ㅤロンドン郊外の古寂びた廃屋の屋根裏に女が一人、四肢を縛られて転がっている。
ㅤ青黒く腫れた左瞼を、金魚の影の尾鰭が撫でてゆく。
「これ、 “ランチュー”って言うの。下手に扱ったら殺すよ? 法政科さん」
ㅤとある封印指定の魔術師に雇われ、執行者を惨殺してのけたこの女は。卓上に置かれた硝子鉢を見遣り、折れた前歯から哄笑の息を漏らした。
「そんなに面白いか、“執行者殺し”」
ㅤ私は冷徹さを意識してそう告げながら、自分の首を鎌で切り落とす。無論、イメージにおいてだが、強力なリアリティを籠めて。
「殺すのも、殺されるのも。お前にとっては等価の娯楽ということか?」
ㅤ体内を励起した魔力が巡る。それが一つの頂点に達した瞬間、実際に首筋を爪で切りつけた。
ㅤこれが、私にとっての詠唱だ。
「へぇ、良く分かってんじゃん。アンタも案外こっちのケが」
ㅤ相手が戯言を並べ終わる前に、そのお気に入りの金魚鉢とやらを“切った”。
「お前はどうやら口を割らないらしい」
ㅤ形を保った硝子鉢のなかで、金魚が身を翻しながら細切れになる。そうして揺れた水草ともども散り散りになり、鱗光と血煙を優雅にくゆらせて沈んでゆく。
「方針を変えた。お前はここで惨たらしく死ね。後のことは死霊魔術の専門家に任せる」
────瞬間。さっ、と沈黙が落ちた。それは、不可逆的に固定された運命が冷たく一方向に流れてゆく感触。その意味は分からずとも、何かが“決定された”という確信が私の背筋をはしり抜けた。
「違ぇよ、死ぬのはテメエのほうだって」
ㅤ灰色の髪の下、女の青ざめた右眼が私を殺すと告げていた。
「……いいや、これは変わらない。私が、お前を殺す。その逆はない」
ㅤ何故、念を押さずにはいられなかったのかは自分でも分からない。相手の身体は専用の巻物(スクロール)で拘束され、両手の爪を肉ごと剥がされてなお抵抗も出来なかった。そんな魔術使い風情に何故、
(執行者が殺された?)
ㅤ確かに私は法政科に属する、戦闘に特化した魔術師には違いない。しかし、決して封印指定執行者などではないし、恐らくは生涯においてその域に達することもない。私の任務は執行者殺しの潜伏先を単独調査することのみであり、今回は偶発的に接触、拘束に成功しただけだ。
……おかしいのではないか? あまりに呆気ない手応えに慢心していたのではないか? 相手はまだ“奥の手”を隠し持っているのでは?
「どうしたよ? ヤクの抜けたジャンキーみたいな顔して」
ㅤこちらを睨めつける女の三白眼がじっとりと陰湿な熱を帯びる。
(考えるだけ無駄だな)
ㅤ恐らく、執行者殺しを可能にしたのは幾ばくかの幸運と相性の良さだ。それが具体的にどういったものかまでは分からないが、知る必要もあるまい。何より、これ以上の不毛な会話はこちらの隙に繋がる。
ㅤ私は首筋を浅く十字に切りつけ、風を巻き起こす。エーテル光を纏いながら空中で制止するそれは死神の持つ大鎌の形をなした。
「では、いくぞ?」
ㅤ風が模する死の象徴に手をかざした瞬間、女の身体が爆ぜた。
「あギ、ッ────────!?」
ㅤ黒いネグリジェを纏っていた痩せぎすの胴体に生じた旋風は生地ごと下腹部を切り裂き、血と肉と臓物を掻き混ぜる。私はその、錐のように細い処刑の風柱を徐々に頭部へと移動させ、喉から顎、顔面から頭頂までを完膚なきまでに切り刻んだ。
(これが私の考えうる、なるべく迅速かつ劇的な処刑法だったんだが……果たして、恐怖は霊魂に刻まれたかな?)
ㅤ魔術を解除し、女を見る。懐中時計を片手におよそ三分ほど様子を見たが動きはない。案の定、脳の破片にもプロテクトなどが掛けられた痕跡はない。
(やはり、所詮は魔術使いか。封印指定のいい鉄砲玉だな)
ㅤこれから使い魔の鷲に本件のあらましと死霊魔術師の派遣申請を認めたレポートを持たせねばならない。私はテーブルから金魚鉢を押しのけ、椅子を引き寄せる。既に無数の切断を加えられた硝子の鉢は触れた瞬間から千々に砕け、床に赤みがかった汚水と砂利をぶち撒けた。
ㅤそうして卓上に羊皮紙と羽根ペン、墨壺を並べ終えたとき、右肩にビチャリと生暖かい何かが触れた。
「ォ゛い、殺ずっテ、謂っダょなァ?」
ㅤ振り向くと、私の肩には手を模した肉塊が乗っていて、心臓のようにバクバクと拍動している。その中心には口が裂けており、どうやらこれが私を脅迫しているようだ。
「ひっ」
ㅤ思わず上擦った悲鳴をあげそうになる刹那、肉塊の口からしなやかな骨針が伸び、私の耳穴を貫通した。その激痛は脳にまで達し────────、
次回、魔術使い視点のお話です。