俺と改崎さんは、途中何度か声をかけられながらもエレベーターに乗り込んだ。
「あれ? 慧君も同じホテル?」
「みたいですね……」
「慧君、来年からは新館の方がいいんじゃないの?」
「どうしてですか?」
「だって本館人多すぎるでしょ。新館は全室スイートだから高いけど、部屋数は本館の三分の一だし、人は断然少ないよ」
「あー確かに……毎回メンバーと同じホテルにしてたんですけど、次からはそうしようかな……」
「俺も新館がいいな。本館のチェックインの行列しんどいわ。遊園地のアトラクションか、って」
「客室三千室以上あるとヤバいですよね」
エレベーターが、改崎さんの押した階層で止まった。
「じゃ、また明日」
「あっ! ちょっと待ってください!」
急いで俺もエレベーターから降りる。
「改崎さん、食事代!」
「ハハハ、覚えてたか」
そう言いながらも、止まってはくれない。
俺は財布から百ドル紙幣を取り出しながら改崎さんを追いかけた。
「百ドルで足りますよね? お願いします、受け取ってください」
「いやいや、百ドルなんてさすがに受け取れないよ。量は多くても所詮一人前でしょ? 俺の酒代抜いたら、その四分の一くらいじゃないかな?」
「……ちょっと調べます」
俺がなんとか店名を思い出して携帯端末に入力しながら歩いていると、改崎さんがそばに来て俺の背中に手を当てた。
「え……なんですか?」
「人もいるし、端末見ながら歩いてると危ないからね」
「そう思うんなら止まってくださいよ」
「止まるとまた捕まっちゃうよ?」
……ファンに、だよな?
「ん? なに?」
「いえ……あ、メニューありました。さっきの料理は……」
「うん……」
改崎さんは顔を寄せて俺の携帯端末を覗き込んだ。背中に当てていた手が腰に下がる。気になりつつも、努めて意識しないようにした。
さっさとお金を渡して帰ろう。
「あった……二十九ドルですね。で、僕のドリンクが五ドルだから……三十四」
「いや、食事代は割らないと」
「あ、そっか。二十ドル札でいいですね」
「十五でいいよ」
「二十で大丈夫です」
「頑なだね……じゃ、中で受け取るよ」
「え?」
いつの間にか部屋の前に到着したらしく、カードキーでドアを開けた改崎さんが、俺の腰を押しながら中に入った。
背後で客室のドアが閉まる。
「えっ、ちょ……困ります!」
「え、何が?」
「すみません、お金渡したらすぐ帰るんで……」
慌てて携帯端末をしまって財布を取り出したものの、勢いがつきすぎて財布がポケットの端に引っ掛かり、手から滑り抜けて床に落ちた。小銭が散らばる。
「ハハハ……焦りすぎでしょ。別に取って食ったりしないよ」
「う……すみません……」
何やってんだ俺……。
改崎さんが、床に落ちた小銭を拾うのを手伝ってくれる。
「結構向こうまで転がってるな」
「すみません、ありがとうございます……」
「……どうも、俺といると慧君を緊張させちゃうみたいで、申し訳ないね……」
改崎さんは、小銭を拾いながら肩を落とした。
「え、いや、そんな……」
「俺、たまに人からそういう反応をされちゃって戸惑うんだけど、無意識のうちに、何か怖がらせるようなことをしているのかもしれないね……慧君もやっぱり、俺のことが怖いか……」
判然とした理由があるわけではない。強引に迫られたわけでもなく、強い言葉で脅されたわけでもない。ただ、結果的に改崎さんのペースに嵌まっているような気がして、不安になるだけだ。
それでも、ここまで改崎さんを追ってきたのは他でもない、俺自身なのだ。もしかしたら、俺が自意識過剰なせいで、改崎さんを傷付けてしまっているのかもしれない。
「……いえ、怖いということはないです」
「本当に?」
「はい」
「ああ、よかった……」
改崎さんのホッとした笑顔を見て、俺も安堵する。
「とりあえずこっちに落ちていたのは拾えたと思うけど、家具の下にも転がっているかもしれないから、一応見といてくれる?」
「はい」
そう言うと、改崎さんはミニバーの冷蔵庫を開けて飲み物を選び出す。
俺は家具の下を確認しながら小銭を拾い集めた。
「たぶん全部拾えました。ご迷惑おかけしてすみません」
「気にしない、気にしない。はい、これくらいは奢らせてくれてもいいでしょ?」
オレンジジュースの小さなボトルを差し出される。
「あ……ありがとうございます、いただきます」
お構いなく、と言いたいところだが、冷蔵庫からドリンクを取り出した時点でセンサーが感知して課金されるシステムなので、突き返すわけにもいかない。謝辞を述べて受け取った。
俺からは二十ドル紙幣を手渡す。
「じゃあこれ……ごちそうさまでした、美味しかったです」
「結局奢ってないけどね」
「いえ、僕、今回はずっとルームサービスになると思ってたんで、レストランで食事できただけでもよかったです」
「えっそうなの? ならまた誘うよ」
「あ、う~ん……他の人も誘っていいなら……」
「……俺と二人は嫌?」
「嫌とかじゃないです。ただ……」
言い淀む俺を、改崎さんは黙って熟視している。
俺は覚悟を決めて、その双眸を正面から見据えた。
「……僕、付き合ってる人がいるので、二人きりの食事とかは避けたいんです」
「二人きりって言っても、男同士だよ?」
茶化すように言われても、俺の表情が変わることはない。
「……やっぱ彼氏か」
「はい」
改崎さんは眉根を寄せて口を引き結び、鼻から深い溜め息を吐く。
「意外だな。慧君ってそういうことオープンにしてるの?」
「してないです」
「なら、なんで俺に言おうと思ったの」
「改崎さんが同性愛者、もしくは両性愛者だと思ったからです。僕が恋愛対象に含まれるなら、言っておくべきかと……」
「ふむ」
「僕に、許可なく掘っていいのか聞きましたよね?」
「うん……俺も、それに対する慧君の返しで男もイケるって分かったよ。あの流れなら、そっちに全く関心がない人は、もう少し別の意味を考えて悩むだろうね」
「……やっぱり、探りを入れてたんですね」
「だって慧君の場合、いきなり〝彼氏いる?〟なんて聞いたら、その時点で俺の存在シャットアウトでしょ」
「まあ、確かに……」
「普段なら、こんな回りくどいやり方しないんだけどね……」
改崎さんは腕を組み、天井を仰いで大きく息を吐いた。
「俺にもチャンスがあると思ったんだけどなぁ……。慧君、ちゃんと彼氏に義理立てするタイプなんだ。そういうところがノンケっぽいのかな? ますます魅力的だね……」
不意に匂い立つ淫靡な色香にドキッとして、つい目が泳ぎ、後退りしてしまう。
「……と、言うわけで、失礼します」
「全く……。押せばイケそうなのが、また質が悪いな。まあ、しつこくして嫌われても困るから、今日のところは大人しく送り出すとしよう」
「すみません」
「でも、これだけは覚えておいて。俺は本気だから。彼氏と別れたら、寄り道しないで真っ直ぐ俺のところに来るんだよ? 必ず大切にすると誓おう」
「別れませんよ……」
「何が起こるか分からないのが人生だからね」
「……もし別れるようなことがあったら、その時にまた考えます」
「うん。俺が候補に入るだけでも幸甚だよ。彼氏によろしくね」
「はい。それでは……」
俺が客室のドアを内側に引くと、改崎さんが後ろからドアを押さえてくれたので、一歩廊下に出て振り返り、会釈をした。改崎さんはスラックスのポケットに片手を突っ込み、ドアを体で押さえる。
「あれ? 別れの挨拶のキスとハグはないの? ここラスベガスだよ?」
「……ラスベガスでも挨拶でキスまでする人見たことありませんよ……」
「じゃあハイ、握手なら一般的でしょ」
「……まあ……」
差し出された手を握ると、そのまま引き寄せられてハグされた。独特な煙草の匂いが、今は香ばしく感じる。改崎さんは俺の手を握りしめ、ポケットに入れていた手を出して、背中をぽんぽんと二回叩いて離れた。
「これも、ここでは一般的な挨拶だよね?」
「普段絶対やらないじゃないですか」
「やるわけないよ。俺日本人だもん」
廊下にも人目があるので文句の一つでも言いたいところだが、好意を前面に出されるとどうにも反応に困ってしまう。
「……じゃあ、本当に失礼します」
「うん、またいつでもおいで」
「……明日の試合も楽しみましょう。では」
ドアに寄りかかったまま、寂しげに微笑む改崎さんに見送られながら、俺は部屋をあとにした。
……
…………
………………
サンラク:お前SNSで拡散されてるぞ
オイカッツォ:えっ
自分の部屋に戻ったあと、明日の試合に備えて調整を重ねていた俺は、夜になって楽郎からの受信メッセージを読み、慌ててSNSをチェックした。
握手をして失神した女性を俺が支える動画と共に、同じ動画内で俺の隣にいた改崎さんとの、最後のツーショット画像まで拡散されている。
よりによって改崎さんが俺の耳元で囁いている画像を選ぶあたり、作為的な何かを感じざるを得ない。
あの中に魔境の民が潜んでいただと……。
サンラク:魔境認定カップリングおめでとうございまーす
オイカッツォ:なんで楽郎が魔境見てんの
サンラク:日々魔境探索してシュールな責めを受ける慧を嗤うのが俺の密やかな楽しみなんだよ
オイカッツォ:精神汚染が深刻だ……今すぐブクマを外せ!
サンラク:慧も覗けば? 今祭り状態だぞ
オイカッツォ:魔境の祭りに興味はない
サンラク:祭り上げられてる神はお前だけどな
オイカッツォ:深淵を覗かなくても深淵の方から俺を覗いてくるのホントやだ
サンラク:拡散されてる画像見たけど、たぶん向こうはガチだぞ
オイカッツォ:えっなんで分かったの?
サンラク:勘
オイカッツォ:ええ……
サンラク:その口振り、お前知ってたな
サンラク:口説かれでもしたか?
オイカッツォ:あ、あれ? 急に電波の調子が……
サンラク:おいマジか
サンラク:まさかとは思うが、くだらん目撃情報に事実が含まれていたりはしないよな?
オイカッツォ:え
オイカッツォ:わかんない
サンラク:二人で飯食ってた。慧が尻尾振って追いかけてた。手を繋いでた。仲良く寄り添って歩き、そのまま相手の部屋に入って行った。相手の部屋の前で抱き合ってキスしてた。あ? ふざけんな殺すぞ
サンラク:最後のはミス
オイカッツォ:あっ思考入力……
楽郎が思考入力ミスるなんて珍しい。もう殺気が
サンラク:書き込んだやつはバラバラだけど、さすがにほぼガセだよなぁ?
ほぼガチなんだよなぁ……。
オイカッツォ:尻尾振って→ない。手を繋いでた→ただの握手。抱き合ってた→ただのハグ。キス→するわけない
サンラク:は? 冗談だろ……他にも訂正はあるよな?
オイカッツォ:あの、これには深い訳が……
サンラク:お前いい加減首に縄つけるぞ
オイカッツォ:わん……
サンラク:まさか、お仕置きされたいがために浮気とか考えてないだろうな?
オイカッツォ:その手があったか……
サンラク:誰かこいつの首に縄つけて今すぐ日本に送り返せ!
やばいめっちゃキレてる……煽ったの俺だけど。まさかこんな形で楽郎に筒抜けになるとは……。魔境に書き込むために俺の行動を監視してる
うっ……またエゴサした時のトラウマが……!
俺は頭を振って外傷体験の記憶を払いのけた。
オイカッツォ:明日、弁明の機会をいただけないでしょうか?
サンラク:当然。俺だって別に本気でお前の浮気を疑ってるわけじゃない
オイカッツォ:そうなの?
サンラク:死ぬほど妬いてるけどな
オイカッツォ:!!!!
心拍数が跳ね上がって息苦しくなる。
サンラク:こっちは明日までに頭冷やしとくから、お前も気にせず試合に集中しろ
オイカッツォ:うん、ありがとう。じゃあ、また明日
サンラク:おう
椅子の背にもたれ、息をついてふと下に目を遣ると、勃起していた。こんな時なのに、どうしようもなくムラムラしてくる。楽郎とヤリたくてしょうがない。
「あー、もう……」
貧乏ゆすりが止まらなくなって、立ち上がった。こういう時は対戦で発散するに限る。
俺は完全栄養食で手早く夕食を済ませると、試合前の調整も兼ねて、VRシステムを起動した。