昼時間を知らせるチャイムが鳴る前に絵美佳は大またで廊下を歩いていた。厳しい顔をしているせいか、見かけた教師も声をかけてこない。絵美佳は白衣を翻しながらとある教室に向かっていた。
「優一郎!」
終業のチャイムと同時に絵美佳は優一郎のクラスのドアを力任せに開けた。教室の中にまだいた教師が目を見張る。だが絵美佳はそれを気にせず優一郎の席まで大またで近づいた。ざわめく生徒たちを余所に優一郎の席の脇に立つ。
「頼みたいことがあるの! 来なさい!!」
絵美佳は問答無用で優一郎の腕をがっしりとつかんだ。
「ちょっと姉さん。うわっ!」
喚く優一郎を力任せに引っ張る。優一郎は何事かを喚きながら絵美佳に引きずられて教室を出た。休憩に入った生徒たちが廊下に出てき始める。みな、一様に絵美佳と優一郎に注目した。だが絵美佳の白衣を見て、誰も声をかけてこない。絵美佳はそのまま優一郎を研究室まで引きずり込んだ。
特別研究室。そのプレートのかけられた部屋に絵美佳は優一郎を引っ張って入った。部屋の中央まで進んでから優一郎の手を離す。
「これっ、味見して欲しいの!」
そう言いながら絵美佳は机の上に置いてあった弁当箱を取り上げた。くるり、と振り返って優一郎に突き出す。絵美佳は顔を赤くしながら俯いていた。
「やっと、まともな試作品ができたの! だから味見お願い!」
絵美佳は震える声でそう吐き出した。目の前で優一郎がうろたえているのが判る。絵美佳は意を決してがば、と顔を上げた。
「姉さんがお弁当作るなんて、何があったの?」
困惑しながら訊いてくる優一郎に、何だと、と思いながらも絵美佳はそう返さなかった。しおらしく目を伏せる。訝り顔で優一郎が絵美佳の顔を覗き込む。
「いつまでも、ママに作ってもらうわけにはいかないし。やっぱり手作りのほうが嬉しいかなって」
そう言いながら絵美佳は何となく優一郎から目を逸らした。由梨佳が作る弁当は美味い。それは判っている。絵美佳も久しぶりに由梨佳の弁当を食べてみたが、味はとてもよかった。だから言っていることは嘘ではない。
優一郎はしばらく考え込んでいたが、不意にぽんと手を叩いた。顔から訝りの表情が消える。そして優一郎は微笑みを浮かべた。
「そうか、姉さんも、そうなんだ」
嬉しそうに優一郎が笑っている。絵美佳は内心、姉さん「も」ってなによっ、と思ったがあえて口に出さなかった。赤くなりながらそっと頷く。
優一郎は笑顔で絵美佳の手から弁当箱を受け取った。床に座り込んで包みを解きにかかる。絵美佳も優一郎の傍に腰を下ろした。
「これを、味見すればいいんだね。ってうわっ!」
蓋を開けた瞬間、優一郎が叫ぶ。絵美佳はすっと瞼を半分下ろし、横目で優一郎を見た。優一郎は口許を引きつらせながら弁当箱を覗き込んでいる。
「何か……いいたいことがありそうね」
横目で優一郎を見ながら絵美佳は唇だけで嗤った。優一郎はぎくしゃくと首を動かし、そんな絵美佳を見る。だが絵美佳は顎で弁当を指した。優一郎が再び弁当に目を戻す。
「い、いただきます」
優一郎は小声でそう呟き、震える手で箸を取った。茶色の謎めいたおかずをつまみ、恐る恐る口に運ぶ。だが口に入れてすぐに優一郎の顔に安堵の色が浮かんだ。
「どう、かしら?」
絵美佳は優一郎の様子を伺いながら訊ねた。すると優一郎が笑みを浮かべる。今度は大胆におかずを箸に取り、口に入れる。味わってから優一郎はにっこりと笑った。
「姉さん、味はマト……いや、けっこういけるよ。これ」
途中で慌てて言い直し、優一郎は頷いてみせた。絵美佳は少し引きつったが、すぐににっこりと笑った。良かった、と呟く。
絵美佳が見守る中、優一郎は順調に弁当を片付けていった。途中、何度かこれは何、と問われたが絵美佳はスムーズに質問に答えることが出来た。そもそも、材料におかしいところなどどこにもないのだ。調味料の分量もきちんと測っている。味に問題はない筈だ。何しろ、実験済みのデータなのだから。
最後のおかずを平らげ、優一郎が手を合わせてごちそうさま、と告げた。絵美佳は弁当箱を受け取りながら真剣な顔で優一郎を見た。
「ママのと比べて、どう?」
一番気になる質問をしてみる。すると優一郎は少し考える素振りをした。
「正直言って、見た目は劣る。だけど、姉さんの弁当の味付けは新しいというか、こういうのもありなのかって思わせてくれる部分で、けっこうすごいとおもった。お世辞じゃなくて」
優一郎は真面目な顔でそう告げた。絵美佳はにっこり笑ってありがとう、と素直に感謝した。少なくとも優一郎は全てを食べきったのだ。嘘でないことは確かだろう。本当にまずかったらきっと途中で箸を止めるなりしていた筈だ。
「あの、たこ焼き肉団子が僕は好きかな。良かったらレシピ教えてよ」
真剣にそう訊かれる。そうね、と言いながら絵美佳はゆらりと立ち上がった。壁にかかった時計を見上げる。3、2、1。絵美佳が心の中でカウントを終えた瞬間、優一郎の身体がぐらりと揺れた。
「優一郎、ごめんね……。だけど、あなたのためなの」
そう言いながら絵美佳は傾いた優一郎の身体をそっと支えた。優一郎が頭を押さえて半分だけ目を開ける。
「ね、え……さん?」
だが優一郎は掠れた声でそう呼びかけたきり、目を閉じた。腕の中で寝息を立て始めた優一郎をそっと床に横たえる。用意していた毛布を優一郎にかけ、絵美佳は黙って立ち上がった。
もの凄い弁当を作る絵美佳ですw
この話ではないですが、その後も色々やらかします。