偽蟲 ニセノムシ 作:淫徳
第二五蟲
穂村踊が森から救出されたという情報が美土里町に広まるのは、そう長い時間ではなかった。
本庁から捜査官が送られてきて、数時間も経たない内に、知り合いと名乗る高校生に連れ添われた、彼女が発見されたのだ。
その時たまたま彼女を見つけ、保護した高校生の少女は、肉体的疲労はあったものの、彼女に目立った精神的混乱は無かったという。
彼女の黒いスポーツウェアに所々ついていた、擦り傷や破れ手の甲の擦り傷は、長時間森の中にいたからと結論付けられたが、どうにも警察署所長の佐藻 金一郎(さも きんいちろう)はあまり嬉しそうではなかった。
捜査拠点となるべく、様々な機材が並べられた、美土里町の学校にある体育館で、休憩をとっていた佐藻は、救出された少女の資料を手にとって違和感を感じていた。
服や髪が所々、切れたり破れたりしているのに対して、それ以外は殆ど無傷だったのだ。
擦り傷や打撲の痕も無く、まるで傷だけ治ってしまったかのような不自然さに加え、とても暗い森をさまよっていたようには思えない堂々とした態度だったという。
それに、一人で森を歩いていたにも関わらず、精神状態に一切の異常が見受けられないことも、また異常でもある。
「何より、独自で捜索していたというのに、腹も空かず10時間も籠もり続けていたことが、まずあり得ん」
もう一枚の写真、麦わら帽子を被った、黒髪を耳までで切りそろえ、メッシュにした少女の写真を見ながら佐藻は深くため息をついた。
事態は例によって悪化の一途を辿っている、水前寺雪と穂村舞は依然として森から見つかっていない。
あれ程までに捜査官を派遣して山狩りを行ったのにも関わらず、彼女達の痕跡さえ見つかっていないのだ。
そして、唯一見つかった少女は、地元の高校生が森ではなく、森近くの川辺で発見したという。
一部の捜査官たちの間では、縁起でもない話だが、もう森の野生動物に処理されてしまったのではと噂が立つ始末。
見かけたら注意することにしている佐藻だったが、火が無いところに煙は発たない。その可能性が少しでもあり得るものだからこそ、噂は広まるので佐藻も深く注意できずにいた。
捜査官に求められるのは、凝り固まったマニュアル通りの捜査ではなく、ありとあらゆる可能性をも視野に入れた軟らかい発想の捜査が必要とされる。
確かにマニュアル通りの捜査は、新米育成には役立つだろうが、そこで止まってしまっては意味がない。
堅い思考、先入観に支配された捜査は、調べる目を濁らせ、視野を狭くする。
その事がわかっている分、自分自身が必要な情報を部下に与えておらず、熊という誤情報さえも与え、目隠しをさせてしまっていることに負い目を感じているのだ。
例え言ったところで誰からも信用されることのない、むしろ自身が心配されてしまう馬鹿な物だったとしても、佐藻は捜査本部の責任者として罪悪感を感じずには居られなかった。
だが、だとしても自己満足の為だけに情報を開示しても、それはむしろ事件解決を遅らせてしまう悪手に過ぎない。
これと言って踏みいった情報が、森へ向かった捜査官達から送られてこない以上、佐藻は何も話すべきではない。
先日、佐藻の大学の同期であり悪友の眼鏡の男から言われた事を脳裏に思い浮かべ、心の中で声を出す。
「犠牲者か…『まだ一人』の内に早く収まってくれれば良いが、そうも言っていられないだろうな。
森での行方不明者二名も、既に堕ちていると見た方がいいのかもしれん。
自衛隊に任せるのはしゃくだが、部下をいたずらに失うわけにもいかん…」
兎にも角にも、まだ何の情報も送られてきていない現状で、迂闊に早計な判断をすれば、死ぬのは自分ではなく、可愛い部下なのだ。
上に立つ人間は、自分の事以外にも、部下の事も考えて冷静な判断をしなければならない。
無能なトップが部下を食い物にしてきた例が有るだけに、佐藻は拳を握りしめ冷静になれと自分に言い聞かせた。
熱くなった頭を冷やそうと紙コップに手を伸ばすが入れられたコーヒーももう温くなってしまい、飲む気が起きない。
新しい物を取ってくるかと席を立つと、体育館の扉が勢いよく開いて誰かが飛び込んできた。
機材を組み立てたり、資料を編集していた一同の目が扉へと集中する。
途中躓きながら駆け込んできたのは、この園山市少女失踪事件に駆り出された、佐藻もよく知る本部のエリート捜査官だったのだ。
切れ長の目、どんな小さな事も見逃さないと言った冷静沈着だった男の面影は、今は見るも無惨にも崩れ、髭がだらしなく生えた泥塗れの顔があった。
森に入るにあたって支給された警察専用の作業服は、破け泥や葉がついている。
体育館の床を汚すことをいとわず、入り口から土の付いた外靴で入ってきた事から、彼の焦り具合が尋常ではないことを悟る。
「何事だ」
部下を窘めるように、堂々とした態度をとった佐藻だが、内心は戦々恐々としていた。恐れていた、これ以上事態が悪くなったという情報を理解するのが。
「ば、ばけものです! ばけものが現れました!」
荒唐無稽過ぎる部下の報告、いつもの冷静な佐藻なら、妄言だと切り捨てた言葉も無闇に無視できない事情がある。
周囲で部下を好奇の目で見つめ、おかしくなったと薄ら笑いする者達を睨んで黙らせ、彼は静かに席に鎮座した。
「話せ」
「え…」
それだけだ、たったそれだけの台詞で慌てて周りが見えなくなっていた部下は、落ち着きを取り戻し、一旦呼吸をおいて佐藻の目を見つめたのだ。
この、佐藻との付き合いも中々にある部下には、その佐藻の仕草だけで全てが理解できた。
佐藻警視正が、「ばけもの」を知っていると言うことを、そしてそれを知ってなお、部下達に隠していたという事を。
周りから見れば、明らかに馬鹿馬鹿しい作り話を、真剣な顔で聞こうとしているのがその証拠。
「佐藻警視…」
「言うな、そういうことだ」
短い会話だが、それで完全に部下には、彼の気持ち、抱えているモノが大まかだが把握できた。
佐藻警視正が、自分のエゴや保身で、情報を下に流さない男ではない事を、多くの人間が知っている。
彼は、管理職の人間にはあまり持っていない、人の優しさ、仁義のようなものを持っていた。
この部下もその佐藻の気持ちに救われたような者だったのだ。
ならばと部下もその事を伏せて、彼の気持ちに応えるべく「ばけもの」という存在が何をして、どういう被害をもたらしたのかを簡潔に述べる。
「美土里町、森にてばけものに捜査官数名が接触、交戦したのち、12人が死亡…7人が重軽傷です」
「そうか…経過報告」
「はっ……森への捜査中、部隊1隊が無線不通となり、反応が消失しました。
無線機器での残留音声から、辛うじて『ばけもの』と言う声と、生物だと思われる奇妙な鳴き声から、熊と接触したものと…
応援数隊で不通地点へ向かったのですが、そこで…敵と遭遇しました。
私と他の数名は辛うじて生き残る事が出来ましたが、あれはおかしい…生き物じゃない。
あんなばけものが地球に居たという事が、もう驚きですよ…」
部下はそのままずるずると床に膝をつけ、壊れた人形のように空の笑いを繰り返して、気絶してしまった。
余程の体験をしたのか、部下の身体にはよく見ると、無数の血痕があちこちに染み着いていた。
彼の身体についた傷と全く違う位置に着いた血は、恐らく散っていった仲間たちのものなのだろう。
「報告感謝する」
倒れてしまうような、残り少ない体力を振り絞り、走ってきた部下に対して敬意を込めて佐藻は、座ったまま敬礼したのだった。
今までこの小説を読んでくださった皆さんありがとうございました。
このたび「偽蟲」は少しの休憩に入らせていただきます、いつになるかは分かりませんが、復活させるつもりなので、どうか、変わらぬお付合いをよろしくお願いします。
只今、「ノクターンノベル」様にて加筆修正版を投稿中です。
「HAZARD LAMP sexual・flare」と検索してくれれば出ると思いますのでよろしくお願いします。