偽蟲 ニセノムシ 作:淫徳
第七蟲
暗闇にはえるギラギラと光る星々は、地面に座り込み必死で恐怖を堪える少女をあざ笑うかのように、美しかった。
一時間、舞が雪の元から居なくなってざっとそれだけの時間が経過していた。虫の音も聞こえない、自分の心臓の鼓動が嫌に良く聞こえる森の中で、雪は恐怖を外に漏らさぬように、持っていたハンカチを口にくわえていた。
噛み千切らんとする勢いで強く加えられた、可愛いキャラクターがプリントされたハンカチは、唾液が染み込んで色が変わっている。
怖ければ泣けばいい、泣きたければ我慢せずとも思い切り泣き叫べばいい。子供の頃は、大人のように無駄に感情を抑えるよりも、まず泣いた方が感情を整理し、体力を消耗することで眠ってしまうことが出来る。
だが、雪にはどうしても泣くわけには行かない事情があった。身体を丸めて土下座をするように地面にうずくまっている姿にも理由がある。
キュルルルと舌を巻いたような甲高い音色が静かだった森に急に聞こえ始めたのだ。
時折声色が異なり、リズムがずれる音は、ラジオや音楽プレイヤーから流れるものではない。肉体を持ち呼吸をする生物が絞り出す生の声。
聞いたこともない未知の生物の鳴き声は、暗い森の中にいる少女の恐怖心を増大させ、心拍数を跳ね上げさせる。
しかし、悲鳴をあげることは許されない、聞こえる声の主が何なのかわからない以上、居場所を不用意に知らせ敵をおびき寄せるような真似は即座に死を招く事を、雪は本能で感じ取っていた。
助けを呼んだとしても、この深い森少女の声で外の家々まで悲鳴を届けられるかというと、無理がある以上その行為は、ただ危険を増やす結果に直結する。
「ふ…くっ、ううっ」
パニックになって今にも喚き散らしてしまいそうな誘惑にかられる雪を押し止めていたのは、直感。人間は極限状態に陥ったとき、第一にパニックを起こし叫んだり暴れたりしてしまう。
それが雪に起こっていないのは、脳が本人の意識に逆らって無理やり冷静になろうとしているからだった。
元々感情の起伏が少ない雪は、あまり人と一緒に笑ったり泣いたりすることが出来ず、周りから変人扱いされていた。
人間は周りと感情を共感したがり、しの感覚を他人に押し付けたがる生き物だ。やれ、感動的だの、全米が泣いただのと周囲の理解を欲し、個で自分を見つめることが出来ない。
雪は幼稚園、小学校といった同年代が多い集団の中で、周りと合わせられないという致命的な欠陥を持ちながら毎日を生きてきていたのだ。
皮肉なことに、今まで彼女を苦しめてきた個性が、敵から身を守る術となった。
まだ呼吸や精神は乱れているが、錯乱し何がなんだかわからなくなると言った症状は出ていない、極めて良好といっところか。
舞は自分を置いてどこへ行ってしまったのだろう、時折聞こえる変な声は舞にも聞こえているのか。だとすれば舞の身にも危機が迫っているのではないか。
整理がつき始めた頭で考えられることと言えば、自分の事より雪を捨てて森の奥へと去ってしまった舞の心配。
彼女たちは、親は違えど家族のように親しく何時も一緒で行動する事が多かった。体の弱い雪の為に舞が雪の家に遊びに行くというものが大半を占めていたが、今日のように二人して探検に乗り出そうとしたりもする。
小学校の先生達には双子のようにとらえられ、舞の実の姉からも雪は本当に妹のようだと言われたことがあった。
舞の存在は雪にとって、自分の命よりも先に優先される事柄なのである。
第二の家族として、大の友人として雪はまだ舞を失うわけにはいかなかった。
あの時の舞は、どこか普通ではなかった、その事が雪にはどうにも引っかかっていた。
恐怖に震える身体に鞭打って、木を支えに立ち上がった雪は、闇に慣れてきた目であたりの様子をざっと確認する。声は聞こえない、木々以外の変わった影は見えない。
舞を闇から救い出さなければ。怖い声の主から守ってあげなければ。
守られてばかりの自分が、どこまで出来るかはわからない。でも、やらなければいけないときがある…
沸々と心の底から湧き上がる使命感が、恐怖に打ち勝ち彼女の身体を乗っ取った。
「舞ちゃん、待っててね、絶対…助けるから」
絞り出す、そうすることで自分に言い聞かせるように、誓いという名の楔を付けて、雪は歩き出した。