※この作品はR-18です。

時によどみの泡沫は、行きて帰りて[x]と交わる   作:フユキ 

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時によどみの泡沫は、行きて帰りて[x]と交わる①

「ただいま、成幸!」

「おかえ、うわっ!?」

 

 城田空港第1ターミナル。オーストラリアに留学しているうるかが日本で開かれる大会のために帰国するこの日。

 成幸とうるかが恋人になってから初めての再会は、うるかの体当たりにも似た抱擁から始まった。

 待ちきれないと言わんばかりに勢いよく抱きついてきたうるかをなんとか受け止めて、痛くならないくらいに、けれど求めていたことが伝わるように、力を込めて抱きしめ返す。

 

「おかえり、うるか」

「えへへ。ただいま」

 

 気を取り直して挨拶をやり直す。成幸が軽い非難めいた気持ちを込めてうるかを見つめると、うるかはいたずらがバレた子供のような笑みを浮かべる。

 健康的に日焼けした小麦色の肌。紫がかった透き通るような瞳。留学前と変わらず愛くるしい笑顔に、抱きしめる腕から伝わる柔らかい感触。綺麗に整えられた髪からはどこか甘い香りも漂ってきて。

 画面越しではなく、数ヶ月ぶりに直接恋人と再会できたことを実感して、その喜びが成幸の心を占めていく。

 卒業式の日に飛行機の時間で離れなければなかった分を埋めるように、二人はしばらく無言で抱きしめあっていた。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

「急に日本に帰ってくるって聞いたときはビックリした。大会は再来週って言ってたけど、結構早く現地入りするんだな」

「ごめんごめん。普通はもっと直前に入るんだけど、今回は初めての帰国だからちょっと早めに帰らせてもらったんだ」

 

 空港を出て電車に乗って自宅へ帰りながら、成幸はうるかに急な帰国をすることになった理由を聞いていた。

 うるかがオーストラリアのオズウェイ・ヨーギィ大学に留学してから数ヶ月。成幸とうるかは毎日のように通話をしていたが、うるかが日本に帰ってくることを聞いたのはわずか一週間前だった。

 急な帰国に嬉しい気持ちが半分、驚いた気持ちが半分。日本で開かれる大会に参加するためと聞いて納得はしていたものの、他に何かあったのではないかと心配する気持ちもまだ残っていた。

 

「そっか。最初が肝心だしその辺厳しいのかと思ってたけどそうでもないんだな」

「んー、自分のセキニンに任されてるところが大きいかな。生徒っていうよりスポーツ選手って感じだから」

「……なおさら早く帰って来てよかったのか? いや、俺は嬉しいけどさ」

「あはは。まあ、ちょっと準備とか色々あって。それにちゃんと音羽大学の施設も使って練習するし、遊ぶために早く帰って来たんじゃないかんね」

「そっか……音羽大学の施設も使えるんだな」

 

 成幸は珍しく歯切れの悪いうるかの様子に少し違和感を覚えながらも、せっかくの再会を嫌な雰囲気にしたくないと思い、それ以上深く聞かなかった。

 うるかが言わないのであればきっと大丈夫なのだろうし、何より世界で戦う彼女の悩みは、単なる学生でしかない自分が立ち入ってはならない領域の話のように思えた。

 

「交換留学だからね。留学になってるけど学籍はあるから、音羽大学のも使っていいって言われたんだ。それにコーチとは何度か会ってるし」

「それなら安心だな。部員の人たちとは会ったことあるのか?」

「大学生になってからはないかなー。でも国体とかで話した子はけっこーいるよ」

「さすが体育大学……」

「全国に出る子って大体固まってるからね。だからあんまり心配しなくても大丈夫!」

「うん。俺が心配することじゃなかったな」

「ううん。心配してくれたことが嬉しいから」

 

 そう言ってうるかが微笑むと、二人の間に甘酸っぱい空気が広がった。今までの二人にはなかった空気になんとなく気恥ずかしさを感じる。画面越しの会話と直接向かい合っての会話では、やはり勝手が違う。

 

「それより、あたしとしては成幸がどこに連れてってくれるかのほうが心配かなー?」

 

 甘い空気に浸っていた成幸に、うるかが成幸にとって爆弾のような言葉を投げかけた。不意打ち気味の言葉だったので、思わずギクッと体を震わせてしまう。

 その様子をうるかが訝しげに見つめて一言。

 

「……まさか忘れてないよね?」

「わ、忘れるわけ無いだろ! ……初デート。俺だって楽しみにしてるんだからさ」

「そ、そっか。成幸も……えへへ」

 

 自分と同じように初デートを楽しみにしていると知っただけで、心の底から嬉しそうにふやけたような笑みを浮かべる。恋人のそんな姿が愛おしくて胸がギュッと締め付けられる。

 オーストラリアに留学して、一人きりで水泳に打ち込んでいる彼女の数ヶ月ぶりの帰国。そして付き合ってから初のデート。

 頑張っているうるかのためにも彼女が目いっぱい楽しめるようにしようと、成幸は決意を新たにした。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

「どうしよう……」

 

 うるかと別れて帰宅してから数時間。2日後に迫ったうるかとのデートをどうするか。成幸は未だに悩んでいた。

 うるかの帰国が決まってから、どうすればうるかが一番喜んでくれるのか考えていたが、考えれば考えるほどもっといいものがあるように思えて余計に迷ってしまっていた。帰国したうるかに会い、うるかもこのデートを大切に思っていてくれていることを知ったのでなおさらだ。

 

「お兄ちゃんまだ悩んでるの?」

 

 ちゃぶ台に肘をついて頭を抱えながら唸っている成幸を心配して水希が声をかける。一週間前、うるかが帰ってくると聞いて喜んでいた成幸に、二人でどこかに出かけるのと水希が聞いてからずっとこの調子だ。大切なデートとはいえ悩み過ぎではないかと思ってはいたが、デートを明後日に控えていながらもまだ悩んでいる様子を見てさすがに心配になっていた。

 水希から声をかけられた成幸は、助けを求めるような顔をして水希を見つめると、

 

「水希。相談したいことがあるんだけど……」

 

 と、絞り出すような声で助けを求めた。

 

「うううぅぅ………。はぁ……武元先輩ならしょうがないか……」

 

 受験のときと同じかそれ以上に悩んでいる成幸の様子を見て、水希は苦渋の決断をするかのような顔をしながら諦めたように返事をする。

 今この瞬間、水希の中で成幸とうるかが付き合うことを正式に受け入れるかどうかについて深い葛藤があったのだが、ただ様子がおかしいなと見ていただけの成幸には知る由もなかった。

 

「あのね、お兄ちゃん。そもそも恋人とのデートの場所を他の女の子に聞くこと自体良くないからね」

「うぐっ! い、妹でもダメか?」

「ダメ。武元先輩が聞いたら……まあ武元先輩はあたしに聞いたって言っても気にしないかもしれないけど、でもお兄ちゃんが考えてくれたほうが嬉しいに決まってるでしょ?」

 

 水希の鋭いツッコミが成幸に突き刺さる。成幸も当然デートの行き先はできる限り自分で考えなければならないと思っていたし、聞くにしても女子に聞くことはタブーだと理解していた。もしもうるかがそのことを知ってしまえば当然良い気はしないだろうということもわかっていた。ただそれでも妹ならばと聞いたのだが、真正面から切り捨てられることとまでは思っていなかった。

 水希にとっては自分のした葛藤に対する、ちょっとした意趣返しの気持ちも込めた言葉だった。軽くショックを受けたような成幸の様子を見て満足した水希は、今度こそ成幸の質問に答える。

 

「……まあもし私だったら、逆の立場だったらどうしたいかって考えるかな」

「逆の立場?」

「うん。遠距離恋愛で自分から久々に会いに行ったとしたら、どういうデートだと嬉しいかなって。もちろん普通のデートでも嬉しいと思うけど」

「自分が会いに行ったらか……」

「ヒントになった?」

「ああ、そういうのは考えてなかったから助かったよ」

「良かった。でも考えるのも程々にね。寝不足で体調悪くしたなんて最悪だから」

「気をつけるよ。ありがとな」

「どういたしまして」

 

 自分が逆の立場になったらどうしたいか。うるかに会いにオーストラリアに行ったとすれば成幸にとって初の海外旅行だ。どこに行っても楽しいだろうし、うるかといればなおさらだ。見たことがない景色も……とそこまで考えてこれは違うと思い直す。

 うるかは海外から日本に帰ってくる側だ。見慣れた町に帰ってくるのだから見たことがない景色というわけにはいかない。

 いつもの場所をうるかと2人で歩くことを想像してみて……それも楽しいだろうなと思っている自分に成幸は気づいた。久々に帰ってきた日本で、好きな人と2人で懐かしい場所を訪れる。それだけでもうるかとなら十分楽しいひと時を過ごせるだろうと想像できる。

 気負い過ぎだったかなと成幸は先程までの自分を振り返る。何ヶ月も会えなかった好きな人と2人でいられるのなら、大抵の場所では楽しく過ごせる。そんなことすら気づかないくらい考えすぎていた。

 ……とはいえ、それに甘えてしまうのはまた話が別だ。今度は考えすぎないように。けれど真剣に。うるかが日本に帰ってきたとして何をしたいか、何が嬉しいか。自分に置き換えてみてもう一度しっかり考えようと決意を新たにした。

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 うるかが帰国してから2日後、成幸とうるかの初デートの日。成幸は待ち合わせ場所の駅でうるかを待っていた。駅に着いてからは数分おきに、落ち着かない様子で頻繁にスマートフォンを取り出して時間を確認している。今日は絶対に遅れるわけにはいかないからと待ち合わせ場所に30分以上前から着いてからずっとそうしていた。待ち合わせの場所には成幸と同じように待ち合わせをしている人や、集まってどこに行くか相談している学生などが大勢いて騒がしかったが、静かな場所にいると余計に緊張してしまいそうな成幸にとっては、この騒がしさがむしろありがたかった。

 

「成幸! ごめん、待った?」

 

 スマートフォンに目を落として時間を確認していたところにうるかの声がして、成幸は顔を上げた。

 

「いや、ぜんぜ……」

 

 目の前には見慣れない少女の姿があった。胸元にリボンをあしらった白いワンピースに、薄いベージュのサマーカーディガンを重ねて、それにつば広で瑠璃色のリボンをアクセントにした白い帽子。やや高めのヒールの白いサンダルは上品で大人びた雰囲気を醸し出している。一瞬の間を置いて、成幸はその少女が武元うるか、自身の恋人であることに思い至った。

 普段の女の子らしくもスポーティーな雰囲気は鳴りを潜めて、女性らしさを全面に漂わせた姿。誰より親しい恋人の、けれど見慣れない姿を前に、騒がしかった雑踏の音はどこか遠くへ消えていき、成幸はただ恋人の、普段より一層美しい姿に見惚れていた。

 

「えっと、ど、どうかな?」

 

 目を見開いて固まった成幸に、うるかは緊張した声で問いかける。うるかの声で我に返った成幸は、一つ咳払いをして素直な気持ちを伝える。

 

「凄く似合ってる。……いっつも可愛いんだけど、今日はその、いつも以上っていうか格別で……見惚れてちょっと言葉が出なかった。ごめん」

「うぇっ!? ちょ、ちょっと成幸、恥ずかしいってば! ……その、ありがと。不安だったから、嬉しい」

 

 うるかは恥ずかしさで顔を真っ赤に染めながら、口元を緩ませた嬉しさを隠しきれない表情でそうつぶやく。成幸も声が出なかったことを説明するためとはいえ、ストレートに言い過ぎたなと少し後悔しながら顔を赤くしていた。

 そのままなんとなく2人で目線を合わせては目をそらすというようなことを何度か繰り返して。周りの目もなんとなく痛くなってきて。いつまでやっているのかと自分自身に活を入れ、成幸はうるかに切り出した。

 

「え、えっと、今日行くところ、一応2種類考えてきたんだ」

「う、うん!」

「午前中はうるかが前に行きたいって言ってた水族館行こうと思ってるから午後のほうなんだけど、一つはうるかがオーストラリアに行ってる間に流行ったところとか行こうかなと」

「うんうん」

「もう一つは……これデートって言っていいのかって感じなんだけど。その、俺が通ってる大学の辺りをブラブラしながら、俺が普段どう過ごしてるか話そうかなと……」

「成幸の大学生活かぁ……。うん、気になる。そっちにしよ!」

「い、いいのか?」

 

 自分がうるかのところに行ったとしたら、うるかが留学中どんな生活をしているのか知りたい。そんな思いで、でもデートらしくないからとおそるおそる提案したプランをあっさりとうるかが受け入れてくれたことに、成幸は喜びつつも驚いて聞き返した。

 

「いいのかって、成幸が考えたんでしょ? 大学生になった成幸のことちゃんと知っておきたいし、すっごく行きたい。オシャレなところ行くのもいいけど……中学から一緒だったのに初めて離れちゃったから、大学のこと知りたいほうが強いかなって。……あ、でも最初のも行きたいから、次のデートで行こ! あんまりこっちの事情に疎くなるのも嫌だしね」

「……そっか。次もあるんだよな」

「当たり前じゃん。何言ってんの? ……あ、大会終わったら即帰国ってわけじゃないし、それまでだってまだ少し予定空いてるから。別に練習サボるとかじゃないかんね」

 

 うるかの言葉にわかってる、と答えつつ、成幸は緊張が解けていくのを感じていた。

 成幸にとって今日のデートはもちろん楽しみではあったが、同時につまらないデートと思われて嫌われてしまわないかとか、呆れられて別れを切り出されないかとか、そんな不安も同時にあった。うるかがそんなことを思うわけはないと思いつつも、それでもそんなネガティブな気持ちも少なくはなかった。恋人になる前には感じなかった緊張感。友達から恋人になったことで変わった関係性を成幸は体感していた。

 そんな成幸の緊張を、次を楽しみにしているといううるかの言葉がほぐしてくれた。まだ始まってもいないのに気が早いが、それでも成幸は心の重荷が随分と軽くなったのを感じていた。

 

「ありがとな。うるか」

「うん? 別にあたしが行きたいの選んだだけだし。こっちこそ急だったのに考えてくれてありがと」

「それじゃなく……いや、いいか」

「……そういうこと言われると気になるんだけどなー」

 

 ジトーっとした目でうるかが成幸を見つめる。隠し事するんだ、と訴えるような目つきが成幸を射抜く。

 うるかの不満げな様子は理解しつつも、次もあることを当然のように言ってくれたのが嬉しかったなんてことを言っても戸惑わせてしまうだけなのは目に見えている。

 

「ほんと大したことじゃないから。それより電車が来るから行こう」

 

 成幸はごまかすように駅のホームへ向かうよううるかを促した。緊張がほぐれたおかげか、自然とうるかの手を取ることが出来た。滑らかで柔らかい上質な絹に触れているような心地よい感触が手に伝わり、もっと触れ合いたいと半ば無意識にうるかの手に指を絡める。

 

「あっ……。しょ、しょうがないなー、ごまかされたげる」

 

 成幸の思いがけない積極的な行動に、うるかは顔を赤らめて答える。その声を聞いて成幸は自分が大胆なことをしていることに今更ながらに気づいた。嫌がってはいないかとおそるおそるうるかを見ると、うるかは頬を赤く染めて顔をほころばせている。少なくとも嫌がられてはいないことに成幸は安堵した。

 落ち着いた成幸は、改めて繋いだ手に目を向ける。隙間なく密着した手のひらからはうるかの熱が伝わり、絡み合った指一本一本の感触まで鮮明に感じられる。恋人になる前にはすることのない目に見える繋がり。意識をすると鼓動が早まり、口の中が渇いていく。なにか言葉を出そうとしたが、声が裏返ってしまいそうになって諦めた。先ほどまでと同じくらい、もしかしたらそれ以上に緊張していることを成幸は感じていたが、同時に今度の緊張はそれほど悪いものではないとも思っていた。

 さっきまでの緊張は不安から感じたもので、今の緊張はこれまでと違う関係に踏み出したから感じたもの。うるかが受け入れてくれていることもわかっている。だから同じ緊張でもこれも悪くないと思える余裕があった。これから何度もうるかと会って同じことをするのだから、このそわそわとした気分を感じられるのはきっとそれほど多くはない。そう考えるとこの緊張感も楽しみたいと思えたし、それになにより、好きな人とこうして手を繋ぐということは、ただそれだけでどうしようもなく心が躍る。

 だからそのまま無理に話そうとせず、成幸とうるかの2人は心地よい緊張感に身を任せたまま、目的地に向かう電車の来るホームまでゆっくりと歩いていった。

 ホームに着くとちょうど電車が来たのでそのまま乗り込む。席が空いていなかったので手を繋いだまま向かいのドアの前まで進んだ。手を離すタイミングがなかったから手は繋いだままで、同じ様に無言のままでいた。

 成幸とうるかの2人はきっとそのうち慣れるだろうと同じことを考えて、今はただ穏やかな沈黙に浸りながら、この状況を楽しむように、お互いに目を合わせてはにかんだ笑みを浮かべていた。

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