「あのさ……このマンションで隣室の音漏れが気になったことってある?」
いつものように昼食を持参して俺の部屋で食事をするシルヴィとメグに、それとなく探りを入れた。
「オトモレ……?」
「あー例えば俺の……生活音とか、聞こえてきたことはないかなーと思って……」
「Ah、気にしたこともないわ!」
「そっか。それならいいんだ」
よかったぁぁぁ!
俺が密かに胸を撫で下ろしていると、メグが疑問を呈する。
「どうして急に?」
「いや……せっかく隣人が知り合いなんだし、俺自身がよそに迷惑をかけていないか聞いておこうと思って」
「ああ。ならこの人、一人で家にいる間は大抵ゲームにログインしてるから、参考にならないわよ?」
「あー、そうか……メグ、よく知ってるね」
「えっ!?」
「え?」
なぜそこで動揺するのか。
「もちろんよ。ナツメグは私のスケジュール管理バッチリなんだから!」
「ちょ……!」
「え……メグがシルヴィのスケジュール管理してるの?」
「や、ちが」
「いつも
モーニングコールだと……?
「ち、違うのこれは! 仕方なくよ!?」
「Haha、ナツメグったらkawaiiのよ! この前なんて、私がシャワーしてたら突然うちに来て〝どうして電話に出ないの!〟って」
「わー! わー! わー!」
「それもう恋人じゃん。本当に仲が良いんだね」
「
「ちょ、黙って!」
ん?
「
シルヴィは両手で作ったピースサインをクイクイッと曲げて「仲が良い」という部分を強調する。さっきまで顔を真っ赤にしていたメグは、シルヴィをキッと睨んだ。
「……ケイ、ごめんなさい。今日のところは失礼するわね」
「あ、はい……」
「
二人の背後からじわりと滲み出す黒いオーラを感じ取った俺は、そっと腕を組み、口を
「そういうことじゃない」
「へえ? じゃあどういうこと?」
「……お邪魔しました」
「いいわ。私はケイと二人っきりでおしゃべりしてるから。Bye」
シルヴィは、玄関へ向かうメグの背中を見ようともせず、冷淡に言い放つ。
「……………………」
俺を捲き込むな。あとそういうのはよそでやってくれ。
玄関ドアの開閉音は未だない。
俺は腕を組んだまま音も立てずに移動し、廊下の向こうで玄関に立ち尽くすメグを視界に収めた。メグは靴を履いてドアノブを握り締め、こちらに振り向きかけた状態で、下唇をきゅっと噛んで俯いている。
「……泣いてる?」
俺の微かな呟きを耳聡く聞きつけたシルヴィが、ハッと顔を上げた。
「……
「だろうね……」
「また来るわ」
……え、何をしに?
シルヴィはスタスタと玄関まで行って靴を履くと、驚き身を竦めるメグの手を取って、さっさと出て行った。
えー……あの二人そういう感じなの? いや別にいいんだけど、だったらなぜ俺の部屋に来るんだ……。まだ微妙な関係なのかな?
「……クッソ気になるんですけどー」
静けさを取り戻した部屋に、俺の独り言だけが残った。
……
…………
………………
あれからひと月ほど経つが、二人が俺の家に来ることはなく、楽郎ともプールデート以降一度も会えていない。
生放送の格闘ゲーム試合を終えて控え室へ戻ると、楽郎からチャットが届いていた。
サンラク:惜しかったな
オイカッツォ:あなたにとって、幸せとはなんですか?
サンラク:え……いや俺、宗教はちょっと……
オイカッツォ:俺にとっての幸せは君だ……楽郎
サンラク:は
サンラク:なんでいきなり俺の心強奪したの? 返して?
オイカッツォ:俺は今、圧倒的に幸せが足りない……つまり、楽郎が足りない
サンラク:死体蹴りやめて
オイカッツォ:デートするぞ
サンラク:はい……(召天)
サンラク:てかなんで今日そんな格好良いんだ
サンラク:負けたくせに
オイカッツォ:キレているからだ
サンラク:あ、な~る……
なぜプロゲーマーである俺が、ゲーム以外にタレント業までこなさなきゃならないんだ!! 今日という今日はスポンサーだろうがなんだろうが、殴ってでも休日をもぎ取ってやるからな!!
……
…………
………………
そうして俺は今、この日を迎えることができている。
「成し遂げたぜ」
「どうした急に」
「いや、楽郎と会えたのが嬉し過ぎて……」
「うっ、俺の残機がまた減った……!」
「残機あといくつあるの」
「もうない」
「次で死ぬじゃん」
なんでそんなギリギリなんだよ。
今日の俺の服装は、ベージュの半袖オープンカラーシャツ、黒スキニーとスニーカー、黒リュックにキャップと眼鏡。楽郎は黒のタンクトップに透け感のあるサマーニット、ジーパンとスニーカー、ボディバッグだ。
……サマーニットからうっすら透けるタンクトップと肌エロ。なんか俺どんどん変態度増してる気がするな……。
今回は遊園地デートだ。国内最大級のテーマパークへは、待ち合わせ場所の駅から直行バスで向かう。チケットはあらかじめオンライン購入してある。バスの中で、俺は楽郎に確認を取った。
「チケットちゃんと持ってる?」
「当然。それより慧は昨日、ちゃんと眠れたのか?」
「眠れるわけないじゃん」
「……お前、遠足の前の晩は寝られなかったタイプか」
「いや、爆睡してた。俺がこんな風になるの、楽郎とのデートだけだよ」
「はい死んだ」
「俺たちの
「……先生の次回作にご期待ください」
「あ、生きてた」
「俺は生まれ変わり、今新たな人生が始まったのだ……」
「驚きの輪廻周回速度」
人生のRTAでもやってんの?
バスを降りて、テーマパークの入園口を通過した。澄んだ青空一面に、波のような白い雲が広がっている。
エントランス広場を抜け、ショップエリアのメインストリートを歩く。どこも人でごった返しているが、誰もが夢の世界に夢中で、俺たちの存在も背景の一部と化していることだろう。
「どこから行くかもう決めてる?」
パンフレットを見ながら問いかけた俺は、楽郎からの返事がないことに疑問を感じて顔を上げた。楽郎は少し後ろで立ち止まり、ぼんやりとした様子で何かを眺めている。俺はその視線を辿って女子の集団を認めると、眉をひそめた。
キャラクターのカチューシャを着けてはしゃぐ女の子たちの中に、明らかに俺と顔の雰囲気が似た子がいる。いかにも女の子らしい甘めのファッションを、清楚に着こなしている。
「………………」
つんつんと楽郎の袖を引っ張ると、俺の冷ややかな視線に気付いた楽郎が、僅かな動揺を見せた。それだけで俺の機嫌も一層悪くなる。
「え、ごめん、何か言ったか?」
「…………俺が女だった方がよかった?」
「は?」
俺は黙ってさっきの女子に視線を遣る。
「……ああ、いや、違う。ただ、似てたから……」
「似てたからなに?」
「……お前にもああいう格好が似合うのかと思ったら、なんか……うん」
…………うん?
「……もしかして、女装して欲しいの?」
「ち、違……わなくもないけど、ただ見てみたいだけで、別にやましい気持ちがあるわけでは……なくもないが、決して女だったらいいとかそういうことではない!」
「……つまり?」
「女装した慧とえっちなことがしてみたいですごめんなさい」
楽郎が死んだ魚のような目で遠くを見ながら白状した。
「…………ふっ、あはははは!」
「………………」
なんだ。俺だけかと思ってたけど、こいつも大概変態だったわ。
俺は腹を抱えて笑うと、楽郎の腕に自分の腕を絡ませ、肩に頬を寄せて至近距離から楽郎の困惑顔を見つめた。
「な、なんだよ……」
「んー? 別に。気が向いたら、二人きりの時に女装してあげてもいいかなーって」
「マジ!? やったぜ」
「あははっ」
俺と楽郎が顔を寄せ合って笑っていた時だった。
「Heeeyケイ!
「!?」
「!?」
「!?」
は?
──目の前に、輝くような笑顔のシルヴィア・ゴールドバーグと、驚愕した表情でフリーズしている夏目 恵がいた。すぐそこのショップから出てきた瞬間、俺たちとかち合ったらしい。
シルヴィは黒いシースルースカートにメンズライクなレースアップブーツ、メグはデニムスカートに腰巻きの赤いチェックシャツとハイカットスニーカーで、トップスはお揃いのパークキャラTシャツを着ている。さらにはパークキャラのカチューシャに、キャラ物のサングラスまで額にかけ、シルヴィの片腕には中々のサイズのぬいぐるみが抱き締められている。
いやめちゃくちゃ満喫しとる!
そして何より、シルヴィとメグが恋人繋ぎをしているではないか──。
一瞬でそこまで思考が巡り、俺が楽郎から離れたのとほぼ同時に、メグがシルヴィの手をほどいた。俺がここまで認識できたということは、向こうもこちらの状況をまるっと把握していると考えていい。
ウソだろ……やっちまった……。誰も俺たちに注目していなかったとはいえ、まだ昼にすらなっていないうちから公衆の面前で浮かれて密着してしまうとは……なんたる不覚。どうする? 早く何か言わないと……。
俺が焦っている間に、楽郎が言葉を発した。
「なんだ。お前らも付き合ってたのか」
「!?」
「!?」
「
愕然としているメグと目が合う。
安心しろメグ。俺たちは今、同じ気持ちを共有する仲間だ……。そして、俺から伝えられる言葉はたった一つしかない。
……諦めろ。
メグの縋るような視線を受けとめつつ静かに首を横に振ると、メグは項垂れた。
「私、ダブルデートってしたことないの! あなたはどう? え~……」
「楽郎」
「ラクロー!」
「俺もないな」
「じゃあ今日はダブルデートね!」
「それ、イチャイチャできなくないか?」
「
「ラブバーズってなに?」
「Um……ラブラブカップルってこと!」
「あーね」
あーね、じゃない。なんで君らが盛り上がってんだ。
俺とメグは、すっかり意気投合して歩き出した楽郎とシルヴィの背を追って歩く。
「……なんかごめんね」
「い、いえ、こっちこそごめんなさい……」
気まずいわー。
「あの後上手くいったみたいでよかったよ」
「え? ……あ! ご、ごめんなさい、あの時は……見苦しいものを見せちゃって……」
「いや、気にしてないよ」
「…………あの、ケイは、いつからその……か、彼氏がいたの……?」
〝彼氏〟
……ああ、そうか……楽郎って俺の彼氏なのか……。これ何気に俺の中で一番のパワーワードだな。
「割と最近だよ。そっちは?」
「……私たち、実は今日が付き合って初めてのデートなの」
うっそだろオイ。初デートいきなりダブルデートって大丈夫か?
「それ、俺たち邪魔だろ。タイミング見て分かれようか」
「いえ、いいの。……あ、もちろんそっちが迷惑じゃなければだけど……」
「いや、こっちはいいけど……本当にいいの?」
「ええ。たぶんシルヴィは、私たちの関係をオープンにできる話し相手が欲しかったんだと思う……。彼女の国とは違って、この国では未だに有名人の同性愛がスクープとして扱われるでしょ? 私がそれを嫌がるから、オープンにするのは我慢してくれているけど、やっぱり不満に思ってるみたいなの」
「なるほどね……」
シルヴィなら、記者会見でも開いて堂々と報告したいだろうな。
「私が保守的なのも悪いんだけど……」
「いや、まだまだこれからでしょ。俺だってオープンにする勇気はないよ。あっちはたぶん、誰にバレても平気だと思ってるだろうけど……」
楽郎やシルヴィは、己の歩みを阻む余計な
俺たちは結局、そんな彼らの
ただその炎に焼かれて一つになれるなら、それは間違いなく本望であると断言できる。
「私もそんな強さが欲しいわ……」
「大丈夫だよ、メグなら。ていうか、俺もだけど」
「どうして?」
「俺たちは、いざとなれば海外でも稼げる」
「それ国外逃亡じゃない……」
「でも必要な人はそばにいるよ」
「……そうね。それが一番かも」
「だよね」
俺とメグは晴れやかな顔で微笑み合うと、ようやく振り返って俺たちを待つ二人の元へと、歩を進めた。