気がつくと俺は人を笑わせることが好きだった。
別に快感とか無いし、或いは人を笑わせないと死ぬってほどでも無いけど。それでも、人を笑わせると何故かホッとする。
小学生の時から、俺はそうだった。くだらないギャグとか、意味のわからない奇声とか、しょうもない一発芸で、笑いを取ろうとしていた。
芸人になろうとまでは思わないけど。とにかく、そうやって今、高校二年生になるまで生きてきた。
……今は、まぁ、もうみんなそういう感じじゃないから、俺もただの気のいいやつみたいになってるが。
笑わせるって、案外簡単な事だ。人と多く喋る人間なら何となくわかると思うが、要は喋りがどれだけ上手いかとかそういうのじゃない。如何にして相手を緊張させないか、だ。
それも含めてテクニックだと言われればまぁそうかもしれないが、俺が言いたいのはとにかく視線や表情、声色、何でも使って、相手の空気を弛緩させる事。
相手の雰囲気に同調して、極限まで俺の存在を許してもらう事。まるで家の中で寝転がってるような気の抜けた空気になれば、後はどんなにくだらない事でも相手は笑ってくれる。
要はめちゃくちゃ気を使うって事だ。顔色を伺いまくる。
中学の時は、俺はそれを感覚的に知っていた。だからギャグの鋭さなんかよりも、如何に俺が空気を和ませて、ちょっぴり面白い事を言うか、というような感じだった。
それが楽しかった。みんなが、笑ってくれるのが好きだった。
それで、俺は高校生になって──さっきはぼかしたけど、つまり……まぁ、笑わせられなくなった。
学年が上がれば環境も変わる。クラス替え程度ならどうにかなるが、高校ともなると勝手が違かった。
特に俺は両親の不幸が重なり、都内でも学費の安い有数の高校に通うことになった。なんでも何処ぞの財閥が作った学校だとか。俺には詳しい事は分からないが、要は学費の安い私立だ。
元々女子校で、共学になったばかりだからだろう、男女比は七対三と中々の割合になっている。もちろん女子が七だ。
クラスのほとんどが女子となると、今まで培ってきたノウハウはあまり役に立たなかった。俺は別に女の子と仲良くなるのが上手い訳じゃない。人を笑わせるのが好きなだけだ。
つまり、結果的に俺の得意な、人の空気を弛緩させるという事は出来ず、俗に言う「良い人なんだけどねー、恋人にはちょっと……」という男の典型になっていた。
そんな高校に、俺は通った。
そうして、一年が経った。そうなるともう、俺はつまらない人間になっていた。
後は、多分、イジメにあっていた。と言っても一年生の後期だけだが。
特筆するような事もないが、後から気がついた自分は少し馬鹿だと思う。
まぁ、別に良いか……それより、この話の救えないところは、俺も、恐らくイジメている彼女達も、まるで自覚がない事だ。
被害者の俺はイジメられている気は無かったし、彼女達もイジメている気は無かった。
俺がコンビニに行こうとすると、ついでにパン買ってきてー、と言ったようなパシリが日毎に増していった。
でも特に何も感じなかった。
俺の特技は、笑わせることから、人の機嫌を損ねないことに変質していたからだ。
俺は、怒らなかった。怒れば相手の機嫌を損ねる。その方が嫌だった。
クラスが変わって、イジメは無くなった。
でもその時には俺のコミュニケーション能力は錆び付いていて、結果俺は一人でいる事が多くなった。
俺は、笑わせる相手が居なくなった。
「真田君、どうだった?」
隣の席の櫻井が話しかけてきた。
俺は女性相手に僅かな緊張を覚えながら振り向く。
ふわりと、石鹸のような良い香りが鼻についた。
櫻井美津子。このクラスの代表だ。フチのない丸メガネと、目元についた泣きぼくろがチャームポイント。
肩上に綺麗に切りそろえられた短い黒髪。顔立ちは静かで大人しめ、だが目つきは鋭い方で、睨みつけられるとそれなりの迫力がある。眼鏡なしならちょっとした不良に見えるかもしれない。
……が、今言った通り丸いメガネを掛けているせいで全体的に愛くるしい美人といった印象を抱く。
「あれ、聞いてる?」
後、巨乳だ。
机の上にたぷ、と乗り上がった乳房は、噂ではGカップという話である。リアル乳袋化一歩手前といった制服の現状で、俺は目線をそこに向かわせないように必死だった。
「ん……ああ、聞いてる。どうって何が?」
「テスト、何位だった?」
普通男子に聞くかそれ、というような質問だが、俺と彼女の関係性であるとそこまで問題にはならない。
櫻井とは、去年一年間一緒のクラスだった。また、共にクラス委員を務めた事もあり、仲はそれなりに良好。一応、あまり気兼ねなく話せるクラスメイトだ。
とはいえ、櫻井は頭が良い。テストは毎回、学年トップだ。
そんな相手が、相手に順位を聞くわけである。性格の悪い事だ。
「お前、性格悪いな……」
思ったので言葉にしてみると、はてなマークを頭の上に浮かべて、櫻井は首を傾げた。
「……悪かったの?」
「いや、別に。いつも通り」
隠すほどでもないので、テスト結果が印刷されたプリントを手渡す。
勉強は苦手だ。
「へぇ、学年十位かぁ、そろそろ私も抜かれちゃかも……」
──でも、暗記は得意だ。
テストの点の取り方は去年櫻井に教えてもらった事もありそれなりに理解していた。特に暗記は得意で、俺は暗記だけで学年十位になった。
「で、なんで順位なんか聞いてきたんだ?」
頬杖をついて櫻井の表情を伺う。
「んー……?」
櫻井は俺のプリントを眺めながら、「世間話かなー?」と上の空だった。
「なんだそれ」
「真田君なら、テスト結果聞いてもピリピリする事もないし、本当に世間話だよ……んー、あとはねー……ほんの少し興味があったかな」
「……」
これが強者の余裕か……というほど俺は捻くれてもいない。
頭脳明晰、文武両道、容姿端麗。おまけに委員長。彼女は本当に凄い人間で、同時に人格面でも凄く良い人だ。櫻井にそんな気がない事は分かっている。
だから俺は特に怒るような事もせず、隙を見て俺のテスト結果を回収した。
櫻井は「取られちゃった」とおどけたように肩をすくめた。
「真田君、まだ数学苦手なんだ?」
「暗記じゃ解けない」
「数学こそ暗記だと思うんだけどなぁ」
「無理」
「うーん……」
「真田君、地頭良いから大丈夫だよ」とよくわからないお褒めの言葉をいただいた。
そりゃどうも。返す言葉もない……いや、割と言葉通りの意味で。
「帰るの?」
俺が立ち上がると、櫻井は俺を見上げてそう聞いてきた。
頷き、教室を出ようとすると、後ろから櫻井の「ばいばい」が聞こえた。
ーーーーーーー
電車に乗りながら、今日の夕飯を考える。
がっつり食いたいけど、用意するのはめんどくさい。一人暮らしなら誰もが共感してくれるような心境だった。
帰りに惣菜でも買って家で食うか。
結局、思考の到達点はいつもの答えだった。
「ふぁぁぁ……」
にしても眠い。先週のテスト勉強のダメージがまだ身体に残ってるみたいで、俺はしきりに目をこすっていた。
突然眠くなった訳でもなく、俺は電車に乗る前からかなり眠かった。ここに布団であったら確実に乗り過ごすだろう。
そんな事をうつらうつらと考えながら、ふと俺の降りる駅の名前がアナウンスされた気がした。
「あ、降りなきゃ……」
重い体を引きずって電車から降りる。妙に暗い駅のホームに違和感を感じつつも、眠気が勝った。
冷蔵庫に何かあったかな。これだと買い物中に寝るぞ、一回家帰った方がいいな。
そんな事を考えながら、俺は家に帰ろうとして駅を出た。
が、歩いても歩いても家に着かない。眠さのあまり道を間違えたか。
注意深く辺りを見回すが、何故だか周囲は俺の知らない街だった。
あれ、もしかして降りる駅間違えたのか。
眠気がジワリと薄まった。どこだ、ここ。
「いやでも、定期範囲じゃないとウォレットないよな……?」
今朝、改札を通る時に確認したが、ICカードには最早一駅も移動できないほどの残金しかなかった。つまり、定期券の範囲である家から学校までのはずだ。
それにしては見覚えがない。まぁ降りない駅の周辺なんてこんなものかもしれないが……それにしても、暗すぎるだろう。
街灯一つない街並みに、けれども俺はあと一歩の所で、違和感を──ん、違和感か。いや、違うな。違和感なんて感じなかった。
「この街は、元から暗いんだろう」
上を見上げれば、星一つない真っ黒な空模様だった。もう夜だ、そりゃ暗くもなるさ。
さて、それよりどう帰ろう。
そんな事を考えていると、目の前から女の子が歩いてきた。年は五歳くらいか。
……こんな子にここは何駅ですかと聞いても分からないだろう。駅員に聞いたほうがいいだろう。
俺はそう判断して、来た道を引き返して駅に向かおうとした。
「待って」
「うん?」
踵を返した途端、少女が話しかけてきた。
前髪が長く、顔はよく分からないが、何故か口元は笑っていた。
「久しぶり。よく来たね」
「久しぶり?」
こんな子は記憶にないが、誰かと勘違いしてるんじゃなかろうか。
「ううん、そうじゃないの。人間が来るのは、久しぶりなの」
そう言うと、少女の身体は突然ビクビクと痙攣し、瞬間移動でもするようにすっと消えた。
「あ、れ……?」
いつの間に眠気が復活して、俺は足元から崩れ落ちた。
地面についた足首やら膝やらが酷く冷たくなっていった。黒い靄のような何かが、俺の体温を奪っていた。
気がつくと、街は何もかも真っ黒になっていた。一切の光が無い、漆黒の宇宙空間。
アレ、これ、やばい……?
「珍しいもの見れたから、これあげるね。上手に使うんだよ?」
暗闇から伸びてきた真っ白い腕が、ツンと俺の眉間を突いた。
「は、お……な、何を……?」
やばい。息が出来ない。黒い霧が口元にへばりついて、離れない。
身体を動かそうにも、脳は完全なる酸欠状態で手先まで運動信号が行かない。
やばい、ぞ、これ。
「またね」
その言葉を最後に俺は気を失った。