「で、どうしてこうなった……?」
俺の部屋には、先程家を出ていった神崎まなかの姿があった。
それだけならまだ良かったのだが、何故かその横に──
「んんっ、んんんんっ……!!!!」
両手と口をハンカチで縛られた少女の姿があった。
「いや、これ普通に誘拐じゃね……?」
と言いつつその少女を眺める。
美しく波打つロングパツキンに、絵に描いたような碧眼の美少女。明らかに気の強そうな顔付きと、それに比例して膨らんだかのような豊満な乳房。
うん、美少女だ。
「……で、誰?」
「花城加奈子様です、ご主人様」
まなかさんは当然のように言った。分かっとるわ馬鹿が。現実逃避じゃボケ。
俺は頭を抱えた。何してくれてんだこの人。
そんな俺に、まなかさんは手に持ったビデオカメラを手渡した。
「……何これ?」
「証拠品です」
聞けばこのビデオカメラ、俺のまなかさんのやりとり全てを盗撮していたという。まなかさんはそれを知り、慌てて花城を拘束し、部屋の中に連れてきたという訳らしい。
しかしこうもあっさり抵抗する相手を縛るとは。体格差としてはちょっぴりまなかさんの方が大きいくらいでそれほどフィジカルに影響するとは思えない。花城だって高校二年生として見ても一般的な身長だろう。ちょっと信じられない。
……とはいえ花城は所謂お嬢様である。行動力はあってもめちゃくちゃか弱いのかもしれない。
「もしかして、余計だったでしょうか……?」
不安げに首をかしげるまなかさんに「いや助かった」と首を振ると、改めて芋虫みたいに倒れている花城を見る。
てっきり怯えた目をしているかと思ったが、俺見上げる彼女の瞳には憤怒の色で満ちていた。そりゃまあいきなり拘束されたら怒るよな。そっちから手を出してきたんだけどね。
「花城、大声あげたら催眠するからな」
「っ……!」
とりあえず会話をしようと口に結ばれたハンカチを解こうとする。その前に脅しをかけるように彼女を睨めば、花城は渋々といった様子で頷いた。
「本当に催眠出来るの……?」
「信じないなら信じなくてもいいけど」
「いえ、信じるしかないじゃない……」
そう言うと悔しがるような視線でまどかさんを睨んだ。
確かに、ああまで初対面に人間が俺に従うようになってしまえば、そのまま俺の能力の証明でもある訳だ。もしかしたら裏で打ち合わせしてたって線も、この場合どんなに俺が頑張っても現役グラドルとの連絡なんて取れっこないのでありえないのだ。
「それで、私も催眠するの?」
あくまで屈しないスタンスで、花城は俺を睨みつけた。声が震えているのは、俺の気のせいではないだろう。
彼女の言う通り、催眠してしまえば済む話だ。けどそれでいいのかという気もする。
櫻井の気持ちを無視していないだろうか。知らない間に親友が催眠されてるって。
アイツなら俺が何をしても喜んで同意してくれそうだが、逆の立場で考えるとゾッとする。友達が勝手に頭の中書き換えられてるなんて思うと。
俺は櫻井のためなら割と頑張れる。これは俺なりの償いだ。彼女の人生を俺の物にしたからには、それ以外の事はなるべく彼女の元どおり、というか、彼女が幸せになれるようにしてあげたい。
「ご主人様、催眠しないのですか……?」
急に黙りこくった俺を、まなかさんは心配そうに見つめていた。
そんな俺たちを見て、花城は鼻を鳴らした。
「……臆病ね、貴方。私を催眠するのに躊躇ってるでしょう?」
「……」
まぁ、まなかさんをここまでやっといて何寝ぼけた事言ってんだって話だけど、この人は後ですぐに解放するから許してくれ。
それよりもコイツだ。今回、こんな事を仕掛けてきたって事は櫻井を本当に大切に思っているんだ。その気持ちを、消してしまって良いのだろうか。
「ご主人様、彼女の身体が気に食わないなら、無理に催眠しなくても、この事を忘れさせればよろしいのでは?」
「なんだそれ、催眠しないならせめて記憶でも消しとけってか?」
特に何も考えていない軽口だったが、食いついたのは花城だった。
「待って、あなた人の記憶消せるの……?」
「……正確に消せてるのかは知らん。思い出せなくなってるだけなのかも」
頭の中に先日の櫻井を思い浮かべる。櫻井は思い出せないと言っていた気がする。多分命令で記憶を復活させることも出来るんじゃないか。
その辺りは実験してみないと何とも言えないが、花城が聞きたいのはそこではないらしい。
「じゃあ、期間を指定したり、条件をつけて消す、なんて事も出来るの……?」
「多分。お前が命令を理解して、それをお前の脳が理解して実行するはずだから、出来るんじゃねえの?」
それもやった事ないので分からないが、少なくとも昨日の記憶という大雑把な条件で消去には成功している。彼女が何を考えているのか分からないが、やろうと思えば出来るはずだ。
「そう……そうなのね……」
「なぁ、これ何の確認なんだ?」
「お願いがあるの。これは美津子とは別の、個人的なお願い」
花城は、覚悟を決めたような瞳だった。
「それをすれば俺と櫻井を認めてくれるのか?」
「だからそれとは関係ないって言ってるでしょ」
何言ってんだこの馬鹿、みたいな顔をされたので、俺はムッとして首を振った。
「じゃあパス」
「わ、分かったわよ、考えてあげるわ……」
「おお、チョロいな……で、そのお願いって何だよ?」
「お父様の記憶を、全部消してほしいの」
ーーーーーーー
「まなかさん、貴方は俺の命令を全て忘れる……で良いのか?」
不安そうな彼は、目の前で静かにまなかへと命令を下した。
その瞬間、まなかの中に元の人格とも呼べる彼女が戻ってくる。
「……」
今まで催眠されていた記憶を追体験するように、元の人格でそれらをなぞる。中には恥ずかしいことも自分は言っていて、羞恥に頬が染まる。
「えーと、まなかさん。一応花城とはまた会う約束になりましたんで、で、そうなるとまぁこれ以上貴方を催眠しておく意味はないので。すいません、ほんとご迷惑をおかけしました」
ぺこりと頭を下げる彼に、まなかは怒りよりも困惑を覚えた。
どうして。どうして謝る。こんな事までするなら、自分の記憶を弄らないのだろう。先ほども話していたではないか、記憶を消せると。今後の事も考えれば、記憶を消すのが普通ではないだろうか。
それに、そもそも何故命令を消してくれたのか。私なんかに興味が湧かないほど、その櫻井という女は美しいのだろうか。
「あの、真田様……」
気がつけば、まなかは口を開いていた。
「はい? ……ああ、連絡先なら消しておきます、安心してください。ほんと、ネットにばらまいたりとかしないんで。じゃあ気をつけて帰ってくださいね」
「真田様は、私の身体に興味はないんですか?」
彼から欲情の目線が向けられているのは、あの意識がないときに胸を揉まれた辺りまでだ。ご主人様と呼ぶようになってからは、そう言った目線をまるで向けられなかった。
それはおかしいのだ。男性であれば、まなかの巨大な乳房は当然のように見てくるし、隙あれば鼻下を伸ばして触ろうとしてくる。仕事をしている時でも、それは実感する。
そんなまなかを彼は容易く手篭めに出来る手段があるというのに手放すつもりなのだ。催眠を使えば一瞬だ。なのに、彼は笑顔でまなかを見送っている。
それが理解出来なくて、まなかは疑問に思った。
彼は惚けた顔で、まなかを見つめた後、笑いながら首を横に振った。
「いや、だから、俺まなかさんのファンですよ? その、魅力的なお体をなさってると思いますよ?」
そう言いつつも、視線はまなかの目を見つめていた。下衆な感情など、一つもない表情で。
優しい人だと、そう思った。花城加奈子は彼の事を臆病だと言っていたが、まなかにはそれが彼の優しさだと感じられた。
彼なら、私を守ってくれるだろうか。
彼なら、私を人間として扱ってくれるだろうか。
一度そう考えてしまうと、とめどない希望が溢れて止まらなかった。
両親の心無い言葉を思い出し、グラビア撮影中のセクハラにも苦しめられた。何のために生きているのか、自分でも分からなかった。
「その、また会ってくれますか……?」
そう尋ねてしまったのは、彼に興味を抱いたからだ。
今夜の事は正直何も分かっていない。親友の彼氏を別れさせたいと、妙な金持ちに金を渡されて、両親が勝手にその依頼を快諾しただけだ。
相変わらず金に目がない馬鹿な両親だが、将来的に金になると言われた清純派アイドル路線を、目先の欲に目が眩んで即グラビアに路線変更した二人だ。あんな大金を見せられれば何が何でもまなかにやらせただろう。
まなかとしては、金が貰えればどうでも良い事だった。ただ、家を訪ねて彼と少し話せば良いと、そう言われてバッグを持たされただけだ。
初めは少し嫌だと感じたが、もはやこの体は汚されていて、なんとなくこれも枕営業の一種かと諦めにも似た感情が湧いた。
結果はよく分からなかった。
胸を触られただけでこんなはずじゃなかったと泣かれる始末。まなかとしてはそれ以上を覚悟していたし、彼女が泣く意味がわからなかった。それに、胸に触られたとき、自分には意識が無かったのだ。いつもと違い、それほど嫌悪感は無かった。
そして、目の前にいる彼もまた、まなかが今まで出会ってきた男性達とは何かが違った。
「え……今日何されたか覚えてますよね……?」
真田は信じられない顔でまなかを見つめた。
「催眠、ですよね。分かっています。むしろまた私を催眠してもらっても構いません。真田様に、また会いたいんです」
「ええ、何それ……」
結局真田は頷く事はなく、まなかに自分の電話番号を教えた。
「まぁ、なんかあったら電話してください。ひとりのファンとして、応援したりとか、愚痴とか聞くくらいなら出来ますんで……」
まなかはくすりと笑うと、頷き返した。
優しい人。とても、優しい人。自分にまで気を遣わなくていいのに。
まなかは、そんな上等な人間じゃないのに。