俺は救急車のサイレンに叩き起こされた。
なんだ、何がどうなった。なんの騒ぎだ。
すぐそばで聞こえるのに、何故か曇った音のサイレンが、頭にこびりつく。ファンファンと叫ぶように煩い。
けれど、鳴り響く爆音は、果たして本当にそのサイレンだけなのか。まるで身体の中で心臓が暴れ散らかしているような音も聞こえるし、きーんとした耳鳴りがずっとする。
おまけに自分の身体とは思えないくらい動きが鈍い。てか、ほとんど動けない。
どうしたんだこれ。
もしかして、俺、腹上死??
『が、は……ぁ……!』
突然『俺』が呻き声を上げる。
文字通り血を吐き出して、身体をボロボロにして。
これは……俺だ。
俺……何してんだ。
なんだこれ。
これ、俺なのか。
あれ、これは、ふざけてる場合じゃないのでは。
『はぁ、はぁ……──!」
『俺』は俺の意思とは関係なく、アスファルトに身体を擦り付けて前に進む。
もう指一本動かすのもしんどいのに、そんな事に構ってられるかとばかりに前に進む。
ざりざりと、身体の前面の皮膚が地面に擦れて千切れていく。
手足から血を流し、頭も何処かにぶつけたのかドロドロと血が目に垂れてくる。
『俺』は動きを止めない。
何か硬い意志にそれを強いられているように、懸命に進んでいく。
自分の身を犠牲にしても、何かを守るために。
俺はどこか他人事のようにそれを眺めながら、ふと目の前に誰か倒れていることに気がついた。
「櫻井……?」
その後ろ姿に、なんとなく櫻井の姿を重ねてしまった。
偶然かもしれない。
けれど、黒髪で、何処かで見たことあるような体型の女性。
少し違和感があるとしたら、それは俺がいつも目にしている彼女よりも少し大人びているような、ないような。
いや、俺と一緒に居るなら、櫻井だろう。櫻井の可能性が大いに高い。
そうなると……あれ、待て、なんだこれ。俺は事故にでもあったのか。
いや、『俺達』は、事故にあった、のか?
『はぁ、──! 無事か、──!!』
『俺』はようやくその女性の元に辿り着くと、苦労しながらなんとか彼女を抱きかかえた。
その表情を見ると──
「え」
その瞬間、俺の眼前には櫻井と花城の顔があった。
「真田君」
「真田」
血塗れの女性の身体の頭についていた顔は、二人の顔だった。
笑えないCG技術だった。
映画みたいな不自然さで、二人の少女の顔が真っ二つにくっついていた。
左の顔は櫻井、右の顔は花城。まるで半分に切り取って溶接したような顔だ。
二人とも笑ったり泣いたり、怒ったり。そんな表情を左右別々に表していた。
パラパラ漫画みたいに二人の表情が変わる。あまりに不気味なその顔に、俺は目を背けそうになる。
心臓が、バクバクと音を立てる。
だが、俺は……『俺』は、目を逸らさない。震える手で、『櫻井』の頬に手を当てる。
その頬に、『俺』の手の血が付着する。
『さなだ、くん……』
酷く安心するような表情の『櫻井』が、静かに目を閉じた。
ーーーーーーー
「……笑えねー」
何とも痛烈な夢を見た俺は、寝汗びっしょりで目が覚めた。
時計を見ると午前6時。これが俺の土曜日の起きる時間かと言われれば、違うだろうな。いつもより何時間も早い休日の起床だ。
俺は、今日もまた、何度も何度も浅い眠りを繰り返して夜を過ごした。
「……」
ベッドから起き上がると、キッチンの蛇口を捻って水を口に放り込んだ。
頬を伝う水の冷たさに目を細めながら、そっと蛇口を戻して、目を閉じる。
あれから一週間が経った。
花城に文字通り犯された俺は、逃げるようにして彼女の家から飛び出た。
それ以降どうしても櫻井への罪悪感が拭えなかった。今の夢もその不安の現れだろう。この一週間ずっとそうだ。
俺は、心底櫻井に嫌われたくない。催眠しているから大丈夫とか、そういう事ではなくて、心の底からそう思う。
それに、何よりもう彼女をこれ以上裏切りたくないのだ。
彼女は、彼女の自由意志を奪い取られて、俺に隷属させられている。その上さらに、浮気だなんて。ありえない。というか、俺の方がキツい。
一瞬まなかさんの顔が浮かんだが、あの人はノーカンだ。もう櫻井にも理解してもらってるし、なんたって家族──
「──ッ」
途端に妙な不快感に襲われる。
家族? 何言ってんだ俺。
まぁ家族というか、ここ数日で完全に俺の家の家政婦というかメイドというか……よく分からない感じで俺の世話をしてくれているという意味では家族なのかもしれないが。まぁしかしだからといって尚更OKになる理由は分からん。
それでも何故か、まなかさんの時とは、違う気がした。同じにしてはいけないと思う。
「ああ、もう……まとまんねー」
いやいや、今はまなかさんは置いといてだな。思考が逸れた。
とにかく、俺は花城に襲われたあの日から、櫻井への罪悪感で押し潰されそうだった。
そのせいでこの一週間、俺は櫻井から逃げるようにして学校で過ごしていた。
同じクラスだし、席も近い。それでも休み時間毎に俺は男子トイレに篭り、昼休みは声もかけずに校舎の中に逃げた。
我ながら何をしているのかと思うが、自分でもこれが分からない。
とにかく、もうほんと辛い。
何が辛いのかもう言葉に出来ないくらい辛い。
夜も満足に寝れないし、他の何事に集中出来ないくらい辛い。
とにかく、そんな感じだ。
「クソっ……」
花城との会話がちらつく。
俺はあの時、全ての勇気を振り絞って、彼女を拒絶した。
彼女の告白を不意にしたのだ。
少し前までの俺ならありえない事だ。他人に嫌われることをするなんて。その性格故に俺は今まで何処までも都合の良い人間だったのだ。
そんな俺が、初めて、自分から繋がりを断ち切ろうとしたんだ。
あの時、俺は、多分彼女の隣にいる事を拒んだ。彼女とセックスする事を拒否したんだ。
自分でも驚いた。
でもそれくらい、俺にとって櫻井が大きくて、とんでもなく頼りにしているパートナーとして認識してるって改めて分かった。
例え傷つこうが、悔いのない選択をしたいと。彼女に知られたくない秘密を作るくらいなら、いっそ心が切り裂かれても構わないと、咄嗟にそう思った。
そして、それで俺が傷ついたら、その時は櫻井に頼ろうと。あいつなら、優しく抱きしめてくれるはずだと。
だが、俺の決意を花城は許さなかった。
俺は、大切な人の親友──櫻井の親友、花城とセックスした。
この事実は紛れもないものだ。
「……どうすればいい?」
俺は自分に問う。
分かっている、櫻井ならちゃんと打ち明ければ、許してくれるだろう。それどころか、「やったね真田君、三つ目のおまんこだよ♡」とか言い出しかねない。
そう、櫻井は怒りもしないだろう。
それが、それが……
それが、とてつもなく辛い。
責められたい訳でも、罰して欲しい訳でもないが、この気持ちに区切りをつけるために必要な事が一つだけある……と勝手に思っている。
それは、俺の気持ちを全て彼女に打ち明けて、それから心底怒られて、それで泣きながら彼女に謝ることだ。
それで更に気持ちを落ち込ませる事になるか、晴れやかな気分になるかは分からない。でもそれをしないと先には進めない気がした。
しかし……それが出来ないんだ、俺たちの関係性だと。
良いことばかりではないな、催眠も……と、一人苦笑してしまう。
俺は別に辛い事が好きというか、マゾヒストという事はないのだが、男女関係になるとこういう形容し難い気持ちを抱く事もあると身をもって学んだ。
「……はぁ」
……まぁでも、いい加減一人で悩むのも疲れた。やはり櫻井には打ち明けるべきだろう。それがこの一週間悩み抜いた答えだ。
それで花城とは、もう二度と関わらなければいい。
うん、そうしよう。あとは櫻井のおっぱいに埋もれながらゆっくり考えよう。
「──よし」
そう覚悟した瞬間、インターホンがピンポーンと鳴った。間の悪い。
っていうか、荷物も何も頼んでないぞ。誰だ。
そう思いながらのっそりと扉を開けて。
「おはよう、真田君♡」
「ご主人様、お引っ越しですよー♡」
「ほら、荷物纏めなさい。行くわよ、真田♡」
そして俺はまた、思考力を奪われた。
目の前には、瞳の色と心のハートを真っピンクにした美少女三人が、俺を待ち構えていた。
辛うじて絞り出す事ができた言葉は、
「……引っ越し?」
だけだった。