『さて、と。それじゃあボクはまた向こうにいってくるから。データも回収したスマホだけじゃ足りないかもしれないし破棄される前に制圧しておかないとね。……近くには分身もいくつか置いておくから安全性は保証するよ』
『……』
自由意思を奪われ情報を絞りあげられ、衣服を自らの手で脱がされたうえで口淫による奉仕を強いられて。緊張の糸も解けすっかり憔悴したノエルは、己を助け出してくれた少年に対し何も言うことができなかった。
そうした状態の女性の扱いに慣れているのか、あるいは不慣れが故か。救援がくるまではと上着を羽織らせた少年は、それ以上何もいうことなく立ち去って行って。
その後ろ姿を見送りながら。それでもノエルには、私には何もできなかった。
……ただ。冷静に敵を仕留めひとりひとり丁寧に打ち倒していく様子は怖いと思わされるだけのものがあったけれど、銃弾の雨をこともなげに凌いで少女を救出した彼の手は――
「――お姉ちゃん、大丈夫!?」
「むぎゅっ」
いつの間にか意識を落としていた私を出迎えたのは豊満なおっぱいだった。
同年代と比べても劣ってはいないと自負する私のものよりを一回りは優に超える弾力と温もり。思い切り抱きしめられることもあっていつもなら暑苦しいと怒りながら押しのけるところだったけれど――、くすんと鼻をすすった私は、無言でその胸に顔を埋め沈黙する。
琴音ちゃんも、私の様子からある程度を察していたのか。おずおずと私の頭に手を回すと、腕のなかで浅い呼吸を繰り返して黙り込む私を慰めるように、髪を梳く様に撫でながら気遣わし気に話しかける。
「……そうだよね、怖かったよね」
「……うん」
「……初任務だったのにね。こんなことになっちゃって悔しいよね」
「…………ん」
「折角ここから始まりなんだって張り切ってたのにね。痛かったよね。苦しかったよね。つらかったよね」
「………………?」
「今は、ゆっくり休んでね。お姉ちゃんを汚した悪い奴らもここにはいないから……」
「汚されたのはそうだけど、そこまではされてないかな……」
「……よかったね? でもよかったって言って良いのかな……」
「……駄目かも。裸も見られちゃってたし……」
「それはダメだね」
苦笑しながら琴音ちゃんに撫でられるのに、私も甘えて休もうとして――、気付く。
「どうして琴音ちゃんがここにいるの!?」
「え、そんなの――チェイムさんに呼ばれたからに決まってるじゃん」
チェイムさん……?
そこで問い返そうとして……今回の任務で合流するはずだった相方がチェイム=トキサキという名前の人物であったことを思い出した。
一瞬頭が真っ白になって。爆発する。
「あ、あぁぁああああああどうしようどうしようどうしよう、思いっきり迷惑かけちゃった、謝らなきゃ――この服も返さなきゃだし――いやぁああ裸も見られてた!? どうしようどんな顔をして会いに行けばいいの!?」
「ごめんそれはちょっとアタシにもわからないかも……」
ここも意識を落とす前までいた船のなかではない。港町に仮設で建てられたテントのなかだという。
極限の混乱に陥りながら目を回す私に沈痛な表情で言う琴音ちゃんにちょっと半泣きになりながら、私を助けてくれた人が今しがたカジノ船の中枢を制圧して帰ったばかりだと聞いて飛び出していく。
その直前で、琴音ちゃんの操った突風に押し返された。
「慌てすぎじゃない!? 服、服! 外はこの騒ぎの対処で結構な数の人員集まってるのに素っ裸で出る気!? ほら急げば間に合うかもだから早く!!」
「あぁあああごめん!! ありがとう、行ってくる!」
「早!? まったくもう……折角ケガもしないで帰ってこれたのに転んだりしないでよー!?」
――琴音ちゃんから渡されたズボンや簡素なシャツを着込んで、私は空を駆ける。
私の、グラビティーノエルの操る力は重力。これを使えば中近距離での火力の捻出は勿論のこと副産物の磁力を用いた武器の没収や、方向や出力を調整し私自身に重力をかけることで物理法則をある程度無視した行動をすることもできる。重力場を生成しての空中機動は慣れない港町で障害物や人の流れに囚われることなく探し人を探すのにはもってこいだった。
黒服――、違う、組織から派遣されてきたひとだ――。黒服――ひっ、催眠にかけられて尋問された部屋にいた人だ、捕まってる――。黒服――、違う、そうだあの人は上着を私にくれたんだからスーツじゃないんだ。船に潜るための服も脱いでるかもだし灰色の髪の、人を――、
――灰色の髪のひとを、見つけた。
「待って――、待って!」
カジノ船で着ていた服はもう着替えたのか、彼は丈の長い青いコートを着ていた。膝下まで伸びる長いコートに隠され後ろからでは後方から見下ろすだけではどんな恰好かも判然としなかったけれど、背格好と髪の色から特徴を合致させた私は通行人を驚かせないように一旦港町の裏路地に着地すると、通りに出て雑踏から見つけ出した灰色の少年に呼び掛ける。
「待って――、待ってください! チェイムくん!」
「……? 君は……」
呼びかけに振り向いた彼の目は、綺麗な琥珀の色をしていた。
「……妹だっけ。琴音ちゃん? 取り敢えず仕事はあの子や組織の増援に引き継いでおいたよ。船で会ったときは話す時間も少なかったけれど、確か君は、僕と今回同じ任務に就いた娘だったよね。名前は――」
「鐘楼、ノエルです。貴方は……」
「うん。チェイム=トキサキ。僕の名前だ」
「あ、は、はい」
「うん」
「「……」」
胸の鼓動がうるさかった。
恐らく同年代だろう異性にあんな痴態を見られてどんな顔をして話せばいいのかもぜんぜんわからなかったし、胸のなかでは言葉で形容できるかも怪しい感情がぐるぐると渦巻いている。彼の顔を見るのも正直限界が近くて――、そこで彼は、困ったように目元を伏せた。
「……すまなかった」
「……え?」
端正な顔立ちを悔恨の色で曇らせ。灰色の少年は、苦悶さえ滲ませながらノエルを見つめる。
「今日の任務ではボクと君が船で合流してからの調査になる予定だったけれど、君の反応が消失してからボクは単独行動に移った。協力者と合流したのなら内部と外部からで調査を進めることができれば効率がいいと判断してのことだったけれど……その結果があれだ。本当に申し訳ない」
「え、ぇ……、いや、謝らないで、私だってその、足手まといになってしまって……それにその。できれば、船でのことは忘れてほしいなぁと……」
「? どうして? 忘れてしまったら反省なんて――、……いやそういうことか、理解した」
「わ、わかってくれたなら、それで……」
顔を真っ赤にして俯く私を見て、チェイムくんはどこか不思議そうな顔をしていたけれど――、何かに納得したように「今日が初陣だったらしいし戦闘にも不慣れだろう。ボクでよければ訓練にも協力するよ」とだけ言い残して背を向ける。
確かに戦闘経験の薄かった私にとっては非常に有難い提案にありがとうと言ってそのまま見送りかけて――ここまでやってきた理由を思い出して、慌てて声を張り上げた。
「あっ、あのっチェイムくん!」
「?」
どんな言葉が正解だったのか、後になっても私にはわからなかったけれど。
ただこのときは、どうしても言わなければならないような気がした。
「助けてくれて。守ってくれて、本当にありがとう!」
「――次は。私が助けるから!!」
『――』
「……あぁ。……うん。そうだね、頼りにしてるよ」
いっそ絞り出すようにそれだけ口にした彼は、今度こそ背を向け立ち去って行った。
だけど。心からの願いを、決意をこめた私の言葉を聞いた瞬間彼の浮かべた、驚いたような、安心したような、救われたような笑顔は本当に温かいもので――。
それが、鐘楼ノエルの――グラビティーノエルの原初。
あのときの彼の笑顔が、きっと。私の、グラビティーノエルの道を、定めたのだ。
――けれど。
私には。守れなかった。
***
夢を、見ていた。
私が、鐘楼ノエルが戦おうと決めたいつかの夜と。仇を追うと、強くなってこれ以上悪意によって傷つけられるひとがでることのないように戦おうと決めて、それでも意志ばかりが前へ突っ走って明確な拠り所のなかった私にひとつの指針と、頼れる仲間ができた日。
それからは、チェイムくんとバディを組んで活動するようになって、彼と結ばれて、琴音ちゃんと、チェイムくんと一緒に戦って。愛し愛され合って、同じ学校に通って、大切なひとたちと一緒にバンドグループを結成して――。
楽なことばかりでもなかったけれど。本当に幸せだったと言いきれた時間は、当然のように終わりを迎えた。
チェイムくんは、私たちの支えになってくれた男の子はもういない。
パパとママの仇だった獣人との決戦で、彼は致命傷を負って行方不明。大切なひとと引き換えに仇を討って、戦いに臨むようになったきっかけの相手を、絶対に負けたくなかった仇を討ち倒した私たちには――、達成感も喜びもない、ただただおおきな喪失感と無力感があった。
けれど、この世に蔓延る悪意は私たちの仇だけによるものではない。
類稀な力をもっていたとしても、日常の支えだった彼を喪ってから立ち直るまでには時間がかかった。そうして私たちが意識を切り替えるまでの時間を、彼らが見逃してくれる筈はなくて――、街中で暴れる怪人に立ち向かった私たちは、当然のように敗北した。
身の程知らずに現実を教えてやるには丁度いいだろうと。得体の知れぬ異能で無力化された私たちは彼らの性欲のはけ口にされて。
あらゆる穴を使って男たちへの奉仕を強いられて。媚毒や従属の魔法も用いた責めで徹底的に辱められて。敗北する直前に出した要請に駆けつけた増援にアジトを放棄した男たちに連れ去られそうになったところを辛うじて発動した魔法で薙ぎ払って彼らの手を逃れた私たちは、怒号と喧騒の飛び交う廃ビルの物陰で身を潜めていた。
「……お姉ちゃん、生きてる?」
「ん……、なんとか、ね。琴音ちゃんも、大丈夫?」
「大丈夫とは違うかなあ、お互いに……んっ」
じれったそうに身をよじらせる瑞々しい褐色の肌には、汚れてないところなどないくらいに白濁がこびりついている――。身体から滴り落ちた体液で見つかったりしたら嫌だなあと現実逃避気味に思いながら、苛烈な凌辱で昂った身体を揺らす私は制御を取り戻した魔力で強化した知覚で周囲を索敵する。
直後、廃ビル全体に轟く大音響が彼女たちの潜む物陰を揺らした。
「っ……やっぱりあの怪人の相手は難しいみたい。バリバリ音鳴ってるよ……、どこまで制限があるのかはわからないけれど溜めもなしであんな規模の雷撃使えるなんてずるいよね」
「真正面からじゃアタシくらいしか対応できないんじゃないかな。それだって素手じゃ厳しいから剥ぎ取られたアレソレ探さないとだし……どうする? このままじゃいいように場をかき乱されて連中を逃がしかねないけれど」
私がどう答えるかもわかりきったような口ぶりにちらりと紅と蒼のオッドアイを見るけれど――あれだけの責めを受けても尚、彼女の瞳には『折れた』陰りはなくて。
強いなあと、素直にそう思った。
「……戦えそう?」
「触られなければ、なんとか。……プルートの回復で補ってるからまだマシだけど正直歩くのもきついから一度腰砕けにされちゃったら後は期待しないでね」
「そっかあ。……それなら、大丈夫。私が守るからね」
……琴音ちゃんと比べ、私に立ち上がるだけの余力はなかった。これでもかというくらいに精液を注ぎ込まれたおなかは重く疼いてるし、嫌というほど弄り回された胸はこれ以上ないくらいに敏感になっている。……回復魔法もあるとはいえ私より胸が弱い琴音ちゃんもそれは同様で、はっきり言ってもう一度雄と雌の優劣というものを突きつけられれば抗える自信はなかった。
けれど――それでも。意志は、まだ生きていた。
重力を操作して強引に自分の身体を起こして。頼りない心に喝を入れて、ありったけの魔力を集中させ目を閉じる。
魔力で構築された桃色の衣装が、私の身体を包み込んだ。
――まだ弱いかもしれない。
――これからも、際限ない悪意にはどうしても後れを取るのかもしれない。
――私の心も身体も、正義なんてたいそうなものを背負うにも途方もない悪に立ち向かうにも脆くて頼りないのかもしれない。
――けれど。
どうしても守りたいものが、私にはあるから。
「ここで、諦めたら。パパやママ、チェイムくんに、合わせる顔がないもんね」
だから――私は、何度でも。何度でも、立ち上がろう。
絶対に、私は――この願いを、諦めない。
心を弄ぶものがいた。
命を嘲笑う獣がいた。
己の欲望のために他者を搾取する、悪があった。
1人だけでは到底かなわなかった脅威――けれど隣には想いを繋げあった恋人が、そして妹がいてくれた。
戦った。勝った。敗けて、踏み躙られて、助けられて、負けて、勝って、勝って、敗けて、勝って――仇を討ったそのときには、傍らに居てくれた彼はいなくなっていた。
だから、これからは2人。
2人で、戦わなければならない。