偽蟲 ニセノムシ 作:淫徳
第二四蟲
「ねえ、琴美もうちでご飯食べてってよ!」
警察官にボロボロの穂村踊が見つけられ、保護されたのが数時間前。
一緒に行動していた、というか負ぶっていた琴美は交番へと共に連行され小一時間の間ずっと事情聴取をされてしまっていたのだ。
その間、初めの一時間は踊がつついても殴っても起きず、警察に一方的に質問されてしまった琴美のストレスは、どんどんと貯まっていった。
まあもちろん最終的には、踊の鼻を摘むという鬼畜極まりない方法で起こし、些細な反撃は終わるのだが。
兎に角やっと警察から解放されてみればもう夕日が登る時間に変わってしまっていたのだ。
流石に時間が押しているといっても、ほんの少し前まで行方不明だった踊を一人で変えさせるほど、琴美は外道ではない。
健康に近いとは言え、一応明日に検診を受けるようにとも言われた身体だ。
それに、踊の妹の舞が未だに行方不明の真っ只中なのだ。
そのため、踊の両親はそれに出払ってしまっていて一度は交番で再開を喜んだものの、直ぐに捜索へ出て行ってしまった。
だから、今踊の側にいてあげられるのは、自分しか居ないと琴美は、妙な責任感に燃えていた。
溜め息を吐きつつ、お姉さん精神が出てしまった琴美は、また踊を負んぶすて彼女の家に送り届けた、その直後の出来事である。
十分琴美の背中で寝た事で調子を取り戻した踊は、琴美の手を引っ張って離してくれなくなってしまったのだ。
まあ確かに、つい数時間まで独りで森をさまよっていた踊が、誰もいない家に1人残されるというのも、どうかという話だ。
「はぁ、仕方ないなぁ。でもご飯は私踊ちゃんの家の勝手がわからないから手伝ってね?」
「よっしゃぁ! うん、それは任せといて」
きっと心細いのだろうと、琴美は納得してその提案を了承したのだった。
踊が住む家は、実は町でも有力な金持ちが住むと言うこともあって、他の家と比べても大きく、琴美は何度か彼女の家を訪ねる度に圧倒されていた。
重々しい石段を登り、瓦付きの大きな門をくぐると、どこかの料亭を思わせる純和風の豪邸が姿を現した。
「ふあぁ…いつ見てもおっきな家だねぇ」
父親の趣味だろうか、石畳が敷き詰められた玄関までの通路には、如何にも高そうな骨董品が無数に置かれている。
琴美は別にそういう物に詳しいわけではなかったが、素人にもはっきりとわかるオーラが、絶対に触ってはいけないという雰囲気を醸し出していた。
まるで都会に初めて来た田舎娘のように、大きな家をキョロキョロと見回す琴美。
それに対して踊はあまり嬉しくないような、微妙な顔で首を横に振った。
「まあ…ね、でもあんまり大き過ぎる家も結構辛いんだよ?」
「え、どうして? いっぱい物が置けたり自分の部屋が沢山あったり、私は幸せだと思うけど…」
「うん…それはまあ、自分の部屋は沢山あるけど、掃除が…ね?」
「ああ…そういう」
どれほど豪華で広い家があると言っても、それを全て掃除しようとすれば、とても踊や彼女の家族達では手が回らない。
つまりは、大きい家なら、大きいほどそれに見合うだけの維持費が付きまとってくると言うことだった。
人間、どんな裕福な生活をしようとも代償というか、比例した苦痛は平等ということなのかも知れない。
「さっ、さあご飯さっさとつくっちゃおう」
「おー!」
暗くなってしまった空気も、夕飯の話で吹き飛ばし、二人はこれまた豪華絢爛な扉から家の中へと入っていった。
靴を脱ぎ、長い廊下を歩くと畳が敷き詰められた、他よりも若干広い応接間に出る。
時代劇に登場するような、わびさび溢れる水墨画のふすま、金粉が夜空の星のように散りばめられた厚い障子。
昔を感じさせる木で出来た床はしかし、足を踏みしめても一切の軋みを出すことがなかった。
一体、此処まで精密な建築に何百万かかったのだろうと考えると、琴美はうっかり何かを壊してしまわないかと背筋が冷える思いだった。
部屋の真ん中に置かれた大きな机の側に座ると、緑色の畳の若々しい香りが鼻に入ってくる。
「いいねぇ、この部屋…私ずっとこんな畳に憧れてたんだよぉ」
「そうなんだ、じゃあずっと私の家にいてよ…」
綺麗な畳の目を指でなぞり感嘆のため息をつく琴美に、踊は寂しそうに眉をひそめて、琴美の背中を優しく抱きしめた。
母親に甘えるように顔を背にすり付ける、普段の踊なら絶対にしないような仕草に、琴美は驚いたが踊の回された手を掴んで握ってあげた。
「甘えん坊さんだね、こんな踊ちゃん舞ちゃんには見せられないねぇ…」
琴美がニヤニヤと笑みを浮かべると、踊は恥ずかしそうに、耳まで赤く染めて頬を膨らませた。
妹と言う存在がいた踊は、言い方が悪いが両親にあまり甘えることが出来ず、甘えられたとしても、それは妹の次にだった。
妹の事はもう恨んだり、嫉妬していないとは言っても、それとは別に妹が受けていた愛情を受けてみたいという欲求が彼女に少なからずあったのだ。
年上で、優しく自分が悪いことをしたときには厳しく叱ってくれる琴美に、踊は母親の姿を重ねていた。
「ううっ…きょ、今日だけ…今日だけだから」
近所の子供達に恐れられる琴美も、ただ暴力を振るうガキ大将のような恐れられ方ではない。
どちらかというと先生に悪戯を見咎められた、しかられてしまうと言った恐れ方だ。
踊以外にも彼女の背中に母親の面影を重ねてしまう子供も、少なからずいるだろう。
小学校の先生は、生徒に『お母さん』と間違われて呼ばれる時がある。
それは、何度も優しく厳しい先生の姿を見ていることで、心のどこかに母親や父親の姿を思い出してしまうからだ。
「だから?」
「だから…ぎゅって、して?」
琴美に拒絶されるのが怖いのか、弱々しく口を開く踊。
普段とは違う踊の小動物的な一面を見た琴美は、目に涙をためる踊に向き直り微笑みながら、しっかりと抱き締めたのだった。