「い、いらっしゃい……」
「……お前大丈夫か!? 顔真っ青だぞ!」
「ちょ……落ち着いて……てか、制服……」
楽郎は制服の黒いスラックスに、黒Tシャツの上から白い半袖シャツを羽織っている。
慌ただしく玄関に通学鞄とコンビニの袋を放り出し、スニーカーを脱いで上がってきた。
「いいから寝てろ!」
「えっ、あっ、ちょ、やめっ」
お
楽郎は、状態異常のせいで抵抗できない俺を、慣れた手つきで抱き上げてしまった。
「下ろして、下ろして……」
「なんでだよ。動くなって」
「わあっ! お姫様抱っこだぁ!」
「……………………」
「………………オロシテ」
リビングに入ったところで、俺の部屋着に身を包んでスプーン片手に驚嘆する女を見て、楽郎がフリーズした。その隙になんとか横抱きから脱出して床に足をつける。
恥ずかしさで居た堪れなくなりながらも、こうなってしまった以上、紹介はしなければならない。
「……俺の彼氏の、楽郎。で、俺の介抱をしてくれた、
「美空 明澄です。ラクローくん、よろしくね!」
「……どっかで会ったことある?」
「え、分かんない! あるかな?」
「……テレビの画面越しにね」
俺が補足する。
「なんだぁ~」
「やっぱご本人か……あ、よろしく」
「よろしく! 若いね、まさか現役高校生とは思わなかった」
「そうだ、学校はどうしたんだよ!」
「早退した」
「ば……今すぐ戻れ!」
「断る。俺に心配をかけたお前が悪い」
「……ッ!」
ぐうの音も出ない。
受験生なのに何やってんだよ……いや、俺のせいだ……。
「ラクローくん、お昼ご飯食べた? 今ね、ケイくんお手製のオムライス食べてるよ!」
「まだ食ってない……けど」
楽郎が心配そうに俺を見る。
「はっ……! ケイくん二日酔いだった! じゃあ、私が代わりに作るね!」
「……料理できないって言ってなかった?」
「できないけど頑張る!」
「できないのにぶっつけ本番しようとすんな。楽郎、俺のオムライス食べていいよ」
「ケイくん朝も食べてないじゃん」
「は!? 食えよ!」
「いや……食べようと思ったんだけど、胸焼けが……。俺は栄養食があるから問題ない」
「あ、それで思い出した。コンビニで色々買ってみたぞ」
玄関からコンビニの袋を携えて戻った楽郎が、袋の口を広げて俺に見せる。
「食えそうなのあるか?」
俺は袋を覗き込んだ。
「……そうか、こういうの作ればよかったんだ……じゃあ卵雑炊と、このドリンク剤もらっていい?」
病気じゃないから、病人食つくるって発想にならなかった……やっぱ脳がサボタージュしてやがるな。
食料やドリンク剤に紛れてコンドームの箱が入っているが、見なかったことにする。
「ん。俺が準備するから、座ってろ」
「ありがとう……」
卵雑炊を温めて持ってきてくれた楽郎が、美空明澄と向かい合って座る俺の隣に着席し、三人で食事をする。
「さっきから気になってたんだけど、服どうした?」
「飛んでった!」
「ぬかしおる。ハッハッハッ」
「事実なんだよなぁ……」
「ハッ?」
「えへへ」
「いやいや……え? そんなことある?」
「俺が寝てる間に手洗いしてベランダに干しちゃったらしい」
「Oh……」
「俺が香水の匂いがキツいって言ったせいなんだけどね……」
「お前それ、女子に言っちゃダメなやつじゃね?」
「んーん、全然気にしてないよ。気持ち悪いときに強い匂いがダメなのは私も同じだから。ホントごめんね、ケイくん」
「いや、俺の方がごめん……恩人とは知らず、相当冷たい態度とった……」
「え? 確かにケイくん毒舌だけど、悪意なく辛辣なこと言う人って今までいなかったから、すごく新鮮だよ! 本音出してくれてるみたいで嬉しい!」
俺が言っているのはその前の話なのだが、この様子だと本当に気にしていないのだろう。
「恩人?」
「……情けないことに、酔い潰れちゃって……」
「あれは仕方ないよ! 偉い人たちが寄って集ってケイくんにお酒飲ませて酔わそうとするんだもん! むしろよくもったと思うよ」
「ちょ、シッ……」
楽郎の顔から表情が消える。
「みんな心配するフリしてベタベタ触りまくってさ、誰が介抱するかで揉め始めて、最終的には場外乱闘に発展したから、うちのマネージャーが目を離した隙にこっそり連れ出しちゃった! ホント異様な雰囲気だったよ」
俺が身振り手振りを交えて何とか制止しようとするも、彼女は
「……ありがとう、あすみん氏」
口から出ているのは謝辞だが、表情も声のトーンも氷点下だ。
「私が酔わない体質でよかったよ~」
「……一応聞いておくが、体の関係はないんだよな?」
楽郎は冷えきった目のまま、俺たちを人差し指で交互に指し示しながら問う。
「ないない! ケイくん、ちゃんと彼氏いるって教えてくれたよ。私が介抱するのもすごく嫌がったんだけど、彼氏には絶対連絡するなって言うし、放置するわけにもいかないから、なんとかタクシーに詰め込んで住所聞き出したの」
「女神かよ……」
「女神だよね……」
「お前はあとで覚悟しとけよ」
「うぐ……」
「でも、ケイくんの服脱がせてベッドに寝てもらったら、私も眠くなっちゃって……つい服脱いで同じベッドで寝ちゃったんだけどね」
あっ、言っちゃったよ……。俺の彼氏の顔見えてるよね? この顔見ながらよく言えたね、それ。心臓に剛毛生えてんの?
「ん? 服脱ぐってどこまで?」
「? 全部だけど?」
「……全裸ってこと?」
「うん」
「あー楽郎、この子、裸族なんだよ」
「……おっけ、ちょっと待って。二人とも全裸で朝まで同じベッドに寝てたってことで、合ってる?」
「そうそう! 朝までっていうか、私はさっきまでずっと裸だったね、アハハ」
唖然とする楽郎に、俺は慌てて弁明する。
「あの、でも、本当に何もしてないから……」
「ケイくん、起きてからも私の裸に無反応だったもんね~」
いや……気にしないようにしてただけで、めちゃくちゃ衝撃受けたよ……アンダーヘアまで全部丸出しとか。君だって視線感じてたでしょ……。
俺が完全にゲイなのか酒の飲み過ぎかは知らないけど、勃たなくてマジで良かった。
「……そもそも、こいつの服まで脱がす必要はあったのか?」
!? た、確かに……!
「え? だって、裸じゃなきゃ寝苦しいよね?」
「……裸族の親切心か……」
「文化の違いって怖い……」
裸族あすみんの携帯端末が振動する。
「あ、マネージャーが下に着いたって」
………………
「この度は弊社のタレントがご迷惑おかけしまして、誠に申し訳ごさいません」
「いや、とんでもない。迷惑をおかけしたのはこちらの方です。すみません。彼女には危ないところを助けていただいて、本当に感謝してます」
「優しいお言葉、痛み入ります。……大変心苦しいのですが……この書類にご署名いただけますか?」
ん? ……ああ、口外しませんってやつね。
俺と楽郎は、それぞれ書類にサインする。
「ありがとうございます。弊社のタレントがご迷惑おかけしましたこと、重ねてお詫び申し上げます」
そのタレントは、頭を下げるマネージャーの後ろで清楚な空色のワンピースを身に纏い、爽やかな笑みを満面に湛えて手を振っている。もう完全にテレビの向こう側の存在だ。つい先程まで全裸で俺の部屋をうろついていた女と同一人物とは、とても思えない。
彼らが立ち去ったあと、甘い残り香が漂う空間に、楽郎と二人で佇む。
「まさか、あの
「いや、彼女とは昨日が初対面だよ」
「マジかよ……初対面の国民的清純派女優を家に連れ込むとか、流石だわ」
「家に連れ込んでもらったのは俺なんだけどね……」
リビングへと踵を返す楽郎のあとに、俺も続いた。
「つーか、マネージャーって大変そうだよな」
「だね……うちのマネージャーも口うるさいと思ってたけど、もっと労ろう……」
「口うるさいの?」
「うん。
「お前の猫かぶりは調教の賜物か」
「調教って言うな」
「……さて」
楽郎が振り返り、俺に向き直った。ついに罰を受ける時が来たかと、頬を引き攣らせて身を固くする。
次の瞬間、楽郎の腕の中に抱き竦められていて、何が起きたのか分からず呆然となってしまう。
「……無事でよかった……」
安堵の溜め息のように漏れ出た楽郎の声に、一気に涙腺が緩み、下唇を噛みしめた。
考えてしまえば動けなくなりそうでずっと意識しないようにしていたが、楽郎を裏切ったと思った瞬間の絶望は、想像を遥かに絶するものだった。その時の恐怖を思い出すだけで、心臓を鷲掴みにされたかのように苦しくなり、呼吸ができなくなる。
「俺には絶対連絡するなって言ったんだって?」
「……全く記憶にない……でも、泥酔して夜中に高校生呼び出すなんてあり得ないから……今聞いても間違ってるとは思わない」
「あすみん氏がいなけりゃ何処ぞのおっさんと間違いが起こっていた可能性が高いんだが、分かってんのか? 今更お前の窮地を知らされた俺がどれだけ悔しい思いをしたか、理解できるか? 今後はつまらんモラルは棄て去って早々に召喚呪文を唱えた方がいい。俺を塀の中にぶち込みたくなきゃな」
「……ごめんなさい……」
今後はできる限り飲酒を回避して、回避できなかったら潰れる前にまず逃走を選択しよう……。
楽郎が腕を
今回は奇跡的に何事もなく済んだが、どこかで僅かでもボタンを掛け違えていれば、このぬくもりの何もかもを失っていたかもしれないと思うと、とても離す気にはなれない。
「俺に話があるって言ってたよね?」
「……まずはちゃんと休め」
「え、でも……」
「ベッドで話すから」
楽郎が耳元で囁いた。甘くもない、むしろ叱るような低く鋭い声音に、全身が震える。
頭痛、胸焼け、眩暈、倦怠感に、動悸まで加わって、もう限界だ……。
崩れ落ちそうになって楽郎に縋り付いた。
「えっ、どうした?」
「……ちょっと、力が抜けて……」
「ああ……今まで気を張ってたのか」
俺を抱き上げる楽郎に、今度は素直に甘える。
「……リアルの恋人がこんなに目が離せないものだとは思わなかったわ」
「うぅ……ごめん……」
「セーブもリセットもできない上に、フラグもなくある日突然日常パートでおっさんに寝とられる運ゲーとか……コンマ一秒のフラグ管理に失敗してピザに寝とられるギャルゲーより、遥かに難易度高いクソゲーだぞ」
「……クソゲー呼ばわりは甘んじて受け入れるけど、ピザ留学と比べられるのはさすがに釈然としない……」
NTRジャンルとしてもピザよりおっさんの方がメジャーだからね? なんだよピザに寝とられるって。
楽郎は俺をベッドに下ろした。シーツからバニラの香りがふわりと広がる。
タオルケットに潜り込む俺の隣に制服姿の楽郎が腰かけて、誰に言うともなく呟いた。
「現実世界は退屈なもんだと思ってたんだがなぁ……」
「楽郎はなんでもそつなくこなすもんね……まあ、俺も現実世界は仮想世界で生きていくためのツールだと思ってたけど」
楽郎は口を閉じたまま、
「確かに」
「……あのさ……」
もし……もし俺が、本当に誰かに寝とられたら、どうする?
「ん?」
現実世界のクソゲーでも、最後までプレイしてくれる?
……愚問だな。
「……さっきの、話ってなに?」
「ああ……慧さ、英語小論文の書き方って、分かる?」
「まあ、一応は。なんで?」
「教えて欲しい」
「え……俺、人に勉強教えたことないよ」
「駄目か?」
「ダメってことはないけど……ネットで調べた方が早くない?」
「………………」
楽郎は組んだ足に肘をつき、そっぽを向いて黙り込んでしまう。
あれ、この反応って……。
「……もしかして、勉強を口実に会いたいの?」
顔を背けたままだんまりを決め込む楽郎の耳が、見る間に赤みを帯びていく。
口元に手を添え、喉を鳴らして笑う俺を、楽郎がちらりと睨んだ。
……本当にダメだ。俺、楽郎が好き過ぎる。
「俺のやり方でしか教えられないけど、それでもいい?」
「うん……」
「今からやる?」
「いや、今日はいい。ダイニングで勉強しとくから、ゆっくり寝てろ。必要なものがあればメッセージ送って」
ベッドから立ち上がりながら返事をした楽郎に、声をかける。
「……ねぇ」
「ん?」
「来てくれてありがとう」
「おう……」
「でも、もう学校を抜け出したりしないでね?」
「……おやすみ」
楽郎は背を向けて片手を上げると、さっさと寝室から出ていってしまった。
「もう……」
嬉し過ぎる……違う、そうじゃない。今は大事な時なんだ。俺のせいで人生が狂ったらどうする。もしそんなことになったら……、俺が一生囲えばいい。……違う違う、何考えてんだ。そんなこと楽郎が望むわけがない。
大学がダメでもプロゲーマーとしての道があるし……そうだ、同じ仕事をすればいい。そうすれば仕事についても分かり合えるし、俺にもアドバンテージがある。違う、それは俺の望みだろう。楽郎の希望を潰して自分の願望に引き摺り込むなんて、最低だ。
いや待て。俺の願望を楽郎の希望にしてしまえば何の問題もない。一つの選択肢として提示しておいて、巧く誘導すればその選択肢だけを掴ませることができる。今までも散々やって来たように。
……本当に碌でもないな、俺は。いい加減にしろ。余計なことを考えるな。
「クソ、また眠れない……」
結局、俺はまんじりともせず、