恋の駆け引き after OPENING【大人編】 作:しおり@活字は飲み物
ふと、目を覚ますと目の前一面に美しい銀色が広がっていた。
昨日はコトが終わってから、放り出した下着をお互い身につけて、なぜだか急に恥ずかしがって俺の方を見ない銀子ちゃんを、後ろから抱きしめて寝落ちしたんだったか……
銀子ちゃんの顔は見えないけど、抱きしめている身体からは、呼吸に合わせた僅かな動きと規則正しい寝息が聞こえてくる。
少し視線をずらすと、白く美しい曲線を描く肩から首筋のラインに続く、首と背中の境目辺りに、一点赤い花びらのような跡がついていた。
なんだっけ……
そうだ…
寝る直前にふと、
加減が分からなかったからあまり強くはしなかったはずだけど、なんか思ったより色が薄いのが気になった。
せっかく付けたのに、これじゃあ、すぐ消えてしまうかもしれない……
赤い印に唇を寄せて、少し強く吸い上げてみる。染まり具合を確かめながら、何度か繰り返してみた。
「……ぅ…ん…」
おっと、調子に乗って刺激し過ぎたか…
慌てて唇を離して様子を伺うと、完全に起きたわけではなかったようで、また規則的な寝息が聞こえてきた。
キスマークはなんとかいい感じに付けられた気がする…
昨夜はなんだか意識が
今までそんなことを考えたこともなかったけど、だから世の中のカップルは、ペアリングとか結婚指輪とか、目に見える『印』を着けたくなるのかもしれないな…
でも、銀子ちゃんはそういうアクセサリーを着けるタイプじゃないしなぁ〜
そういえば、この前勢いで婚約宣言みたいな公式発表しちゃったけど、よく考えたら普通はプロポーズとか婚約する時の、なんだっけ「はいのう」? だっけ? 何か女性にプレゼントしなきゃいけないんじゃなかったっけ?
特別なプレゼントか…将棋盤はもう持ってるし、やっぱり振袖かな? 師匠からももらうだろうけど、せっかくなら俺との公式試合の時に着て欲しいし…
流石にこういうことは結婚してない桂香さんや供御飯さんには聞けないしな…
今度、花立さんにでも相談してみるか…
そんなことをぼんやりと考えていたら、
それと腕枕にした左腕が
タイトル戦に続いて、初めて最後まで致した緊張と疲れで寝落ちしたのに、どうもまだ寝足りないけど目が覚めてしまったのは、この腕の痺れと空腹のせいらしい。
銀子ちゃんを起こさないように、ゆっくりと腕を引き抜いて、血が通い始めてジンジンする腕をさすりながら、寝床を離れた。
さて、浴衣はどこに入っていたか。
以前利用した時を思い出し、当たりをつけて備え付けの家具の扉を開けたら、以前も着た男物の浴衣と女性用らしい紅い花柄の浴衣が入っていた…
そうだよな。ここは高級旅館。リピーターならその
でも、『タイトル戦直後に女連れでしっぽり引きこもりにいらしたんですね!』って言われてるみたいで、すごく恥ずかしい…
まあ、当たってるから何も言えないんだけど。
廊下に続く襖を静かに開けて、備え付けのサンダルを引っ掛けて、廊下に続く扉を開け、左右を確認。扉の横に付けられたワゴンの上に、頼んでおいた夜食が置かれてていた。
お品書きだろうか、簡単にメモのようなもので中身の具が分かるようにしてくれていた。
夜食の乗ったお盆を持って部屋に戻ると銀子ちゃんが寝ぼけ眼で下着姿のまま上半身を起こしていた。ぼんやりしている顔がいつもより幼くてかわいい。
「……やいち?」
「おはよ。銀子ちゃん。夜食におにぎり作ってもらったけど、食べる?」
*****************
恥ずかしい、恥ずかし過ぎる。
八一の顔なんてまともに見られない。
八一は十分配慮して優しくしてくれたんだと思うけど、その、『本番』? が、あんなに激しいものだとは思ってなかった。お陰で前より出血は少ないものの、普段使っていない筋肉を使ったせいか、体の節々があちこち痛い。
しかもシテる最中に、八一が好きだ好きだって連呼するから、私も釣られて好きとか大好きとかたくさん言っちゃって…
もう、それを思い出すだけで、頓死しそうなくらい恥ずかしい。
他にも雰囲気に飲まれて、恥ずかしいことを口走っちゃった気がする…
完全に我を忘れられたらよかったんだろうけど、大丈夫とは言っていても、やっぱりずっと痛みはあったからどうしても冷静な部分も残っていて…
ああ〜もう、穴があったら入りたい……
そんな状況なのに、二人で一緒にお風呂に入る!?
しかも、八一が入ってるところに後から入りにいくとか、恥ずかし過ぎるんだけど!?
そりゃ、自分が入ってるところに後から来られる方が、いつ来るか分からなくて緊張するかもしれないけど!
自分が後から入りに行くって、なんか私が一緒に入りたがってるみたいに見えない!?
でも、汗がベタベタして気持ち悪いから!
だから仕方ないんだもん!
勝手に先に入って待ってるからって言って、私より先に入った八一がいけないんだもん!!
脱衣所で浴衣を脱いで、バスタオルをぴっちり巻きつけて、恐る恐る
先に入っていた八一はもう体を洗い終わったのか、こちらに背を向けて奥の浴槽に浸かっていた。
とりあえず、お湯に浸かる前に体を洗わないと…
はっ!!
体洗う時ってバスタオル外さなきゃ無理じゃない!?
どうしようかと戸惑っていたら、気配を感じたのか八一に気付かれてしまった。
「遅いよ、銀子ちゃん。それに、なんでバスタオル巻いてるの?」
「べっ、別にいいでしょ!?」
「まぁ、銭湯とかだと手拭いじゃないとマナー違反だろうけど、部屋付きの温泉だし、一応俺も手拭いは巻いてるし、別にいいけど」
「か、体洗うから、あっち向いてろ!」
「なんで?」
「なんでも! 振り向いたら、殺す!」
「いや、昨日もこの前もばっちり見てるんだから、今更隠しても意味なくない?」
「う、うるさい〜!!いいからこっち見るな!」
「へいへい」
気付かない間にこっそり覗かれると恥ずかしいから、手早く体を洗って、もう一度バスタオルを巻き直した。ここまで来て温泉に入らないで出るのもなんか逃げてるみたいでシャクだから、恐るおそる浴槽に近づいていった。
「終わった?」
「うっ…うん…」
「こっちの方、水入れて
「ありがと…」
水を入れてかき混ぜておいてくれたらしい蛇口に近い方から、ゆっくり足を浸す。この前入った時よりも明らかに温度が低くて入りやすかった。水面で
「ほら、こっちおいでよ」
「え??」
気づいた時には近づいてきていた八一に、後ろから抱きしめられた。
そのまま後ろに引っ張られて、浴槽の壁にもたれ掛かる八一の膝の上に座り込む体勢になってしまった。
「ひゃっ!?」
「ふぅ…気持ちいいね、温泉…」
「ちょっと! 離してよ!」
「なんで? 昨日の夜は、『もっと、ぎゅーって、して』って言ってたじゃん」
「ふぇぇ!?」
「あとは『離しちゃ、ヤダ』とも言われたし?」
「そ、それはっ、その…その場の勢いで! 忘れろ!!」
「やだね〜忘れるもんか! 棋士の記憶力舐めんな! 胸のあんなところとか、太もものそんなところにホクロがあるのとかも、バッチリ記憶しましたからね〜」
「と、頓死しろ! 今すぐそこら辺の檜の角に頭ぶつけて、記憶喪失になれっ!!」
「あんま暴れると、タオル解けますよ? 俺は別に構いませんけど」
「ひゃわっ!?」
こんな状況でタオルが解けたら恥ずかし過ぎるから、慌てて暴れるのをやめて、大人しく八一のされるがままになる。
お腹の辺りに腕を回して抱きしめられてるんだけど、八一の顎が私の左肩に乗ってて、耳元に吐息がかかる。
「ふぅ…あったかいね…」
「っ…!?」
昨日の夜の最後の方で、八一が脱力して私に覆いかぶさってきた時に『銀子ちゃんのナカ、あったかい…』って呟いてたのを思い出して、その前後のアレコレまで
「やっ、やっぱり、ムリっ! もう出る!!」
「えっ!? もう!?」
羞恥心に耐え切れなくて八一の膝の上から逃げ出して、お風呂のお湯をバシャバシャいわせながらお風呂から出ようとした。
バシャンッ
「きゃっ!?」
「だ、大丈夫!?」
「たいじょ……!?!?」
「え?? うわっ!!」
「キャーーーーーーーー!!!!」
私は転んだせいで、八一は慌てて立ち上がったせいで、巻いていたタオルが
パニックになって、気づいた時には手元にあった、お湯をかき混ぜる為に使っていたであろう
「うわぁ〜!!」
バッシャンッ!!
とりあえず、ここが離れで良かった。
そうじゃなかったら、この騒動を聞きつけて旅館の人が来ちゃって、余計に恥ずかしい思いをしたかもしれないから……
*****************
突然飛んできた木桶はギリギリかすっただけで回避できたから、大事には
その後はお互い気まずかったから、とりあえず、風呂場を出て相手の方を見ないようにしながら脱衣所で浴衣に着替えた。
銀子ちゃんはまだ身支度の途中みたいだったから、先にドライヤーで髪を乾かしておく。
自分の髪は適当に乾かし終わったから、目の前にある洗面台の鏡越しに、銀子ちゃんの様子をこっそり確認。浴衣を着終えて、バスタオルで髪の毛の水気を取っていた。
「銀子ちゃん、髪の毛乾かしてあげるから、ここに座りなよ」
「あっ……うん。ありがと」
よし。上手く話しかけられたから、これで気まずい雰囲気も元に戻せた。洗面台の前に置かれた椅子に座ってもらい、熱風が肌に触れないように気を付けながら、後ろからドライヤーを当てる。
銀子ちゃんの湿った髪に触れるのはすごく久しぶりだ。
「懐かしいなぁ〜昔は俺がこうやって銀子ちゃんの髪の毛乾かす係でしたもんね」
「……ね」
後ろから少し大きめの声で話しかける。返事はドライヤーの音にかき消されてよく聞き取れなかったけど、鏡に映る銀子ちゃんの表情は
「そういえば、あいも猫っ毛なんですよ。しかも小学生の時の銀子ちゃんよりも長いでしょ?だから乾かしてやるのも時間がかかって、結構大変でしたよ」
鏡に映った銀子ちゃんに視線を向けるとさっきと違って、驚いたように大きく目を見開いていた。
そして唇の動きが、こう読み取れた。
『な・ん・で』
見開かれた灰色の瞳が見る間に薄い青色に染まっていって、両方の眦から大きな水滴がぽろりとこぼれ落ちた。
驚くより先に綺麗だなという感想が湧いてきたけど、なんで急に泣き出したのか確認しなきゃと頭が追いついてきたから、慌ててドライヤーを切って洗面台の上に置き、銀子ちゃんの顔を覗き込む。
その頃にはもう銀子ちゃんは顔を下に向けて
「ど、どうしたの!?」
「……帰る」
「え!? 帰るって、なんでさ!?」
「帰るっ!!」
椅子から立ち上がって脱衣所から部屋に向かって出て行ってしまいそうになったから、慌てて腕を掴んで引き止める。
「急にどうしたんだよ!?」
「うるさい! 帰る!」
「ちょっと待ってよ!?」
俺が掴んだ腕を振り払って出て行こうとする銀子ちゃんの体を
「なんで急に泣き出したのか、教えてくれるまで帰すわけないじゃん!!」
抵抗する銀子ちゃんを無理矢理抱きしめて、耳元でなるべく優しく聞こえるように声をかける。
「さっき、ドライヤーの音で銀子ちゃんの声はよく聞こえなかったけど……『なんで』って言ってた? 俺に聞きたいこと、あるんじゃないの?」
正解だったらしい。ピタリと抵抗をやめた銀子ちゃんの言葉を待った。
「なんで…」
「うん?」
「なんで、私を置いて出て行っちゃって、私の髪の毛、乾かしてくれなくなったのに! ほ、他の女の子の髪の毛乾かしてるのよ! し、しかもなんでそれを私に言っちゃうのよ!? バカっ! 人の気も知らないで!!」
え!? 他の女の子??
あいに嫉妬してるってことか!? 銀子ちゃんが嫉妬してくれるのはなんだか嬉しい気もするけど、それでせっかく二人でいるのに帰ると言い出されるのは困る。
「そんなことで怒らないでよ」
「そんなこととは何よ! なんで小学生の髪の毛なんか乾かしてるのよ!? やっぱりロリコンなんじゃない! ヘンタイ!!」
「いや、違うって! そ、それは、ほら、俺は師匠だし」
「私、師匠に髪の毛乾かしてもらったことなんてないもん!」
「ゔっ、確かに…でも、ほらあいは親元を離れてるし、師匠としてちゃんと面倒を見ないと…」
「私もあんたも小童より小さい時から内弟子だったじゃない!」
「そうですけど…」
たかが、JSの髪の毛を乾かしたってくらいで、なんでこんなに怒るんだろう…少し大人気ないんじゃないかなと半ば
「たかが、弟子の髪の毛乾かしたことがあるってだけの話じゃないですか」
「……!?」
「あいと馬が合わないのは分かりますけど、同門なんだから仲良くしてくださいよ……」
「…………」
なんの返事もなかったけど、腕の中に閉じ込めた銀子ちゃんの体がぶるぶる震えているのが分かった。涙目のままの銀子ちゃんはキッと俺を睨んで、こう切り出した。
「じゃあ、八一は私が八一と離れて暮らしてる間に、例えば『
「えっ? 鏡洲さん?」
前に俺以外の誰かとデートをする銀子ちゃんを想像して、激しい嫉妬に駆られたことがあった。
相手が想像できなくてもそうだったのに、ましてや実際に見知っている人、『鏡洲さんに髪を乾かしてもらって気持ちよさそうにする銀子ちゃん』や『銀子ちゃんの髪の毛に優しく触れる鏡洲さん』なんて、リアルに想像できる相手を持ち出されてしまえば、それが仮定の話であっても許すことなんてできない。
例え、それが恋人同士になる前のことだったとしても。
「ダメだ。そんなの…」
とっさに呟いた自分の声は、自分でも驚く程、低くて固かった。
銀子ちゃんは俺の胸を握りしめた両手でドンドン叩きながら、言葉を吐き出すように叫んだ。
「それと、同じこと、八一が、私に、言ったんじゃない!」
「……あっ。そう、か……」
「どうせ、八一のことだから、小童にもうっかり昔私の髪の毛乾かしてたとか言っちゃったんでしょ!? 小童だってそんな話聞かされたら、対抗したくなるじゃない!」
「あっ……」
言った。言ったよ。生石さんの銭湯で。そういえば、あいもあの時妙に不機嫌になってたな…
ってことは、銀子ちゃんとあいが仲悪いのも、もしかして俺が無意識に嫉妬させたり、
「ごめん…あいに言ってた…美容師とかならともかく、俺以外の男が銀子ちゃんの髪を乾かすのは、嫌です…」
「そうでしょ!? それなのに、このっ! バカ、バカ、バカ!!」
「本当に、ごめん……これからは銀子ちゃん以外の人の髪の毛は乾かさないって、誓うから…お願いだから、帰らないで。もう少し一緒にいよう?」
自分でもカッコ悪いこと言って、情けない声を出してるなという自覚はあったけど、それでも申し訳ない気持ちでいっぱいなんだから仕方がない。
俺の腕の中でしゃくり上げていた銀子ちゃんはしばらく
「あたま…」
「うん?」
「頭撫でるのもダメ」
「それも、ダメ?」
「ダメ。女の子は、髪の毛触られると、勘違いするから……」
「……分かった。許してくれる?」
「……ん」
体を少し離した銀子ちゃんが顔を上げて瞳を閉じる。
涙で濡れた両頬に新しい雫がこぼれ落ちるのが、痛々しくて胸が締め付けられたから、俺を待つ唇より先に左右のほっぺたの涙の跡に口付けて涙を拭った。
そして人生で一番最初の、でもこれからの人生で今後きっと何度もするだろう、湿っぽくて少ししょっぱい『仲直りのキス』をした。
唇をほどいて、俺の胸元に顔を押し付けて涙を止めようとしている銀子ちゃんの半乾きの髪の毛を、もう一度ドライヤーで乾かさなきゃ風邪引かせちゃうなと思いつつ、撫でる。
そうしていたら、さっきの誓いを厳密に
でも、今言わないと後々揉めそうだから、恐る恐る銀子ちゃんの耳元で口に出す。
「あの…今さっき宣言したばっかりでこんなこと言うのは、あれなんですが…」
「……なによ」
「あの…例外として、その……俺達…の子どもの頭は撫でたいし、髪の毛も乾かしてあげたいんですが、よろしいでしょうか……」
ぐすっと鼻をすすりながら、俺の浴衣の胸元に顔を擦り付けて涙を拭いた銀子ちゃんは少し背伸びをして、俺の耳元で『それなら許す』という意味の一言を口にした。
「ばか……」
完
現時点で書き上げてある大人編は以上となります。
通常版はまだ続きます。