「他に、人質の方がいらっしゃるの。わたくしと共に、ここまで連れて来られたのです。わたくしが逃げれば、彼女たちが酷い目に遭うと、犯人から脅されておりますの。中には幼いお子様もいらっしゃるのです」
ちょっとマーシャル。初耳なんだけど。
「……失礼ですが、この問題を解決する前に、ご本人確認をさせていただいても?」
「あら、そうですわね……こんな格好で失礼いたしました……」
顔を見せてくれとジェスチャーで示すと、彼女はベッドから足を下ろして腰かけ、居住まいを正した。拉致された時のままのクラシックなワンピース姿で、乱れた髪を掻き上げる。端正な顔立ちを
「あー……、救出
『ん? 死んでたか?』
さらっと殺すな。
「生きてるけど、他にも人質が何人かいるらしい」
『マジか。人質の居場所は分かってんの?』
「殿下。人質の数や、監禁場所にお心当たりは……?」
「目隠しをして連れて来られたものですから、正確な人数や、詳しい場所までは存じ上げませんの……ですが、何度か上の階から、お子様の泣き声が聞こえてまいりましたわ」
ミラ王女は天井を指差して言った。
「ありがとうございます」
この屋敷は三階建てだ。ミラ王女のような特別な人質でもない限り、こうしてわざわざ階層を分けることはしないだろう。それだけ見張りに人員が割かれるし、人質の管理がしにくくなる。
「
『お、ついに突撃か?』
「戦闘狂ステイ。第一目標は救出
そう言うと、俺はベッドからシーツを剥いだ。足首のベルトに固定していたナイフを抜き、シーツを縦半分に裂き始める。
『
「僕は混乱に乗じて他の人質を探す」
『その後は?』
「探しながら考える」
『無計画とは珍しいな』
「人質に幼い子供がいるらしい」
『……成る程』
他の人質を無視して第一目標だけを優先することもできるが、これは仕事だ。当然、俺は第一目標よりも好感度を優先する。おそらく、
俺は裂いたシーツを固く巻いて繋ぎ合わせ、結び目に体重を支えられるくらいの強度があるかを確かめた。約四メートル。二階の窓から地面までギリギリの長さだろう。これではまだ足りない。カーテンも外して巻き、シーツに繋いだ。
「車の鍵開けは済んでる?」
『とっくに。結び目作った紐をドアの角から隙間にシュシュシュって入れて、ロックピンに結び目キュッてして上げるやつでイケた』
「ロックピンの車あったんだ」
俺と
「車を動かせばどうせ騒ぎになるから、脱出する時にできるだけ敵の数を減らしといてくれる?」
『任せろ』
ミラ王女の胴体に今作ったロープをくくりつけた俺は、廊下の椅子に座らせておいた見張りの死体を部屋の中に引き摺ってきた。
「……その方は、亡くなっておられますの……?」
「はい」
俺は、ロープの反対側を見張りの脇の下にもやい結びでくくりつけた。引っ張れば引っ張るほど結び目が締まる結び方だ。
「な、な、何をしていらっしゃるのっ?」
男の死体と繋がれたミラ王女が、うわずった声で俺に問いかけた。丁度説明をしようと思っていたところだ。
「僕と彼で、殿下を支えます。ロープを張った状態で、殿下がそこの窓を乗り越えると、この重り……失礼。彼が窓辺まで引き摺られます。僕が彼の上に乗りながらスピード調整を行い、ロープが窓枠を擦って、殿下はゆっくりと安全に降下できます」
「まあ…………」
それきり、ミラ王女は眉尻を下げ、口元に微笑みを浮かべて途方に暮れたといった様子で黙り込んでしまう。
気にせず準備を進めている俺に痺れを切らしたのか、再びミラ王女が話しかけてきた。
「その道のプロの方に、大変失礼かとは存じますが……それは、確かですの?」
安全性に疑問を呈しているのだろうか。
「理論上は可能です」
俺の回答に納得できなかったのか、あんぐりと口を開けるミラ王女の前で、無線機越しに
「こっちの準備は完了した」
『外の見回りを上から撃てるか?』
「誰に聞いてんの? 三階窓の見張りが消えたら合図を頼む」
『了』
「ごめんあそばせ……少々よろしくって? 何か……他の方法はございませんこと?」
俺は音を立てないように気を付けながら窓を開けると、振り向いて首を傾げた。
「他の方法?」
「ええ。窓から飛び降りる以外の方法も、もしかしたら、あるのではないかしら?」
「そうですね……確かに、階段を使うという方法もあります」
ミラ王女の顔に安堵の笑みが広がる。
「さようでございますか」
「ご参考までに……この屋敷には、行動パターン不明の兵士が何人もうろついています。二階の階段の前にも眠っている見張りがいますが、永眠はしていません。今頃はもう目覚めているかもしれませんね。そのドアから、部屋の外へお出になりたいですか?」
優美な微笑みは、あっという間に落胆の表情に変わった。
「…………いいえ」
「僕も同意見です」
無線機のイヤホンから
『三階クリア』
「了」
俺は窓からサプレッサー内蔵のMkⅡを構え、角を回って歩いてきた見回りに速射で二発を撃ち込む。カシュッカシュッとボルトの作動音がして、飛び出した空薬莢が闇の中に消えた。
「見回り二人が消えたので、他の兵士が気付くのも時間の問題です。窓辺に立ち、ロープをしっかり掴んで、合図をしたらすぐに窓を乗り越えてください」
「わたくし、やはり……。……いいえ、わたくしのために、危険を顧みず助けに来ていただいたのに、ここでご迷惑をおかけするわけにはまいりませんわね」
ついに覚悟を決めたらしいミラ王女がロープを掴んで窓のそばに立つと、俺は窓から離れ、彼女とロープで繋がれた重りの上に腰を下ろした。王女が、何とも言えない表情で俺を見る。
『三階クリア。下で待機する』
「了。殿下、降下のお時間です」
「かしこまりました……」
王女は窓から下を覗き見た。
「殿下、これは公務ではありません。三階の見張りが戻って来ます」
「さ、さようでございますわね」
ロープを握りしめてぎこちない動きで片足を高く上げると、王女は窓枠に足をかけて、懸命によじ登り始めた。しかし、どう見ても上手くいっているようには見えない。腰高窓が物凄い高さの壁に思えてくるから不思議だ。
えぇー……腰窓乗り越えるのにこんな苦戦する人いる? 恐怖心のせいか?
もたついている時間はない。俺はすぐに立ち上がって大股で近付くと、華奢な体を抱え上げてすらりと長い両足を外に出し、窓枠に彼女の上体を乗せた。小さな悲鳴があがり、クラシックで華やかなワンピースが風にはためく。ミラ王女の涙目を至近距離で見つめながら、俺は微笑みを作って囁いた。
「慌てず、落ち着いてください。ロープさえ掴んでいれば大丈夫ですから。たったの四メートルです。落ちても死ぬことはありません。下にいる奴がしっかりと受け止めますので、ご安心ください」
「え、ええ……」
元の位置に戻り、再び重りの上に座ってロープを両手で掴んだ。
「どうぞ」
「彼女たちを、どうか……どうかよろしくお願いいたします」
王女が震える声で懇願するのは、他の人質たちのことだ。俺が頷くと、彼女も力強く頷いた。
「ありがとう存じます。では……ま、まいりますわ……!」
果たして、作戦は成功した。俺と重りは窓のそばまで引き摺られ、ミラ王女は無事、
車のエンジンが掛かったのを見届けてから窓を閉め、俺はクローゼットに隠れた。車の発進音が聞こえ、高い位置から連射の銃声が響き渡る。三階窓の監視と思われる男から、たった今俺が倒した男二人の死体の発見報告と、誰かが車を動かしているという報告が入った。屋敷の外では銃撃音が、中では怒号が飛び交い、一気に騒々しくなった。廊下を足音がバタバタと駆け抜け、王女が逃げたという声が耳に入った直後、俺が隠れている部屋のドアが乱暴に開かれた。しかし、クローゼットを確認することなく足音は出て行き、次の部屋のドアを開け放つ音が聞こえる。
「っしゃ蹴散らせえええええ!!」
『スタングレネードォオオオ!!』
明らかに
『おい
俺に向けられた警告を耳にして、
すぐにクローゼットから飛び出すと、俺は三階へと駆け始めた。途中兵士とすれ違ったが、俺は相手と同じ反政府軍の格好をしているため、この混乱の
子供の泣き声が上の階から聞こえたと言った時、ミラ王女は天井を指差していた。階層が違うだけで、そこまで離れた場所ではないはずだ。しかし、足音などの物音が聞こえたという話は一切しなかった。ならば、真上の部屋ではないだろう。
俺は、左の廊下を曲がってすぐ手前のドアを開けた。
「いきなりビンゴ!」
三歳くらいの男の子と母親らしき若い女がベッドの上で抱き合って座り、近くのソファには、短く刈り込んだ髪と口元を覆う髭に半分ほど白髪が交じった、恰幅のいい年配の男が座っていた。いずれもアフリカ人で、身なりはきちんとしており、裕福そうに見える。
「なんだ?」
年配の男が、
「人質はここにいる三人だけですか?」
「……お前は誰だ?」
「安心してください、僕は味方です。すぐにここから脱出しましょう。まずは二階に向かいます」
俺は銃を構えて廊下を覗き見た。一階は騒がしいが、まだ誰も来る気配はない。
「今のうちです。僕のあとに続いて──」
振り向こうとした俺の側頭部に、突然銃口が突き付けられた。男の厳めしい声がすぐ近くから聞こえる。
「動くな。銃を捨てて両手を上げろ」
「……おっとぉ……これは予想外の展開だ」
「屋敷の中にいる者は全員私のもとへ来い。ネズミを捕らえた」
男は銃と無線機を持っていたらしい。全員人質だと思い込んで確認を怠った自分の迂闊さを呪った。階段を駆け上がってくる複数人の足音が聞こえ、俺は銃をそっと床に置くと、ゆっくり両手を上げた。
………………
『生きてるかー?』
無線機に接続されたスピーカーから、呑気な
「まだ君の背後にいないことは確かだよ。ミラ王女は無事?」
『おう。なんかゲロ吐いてたけど命に別状はないだろ』
「よほど酷い運転だったようだね」
『はぁ? ちょっとカーチェイスしただけだし!! お前、俺のドライビングテクニックなめんなよ?』
「脳内レーサーはお帰りください」
『腹立つわコイツぅ~! お前だって脳内レーサーだろうが! つーか、そっちこそ人質は無事なのかよ?』
「無事といえば無事だね……今のところは」
『なんだよ。歯切れ悪ぃな』
縛られた後ろ手に持たされていた無線機を、年配の男が取り上げた。
「下らない話はいい。さっさと王女の居場所を聞き出せ」
再び俺の手に無線機が戻され、額に銃口が突き付けられる。俺は徹底的にボディチェックされ、装備は全て取り上げられて下着だけとなり、手足を拘束されてスツールタイプの椅子に座っている状態だ。ここにいる兵士の数は九人。結構残ってたな。屋敷の外にも、まだ何人かいるだろう。
「殺したいなら殺せば?」
ミラ王女の奪還は果たしたわけだし、俺がいなくても後はあいつ一人でなんとかするでしょ。奴の背後霊になるのは
「ふむ。では、これならどうだ?」
男は、幼い男の子に銃口を向けた。母親が銃口に背を向け、息子を庇う。男が目配せすると、俺の周りを囲っていた兵士の一人が動き出し、母親の腕を掴んで子供を乱暴に引き剥がした。男の子は火がついたように泣き出す。
「イブラム!! お願いやめて、その子を離して!!」
「お前が黙っていれば子供に危害を加えないと約束したのを忘れたか? 次はないぞ」
年若い母親は、子供を見つめて震える下唇を噛みしめ、全身を
男は、泣き叫ぶ男の子に銃口を向けたまま、俺に命じる。
「もう一度だけ言う。ミラ王女の居場所を聞き出せ。おい、静かにさせろ!」
兵士が男の子の口を塞いだ。男の子は恐怖心が募って更に激しく泣くが、くぐもった声が漏れるばかりで、どんどん顔が真っ赤になっていく。俺は男を睨み付けながら、無線機の送信ボタンを押した。
「
『なんだ?』
「予定変更だ。こっちの人質を連れて、僕もそっちへ向かう」
『は?』
「今いる場所と目的地を教えてくれ」
〝予定変更〟も何も、元々別の場所に行く予定などないし、俺が目的地を知らないわけがない。あとは、
『……悪いな。それだけはお前にも教えられない』
俺は安堵の息を飲み込み、男の目を見ながら肩を竦めて見せた。男は苛立たしげに俺の手から無線機をむしり取ると、送信ボタンを押し、高圧的な口調で切り出した。
「ミラ王女はどこにいる?」
『……誰だ?』
「質問しているのは私だ。ミラ王女はどこにいる?」
『何故タダで答えを貰えると思った? この情報は高くつくぜ』
沈黙が流れる。男が俺を見た。
「どうやら、自分の立場が分かっていないようだな。お前の友人は私が預かっている」
『へえ。だったらなんだ?』
「今すぐ王女を連れて引き返せ。お前がここへ来るのが早ければ早いほど、外傷や欠損部位の少ない友人と再会できる。十分な報酬だろう?」
『必要なのは情報じゃなかったか?』
「お前が私に本当のことを言うとは思えない」
『俺のことを理解してくれているようで嬉しいね』
「いいか。日の出までに王女を連れて戻って来い。少しでも遅れれば、友人の大事なブツを切り落として土産にくれてやる」
『プレゼントは相棒の愛棒ってか』
「ンハハッ」
思わず笑ってしまった俺に、男は正気を疑うような視線を寄越した。俺はスッと真顔に戻る。
『好きにしろ。俺には関係ない。そいつはただの仕事仲間だ。代わりはいくらでもいる』
「ほう。そうかね?」
『ああ』
そこで通信が途切れた。思ったよりも平静を保っているようだ。
「クソッタレ!!」
男が送信ボタンを押さずに悪態を吐き、無線機をベッドに投げつけた。興奮のままに、俺の額に銃口を押し付ける。撃鉄が起こされ、俺は瞬時に全身の神経を研ぎ澄ました。脳内で自分の動きをシミュレーションし、緊張に動きを阻害されないよう、意識して肩の力を抜く。ただで殺られるつもりはない。
その時、無線機に繋がれたスピーカーから
『だが、お前だけは気に食わないな。今からぶっ殺しに行くから、臭いしょんべん漏らさないようちゃんとトイレを済ませておけよ』
俺は眉根を寄せて目を閉じ、俺の額に銃口を突き付けていた男は口の端を吊り上げた。
「大いに結構」
修正→ミラ王女の言葉遣いがよりお嬢様らしくなりました。
(出番が少ないのでキャラが濃くなりました)