情も高ぶっていた。
奇しくも自らの妹と同じ危機に瀕した彼女は、皮肉なことに妹の事を思い、その事実に気付けない。
「まい…まいいいっ」
忍び寄る影は、その実かなり発見しにくく小さな姿をしていた。
草の間を分け進む危機は、黒く蛇のような虫。静かに、だが確実にしっかりとそれは近づき、踊の地面につけた傷口に触れる。
「う?」
拳に違和感を感じ、反射的に手を上げた時には、虫は手の奥に潜り込み、尻尾の先っぽでさえも見ることが出来なくなっていた。
だがさした痛みも感じなかったので、自分の手の甲の痛みに隠れてしまう。
虫はあっという間に彼女の手から骨髄に入り込み、神経と絡まり合うように自らの神経を伸ばす。
そうして完全に彼女の身体と繋がってしまったのだ。
まだ右手の神経を犯しているだけだが、痛みを感じさせず進行は進み、右腕、右肩と支配権を虫へと交代させてしまっていくだろう。
その証拠に虫が出した分泌液が、鎮静剤の役目を果たし、錯乱しつつあった彼女の精神状態を、強制的に元の状態に引き戻していた。
気のせいかと納得してしまった踊は、妙に落ち着いた自分に多少違和感を感じながら立ち上がり、周囲を見回した。
何かに見られていたような気がしたのだ、それもねっとりと絡み付くような嫌な視線。
森へと目を向けるとその視線は、霧散して消え、静寂な森へと戻ってしまった。
「おかしいな…確かに何か見たような気がしたんだけど」
目をこすり、森の入り口に立ってじっと耳を澄ましてみるが、木々が揺れる葉と葉がすれる音しか聞こえてこなかった。
不思議そうに首を傾げた踊は、また森に入るような事はせず、涙を拭い森に背を向ける。
これ以上森を捜索しても、また舞い戻ってきてしまう自分では意味がないと悟ってしまったのか。
それとも、数時間以上を森へ出たり入ったりを繰り返していたのを、冷静になった頭で不味いと考えたのか、踊は家へ戻ろうと考えたのだった。
踊が舞のような影をとらえ、森へ入ってから、ざっと6時間以上が経過していた。
夕焼けだった空は、夜を超え既に薄く日が昇り始めている。
「…まい、またくるからね」
最後に森に向かって話しかけてから、踊はおぼつかないあしどりで歩き出したのだった…