恋の駆け引き after OPENING【大人編】 作:しおり@活字は飲み物
二日制のタイトル戦と感想戦、その後のインタビューを終え、ふらふらと控室に帰ってきて、一番最初にしたことは、さっき返してもらったスマホで電話をかけることだった。
通話履歴の一番上にある名前を選択して電話をかける。多分、ネット中継を見ていてくれたはず。
声を聞けるのは50時間以上ぶり、直接顔を合わせられたのは5日前、あの柔らかい体を抱きしめたのはもう何日前になるのだろう。
正直言って、もう限界だ。
一刻も早く会いたくて、触れたくて仕方がない。
激戦の後で気が高ぶっているのももちろんあるけど、二日間将棋のことだけに集中していて、やっと緊張が解けて将棋以外のことを考えてもよくなったら、あっという間に頭の中を彼女に占領されてしまった。
待ち構えていたかのように、2コール目の途中で回線が繋がる。
「八一?」
「もしもし? 銀子ちゃん? 勝ったよ」
「うん。ネットで見てた。おめでと」
「ありがと……ねぇ、今どこにいるの?」
「えっと、研究部屋だけど?」
「今日はそこに泊まる予定? 明日、予定ある?」
「うん…い、いちおう、明日は一日空けてあるけど…」
「じゃあ、前に行った、福井の旅館あるでしょ? あそこに来て。今晩から部屋、取っておくから……」
「え? あの離れがあるところ?」
「そう。まだ終電あると思うから。いつ頃着くか分かったらメールで教えて。俺もなるべく早く行くから…」
「うん…でも、これから打ち上げがあるんじゃないの?」
「うん。最低限、顔出してから行くよ」
「無理しないで」
「分かった。でも、早く会いたい…」
「ん……同歩」
「じゃあ、また後で。切るね」
名残惜しいけど、通話を切る。
切った後も無意識にスマホに表示された通話相手の名前を指でなぞっていた。このスマホを手に入れた時、一番に登録させられた電話帳の登録名を、封じ手を開けた後『姉弟子』から『銀子ちゃん』に変えたのだ。
我ながら、女々しいなとは思う。でも、そうでもしないと実感が湧かなかったから。
一度は失ってしまった『銀子ちゃん』を取り戻したんだと。
その取り戻した銀子ちゃんと『恋人』同士になれたのだと。
そのまま福井の旅館に電話をかけて予約を確定させる。
最近は周囲がゴタついていて、大阪では二人きりで会うのが難しい。福井の旅館は今回のタイトル戦の対局会場である金沢と大阪の間だったから、勝てたらそこに呼び出そうと思って、事前に空室状況だけ確認しておいたのだ。流石に予約しておいて勝てなかったからキャンセルなんて恥ずかしいことはできないから、状況確認だけにして予約はしないでおいた。向こうもタイトル戦の会場になったことがあるくらいだから、こちらの事情も大体は把握しててくれたみたいで、先約はないから泊まると分かった時点で連絡してくれれば対応できると言ってくれていた。
通話を終え、スマホを机の上に置く。ふらふらと立ち上がって汗で重たくなった和服を脱ぐ為、帯に手をかける。手早くシャワーを浴びて着慣れたスーツに着替えなければ。対局後の打ち上げも特に地方でのタイトル戦では対局者の大事な務め。よほどのことがない限り、主役である今日の勝者が遅れるわけには行かないのだ。
熱いシャワーを浴びて気持ちを切り替えようとしたけれど、さっきまでの対局の盤面が見え始めてしまった。振り切るように将棋のことを忘れようとしたら、結局頭を過ぎるのは銀子ちゃんのこと。
数日でも会えないのがこんなに辛いなら、今まで通り銀子ちゃんの予定が合えば、一緒にタイトル戦の会場に来てもらえばよかったのかもしれない。
けどまあ、そんなの無理な状況だってことくらいは分かってる。
ただでさえ、対局前から将棋以外のことで注目を集めて、関係者全員に迷惑をかけてしまったし。
対局相手である於鬼頭さんに理解があって、事前に了解が得られたから公表できたものの、普通だったらタイトル戦の真っ最中に棋士同士の
だから仕方ない…
仕方ないんだけど…
うぅ……
銀子ちゃんに数日でも会えないのがこんなにも辛くなるなんて、想像もしていなかった……
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予定通りに打ち上げが始まり、スピーチと一通りの挨拶回りを終える。
今日の日中に大盤解説を勤めたあいは夜遅かったので打ち上げには出ずに自室で休んでいたから、桂香さんに後を頼んで一足先に会場を飛び出した。
電車を待つ間にスマホをチェックすると銀子ちゃんからメールが来ていた。俺より少し早く着くらしい。旅館に連絡して最寄り駅までの迎えの車をそれぞれ手配してもらった。
以前と同じく直接離れに乗り付けて、中居さんに先導されながら部屋に向かった。
「またのご利用ありがとうございます。お連れ様は、先程お部屋へお通ししておきました」
「ありがとうございます」
「お食事はいかがなさいますか?」
「あ…ええと、ペットボトルの水とおにぎりか何か……部屋の外に置いておいてもらえますか?」
「はい。具のご希望はございますか?」
「そうですね。鮭と梅干し、後は適当で」
「かしこまりました」
部屋の前で中居さんと別れ、部屋に一人で入る。廊下に繋がる扉を閉め、後ろ手に鍵をかける。うっすらと見覚えのある銀子ちゃんの私服用の靴の隣に、自分も靴を揃えて脱いだ。
「銀子ちゃん?」
「八一?」
窓の近くの椅子から立ち上がってこちらに向かって小走りに近寄ってくる銀子ちゃん。それに気がついたら俺も手に持っていた荷物を放り出して、彼女の方へ駆け寄っていた。
俺の開いた両腕に躊躇いなく飛び込んできた銀子ちゃんを強く抱きしめる。
会ったら話したいことはたくさんあったはずなのに。少し腕の力を緩めて目線があったら、言葉が出るより先に、唇が触れ合っていた。
そしたらもう、他のことなんて何も考えられなくなっていた。
「ん…やぃ……んんっ」
銀子ちゃんが囁く俺の名前も、ほとんど音にならないまま重ね合った互いの口内に消えていった。
何か伝えようとしてくれてるんだろう。でも今は、聞かなくったって『分かる』から。言葉よりたくさんの感情を交わしたくて、口づけを深くした。
封じ手の時とも、あの夜俺が何度もしたキスとも、銀子ちゃんからしてもらったキスとも違う、初めての感覚。
強く抱きしめれば、同じくらい抱きしめ返してくれて、唇を押し付けあって、啄みあい、舌を差し入れれば口を開いて迎え入れてくれる。この前は俺からずっと逃げ惑っていた彼女の舌が、今は俺と同じくらい積極的に俺を求めてくれている。
二人とも同じ熱量で、温度で、感情で交わす深い口づけは、想像を軽く超えるくらい熱くて、甘美なものだった。
ダメだダメだダメだ….
この前最後まで致せなかった反省を元に、今度はちゃんとリードすると決めていたのに。
リードするのに必要な冷静さも余裕も、ただキスをしているだけであっという間に根こそぎ奪われてしまった。
でも、いまさら冷静になるとか、キスをやめるなんて、もう無理だ。
会えなかった距離と時間を埋めるようにぎゅっと俺にしがみついていた銀子ちゃんの手が動き出したのに気づいたのは、少し経ってからだった。
銀子ちゃんの指先が俺のジャケットのボタンを上から一つずつ外していく。緊張からなのか、慣れないせいか外すのに時間がかかる。やっと全部外し終わったのを見計らって、離れないように片手で後頭部を抑えて舌を絡めながらも、ジャケットを自分で脱いでなるべく遠くへ投げ捨てた。
銀子ちゃんの手は今度はネクタイに伸びて。ネクタイを緩めようとしてるけどキスしたままだから、手元が見えないし、初めてだからだろう、中々解けない…
そんなつもりはないんだろうけど、焦らされているみたいに感じる。思わず自分で解きたくなる衝動を必死で押し殺して、落ち着くように背中を撫でていたら、結び目が解けてふと首元が軽くなった。
首の後ろ側をシュルっと解けたネクタイが走る感触に、無意識にビクッと全身が震えた。
こんな時に
慣れた様子でテキパキされるのではなく、たどたどしいのがグッとくるのか。
それともやっぱり、外してくれる人が銀子ちゃんだからなのかもしれない……
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だって、ジャケットの
八一は今日タイトル戦で、対局では和服を着ていたから。対局の後の打ち上げに出る時に普段使いのスーツに着替えたんだろうけど、普段使いだから安売りの量産品で。生地も安物だから肌触りが悪くて。なのに、無駄に分厚いから八一の体温が感じられなくて。寂しくなっちゃったんだもん…
あの夜みたいな、あの夜以上に情熱的な口づけを交わしあって、私の心臓は早鐘のようにドキドキして、身体中が熱くなっているのに。ジャケットとシャツ越しじゃあ、八一の心臓の音はよく聞こえないし、抱きしめた背中はごわごわしているだけであんまり温度を感じられなくて。
この前一度、素肌を触れ合わせてしまったから、その時の心地良さが忘れられなくて、早くそれに近づきたくて。
だから、気付いたら無意識にジャケットのボタンに指をかけていたみたい。八一も私の気持ちに気づいてくれたみたいで、ボタンを外したら自分でジャケットを脱いでくれた。
ジャケットが無くなったら、いつものネクタイが苦しいかなと思って。手元は見えないながらも解いてあげようと思ったんだけど、よく考えたらネクタイを結んだことも解いたこともなかったから、構造がよく分からなくて手間取ってしまった。
八一からのキスはどんどん激しくなっていくのに、私の背中を撫でる大きな手はゆっくりでいいよって言ってるみたいに優しい。そんな相反する反応を感じながら、見えないネクタイを手探りで解いていった。結び目がやっと解けたから、首回りに巻かれたネクタイを引っ張ったら、シュルッとネクタイが滑る音と共に八一の体がビクッと震えた。
キスがどんどん熱くなっていく。
八一の右腕はもう離さないって言ってるみたいに私の肩を強く抱きしめてるし、左手は存在を確かめるみたいに背中を繰り返しなぞっている。
まだ、キスしかしてないのに…
なんだかふわふわして、足に力が入らない。でも、気付いたら足元はふかふかの布団の上だったから…このまま座りこんじゃったら、なだれ込むしかなくて……
ま、まぁ、八一がタイトル戦に勝ったらあの夜の指し直しをするって約束で、この旅館に誘われて、私も自分でここに来たんだから、イヤとかそういうんじゃないんだけど…
でも、私から誘ったみたいな感じになりそうで恥ずかしいから、倒れ込まないように必死で両足に力を入れて、ぎゅっと八一のワイシャツの背中部分を掴んで、しがみつくしかなかった。
続きます。
次回は11/16 0:00更新予定。