※この作品はR-18です。

砕けよわが悪魔   作:伊土 讃阿

15 / 18
石鹸箱の毒

 

 

 

/石鹸箱の毒

 

 

 

 激烈な横揺れに見舞われ、くゆりの首は捩じ切れそうになった。

 大型機獣(クク)が苦悶(エラー)の声をあげる。『駆動系、重大損傷発生。第一から第三粒子推進機関、機能停止。右後肢、脱落。冷却水、漏洩。積分回路、短絡――』

 意識が飛びかけていたくゆりは、半分も聞いていなかった。もっとも、聞いていたところで、対処するだけの知識も技術もなかった。

 後方視界に、蛇の尾をもつ巨大な鷲が赤く染まった空を背に、鉄をも切り裂く爪を斜陽できらめかせているのが映った。

 ――またくる……!

 今度は、覚えたての急制動をかける。凄まじいGのハンマーがくゆりの胸をしたたかに打ち据え、肺と心臓を押しつぶす。

 鷲のエーテル活動群の鋭爪を束の間やり過ごし、即座に推進機関の出力を最大に。高速回転する鋼の牙を剥いて、機獣(クク)が踊りかかる――が、初速が足らずにタイミングがずれる。逆に一閃を浴びる。ククの頭部(メインカメラ)が、すっぱりと切り飛ばされる。

 そしてすれ違いざまのさらなる一太刀で、機獣(クク)の背部は切開され、コクピットは剥き出しに。気圧差で外に吸い出されそうになる。

 当たりどころが悪かったのか、今の一撃でメインCPUをも破壊され、何ヶ月もの間、たったひとりのくゆりの相棒として数々のエーテル活動群や連合スフィアの追っ手、スフィア・御三堵(ミミッド)の空域に巣食うゴロツキから逃亡するのを助けてくれた機獣(クク)は完全沈黙――、一万メートル下の地表に引き寄せられていく。

 くゆりが墜落の浮遊感に怯える暇はなかった。機獣(クク)の無惨にも切り拓かれた傷口から、猛禽類の眼が覗きこんでいたから。

 嘴が、くゆりを啄まんとかっと開かれた――その瞬間、鷲の頭部が、電動おろし器にでもかけられたかのように、ずたずたの肉片へと変貌した。

 突然の事態に呆然とするくゆりの視界に、鷲の代わりに、顔を覗かせたのは――。

「うわグロッ! ってか緑色なんだ、大陸生物の血って――しばらくお抹茶飲めないなーこれ……」ひとりの狐。「やっほー、生きてる?」

 見た目から言って、おそらく母親と同年代。澄んだ紫の瞳をした金毛のその狐態LMOは、箒型の小型機動ユニットに腰掛け、ひどく悠々とした態度だった。

「あ……、あなたは――」

「あたし? この辺の空をシマにしてる空賊。なんか襲われてるぽかったから、攻撃しちゃったけど、よかったよね?」

「あ……うん、あり、がと――、えと……」

 狐の女性が手を差し出した。「あー、とりあえずこっから出よっか。このままだと落ちて死んじゃうし?」

 狐に引き上げられ、箒にまたがる。箒は軽やかに上昇していき――あちこちから煙を吹きだし火花を散らしていた機獣(クク)は、雲の下に消えていった。スフィア・計都(ケイト)と同じように。

 間髪おかずに、箒が影に入った。沈みかけていた夕日を遮ったのは、流線形の白銀の高速船――骨を齧る鼠と狐、髑髏のペインティング。

 本物の空賊――くゆりは警戒心を強めた。

 エーテル活動群を一撃で屠るほどの魔術からして、少なくとも爵位は持っているはずだった。

 貴族崩れの空賊は、危険だった。強大な魔術をもっている上に、傲慢で知恵があり、狡猾で、制御不能。

 逃げる算段を立てる前に、箒は船に収容された。ふらつく。頭がまわらない。

 ――このまま、どうなっちゃうんだろ、あたし……。

 疲労が重すぎた。スフィア・計都(ケイト)から持ちだせていた最後のものにしてもっとも頼りになるククをついに失い、すべてを諦めかけていたのかもしれない。

 狐態LMOのしっとりした手に引かれ、狭苦しいハンガーから出て、船室に連れて行かれる。待ち受けていたのは――。

 ――……うそ。

「あざみさん、平気だった……?」おとなびている割に狐よりもずっと若く見える、おどおどした様子の鼠態LMOと――。

「よゆーよゆー。いや、結構トラウマもんだったけど。あ、ゆうひちゃん、しばらくミドリミドリしたごはんはやめてね?」

「……」狐に頭を撫でられた、無表情な幼い猫態LMO。

 ――まさか。

 狐が指を立てていく。「お抹茶とか、ジェノベーゼソース系のとか、あとは、グリーンサラダとか」

 その猫は、白毛で、褐色の肌をしていたが――。

 鼠が訝しむ。「グリーンサラダは、あざみさんが嫌いなだけじゃない……?」

「あはは、さすがかのん先生。なんでもお見通しかァ」

「もう……、先生は、やめて」

 そのあどけない顔つき。その深いあめ色の瞳。それだけは、見間違いようがなかった。

「ああ――、そん、な――」くゆりはくずおれた。

 毎日、その写真を見ていたから。見せてほしいと、母に頼んでいたから。

 その写真のなかで――母の隣で、いつも無邪気な笑顔を咲かせていたから。

「――ママ」

 変わり果てた胤親の姿が、そこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

「何度も言うけど……、いい? この忘れ薬で、記憶を失っていられる期間は、二か月だけ。必ずそれまでに……、月の民の、資格を得ること」

 静粛飛行で航行する高速船の船室にて、耐衝撃・耐熱・耐電磁に優れた医薬用ケースに並んだみっつのイオン注射器のうち、くゆりから見て左端を指して、鼠態LMOは再三に渡って念押しした。

 厭うことなく、その都度くゆりはちから強く頷きを返した。「うん、わかってる、メイ先生」

 メイがそれだけ薬品の取り扱いに注意している理由を、十分に承知していたからだ。自分たちの計画の重要性、そして自分が担うその役割の重さを、だれよりも噛みしめていたからだ。

 次は真ん中。「それからこっちは、やっと完成した……設計図を歪められる前の、Mouth of Absolute Yearning――絶対思慕の入口。真の鼠薬(MAY)の、サンプル。うまくできていれば、疑似明晰者になれるはず。実際に使ってみるしか、確かめられないのが、申し訳ないんだけど――」メイの眼の下には、濃い影ができている。

 くゆりはかぶりを振った。ちから強く。「んーん、メイ先生を信じてる。薬の正典(カノン)、なんでしょ?」

 メイは赤らみ、俯いた。「その呼び名は、やめて」そして最後の一本を、触れるのもおぞましいとばかりに、苦々しげな視線で示した。「そして、これが、信仰反転性幻覚薬――偽MAY。サンセットリゾート最悪の、遺産。一回で意識が剥離するように調整しているわ。目的地に着いたら、使って」

 もうこれ以上は見たくないという顔で、メイはケースの蓋を閉じた。「二ヶ月……。これは、肝に銘じておいて。忘れ薬が切れてなお、意識が剥離していたら、最悪の場合、計画が露見して、取り返しのつかないことになる」

「わかってるよ。二ヶ月で退院して、ニキーダ・ヴァイラヴァに搭載された超密度有機結晶コンピュータを奪って地球に帰ってきて――まひるさんを、解凍する。ちゃんと、頭に入ってる」

 居たたまれなさか、メイは一瞬視線を逸らしかけ、しかしくゆりを正面からはたと見据えた。「お願い、ミツバちゃん。あたしは、あのひとに一年で助けてもらえたけど……あの時間は、本当の本当に、地獄だった。信仰反転性幻覚なんかが、生ぬるく感じられるぐらい。それを、あのひとは、もう……十年も――」

 背後から狐態LMOが、ぎゅっとくゆりを抱き寄せた。「――ごめん。大事なとこ、全部あんたに任せちゃって。たったひとりで、月にまで行かせちゃって。あんたはまだこどもで、あたしらはいいおとなだってのに、なんにもできなくて――」

 柔らかな二の腕を、くゆりはぽんぽんと叩く。「んーん、いいの、ナリアさん。これは、くゆがやりたいことだから。くゆの手で、やり遂げたいことだから」

 メイとも抱擁を交わしあうと、くゆりは、傍らで手持無沙汰に佇立していた猫態LMOをベースにしたセクサロイド――ゆうひの頬に手を添えた。「すべては……連合に、ごめんなさいをさせるため。連合は、くゆの世界を焼き滅ぼした……だからくゆは、連合の世界を毒(エーテル)の泡に沈めて、悲しいことはやめなくちゃいけないって、教えてあげなきゃいけないの。そして、ママをおもちゃにしてごめんなさいって、ママに謝ってもらわなきゃいけないの。そうしないとくゆは、連合を許してあげられないから……。雷光鉄火の、娘として」

 高速船の前方に、スフィア・御三堵(ミミッド)の碧の大地の姿がおぼろげに浮かびあがってきた。

 ――絶対に、成し遂げる。どんなものを、利用してでも。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。