「加奈子、何やら靴がいっぱいだぞ」
暫く待つと、玄関から物音がして、人の気配を感じた。
俺は心底ムカつきながらそいつの場所へ。
本当に櫻井の言った通り男相手でも催眠『出来るように』なっているのか。
不安はあった。
だがそれ以上に、花城の父親にムカついて仕方なかった。
親子なんて人それぞれ関係性があるだろう。それに一々口出ししていても底がない。まなさんの例もあるし。
……それでも、花城親子の関係性が狂っているのは理解できた。おかしいだろう、父親が娘を何度もレイプするなんて。狂ってる。
そして、俺の手にはその関係を壊す力があった。
花城やまなかさんが現れてからうまくいかない事ばっかりで不安や怒りといった不安定な精神状態だったが、ここにきてそれらの負の感情が爆発した。
一発ブン殴ってやる……催眠が効けば、だけど。
「加奈子、何処に居る?」
リビングに男が入ってくる。
背丈は小柄で、スーツに丸々としたお腹を詰め込んだ髭面の男。いかにも生活に余裕がありそうな、ブランド物に身を包んだ中年だった。
俺は寝室から出ると、そいつと真正面から相対した。
花城とは似ても似つかないくらい、欲望に塗れた顔つき。確かに、あんな美少女の娘を好きにできるんなら、こんな無様な顔つきになるんだろうな。俺だって櫻井とイチャイチャしてる時はあんな顔になってるかもしれん。
けど、今はただ腹が立って仕方ない。
「……誰だお前」
花城の父親が、警戒心を露わにする。
俺は気にする事もなく、パチパチと数度瞬きする。
少し遅れて、そいつの胸に透明なハートマークが現れた。
イケる。こいつにも催眠が効く。
不思議と直感した。或いは能力が教えてくれた。
櫻井の言った通りだ。
「出て行け、ここは私と加奈子の家だ。貴様、警察に──」
「──花城さん」
何か喚き出す前に、停止状態に持っていく。
予感通り、彼はまるで氷漬けにされたように動かなくなる。目がうつろで、口も半開きだ。
完全に停止状態だ。
俺は男性相手に催眠出来たと喜ぶ暇もなく、拳骨を握りしめると、思いっきり走り寄って──
「てめぇそれでも父親かよッ……!!」
力一杯殴りつけた。
反射で身体を硬くする事も、受け身も取る事も出来ず。
花城の父親はもろに俺の拳を喰らって真後ろに倒れた。
ーーーーーーー
鼻血をぼたぼた垂らす父親を、その場に正座させる。花城父は、痛みに呻く事も、俺に暴言を吐く事もなく、停止状態のまま静かにしていた。
完全に停止状態だ。しかも今知ったけど命令をしない限り、殴っても目を覚まさないらしい。
俺はズキズキ痛む手の甲をさすりながら、ゴミを見るような目でそいつを見下ろしていた。
「……お父、様?」
櫻井に衣服を返されてようやくすっぽんぽんからブラウス一枚の姿になった花城が、よたよたと寝室から歩いてくる。
虚な目で正面をじっと見続ける自身の父親を見て、分かりやすく困惑していた。
「これが……催眠……?」
「いや、これは命令待ちの状態だ」
素直に答えてやる。
花城には復讐の機会が必要だと思った。処女を奪われて、尚も貪り続けられるなんて、ふざけた話だ。
確かに金銭面では花城は他人と比べればかなり裕福な暮らしをしていたのかもしれない……が、だからってそんなところでマイナス面にバランスを保つ必要がどこにあるんだ。
金持ちの娘に生まれたから父親に大人しく犯されろって?
子を成したなら、どんなに金が掛かろうと手間が掛かろうと、そういう一切合切の責任を持つのが親の役目だろう。
少なくとも、俺の死んだ両親はそうだった。
いつでもいつまでも俺の味方で、死ぬ間近まで俺の心配をしてくれた。
それが親だと思っていた。
「……だから、こいつは父親なんかじゃない」
「え……?」
怒りのあまり言葉が漏れた。
花城は俺の表情を恐る恐る覗いて、それから言葉を詰まらせていた。
俺は機嫌の悪さを隠そうともせずに、先程から静かな男を顎で指した。
「花城。何かないのか、命令したい催眠は。俺が代わりにやってやる」
「……そんな事、言われても」
花城は先程までの威勢は何処へやら。いまだに信じられないものを見るようにして沈黙した父親を眺めている。
そう簡単に命令が思いつかないか。そもそも目的が復讐って、具体性に欠ける。いつもみたいにエロい事したいからおっぱい揉ませろとは全然ジャンルが違う訳だ。
……よし、色々恨み辛みはあるだろうし、命令も一つだけじゃ気が済まないかもしれない。気長に付き合うとしようじゃないか。
それから暫く、無言の時間が続く。
「……ん、そうか」
花城が考えている間、俺も少し考えた。
そして気が付いた。別に俺が催眠しなくても良いんじゃないかという事に。
全て花城に任せてしまうのも手だな。
一度その考えが浮かぶと、それが最善な気がして仕方ない。
俺は早速やってみる事にした。
「──お前は花城加奈子の命令に絶対従う」
「ちょ、ちょっと、何を……」
花城が遠慮がちに俺の裾をつまんでくる。
気にせず、花城の父親を睨みつける。
「はっ……ぐ、痛ッ……な、ん……??」
意識を取り戻した瞬間、殴られた痛みを今頃感じて顔を歪めていた。
ざまぁみろとは思うが、心は痛まない。
「──花城さん」
気にせず、もう一度眠らせる。
男は鼻血を流しながら、再び停止状態に陥った。
「……」
「な、なんなのよ、ほんと……」
「これでお前の父親はお前の言う事に逆らえない。お前がやれと言ったことは当然やるし、やるなと言った事は絶対にやらない」
「そんな馬鹿な話……」
と、否定しかけて、花城は背後にいる二人に目をやった。
櫻井とまなかさんは、まるで主人の号令を待つようにじっと並んで立ち、俺の次の言葉を待っていた。目の前に実際の効果が見られる以上、信じざるを得ないだろう。
櫻井はともかく……まなかさんはなんも催眠してないんだけどな。ほんと、何でだろ。
「……本当に、私の言う事をなんでも聞くの?」
「多分な。試してみるか?」
「……え、ええ──あ、いやダメ、待って。ねぇ、これ、この……何? 催眠待機状態? って、すぐに出来るの?」
「おう。だからダメそうだったらすぐ助けるよ」
「そう。分かったわ……あとこれは興味本位なのだけど、これってどんな条件で意識を奪ってるの?」
「名前呼ぶだけ」
「……そ、そうなの」
花城は苦虫を噛み潰した顔で頷いた。
もっと複雑な条件でもあると思っていたのだろう。残念ながらこの超能力はそれだけで人を停止状態に出来る最強の能力だ。
もちろんお前にはやらないよと念押しして少しだけ離れると、花城の心の準備が整うのを待った。
「……良いわ。それじゃあ、お願い」
「分かった……起きろ」
俺の言葉を聞いて、花城の親父が目を覚ます。
すぐに目を見開くと、面白いくらいに俺を見て狼狽えていた。
「き、貴様、一体私に何をした!?」
どうやら自分が何か変な事をされているとようやく気が付いたらしい。
鼻血が出っ放しの痛々しい鼻を抑えながら、弱々しく後退る。
「ゆ、許さないぞ、貴様がどんなに謝罪してももう手遅れ──」
「──黙りなさい」
父親が全て言い終わる前に、花城がぴしゃりと言い放った。
すると彼は馬鹿馬鹿しいくらい真面目な表情になって、ピンと背筋を伸ばして直立した。いわゆる『気をつけ』の姿勢である。
感情も何もかも、なくしているようだった。
「……」
表情を見ても、先程まで俺に対して怒り狂っていたとは思えないくらい真顔だ。何もかも忘れて花城の命令のみを実行する機械のような、無機質な雰囲気を感じた。
「嘘でしょ……」
花城は今度こそ本当に心の底から困惑するような声を上げた。
目の前で微動だにしない自身の父親を見て、表情を取り繕うこともせず、ただ呆気に取られていた。
……人がここまで静かになるのはそうそうない。こんなの、死んでるようなもんだ、びっくりするのも分かる。
こりゃ落ち着くまで時間が掛かるかなと勝手に思ったが、花城が黙ったのは、ほんの数秒だった。
「──しゃがめ」
花城の父親が、言葉に合わせて、ゆっくりと膝を曲げてしゃがみこむ。
「──四つん這いになれ」
今度は先程よりも早く、肘と膝を床につけて四つん這いになった。
「──床を舐めなさい」
「はっ、はっ……」
彼は疑うこともなく、自宅の床を舐め回す。自らの仕事と信じ込んでいる動きだった。
本当に、花城の言葉にはなんでも従うようになっていた。
「──くふ」
なんの疑問も持たず、言う通りにする父親の姿を見て、ようやく自分がどんな力を手に入れたのか理解し出した花城。
試しに足を頭の上に乗せても、父親は文句一つ言ってこない。
彼女は徐々に口角を釣り上げると、ちょっとドン引きするくらい良い笑顔を見せた。
「──ああ、これは良いわね」