寝室から出ると、ダイニングテーブルで黙々と勉強をしている楽郎が目に入った。
制服を着て机に向かっている姿を見ると、さっきまで考えていたことが、全てどうでもよくなった。
楽郎はちゃんと自分の将来に目を向けている。相談もされていないくせに、楽郎の人生を俺が考えたところで何になる。どんな進路を歩もうが、ただそばに居られるだけで幸せだというのに。
俺が邪魔をしないようにそっとキッチンに向かうと、楽郎が顔を上げた。
「ん、もういいのか……って、えぇっ!? なんでさっきより顔色悪くなってんだ!?」
ははは、すぐバレる。
「起きて来んなって! 必要なものがあれば俺が持ってくから!」
「いや、これから仕事だから……」
「……そんな状態で仕事に行くのか?」
冷蔵庫からスポーツドリンクを手に取って
「今日はリモートワークだけだから大丈夫。一先ず夕食の時間まで仕事するけど、楽郎は晩ご飯どうする?」
「俺、今日は家で食べないと……もうこんな時間か…………」
楽郎は、手元の携帯端末を見ながら考え込む。
「悩むな、悩むな。ログインする前に鍵閉めないといけないからさっさと帰れ。仕事終わったらちゃんと休むから」
「何時まで仕事するんだ?」
「五……四時……いや、今日は三時に終わらせる」
「………………」
「ほら、帰った帰った」
「……次いつ空いてる? 勉強の件」
俺はスウェットパンツのバックポケットから携帯端末を取り出して操作した。
「ん~、今週の土曜の……夕方から、日曜の午前中までなら」
土曜日はトークバラエティの収録がある。この日は食事の誘いを全て断って、一目散に帰ろう。
「分かった。慧の家でいい?」
「いいよ。英語小論文だったよね」
「うん」
キッチンから、帰り支度をする楽郎を眺める。
あーあ、せっかく来たのにもう帰っちゃうのかよ……早くない? もっと一緒にいたいんだけど。いいじゃん、家に連絡して晩ご飯うちで食べれば。なんなら今日はうちに泊まって、ここから学校行けば?
ここまで体調悪かったら、多分今日の試合はボロボロだよ。慰めてくれるでしょ?
俺が言えば、楽郎はきっとそうしてくれる。だから言えない。
玄関に向かう楽郎のあとに続く。
「じゃあ、また土曜……」
「うん、気を付けて帰ってね」
「うん……」
靴を履いて振り向いた楽郎が、俺を抱きしめた。
「……帰りたくない」
帰したくない。ずっと俺と居て。
「またすぐ会えるじゃん。今日は本当に来てくれてありがとう」
「………………」
別れの口づけを交わす。唇の隙間から舌が這入ってきて、俺は楽郎の肩を押して離れた。笑顔を作って見せる。
「これから帰るのに、勃っちゃったら困るでしょ」
俺が離れられなくなるから困るんだ。
楽郎の切なそうな表情に胸が締め付けられて、思わず視線を外した。
「そろそろ仕事しなきゃ」
「……じゃあ」
「うん……またね」
名残惜しそうに最後にもう一度振り返ると、楽郎は玄関から出て行った。笑顔で手を振る俺の前で、金属製の重い扉が閉まる。
俺はしばらくの間、その場に立ち尽くしていた。
……
…………
………………
「なんで俺ばっかバラエティ出演しないといけないんだよ……」
「今さら何言ってるんですか。慧さん以上にテレビ向きな人いないでしょ」
「いるでしょ! 女の子とかさ!」
「日本一のプロゲーマーでその顔してる時点で諦めてください」
「意味分かんないよ……」
「分かってるでしょ。休み増やす代わりに何でもするって言いましたよね?」
「何でもするとは言っていない!!」
「そうでしたか?」
「しれっと捏造すんな!」
「はい、そろそろお時間ですよ」
やっぱ俺、このマネージャーは労る必要ないと思うわ。
………………
「さあ、それではお招きいたしましょう! 本日のゲスト、プロゲーマーの魚臣慧さんです!」
客席から、耳をつんざくような黄色い歓声が上がった。ベテランの雛壇芸人たちに拍手で迎えられながら登場する。
「おおー!!」
「慧きゅん!!」
「今超売れっ子のね、日本一忙しいプロゲーマーさんにお越しいただきました」
「どうもー、よろしくお願いします」
俺のプロゲーマー遍歴や活動についてまとめられたパネルが出てきて、それを見ながらMCがざっと説明をする。
「実際どう? やっぱ休みないの?」
「いや、それが、意外と休みはあるんですよ」
「えっ、どれくらい?」
「例えば、丸一日休みっていうのは、一か月に何日ぐらいあるの?」
「月二、三日はありますね」
「あっ、それぐらいはあるの?」
「前は年に五日くらいしかなかったんですけど、最近無理言って増やしてもらいました」
「あ、もうさすがに年五日は少ねぇよと」
「ははは、そうですね」
「休みの日って何してんの?」
「基本友人と過ごしてますね。休みが平日とかで一人の時は、ゲームしてます」
「仕事でゲームしてて休みの日にもゲームしてんの? やっぱ同じことしてても仕事と遊びじゃ違う?」
「全然違いますね。仕事ももちろん楽しいんですけど、やりたいことだけやっていればいいってわけにいかないじゃないですか。あと僕、格闘ゲームメインで仕事してるんですけど、それとは別のジャンルのゲームをやったりとか」
「へぇ~、例えば?」
「FPSとか……MMORPGとかですね」
「MMORPGって……あれだよね? 同じサーバーに他の人が沢山接続してるんだよね、オンラインで」
「そうです、そうです」
「俺もやってるわ」
「えっそうなの?」
「俺もやってる」
「俺も」
「あっそう、みんなやってんの。まぁ今時みんなやってるか」
「最近のやつすげぇリアルだよ」
「手軽に冒険できんのがいいよな。旅行気分で」
「そうなんですよ」
「へぇ~。じゃあ友人と過ごすっていうのは、どういうことやってんの?」
「元々ゲーム仲間だった奴とリアルでもよく遊んでるんですけど、休みの日は外で遊んだりもしますね。遊園地行ってみたり、プール行ってみたり」
「へぇ~」
「結構アクティブなんだ」
「でもほんと最近です。年に五日しか休みがなかった頃は、それこそ仕事でゲームして、休日も友だちとオンラインでゲームして、って、ほぼ毎日ゲームしかしてなかったんで」
「ええ~! 休み年に五回しかないのに?」
「五回しかないのに。全部ゲーム。ゲームしてないと落ち着かなかったです」
「あー、鍵かけたか不安になって戻っちゃうから永遠に家から離れられない、みたいな」
「全然ちゃうやろ」
「あーでも割と近いかも。強迫症みたいなってことですよね? 確かにそんな感じだったかも」
「なんか心境の変化みたいなものがあったの?」
「う~ん……一度、友だちと丸一日遊びに行ったんですよね。本当に、その日一切ゲームしなかったから、次の日の試合はまぁ、確実に負けるだろうなって思ってたんですけど、逆に余裕で勝ちまくっちゃって」
「へぇ~!」
「あ、むしろ調子良くなってたと」
「そうです。どうしても、集中し続けられる時間って限られてるんで、なんでもやり続ければいいってもんでもないんだなって、その時になってやっと気が付いたというか」
「なるほど」
「やっぱ人間休みは必要ってことだね。俺も休みください」
「おう、いいよ、なんなら一か月くらい休んでもらっても」
「マジで!? そんなに休みもらったら俺、一日で不安になって戻ってきちゃうよ」
「お前が強迫症になってんじゃねーか」
スタッフがカンペを出す。
「慧くん、家では料理もするそうで」
「あ、はい。最近は自炊もするようにしてます」
「おお~」
「偉い!」
「いい旦那さんになりそうだよねぇ?」
「いや~、それはないと思います。家事とか食事とか運動のとき以外は、ほとんど仕事かゲームしてるんで。普通の人は多分、僕との結婚生活に耐えられないんじゃないかな?」
「え、ゲームってさ、VRシステムにログインするわけでしょ?」
「そうです」
「普段大人しく隅っこでゲームしてて、家事や料理はやってくれるってこと?」
「まぁ……そうですね」
「理想の嫁じゃん。うちにおいで?」
「いやいや、住み込みの家政婦かなんかだと思ってますよね?」
「俺メイドロボ欲しかったんだよね」
「人間ですらない!」
「と、言うわけで!!」
「え?」
「魚臣慧きゅんにメイドさんになってもらっちゃおうのコーナー!!」
ワッと歓声が上がり、拍手が鳴り響く。
「待って、ちょっと待って! 聞いてない!!」
「聞いてない? 打ち合わせになかった?」
「なんも聞いてないですよ!!」
「ええ~!」
「教えてあげろよ~」
「悪いな~、スタッフ」
「えー、以前ね、慧くんの女装企画が大反響を呼んだということで、もうファンも待ち望んでいると」
俺が首を縦に振らないからって、絶対拒否できない状況を作りやがったな!?
「はい、こちらに衣装が用意されているということでね、早速お着替えしていただきましょう!」
「うちのスタッフふざけんなよマジで!!」
「すげぇキレてる」
「ガチギレ」
「こんな慧くん見たことない」
だから嫌なんだよバラエティは!!!!
スタイリストさんに着替えさせられ、能面のようになった俺の顔にメイクさんが化粧を施し、ヘアメイクさんがウィッグを被せる。流れ作業のベルトコンベアに乗せられている気分だ。
「さあ、慧くんの準備できたようです。
では、お願いします!」
登場口のセットから顔だけを覗かせる俺に、スタジオがざわつく。
「ん!? どうした?」
「出ておいで?」
「……事故」
「え?」
「放送事故」
「えっ、なに?」
「放送事故?」
「なんで?」
「いいからちょっと出てきなさい」
「………………」
パニエで膨らみ、お尻が出そうなスカートの前と後ろを押さえながら、俺はおずおずとスタジオに足を踏み出した。
『キャーーーーッ!! カワイイ~!!』
スタジオに女性の甲高い声と男性の笑い声が起こる。
「ワハハハハハハッ!」
「ちょ、えっ?」
「スカート短っ!!」
「おかしいでしょ……おかしくないですか、これ」
「おかしくない、おかしくない」
「似合ってるよ」
「可愛い、普通に女子だ」
「美人さんだよね、やっぱ」
「全然違和感ない」
「いや、顔とかじゃなくて。スカート。これ短すぎません? 今、短っ!! って言ってましたよね?」
「これはね、クラシックドレスっていうの」
「誰ですか?」
「ファッションデザイナーさんですか?」
「そう! これね、私がデザインしたのよ。クラシックドレスっていう」
もちろんただの男性芸人である。実際に誰がデザインしたのかは知らない。
俺の衣装を見ながら、芸人同士のやり取りが始まる。
「え、これドレスですか?」
「そうよ。黒と、白を基調とした、モダンな……」
「モダンなんですか? クラシックなんですか? どっちなんですか?」
「モダンクラシックよ」
「モダンクラシック」
「エプロンとドレスをコラボさせて」
「コラボ」
「あ、つまり、お給仕さんが着てるような……ということですか?」
「ん~というより、ドレスよね、やっぱり」
「いや、メイド服ですよね? 黒と、白と、エプロンっていったら、メイド服ですよ」
「あなたは分からないんだから黙ってなさい」
「怒られた」
「だからほら、エプロンなんかもすごく豪華でしょ。エプロンのフリルなんかこれ、全部白だけど薔薇の形してんのよ」
『可愛い~!!』
「本当だ!!」
「よく見たら薔薇だ!」
「すげぇ凝ってんな!」
「だから、ドレスなのよ、これ。エプロンを生かすために、スカートを諦めるタイプの」
「いや諦めないでください! ダメでしょ、諦めちゃ」
思わず俺もつっこんでしまう。
「分からないのが口出すんじゃないよ!」
「先生!?」
「スカート長くても十分エプロン生かせますって!」
「スカートが長いとか短いとかそういう次元でやってんじゃねぇんだこっちは!! お前脱がせてもいいんだぞ!?」
「先生、先生」
「謝った方がいいよ、慧きゅん」
「全部脱がせてエプロンだけにしてもいいんだぞ、お前!!」
「駄目です」
「それはさすがに駄目」
「ドレスの要素なくなりますよ」
「ただの裸エプロンだよ」
「はい! ではこちらの……なんですか? モダンクラシックドレス? を、慧きゅんにプレゼントということでね」
「誕生日プレゼント」
「いらないっ!! でもありがとうございます!」
「あ、キレながらもちゃんとお礼は言うんだね」
「こういうの何て言うの? ツンギレ? キレデレ?」
「分かんないけど可愛いよね」
「僕もう絶対バラエティ出ないです」
「いや君めちゃめちゃバラエティ向きだよ」
「最後、慧くんからお知らせです」
「えー、明後日放送のeスポーツフェス、全国の猛者たちが同時接続して大乱闘を繰り広げるバトル・ロイヤルとなっておりますので、ぜひご覧ください。よろしくお願いします」
「ということで今日のゲスト、魚臣慧さんでした!」
トークバラエティの内容は、分かる人には分かるアレのオマージュ。