偽蟲 ニセノムシ 作:淫徳
第二蟲
「ねえ、もう止めようよ危ないって、この森って何年も人が入ってない場所なんだよ?」
森の入り口、いや入るなら何処からでも入ることが出来るが、形式的な意味を込めた入り口。
つまり、古いものだがコンクリートで作られた道があり、その始まりに二つに割れた木目の見える看板が立ててある場所だ。
看板はもう雨水を行く年も受けてきたのだろう、薄くなった文字からは、何を示そうとしているのかを知ることが出来ない。
恐らく、この森はそれ程までに人の横行が少なかったのだろう。
人が来もしない場所に、看板など建てたところで、動物達にそれが読めるはずもない。
だが、だがしかし希望を述べるのならば、この日この時に限っては、看板は新しいモノだったら良かったと、そう感じるのであろう。
何故なら、看板には元々赤く太い文字で「聖域」と書いてあったのだから。
神おわす場所、神聖な場所と言う意味で聖域、人間がむやみやたらに入り汚していい場所ではない。
過去にこの看板を取り付けた人物は、そういう意味を込めてこれを取り付けたのだろう。
しかし、人間の立ち入りを阻む言葉は、この時意味は違えど、彼女たちを救えたのかもしれない。
鬱蒼と生い茂る巨木の森の入り口には、まだ年端も行かない少女が居たのだから。
「ええ、でも絶対この森に落ちたんだよ隕石、私達がいっちばん早く見つけて有名に成ろうって言ったのは雪じゃない」
赤いリボンのついた可愛らしい麦わら帽子を深く被った、短い短髪にメッシュをきかせた女の子は、頬を膨らませながら駆けてきたもう1人の女の子に言葉をぶつけた。
吊り目が目立つ彼女は、薄い赤色のワンピースを着ていて、周囲の温度が高い所為か汗で下着が透けて見えていた。
「で、でも、森に行くなってお母さんにも先生にも言われてたし。
確かに有名にはなりたいけど、怒られるのは嫌だよぅ」
急いで麦わら帽子の子の側まで走って来た雪という女の子は、苦しそうに息を乱し、咳を何度も吐いた。
背まで届く長く黒い髪が、肩にの揺れにあわせてたおやかに揺らぐ。
見るからに身体が弱そうで、名前通り真っ白い肌は、麦わら帽子の子に比べあまり活発な印象を受けない。
麦わら帽子の子と対照的に、水色のノースリーブの薄い服と、デニムの短いパンツをはいた雪。
露出する肌が多い所為か、服と肌の色合いが強調されて、より不健康な印象を周りに与えていた。
押せば割れてしまうガラスのような、危うさが感じられる。
どうやら雪は、少し不服そうな彼女を何時もたしなめる役回りらしく、慣れたように説得を試みた。
「うっ、で、でも見つからなかったら怒られないし。
それに、隕石が見つかったら、有名になって皆にほめられるんだよ!」
親がそんなに怖いのか、怒られると聞いて若干実を強ばらせた彼女は、直ぐに違う考えに思い立って雪に反撃する。
だが、その返しも雪は、何度となく付き合ってきた彼女との対応策として、予想していた。
「じゃあ、私は帰る。舞ちゃんだけ森に入ってくれば良いじゃない」
「え…」
小さな子供が薄暗い森に1人で入ると言うことは、通常考えられうる以上の恐怖がつきまとう。
蜂や蛇に噛まれたらどうしようと大人は考えるだろうが、子供は違う。
第一に考えるのは、実際に起こり得る危険への恐怖ではなく、意識外から来る感覚的な恐怖。
何が起こるから怖いのではなく、異常な事が起こる気がするから怖いのだ。
舞と呼ばれた麦わら帽子の女の子は、1人で森に入らなければいけないという状況を頭に思い浮かべて、目に涙を浮かべた。
心細い。人間は互いに支え合うことで他人の持つ恐怖を打ち消していく生き物だ。
それだけ、他人が持つ意味合いも大きく、雪が一緒について行かないと言う手段は正解だった。
一つ、誤算があったとすれば、それは雪がまだ子供だったと言うことだろう。
「……なら、私1人でも行く!」
「え、ちょっと舞ちゃん!?」
何度も雪に言いくるめられていた舞は、この時ばかりはどういう因果か意地を張ってしまう。
ひび割れたコンクリートの道を、余計なことを考えないようにただ全力で舞は走り出してしまったのだ。
1人残される雪の心境は、舞の気持ちとさほど変わらない。
「舞ちゃん、待ってよぉ」
森の入り口に一人残されるという恐怖にあらがうため、雪もまた舞を追って森へと入っていってしまったのだ。
ここで踏みとどまって、親なり先生なりを呼んで来れたなら、状況はこれ以上は悪くならなかったはずだ。
後日、この二人の捜索願が出ることになる。