※この作品はR-18です。

砕けよわが悪魔   作:伊土 讃阿

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ノットフラットミュージック

 

 

 

/ノットフラットミュージック

 

 

 

 ないが自室で、右から左へ流れていく環境パッケージのリストをCPでなんとはなしに眺めながらミルクチョコレートを摘まんでいると、メッセージが入った。

『次のデートの計画中ですか?』

 そのような忌まわしい冗談をないに送ってくるものは、月面ではただひとりしかいない。

「ええ」相手をするの億劫だと、ないはつっけんどんに返した。

『それにしてはあまり乗り気じゃなさそうですね。ふつう、年頃の女の子はもっと浮き浮きしながら、彼女とどこに行くか考えるものですよ』

「贔屓していないだけよ。仕事だもの。わたしは、すべての患者は平等だと思っているから」

『そうですか。ほかの仕事はまったく進んでないように見えますけど』

「っ……」

 これ見よがしにCPの画面いっぱいにアクティブにされた、作りかけのカリキュラム、書きかけの報告書、整理しようとして逆に煩雑になったデータなどのタスクを追いやって、ないはベッドに倒れ込んだ。

『気にしているんですね。告白されたことを』

「あの子は――、あの子は、かけらでも親愛を感じたら、誰にでも好きと言うわ。あなたにでさえね」

『それは光栄ですね。でも接吻までするでしょうか』

「今のあなたには接吻される肉体もモデルもないじゃない」

『あなたらしくない反論ですね。では、VIVIにそういった現実の肉体(ウェットウェア)や仮想の外観(ドライウェア)があれば、ミツバさんは接吻するでしょうか?』

「……」ないは唇を噛んだ。

 くゆりの想いを、ないはどうしても確信をもって判断できなかった。本当に恋慕の情を抱いているのか……ただ慕われているだけなのか。だが――。

「わたしの場合は、性行為をすでに済ませているからよ」

『性行為は、レディに強制されたからでしょう? それにミツバさんが他者との接触行為を、あなたとおなじように、キスからはじまり性行為で終わる段階的な構造で捉えているとは限りません。そもそもまともな性教育を受ける以前の知識レベルだったようですから』

 ないはしかめっ面になった。「ぅむ……」ぐうの音も出なかった。

『本当に、あなたらしくない反論ですね。まったく、外見(スキン)はガチ恋オッケーと豪語しておきながら、中身が全然ガチ恋オッケーじゃないじゃありませんか』

「……うるさいわね」

 だが、直感だけはしていた。くゆりの気持ちは、おそらく本物であると。

 予め設計したカリキュラムを超えて、そういった情愛の念を向けられることは多々あった。予感があれば、患者の背景、バイタル、心理状態、行動心理学的見地などから正確に分析し、判断していた。

 そのほとんどはVCD・サイマト中のめくるめく性体験を起因とする一時的な疑似恋愛感情であったが、なかには間違いなく健全な恋慕を宿していたものもいた。

 だがないに興味があるのは、個人としての患者ではない。それに、患者の恋の対象はあくまで、邂逅する前から患者に合わせて事前にないが設計していた人格(キャラクタ)に過ぎない。ないの本当の容姿とは似ても似つかないし、演じてきた人格もまったく異なっていた。これはない自身の自己防衛のためにも必然であった。

 ないは冷静に自身と人格(ロール)を乖離して扱い、その恋慕をことごとく巧みにかわし、カリキュラムの終了と同時に甘く切ないが納得のいく別離を演出すらしてやったものだった。

 だがくゆりの場合、既知の人格(キャラクタ)を用いたセラピーが失敗に終わっていた。その上、くゆりはデータ不足で、ひとというものをほとんど知らなかったから、くゆりが好意的に感じるであろう未知の人格(キャラクタ)を算出することすら叶わなかった。

 ないは急遽、現実の自分の外見に多少手を加えたスキンを使用せざるを得なかった。人格の方ももちろんのこと、ほとんど素のないだった。

 VIVIは追撃する。『いつもはそつなくこなしてきたのに、いったいどうしたんですか? ……まァ、VIVIには思い当たる節がありますけど』

「なによ」見透かされたようで、むっとするない。

『ぶっちゃけ、タイプなんでしょう。少女性愛(ロリコン)のけがありますからね、レディは』

「そんなわけないでしょう、わたしは!」

『まァ、そうでしょうとも。今は。厳密には』

 意味ありげな表現に、業腹ながらも――しかし声を張り上げたことで、ないはかえって落ち着きと素直さを取り戻していた。「わたしは――今は、あの子に救われてほしいのよ。せめておとなになるまでは……ひとつぐらい、安寧を知っていてほしいの。今のあの子にわたしが必要なら、そうしてあげたいのよ……ただ――」

 

 

 

 

 

 

 香取家は染め物の名家だった。染め物、というのはエピジェネティクスに基づく自然な遺伝子の発現編集処置のことを指す。

 筋力増強、形質変化、神経強化などなど――、バイオ工学によるあとづけの肉体強化とできることはさほど変わりはないし、最終的な出力は数段劣り、食生活などに様々な制約が課され、なにより完成までに時間がかかる染め物だったが、その最大のメリットは、オーガニズムレベルを占有しないことにあった。

 血統、爵位を問わず、身体能力を底上げできるため、染め物はらゆる階層のLMOに広く利用されており、とりわけ騎士にとっては予防接種と並んで幼少期に遺伝子を染めておくのはスタンダードとされていた。

 香取家は、ミクロスケールからマクロスケールまで幅広く精密な振動を制御するその微細振動魔術をもって、メチル化されたターゲット遺伝子を急速に確実に活性化し、信頼性の高いエピジェネティック加工を達成することで、莫大な資産を築きあげていたのだった。

 そのような経緯から、現香取家当主の末娘として生まれたないは、現代最高のあらゆる染め物に加え、数多の高速催眠学習や、演算器インプラントをオーガニズムレベルいっぱいまで受け、十一のときには大学を首席で卒業した。躍進的で画期を成す研究成果を出し、学界でもその名を知らぬものなどひとりもいなかった――その鼻持ちならなさにおいても。

 ――名声、富、容姿、知性で自分を越えなければ結婚しないわ。

 資産と権力目当てに言い寄ってくる老若男女はあとを絶たなかったが、ないは一貫して、そう告げて突っぱねた。そんなものが顕れるわけがないと、わかっておきながら。

 当時のないは、協調性という名の馴れあいを理解できていなかった。いや、理解することはできたが、共感しようという気がまるでなかった。自分には不要と排斥した。それを理解する歳に達する頃にはもう、自分ひとりでなんでもこなせていたからだ。

 他人を批判し、踏みつぶすことにも躊躇がなかった。むしろ自分の優位性を保つために、進んでそうしていたきらいさえある。それはなかば、八つ当たりじみていた。

 ないは完璧主義者だった。そう教育されたからだ。自身のことに関しては、自分の意思の制御下に置かなければ気が済まなかった。だから――物心ついて自分の人生を見つめ直したとき、どうあがいても自分の人生の主導権を取り戻せないことを思い知り、ないは早々に己の人生を憎悪し、そして諦めた。

 ないの人生は決まっていた。初めから両親の言いなりになるしか道はなかったし、一度そのレールに乗った時点で取り返しがつかなかった。

 父親は、ないが香取家を継ぐことを望んだ。ところがないは父親の意向に従うのもいやだったし、染め物にもまるで興味がなかった。それは自分で選んだ選択肢ではなかったからだ。自分でコントロールしたわけではなかったからだ。

 ないの母親は、今どき珍しい携挙(ラプチャー)派の信徒だった。香取の当主たるないの父親は、その家業を正当化するために、ティヤール的進化論を掲げて実践的オメガポイントを目指す携挙(ラプチャー)派に擦り寄る政略的な手段を取っていた。領主に目をつけられぬよう、教会に多額の寄付をし、染め物の建前としていたのだ。

 敬虔な母親は、ないを厳格に躾けた。どのような人間が地獄に落ちるのか、毎日聞かせて育てた。ないはうんざりしていた。神は信じていなかったし、共感できなかった。憎んでさえいた。こんな人生にしてくれたことを。天職が笑わせる、と。

 ある学会の懇親会だった。ないと同じセッションだった、ぼんぼんで無能な女学生たちに、飲み物に酒を混ぜられた。介抱するという名目で部屋に連れ込まれた。MAYを打たれた。未登録の改造インタポーザでレイプされた。

 四人の女学生に輪姦されながら、ないは幻視した。迫りくる神の国を――母の言う地獄に落ちたものたちが歓喜する、至高の天国を。

 苦痛愛好(アルゴフィリア)、獣姦性愛(ズーフィリア)、近親性愛(インセスト)、自己死性愛(オートアサシノフィリア)、屍体性愛(ネクロフィリア)、食人性愛(カニバリズム)、欠損性愛(アポテムノフィリア)、体内進入性愛(エンドソーマフィリア)、彫像愛(ピグマリオニズム)、悪魔性愛(デモノフィリア)……。

 母の擦り込み(インプリンティング)によって、負に結びつけていたあらゆる歓喜を、そこに見た。MAYで観る天国は、ないにとって極めて自然に思え、そして、出会った――あの方に。

 美は太陽よりも勝り、知性は万物を治め、富は世界の隅々まで広がっているような、あの方に。

 それこそまさに、光のなかでのみ観うる、神格という概念が持つ象徴性の元型。モノミス・モデルのさらなるアーキタイプだった。それは月に降り立った、太陽神が、地上に産まれ出づ前の本源でもあった。

 かの光明神はいつしか時代が下るにつれ、予言や詩歌、音楽、呪術、医術といった様々な性格を付与され、またある場所では蛇、狼、蝗、鼠といった悪魔の地位にまで落とされたが、それはその暗黒の側面、原初の地底蛇(ピュートーン)がもたらす瘴気によってトランスした巫女が託宣所(デルポイ)で観た幻覚の習合、および父権的な予言者の手によって政治的に解釈された言葉の上での姿に過ぎない――だからこそ闇のなかの、光のなかの神格なのであった――。

 その正体は、端的に言えば幻覚性植物(エンセオジェン)が観せた幻だった。実体のない内なる光のなかに由来しているために、観測者が変わる都度、様々な姿を取り、意味や権能が複合していったのだ。仏教における仏が、エウヘメリズム的集合概念であるのに近い。

 古代、その幻を観うる樹木が原産地たるとある島から沿岸都市へ、そして世界の臍とも称された都市国家へと移ってきた過程で、幻そのものを指すその名を、幻の特定の内容と誤解されてしまったために、今では名前だけが伝わっているが、その本質とは要するに、視覚的・象徴的に、現実へ具象化するという神の権能のことであった。

 ただしそれは大地と生命が生んだ内なる観えた幻であって、システム化された観えない天の神ではない。あくまで光を像として認識するちから――観測するというちからを人間が持っていたこと自体が、その神格の根源だった。すなわち、かの神の主体性は、観測するというちからを持つ人間にこそあったのだ。

 人類という代謝機械が、光を食らって思想を排泄する前の段階――もっとも原始的な、観念以前の観念。それは、人間の神としてはある意味で正しかった。光こそ観測の第一義なのであり、人類の先天性、人類の無間の海宙とその闇にうごめく細菌の抑制均衡足らしめている原理だった。

 そもそも生物圏(バイオスフィア)的観点から言っても、光は生命としての人類の動力でもあり、それは疑いようがなかった。なぜなら地上のあらゆる生物は、その活動エネルギーのもとをたどっていけばすべて光合成に行きつくのだから――。

 ないはそれを信仰した。光だけではなく、その人類の元型の機構――人類の魂のファームウェアを。

 ないはその幻の知をすべて受け入れ、飲み込んだ――ゆえに、本能に直結する価値観を歪曲されながらも、ただしく自我を保っていた。しかしそのこころは、完全に囚われていた。

 ないは光のなかの存在について、もう一度確かめたかった。飢えたように。渇いたように。狂おしいまでに。冷徹な理性のなかで、それを観測したかった。それが生まれて初めてないに芽生えた、信仰心だった。

 とはいえ、再度MAYを服用することは危険すぎた。理性を喪う可能性すらある。それはないには承服できなかった。ないはすべてのコントロールを望んでいた。

 ないの目的にかなう手段は、たったひとつしかなかった。ないは、MAY患者の夢を窃視するため、セラピストの資格を取って月へ行くことを決めた。母の信奉するティヤールを憎んだないが限定的ヌースフィアであるVCD・サイマトに向かったのは一種のアイロニーだったのだが。

 かくして、不良品のインタポーザで強姦されたために望まぬ子を宿していたないは、五つの重大な連合法違反をして中絶し、遺伝子から親を特定して血筋を社会的破局に追いやるささやかな復讐を遂げたあと、実家と絶縁、月の託宣所(セレーネ・デルポイ)行へのシャトルに乗った。

 ところが、ないの波乱は、まだ積み重なる。月への道半ばにして、シャトルは竜に襲撃され、撃墜されたのだ。奇跡的に救助されたが、ないは心臓をひどく損傷していた。簡易ジェネレータを搭載していたため、月面基地までは踏みとどまっていたが、ないは昏睡状態に陥り、月面基地の治療槽で生死の境をさまよった。

 そして不思議なことに、ないは眠っている間、再びあの幻を観た。もちろんMAYは1mgも投与されていなかったにもかかわらず、だ。ないは、幻のなかであの方と、再会した。

 あの方は、ないに契約を持ちかけてきた。地上に真に降臨するために、ないの手助けが必要なのだと囁いた。ないは二つ返事で承諾し、あの方と契約を結んだ。契約の証に、心臓を交換した。奇しくも、かのシエナの聖女と同じように。

 ただし――それが完全な神(ひと)違いで、契約した相手が悪魔だと気づいたのは、目が覚めてからだった。

 

 

 

 

 

 

 ないは胸に手を置いて――心臓の上を撫でた。「アーク、海宙のシミュレーション結果、再現できるかしら」

『アデッドですか?』

「ばか言わないで。海宙拡張再製者(マーメイド)――レジスタンスの、ヘレンの記録よ」

『どちらも共食いしますし、大差ないのでは?』

「ロマンチックなのがいいの」

『なるほど。わかりました、手配しておきましょう。――ロマンチックといえば、地上時代では恋人の瞳で乾杯していたとか』

 ないは本日いつつめのチョコレートを齧った。「そう。野蛮だったのね。ジェネレータもないのに、二回しかできないじゃない」

『戒めの意味もあったのかもしれません。奔放で、離婚も珍しくなかったそうですから』

「ますますもって野蛮ね」ないもまた、そういえば、と思い至る。「神の子も、血をワイン、肉をパン、とか言っていたかしら」

『それは晩餐でしこたま飲んだあとの発言らしいですね。ちなみに、古代ではよくワインに麻薬を入れて飲みまわしていたのだとか。VIVIが――二十一世紀生まれの人間が、大麻をまわし喫みしていたのと同じように』

「麻薬の血――なるほど、人類救済者の元型たる先見者(プロメテウス)の御血(イコル)ということね」

『アムリタ、変若水、ハオマ、ネクタル、エリクサー……神が飲み食いし、その御身に流れていた物質はだいたいにおいて、本来は麻薬でしたからね』

「まったく、飲んだくれと麻薬中毒者はいつの時代も厄介なのね」

『迷いごとをさも深遠なふうに言い伝える狂信者に問題があると思いますよ。というのも、かの神の子以前からパンを神の肉体と呼ぶ習慣はあったそうですから。つまり、パンを自らの肉体ということで自らを神格化しようとしたジョークだったとも解釈できるんです。それを信者が取り違えたんですね』

「ふゥん。案外、聖典というのも、迷いごと集のような内輪ネタのジョークブックだったのかもしれないわね」

『けだし名言ですね。気に入りました。あなたの聖典に載せておきましょう』

 ないは鼻を鳴らした。「どうせなら大麻のパルプでつくってちょうだい。焚書してあげるから」

『なかなかどうしてエスプリの効いた楽しみ方ですね。もっとも、月の託宣所(セレーネ・デルポイ)で発生した煙はVIVIがすぐに吸引して清浄化してしまいますけど』

「かまわないわ。あなたをハイにしてやりたいだけだから」

『あら、これは一本取られました』

 

 

 

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