百合はいつかガンに効くようになる!オルタナティブ! 作:伊土 讃阿
/Stage I initiation - 発生 -
/part 2 生徒会のおしごと、それと――
わたしの担当範囲内で、今日はもうめぼしいYu-Live配信はないようでしたので、そろそろ図書館に向かおうかしらと思っていた矢先。体育館の隣の廃棄処理場前にさしかかったところで、きぃーーーーーんっ、と甲高い音を立ててゴキブリみたいなシルエットの黒光りする大型飛行バイクが廃棄物の悪臭を吹き飛ばしながら降りてきました。
「あら、会長、副会長。ごきげんよう」
運転手の後ろに横座りで乗っていた子が、フレームレスの眼鏡を外して、きらびやかな金髪をふぁさっとなびかせながらヘルメットを脱ぎました。
「ごきげんよう、兎浪さん。お勤めご苦労さまです。本日も精が出ていらっしゃいますね」
マロン・アンヘル・チャーチ、三年N組。スフィア・ウォルト出身。世界でいちばんお金持ちと言われているチャーチ家のご令嬢にして、わたしのクラスメイト。ペンシー女子高、生徒会会長。資産家JK。
黒手袋に、ブラックホールみたいな黒さの高デニールタイツ、長袖のぴっちりタートルネックで、なめらかな色合いの褐色肌の露出率は、驚異の数パーセント。風紀的花まるね。
マロンさんは眼鏡をかけなおすと、知的なアイスブルーの眼でわたしをきりっと見すえました。
「先ほども二件、摘発されたとか。風紀維持、感謝いたします」
「いえいえ。物陰からこそこそ配信現場を覗き見て、笛吹いてるだけよ。たいしたことじゃないわ」
「ご謙遜を。風紀委員は職務性質上、すべての生徒から疎まれ忌み嫌われる立場。立候補した多数の風紀委員が、三ヶ月以内に辞任している実情を、わたしは存じています。そのような状況下で、兎浪さんは二年四ヶ月も風紀委員を継続なさっている。端倪すべからざる精神力のたまものです」
「どちらかというと、ほとんどの子が奨学金の特別手当をすぐにほしいから、って理由で風紀委員になってるだけなんだけどね。J結合してみると割に合わないからって、やめちゃうのよ」
「まったくもって憂慮に堪えない現実です。悲嘆すべきことに、昨今のJKは、目先の報酬と娯楽に傾注するあまり、己の言動が全世界に配信され、人類の心身に多大な影響を及ぼしているという自覚と責任感が欠如しています。J.K.の目的は一切のガンの撲滅。これすなわち人類の救済。これ以上に高潔な活動は全世界どこを探してもほかに望めません」
「……」
「すべての個は種が持つ
「え!? う、うーん……そうね」
困ったわね……、むつかしすぎてふつうによくわからなかったわ……。
「でも、なんだかんだいって、百合を供給できてる子たちは、すごいわ。世界からガンをなくしてるんですもの。わたしは……、そういう意味では、ひとりのガン患者も助けられていないから――」
「なにをおっしゃいますか。あなたはペンシー女子高の百合を保護なさっている。ひとつの百合を創出するよりも、百の百合を維持する方が、人類への貢献度としてははかりしれません。あなたのおかげで世界が健全な形で保護されているのです。一将功成りて万骨枯る。わたくしは、兎浪さんこそが世界の救い主として賛辞を受けるべきだと考えています。どうぞ胸を張ってください。人類の保護者として」
「そ、そうかしら……ありがとう……?」
あいかわらず肩が凝っておしりがもげそうな堅苦しさです。わるい子じゃないんですけど、二十四時間三百六十五日こんな感じで妙に持ちあげてくるもんだから、クラスでも話しかけづらいのよね……。
それに、引け目、みたいなものがあるのかもしれません。マロンさんは本心からJ.K.の理念に賛同して、人類に奉仕するために受験したって聞いてます。わたしなんか、どうしてJ.K.にいるのかもあやふやで思い出せないのに、マロンさんにこうやって褒めちぎられるたびに、申し訳なくなっちゃうんです。
「マロンさんと、こころさんも、いつも生徒会ご苦労さま。ふたりとも、こんなところになにかご用?」
運転手がぴょんとバイクから飛び降りて、ヘルメットをハンドルにかけました。
「じつはー、この周辺、
物腰はおっとりしていながらも倦怠感と不機嫌感と人妻感をむんむんさせつつ頭ひとつ低い位置から見上げてくるのは、
安全のためにとセーラー服の上からだぼっとしたグレーのライダージャケットを着て、スカートの下には裾上げしまくった体操着のジャージ、というかっこの垢抜けなさが、持ち前の小柄さも相まって、なんだか田舎の妹みたいです。思わず頭を撫でて狐耳をわしゃわしゃしたくなる感じ。
「残念だけど、わたしも今通りがかったばかりなのよ。でも、たしかに空気が薄い感じはあったかしらね」
「はあ、そうですかー。やっぱり廃棄処理場のなか、入らないとだめですかねー。おねえさん、ここにいるだけでもにおいきつくって、お鼻がもげちゃいそうなんですけどー……」
げんなりともふもふ尻尾をしょぼくれさせるこころさん。
「周辺調査の結果をもって判断いたします。場合によっては一時撤退し、相応の装備を用意する必要もあるでしょう。ですが、最終的には処理場内部の調査が必須と推測します。より合理的な案がこころにあるのであれば、お聞かせ願えますか」
「合理的というか……なにもおねえさんとマロンちゃんでやらなくっても……。おじーちゃんに見てもらったらよくないですかー?」
「なりません。じーじの動作不良が報告されていますから、調査の信頼性に疑問が生じます。どのようなアクシデントが発生するかも予測不能ですから、ほかの生徒に調査を依頼するのも無責任です。この案件の初動調査は、ペンシー女子高を保護する生徒会で実施すべきです」
「うーん、それはわかってますけどー……。はあ……、なら、きみがだいじょうぶって保証もないでしょうに……」
「失礼、なにかおっしゃいましたか? 聞きとれませんでした」
「いーえ。なにも言ってませーん」
「であれば問題ありません。さあ、早急に調査に移りましょう。頼りにしていますよ、おねえさん」
「……。……はあ、しょうがないですねー。じゃあせめて、
「ザ・ウォッチャーを? 視聴者に監視役となっていただくのですか?」
「いーえ。それはさすがにいろいろ問題がありますからねー。リハーサルモードで配信は流さないようにして、おねえさんたちに
「なるほど、おっしゃるとおりです。それならば二次災害も防げますね。いたく気に入りました。ご提案ありがとうございます。さすがこころ、なんとしてでもこの事態の解決を図りたいという積極性に満ちた副会長らしい予防案です。ただでさえ多忙な生徒会のみなさんを課外時間に非定常の監視作業で拘束するのは非常に心が痛みますが、やむを得ません。手配いたします。
もしもし? チャーチです。お忙しいところ恐縮ですが、これから生徒会グループに動画を流しますので監視をお願いいたします――」
「はあ……マロンちゃん、いつになったら自分の立場、わかってくれるんでしょうねー……。なんでもかんでも自分でやらなくてもいいのにな……」
クロスのYu-Lintterで生徒会のだれかに通話するマロンさんを尻目に、こころさんが尻尾を抱きかかえて愚痴っぽくため息をつきました。わたしも釣られて苦笑します。
「なにかと気苦労が絶えなさそうね、こころさん」
「はーいー。マロンちゃん、ちょーっと頼りにされてお土砂をどしゃどしゃかけられたぐらいでなんでもかんでもお仕事引き受けちゃうちょろちょろのチョロンちゃんですからねー。補佐してるおねえさんは気が休まらないです」
「JKみんなのためにまじめに働いてくれているのはとてもすばらしいと思うわ。でもふたりっきりのときも、いつもあんな感じなのかしら?」
「もちの論蔵、柿の
なんだかとてつもなく物騒な言葉が飛び出してきた気がしますけど、たぶんゲームかなにかの話です。
「そういえば、ふたりは幼馴染だったわね。いっしょにJ.K.にまでやってきて、クロスを結んで、生徒会をがんばってる……いいわよね、そういうの。すごくすてきだと思う」
「おかげさまでこの二年ちょっと、光陰矢のごとしですよー。あっちゅうまです。記憶ないです。おねえさん、わりとちゃらんぽらんにJKライフ満喫したかったんですけどねー……はあ……。先週のおねえさんの誕生日、マロンちゃんに思いっきり忘れられてますしー……」
「ああ、だからずっと不機嫌だったのね……」
「まあ、うすうすそんな気はしてたんですけどねー、マロンちゃん、記憶力よわよわなので。憶えてたら憶えてたで、
そうでした、こころさんは学年でいちばん誕生日が早いので、学年のだれよりもおねえさんで、もう十八です。もっとも、あと三週間かそこいらで、三年生はみんな十八になりますけども。
かく言うわたしも、実は今日で十八です。……だれも憶えてくれてないみたいですけど。
でも、わたしは――誕生日と聞くと、なぜだか無性に落ち着かなくなるというか、胸がしくしくしてきて、さみしいなと思いつつもあまり気にしたくなかったりするので、べつにいいんですけどね、ホントに。ホントですよ。
「九月に引退したら、ぜったいマロンちゃんと遊びまくってやりますよ。進学もまた推薦でちょちょいのちょいです」
「遊びまくる、ね。マロンさんのそういうとこ、あんましピンとこないわね。ふたりは、週末なにして過ごしてるの?」
「そーですねー、たまーにお買いものデートしたりしますけどー、だいたいはお部屋掃除でつぶれちゃってますねー」
「ふたりのお部屋、そんなに広いんだ?」
「いーえー、めちゃせまです。けどもー、マロンちゃん、こう見えてかわいいもの好きで、すーぐ"わたくしが保護しなきゃ"とかなんとか言ってモノを買うくせに、蒐集癖があるというか捨てられない病がそりゃもうひどくってひどくって。しかもお片付けができないので、すごくすごーくお部屋散らかしちゃうんですよー」
「へえ、そうなの。意外な一面ね……」
「そのうえ当のご本人は、ふだん気を張ってるからか、休日はスイッチ切れちゃったみたいにぬいぐるみの海のなかでひねもす寝こけてますからねー。甲斐性なしのこんこんちきにもほどがあります。おねえさんやんなっちゃいます。はあ。さすがのおねえさんも、そろそろ長年のうらみつらみに角の
こころさんの大暴露で、わたしのなかのマロンさんのイメージががらがらがっしゃんと崩れていく感じ。でも、ちょっと安心したかしら。マロンさんにもちゃんとJKっぽいとこがあるだな、って。
それに――。
「でも、こころさん、なんだかしあわせそうね」
愚痴っぽいのはセリフばかりで、マロンさんのことを話すこころさんは、すごくきらきらしていましたから。こころさんは眉毛を八の字にしてもごもごと言いました。
「……そんなこと、ないですけどー」
連絡を終えたマロンさんが眼鏡を指で持ちあげ、会話に戻ってきました。
「生徒会のみなさんは快く引き受けてくださいました。ザ・ウォッチャーもじきに到着するでしょう。……何のお話を?」
「マロンさんたちの充電方法について、ちょっとね」
「充電? ああ、こころが寝起きにわたくしの腹部の匂いを嗅いでくることですか」
「み゛!? ママママロンちゃん!? とチュぜんなにゆってんです!?」
「はて? 意図をうかがったときに、"充電中ですよー"とおっしゃっていたではありませんか」
「に゛……い゛……ァ゛……!」
「それから腹部の皮膚を吸引したり、
「ン゛ミ゛ャア゛ァア!」
こころさんがぼんっと頭から湯気を噴きだし顔を真っ赤にして、締めあげられたキツネみたいな奇声をあげながらマロンさんを尻尾でてしてし殴りはじめたのを、ほんわかした気分で見守ります。
マロンさんとこころさんは、とてもいいカップルだと思います。なんていうか、はたから見ていて自然体で、すごくしっくりくる組みあわせ。Yu-Live配信のためだけにJ結合したカップルからは感じられない、互いに支えあって、理解しあってる雰囲気。
それに、マロンさんは言わずもがな、こころさんもなんだかんだと言って服装はきちんとしてますし、仕事だってまじめにやってます。なので、このふたりはぜったいにレズ行為や、風紀を乱すようなことはしないんだなって心の底から信じられます。
「みんながみんな、マロンさんとこころさんぐらい、清純なカップルだったらよかったんだけど」
「……心中お察しいたします。ただ、これは持論ですが、性善説はあまり信用なさらないように。すべてのJKが、あなたが今抱かれている印象どおりのJKとは限りません。だれしもが、なにものにも観測されない時空においても、善行を積んでいるわけではありません。ましてや――、本人が関知不能な時空ではいかなる事象が発生しているのかすら検出できないのです。悪意すらなく、
「??? どういうこと――?」
わたしが首をかしげていると、こころさんが強引に割り込んできました。
「はいはーい、マロンちゃん、うぉっちゃんさんが来てくれたみたいですよー。はやく調査済ませちゃいましょー?」
「そうですね。兎浪さん、お忙しいところお時間を取らせてしまい、申し訳ありません」
「え、あ、ううん。そっちもがんばって、というか、気を付けてね」
「あー、リナちゃん、いまさらなんですけどー。
「うーん、よくはないけど、部活ももうだいたい終わってるし、緊急事態ですもの、かまわないわ。いちおう、ほかの風紀委員には駐禁取らないようにって伝えておくわね」
「たすかりますよー。ではごきげんよー」
Yu-Lintterの風紀委員チャンネルにメッセージを送ったあと、その場に放置された、こころさんのおにいさまのおさがりらしい大型飛行バイクをしげしげと眺めます。
こんな巨大な鉄の塊が、空を飛ぶだなんて。こころさんたちのスフィア・ウォルトの技術力は、もっぱら馬車で移動していたわたしのスフィア・ミンスターとはくらべものになりません。それにしたって……。
「うーん、どっからどうみても、ゴキブリよね……」
つくったひとのセンスもだけど、こころさんのネーミングセンスもなかなか変わってます。お国がらかしら?
その夕立に襲われたのは、マロンさんたちと別れた直後でした。
いつのまにか空がけばけばしいピンク色のぐってり重たそうな雲に覆われてるな、と気付いたときにはもうぽつぽつ降ってきてて、校舎に飛びこむ前にはじゃばじゃばと滝みたいな雨になっていました。
ふだん、
不思議です。梅雨入りしたとはいえ、天気予告では雨が降るなんて言ってなかったんですけど……。白いセーラー服には、桃色の水玉がぽつぽつぽつ。
いやだわ……これじゃあ制服を改造した不良みたいじゃない……。
すぐに乾いたのはいいんですけど、乾いたあとがやけにねちゃつくし、やたらと甘ったるい匂いが気に障ります。
……へんな雨。
わたしは教室に鞄を取りに行くついでに、上だけ体操着のジャージに着替えてから、図書室に向かいました。下校時間前なので閉館の札がかけられ、電気も消されていましたけど、鍵は開いてました。
埃っぽい匂いと自分の雨の匂いを嗅ぎながら、順々に書棚のあいだを覗きこんでいきます。……いた。
床にぺたんこ座りになって、柱を背もたれにしてうつむき、すうすう眠る一年生。
たしか最初に出会ったときも、ここでこうして眠ってたかしら、この子。
ボブカットにした栗毛はさらさらと細く繊細で、すくいあげたらきっと指の合間からこぼれおちそう。栗毛とセーラー服の襟のあいだから覗くうなじは、うすぐらい図書室のなかでもぽうっと浮き上がってるみたいに、まっしろ。首筋も肩も手足も、びっくりするぐらい華奢で、ちっちゃいから、ふわふわの羽毛に包まれた鷲翼が、相対的におおきく見えます。
スカートの上で伏せられていた本の背表紙を覗きこみます。タイトルは、『生命再生承ります』。あいかわらず"
わたしは目をつむって書棚から本を取り出しました。『あかちゃんからはじめられる! きこりのなりかた』。これまたハズレっぽいですけど、仕方ありません。わたしはマチの隣に腰を下ろして読みはじめました。
――のいつぇるふぁ。のいつぇるふぁ。のいつぇるふぁ。
ときどきわたしの頭のなかに響く、謎のことば。呪文のようなことば。J.K.に来る前は、こんな症状はなかった……はずです。すくなくとも記憶にはありません。
ほかのJKたちに相談してみても、みんな一様にくちをそろえて"なにそれ宇宙からなんか電波受信してんの? ここ地底だよ?"的な反応。病院のじーじに診てもらっても、"いたって健康、気にするな"的な診断。
四六時中聞こえるわけじゃなく、それでなにか問題が起きてるわけでもないから、気にしないで済むならそうしたかもしれません。でも、これは勘ですけど、わたしがJ.K.に対して拭いきれない違和感の正体に繋がってる気がしていて、週に二、三度図書室を訪れては調べているんです。
最初は暗号かなにかかと思って、暗号の本も読んだし、精神的な病気も疑って医学書もひもときました。でもぜんぜんダメ。マチにも手伝ってもらったりしましたけど、手がかりすらまったくなし。今やなんでもいいからヒントが見つからないかと、こうして無作為に本を選んで読み漁る毎日です。
ふーん、なるほど、意外に勉強になるわね、これならわたしにも木樵れそうだわ。肝心の斧がないけれど、と十分ほど集中して読みふけっていると、頭がぼーっと熱くなってきました。
あれ……なにかしら、知恵熱……なわけないわよね、あかちゃん向けだし。あとからだもちょっと、熱くて、汗が滲みはじめてて……。
と、そのとき、マチが羽をもぞもぞさせました。
「んぁ……ふぁれ……。りな、ひぇん、ぱい……? ぁ……やだ、また、寝ちゃって、た……」
「おはよう、マチ。暑くなってきたとはいえ、こんなところで寝てると風邪引くわよ?」
「へいき、れす……。あたし、風邪、ひいたこと、ないです、から……羽が、ぽかぽか、です、ので……」
マチはちっちゃな手で目をこすってまばたきしました。ぱちくりするそのたびに、どきりとするほど満月みたいに黄色い虹彩が夕闇のなかで消えたり現れたりします。
マチが、わたしの読んでいた本をまじまじと眺めました。
「リナ先輩……、きこりに、なるん、です、か?」
「ううん。いつものヒント探し。でも、わたしだって女の子ですもの、アイドルみたいに木を樵って崖に登ってへりから降下して歌って踊れてきらきら輝けたらな、って思ったりするわよ」
肩をすくめて冗談めかして言うと、マチは両手で口元を押さえてくすくす息を漏らしました。
「く、ふふ……、せんぱい、へんなの……。そういえば、先週は、『五歳からはじめる できるかなクライミング 新装版』と『三歳のためのしっかり飛んでばっちり開ける本』、読んでました、っけ……。ぁ……、でも、そのご本、あたしもちらっと、読んだこと、あります、けど……。全文、ばぶ、ばぶばぶ、おんぎゃー、とかって……あかちゃん語、だけで書いてる、から……、内容、ぜんぜん、わからないですよ、ね……」
「えっ。ふつうに読めるんだけど」
「えっ……、……え? ……ぁ」
マチがさっと目を逸らして自信なさそうに言いました。
「ん。と……。そ、そ、なん、です、ね……リナ先輩、す、すごい、読解力? だと、思います、よ……?」
なんかめちゃくちゃフォローされてないかしらこれ!?
「あーでもなんか急に読めなくなってきたわ! なんにもヒント見つかんなそうだし、もうやめよっと!」
猛烈に恥ずかしくなってきたので慌てて本を元に戻しました。首から耳までじんじん熱くてたまりません。
「ぁ、そだ……、リナ先輩、今日、お誕生日でしたよ、ね。おめでと、ございます。あの、これ……よかったら、つかって、ください……」
「え!? 憶えててくれたの!? ありがとう!」
マチが鞄から取り出したちっちゃな包みを受け取ります。中身は……。
「やだこれ、いいの!?」
リップでした。それも、昨日発売したばかりの。科藻さんがつけてたやつの、オレンジのほう。ほしいな、って思ってたから、週末にでも買いに行くつもりだったんです。
「先輩の好きな、
「稲荷 アキラ ハルノちゃんね!」
「ぁ、はい。が、CMしてたの、あたしも、見てたので……その色なら、自然、なので、学校にもつけて、これるかな、と、なった、ので……」
「つける、つけるわ! やだぁ、今年いちばんうれしいかも! ありがと、マチ!」
「ぇへ……。ぁ、ん。と。つけたげます、ね」
「えっ? あ、うん、お願いするわ――」
マチがずずいっと迫ってきて、さっそく、リップを塗ってくれました。ほっそりした指が、わたしの顎にそっと添えられます。飴の甘い香りと、干したお布団みたいなほっこりする匂いがふわって漂いました。
息がかかりそうな距離で、マチの満月のまなざしがじぃっとわたしの唇にそそがれています。本を読むように。わたしを読むように。じぃっと。
う、わ、近っ……。というか、マチ、やっぱりまつ毛、多い……。
急速に、胸がどきどきと高鳴ってきました。この子、意外に距離が近いことがあって、どぎまぎさせられることがよくあるんです。
やだ、なんか……さっきから、あつ……。
マチが、すぼめていた唇をふっと緩めました。
「できまし、た。思ったとおり、すごく、似合ってます、よ。リナ先輩、かわい、です」
「ん……、ありがと……。なんか、照れちゃうわね――ひぅっ」
ぽかぽかしてきた頬を、そおっとマチが撫であげていって、わたしは身をすくめました。
「ぁ、ごめ、なさい。先輩、なんかほっぺた、ねちゃって、してます、よ……?」
マチのひとさし指には、ピンク色のべとべとしたものがついています。
「ああ、たぶん、さっき降ってきたへんな雨の拭き残しね」
「雨、降ってるんです、ね。予告じゃ、なにも言って、なかったのに……。あれ……先輩、なんか赤い、です、ね」
「そう? あ、でもなんか、さっきから、頭が熱くって――」
「さわって、いいです、か?」
「え、あ、汗かいててばっち――ぴゃっ」
しっとりひんやりした手のひらが、そっとわたしの額を覆いました。ぞくぞくずくずくしたものが、首筋を降りていきます。
マチが満月みたいに目をまんまるにしました。
「わ、わわ。先輩、おでこ、あっちち、です、よ……? お熱ありそ、です。……ん。と。知恵熱、じゃない、ですよ、ね?」
「も、もちろんよ! たぶん、雨に濡れたからだわ……ぜったい。わたしのほうこそ、風邪ひきかけてるのかも。そうよ、そうにちがいな……ひっくちゅ!」
う……なんだか意識した途端、ものすごく全身がだるくなってきたわ……。ぞくぞく、ふらふらする……。頭も、軽く痛い……。
「保健室行って、お薬飲んで、ちょっと、横になります、か?」
「うーん、でももうこんな時間だし、帰った方ほうがはやい……あ、でも傘がないわね……くちゅん! ……うん、そうね、休んでくわ……」
ふたつも年下の子に保健室に連れ添ってもらうのはとんでもなく情けなかったですけど、からだはどんどん熱くなってくるし、頭はくらくらして、恥ずかしがってる場合ではありませんでした。
保険室担当のじーじはなぜか不在でしたので、マチに探してもらった風邪薬を飲んで、保健室のベッドに横になります。
ぴぴぴ。四十一度。平熱より、ちょっと高いかしら。
「ごめんね、マチ。お世話させちゃって。じーじもそのうち戻ってくるだろうから、わたしのことは気にしないで帰っていいのよ?」
「いえ、あの、じゃあ、じーじ、戻ってくるまで、おそばにいても、いいです、か? あたしも、傘、持ってなくて……、どうせ、止むまで、待たなくちゃ、です、から……」
「そう? じゃあ、うん……うれしい。ありがとう」
「ぁ、喉、痛かったら、あめちゃん、舐めます、か?」
マチがポケットから茶色いちっちゃな包みを摘まみあげました。
「それって、いつもの?」
「鷲の、煮つけ、味です」
「遠慮しとくわ……。頭はちょっと痛いけど、喉はへいきだから……でもありがと」
「そ、です、か……甘くて、おいしい、のに」
マチには黙ってるけど、わたし、甘いもの、というか、お菓子全般が苦手なのよね……。たぶんアレルギー持ち? かなんかで、食べるとオエってなっちゃうんです。
ものすごく無念そうにどどめ色の飴をくちに放りこむと、マチはわたしの頭をそっと撫でてきました。
「よし、よし……いたいの、いたいの、とんでけー」
「っ……」
耳がじんじん、脈打ってるみたいです。
心配そうにじっとわたしを見守ってくれているマチの、膝に置かれた本を指差します。
「マチ、あいかわらず、その百合作家が好きなのね」
「え……あ、はい。何回読んでも、難解で、あたしには、むつかしくって、意味がわからないところ、あります、けど……読んでると、官能? 感覚? に、語りかけられる、とゆか、どきどきしてくるの、が、好きなんです」
「J.K.を運営してるJK百合観賞プロジェクト……"JKP運営委員会"をつくったのも、予岐 佐波だったかしら」
言いながら、そういえばそんなことを以前マチに教えられたことを思い出していました。
「ん。と……つくった、とゆか、JKPができるきっかけになった、感じ、です。三千年前の、"Y-レポート"で――」
「あら、そんな昔のひとだった?」
「……ぁ、ま、まちがい、です。千年前、です。んと、とにかく、『百合はいつかガンに効くようになる』……通称、Y-レポートって呼ばれてる、論文を発表して、その内容をもとに、JKPが発足、しました」
「さすが、詳しいわね」
「んぇ……そんなでも、ないです、よ……」
マチは、百合好きです。実物の百合を知りたいがために、J.K.を受験したんだそうです。いつも小脇には百合小説を抱えてるところからも、それはよくわかります。そのわりにいつも図書室でひとりっきりでいるのは、お金がないからなにかしらの委員会に入らなければならないという切実な理由と、百合小説が読み放題だからという趣味の理由があるから、とのこと。
スフィア・ミンスターでは本はとても貴重で、とても小娘が買える代物ではありませんでした。マチの故郷も似たようなものだとか。ここJ.K.には高度な印刷技術があるのでたくさん本があって、とんでもなく安いんですけど、百合手当もなし、Yu-Live配信もなしにほいほいと買える値段ではありません。
「マチはそろそろ、いっしょに百合をがんばってみようっていうような子は、見つけたの?」
J.K.にいるJKは九十九パーセント以上が、だれかとJ結合します。というか、しなければ奨学金の百合手当がおりないので、生活はすこし苦しくなります。J.K.からすれば百合を提供するために世界中から女の子集めてるんだから、当然かもしれません。
百合手当以上に重要なのが、Yu-Live配信の
ちなみに、これはマチが教えてくれたんですけど、その昔、メタン抑制のために水田が世界的に禁止になる前はお米がすごく安くって、一般家庭でも食べられてたんですって。
「あたし、なんかと、ユリクロス結んで、くれる子……いない、ですから……」
マチは表情を曇らせてうつむきました。わたしはどきっとしました。マチのまつ毛は、そんなに長くないのに、イタチの刷毛みたいにびっしりばっちり生えてるもんですから、ふとしたときに伏し目っぽくなると、黄色い眼とのコントラストで、なんとも言えない儚さとおとなっぽさを帯びることがあるんです。
「クラスの子は? そろそろ馴染んできて、なかよくなった子とかいるんじゃない?」
「いない、です……。あんまし、話があう子、いなくて」
「うーん、でも、そのままだと、ずっとひとりぼっちになっちゃうかもしれないわ」
J.K.に来る子たちって、ふしぎと本を読みません。わたしの故郷には本ぐらいしか娯楽がなかったから、みんな漫画とかよく読んでたけど、ここではクロスひとつでテレビもネットも見れるので、本なんかいらないんですって(たしかにアイドルにはわたしもかなりハマっちゃったけど、でもやっぱり本のほうが好きかしら)。
だから、図書室で、マチはずっとひとりです。たぶん、このさきもずっと――。
「がんばってよく知りあってみたら、意外と話があうかもしれないわよ? 結合できなくたって、友達がたくさんできれば、それだけでJKライフが楽しくなるもんだし……」
……まるで知ったふうに。自分は、そんなこと思ってもないのに。
でも、この二年分の疎外感だけは、たぶんわたしだけが知っているから。マチにそんなさびしい思いをしてもらいたくなくて、ついついお節介をしてしまうんです。
……わたし、後輩に介抱してもらっておいて、お説教じみたことしてる……うざい先輩だ。
わたしには百合のことはさっぱりわかりません。ただ、世界のためにJK同士でなかよくするんだ、ぐらいにしか。そしてマチはわたしの妹とおなじ、ふたつも年下です。
わたしとマチに、共通点はあんまりないです。ですけど、たぶん唯一、友達だって言える子。優しくて、本が好きで、わたしのJ.K.に対する違和感や、幻聴のことも信じてくれて、変人扱いしたりしないでいてくれる子。すごく、いい子。だからこそ、わたしみたいにむなしい灰色のJK生活を送ってほしくないんです。
「ん。と。なっ……」
マチがちっちゃな舌で、ちっちゃな唇を舐めました。
「て、ほしいひと、は、いるんです、けど……。でも……、あたし、なんか、とは……、きっと――」
「えー、やっぱり、いるんじゃない! だれ? 応援するわ。なんなら、風紀委員が持てる権限を使って、行動パターンとか趣味とか調査したりできるわよ」
「ひぇっ。そ、そこまで、しなくて、い、です……。と、ゆ、か……」
ごきゅんっ、と喉を上下に転がして、生唾を飲みこんで、じぃぃっとこっちを見つめて、声をかすかに震わせて、ほのかに汗ばみ、頬を紅潮させたマチが言いました。
「ん。と。その、ひ、とは――」