偽蟲 ニセノムシ 作:淫徳
第十八蟲
警察がドタバタと美土里町へやってきて、森の中へ入っていく光景を、黒い生地のセーラー服を着た少女は、物憂げに見つめていた。
前髪を花の髪飾りでとめていた高校生の少女、琴美は今朝がた警察の捜索が始まったと聞いて件の場所に足を運んで来ていた。
昨日、親戚関係で実の姉妹のような風香を見つけた小学校から、ほんの少しだけ歩いた場所にある森の入り口。
何の舗装もされていないそこは、雑草や草花が縦横無尽に栄え、捜索に向かう警察官の足を遅くしていた。
梅雨明けと言う事で、植物の成長は早く、昨日今日であっという間に草は大人の腰の高さに達してしまう。
まるで彼らを森へ立ち入らせないように阻む草や花。
大きく口を開けて佇む、木々の間に作られた古いコンクリートの道は、見ているだけでも、底知れない恐怖を感じてしまう。
この道を通って舞と雪は森の奥へ入っていったのだとすれば、それは無鉄砲というか恐れを知らない子供だからこそ出来た事だと言うしかない。
高校二年の琴美にとって、光が途中で遮られた深い森の入り口は、生理的に受け付けなかった。
怖い、恐ろしいという感情ではなく、もっと深い意味での、人間として生物としての生きる意味が脅かされるような、種族としての危険。
「……っ」
ぞわりとした得体の知れない物が自分を誘っているようなイメージが流れ込んできた琴美は、肩を抱いて後ろへ下がった。
こんな事は前は無いことだった、以前森に近付いたときは、勿論大人に止められたが此処までの危機感を感じることはなかったのだ。
この森はもうあの時の森とは違う、琴美は直感的にその事を感じ、また一歩後ろへさがった。
一刻も早くこの森の側から離れたい、こんな所には居てはいけない。
警察官の数人が草をかき分け道を作り、やっと森の入り口へ到達したのを見届けると、琴美は一目散に家へと向かって走り出した。
両親に早く引っ越しを進めて貰うように説得しようと、舗装されていない土の道を走りながら考える。
多分、親はせっかく伸ばした引っ越しの時間を短縮した事をいぶかしむだろう。
理由を聞かれ、森が怖いからと言ってもそう簡単に信じて貰えるかどうかわからない。
数日の事だと我慢しろと言われるのが関の山だ、だがそれでは遅すぎる。
数日もあれば、何かが変わる。
それは取り返しのつかないことが、この町に起こってしまう…
「妄想…か」
森で感じたイメージがどうにも現実的過ぎたのだ、本能が「逃げろ」と叫ぶような危機感を感じ取ってしまった。
頭の中に浮かんだ想像は、走る内に整理され冷静に思考が行えるようになっていく。
すると自分が感じたイメージも、想像も全て馬鹿馬鹿しい妄想だと判断する事が出来、琴美は自嘲気味に笑った。
しかし、馬鹿馬鹿しいと決め付けたわりには彼女の心はまだ、この町からの脱出に傾いており、どこか完全に否定出来ないモノがあるのだろう。
途中転がる石を得意のステップで切り抜け、転ぶことなく走る琴美。
自分の家までかなりの距離があるが、琴美はまったく疲労を感じさせることなく、道を走っていく。
と、道を横切るように流れる、人間の子供の身長くらいの幅を持つ、小さな川さしかかったとき、彼女の目に有り得ないモノが目に留まった。
「…なに、これ」
走る勢いを少しずつセーブし、スピードを落としていきながら、琴美は川に浮かんだ物体を凝縮した。
手のひらサイズの赤黒い玉のようなモノが、さながら桃のように川を下っていたのだ。
一見果実のように見えるそれは、間近で見ると非常に毒々しい赤を含んでおり、触ることを躊躇しそうな、歪な凹凸が入っている。
「これって…殻?」
川にしゃがみ込んで近くで見た琴美は、この物体が玉ではなく、何か大きなモノの破片の一部だということを理解した。
だが、この物体が陶器の破片や、石の欠片だとは思えない。
この不規則な凹凸に、少し漂う腐臭はそう、まるで卵のような…
「嘘でしょ、いや嘘よ…漫画の読みすぎ…そんなことあるわけない」
この物体がもしも卵だったとしたら、それは世界最大とも言われる、ダチョウの卵をゆうに凌駕するサイズという計算になってしまう。
丁度、その辺に生える木々のような大きさの大きな卵。
其処からは一体何が出てくるのか。
恐ろしい想像をしてしまい、頭を振って忘れようとした琴美の頭に、ふと何年かまえの記憶が呼び起こされた。
小学時代の思い出、ある日聞かされた童話に確か、卵の話が出てきたはずだ。
旅人が森に迷い込み、蟲に出会うあの童話…
その童話を聞かせてくれた、いつもやる気の無さそうな彼は、この話は続きが途中で切れていると言っていた。
そうだ、この失踪事件とあの童話は、少し…いや余りにも似すぎていないか?
ただの偶然の一致と決めつけるには、その童話の発祥地がここ、美土里町だと言う事が、いささか出来すぎているのではないか。
童話で空から落ちてきた玉と言うのが、風香の言う隕石だとするならば、信憑性は兎も角として、水面下で何かが動いていると断定してもいい。
それが、森から感じた危機感なのだとすれば…
琴美はそこまで考えて、赤黒い塊の事を警察官に報告しようと思い至り、早速あの森へ戻ろうかと思考し、やめる。
またあの森に戻るのはそれこそ自殺行為だと思ったからだ。
琴美は、町の交番へ向かうことに決め、再び歩き出した。
その後ろから、辺りを伺うように歩いてくる影には、最後まで彼女は気付くことはなかったのだった。
走ろうと足を地面に離すタイミングで、彼女は後ろから物凄い力で押し倒され、こけてしまう。
その後、彼女の姿を見たモノは居なかった。