金曜日、トークイベントの仕事の前に楽郎から個人チャットが届いた。
サンラク:今日学校終わって一旦家帰ってから、そっち行ってもいい?
オイカッツォ:いいけど、どうしたの?
サンラク:俺が借りてた下着全部洗濯してあるから、まとめて持ってく
オイカッツォ:あー、了解。じゃあそれ楽郎用の下着としてうちに置いとくよ
サンラク:さんきゅ
……
…………
………………
サンラク:駅ついたけど、このまま家行っていいの?
オイカッツォ:いいよ。俺も今家に向かってるから
「あ! 慧くんだよね!?」
「?」
仕事が終わり、日が沈んだ直後の薄暗い家路で楽郎のチャットに返信していると、スーツ姿でスマートな外見の男が柔和な笑みを浮かべて話しかけてきた。
ん? 誰だ……仕事関係の人間か?
「あー……どうも」
「いやぁ、こんなところで偶然にも会えるなんて思わなかったよ! もうこれは運命だよね! ハハハ!」
「あはは……」
……まったく記憶にない。いつどこで会った?
「ところで慧くんって、男が好きでしょ」
「……は?」
「ゲイ? それともバイ?」
思わず辺りを見回すが、他に人影はない。
「…………いや、何の話ですか?」
「隠さなくていいよ。実はボクもゲイなんだよね」
「……あー、そうなんですね。残念ながら、僕はそういうんじゃないんで。失礼します」
「アハハ! いや嘘でしょ! 男とヤッてるでしょ!」
「は……」
「アッハハ! 慧くんの態度バレバレ! ボク、男好きな子が相手って初めてなんだよね! もうテンション上がっちゃって!」
「……う~ん、すみません。なんか勘違いさせちゃったみたいで。本当に男性が好きなわけじゃないんですよ」
俺がそういうと、男の笑い顔は一転して真顔になった。
「……ハァ。本当はこういうことしたくないんだけど……。慧くんがそう来るなら仕方ないね……」
その言葉で一気に警戒レベルを引き上げた俺は、そっと後退りをした。男はバッグから携帯端末を取り出して操作すると、俺に画面を向けながら、ぐいっと距離を詰めてくる。
「実は、こんなのもあるんだよね」
「………………」
画像だ。やけに鮮明に写し出されているのは、間違いなく俺と楽郎。しかも、楽郎の地元の公園でキスをしている場面だった。
……マジかよ。あそこ人なんかいたか?
……いや、違う。こいつ……
「慧くんは有名人だもんねぇ。こんな画像が流出したら、困るよね……」
画面を見せつけながらジワジワと俺を道の壁際に追い詰める男を、冷めた目で睨む。
「大丈夫だよ……誰にも言わないから……ボクの言いたいこと、分かるよね……?」
「てめぇ俺を尾行していたな」
「えっ……まさか! たまたま見かけたから咄嗟に撮っちゃっただけだよ! それについては、本当に申し訳ないと思ってるけど……」
「あそこに人の気配はなかった。夜の公園で俺を判別できるような距離にいたなら、必ず人の気配がするはずなんだよ……そいつが意図的に息を潜めてでもいない限りはな。それに、そのベンチは街灯から離れていて暗い。あの短時間で、咄嗟にここまで鮮明な画像が撮れるわけがない。他にはどんな画像があるんだ? 見せてみろよ」
「……クッ……アハハ! いいね! それが慧くんの本性!? 格好いい~! やっばい、惚れ直した! でもごめんね? これ以上は見せられないよ!」
俺は舌打ちをした。
こうなってくると、楽郎の家もバレている可能性が高い……どうするか……。
「慧」
突然、声がかかった。ああ、マジか。なんでこんな時に……。
「おや、君は……」
「誰だそいつ。知り合いか?」
「いや、」
俺が言葉を発したその時、何かに口を塞がれた。キスされていると気が付き、反射的に男の体を押し退けながら顔を背ける。次の瞬間には、男が真横に吹っ飛んでいた。男の腕が引っ掛かって俺も一緒に転倒しそうになるが、楽郎に腕を引っ張られて腰を掴み抱き寄せられる。
「お、あ、え、なんで……」
「ん? 相手が男なら助けるって言ったろ。それとも、助けちゃ不味かったか?」
俺は口を開いたものの言葉にならず、楽郎を見つめたまま慌てて首を横に振って否定した。
「なら良かった。で? こいつどうすんの?」
吹っ飛んだ先で倒れ込み、腕を押さえて呻き声を漏らしている男を見下ろす。どうやら思いっきり飛び蹴りしたらしい。
「あ……そいつ、俺と楽郎の画像持ってて……」
「携帯端末か?」
「うん、それで……脅してきた」
「へえ」
薄闇の中でも、楽郎の目から光が消えたのが分かった。楽郎は気負った様子もなくスタスタと歩いていくと、投げ出された携帯端末を拾い、ジーンズのバックポケットに無造作に突っ込んだ。
「く……おい! 返せよ!」
「なんで?」
「な……泥棒じゃないか!」
「そうか? じゃ、警察呼ばないとな」
携帯端末を取り出して操作する楽郎を見て、焦った様子の男がふらふらと立ち上がった。
「ま、待て……!」
手を伸ばして近寄っていく男の腹部に、楽郎は躊躇なく全力の蹴りを入れた。男は唸りながら地面に蹲る。さらに背後から、楽郎の靴先が男の股間を強打した。辺りに悲鳴が響き渡る。
うわぁ~痛い痛い痛い……。
「強盗された上で、さらに暴行を加えられたんだ。当然、警察を呼ぶよな?」
「…………ふぐぅ~…………」
「……余程、都合の悪いモノが入っているらしい。俺たちの画像を全て削除して二度と近付かないと約束するなら、警察には黙っておいてやってもいいけど……どうする?」
「…………分かった…………」
「暗証番号を言え」
「み、見るのか!?」
「当たり前だろ」
「ボクが消すから返してくれ! ちゃんと消すから!」
「馬鹿が。信用できるわけないだろ。嫌なら警察に持って行くだけだ」
「う、クソ……ッ」
「早く暗証番号を言えよ」
「……う、ぐぅ……た、頼む、金なら、ある程度は用意できる……!」
う~ん犯罪臭がぷんぷんしますねぇ……。これ、見逃していいやつなの?
そうこうしている間に、さっきから遠くで鳴っていたパトカーのサイレンが、かなり大きくなっていた。
「あらら……時間切れみたいだ」
「は……?」
「悪いな。結構前に通報してたんだ」
「な、い、いつ……」
それは俺も気になる。
「お前がこいつに迫ってる時だよ。〝すぐに来てください。人が暴行を受けています!〟ってな。ま、暴行するのは俺なんだけど」
最初から蹴る気満々かよ。
サイレンの方を見ると、もうパトカーの赤色灯が見える。男は逃走を謀るも、股間のダメージが尾を引いているらしく、生まれたての小鹿のようになっている。俺が近くに停車したパトカーに大きく手を振ると、二名の警察官が駆け寄ってきた。
「あなたが通報者?」
「いえ。でも、一部始終を見てました」
「はい、動かないでね! 暴行した人は?」
「俺です」
若い警官が男に安否確認を行い、壮年の警官が事情聴取をする。
「間違いない?」
「はい」
「あー、すみません。彼は俺を守ろうとしてくれただけです」
「ん? 被害者に何かされたの?」
「盗撮画像で脅されました」
「盗撮画像?」
「あ、これです」
楽郎が男の携帯端末を取り出して警官に手渡す。と、男が走って逃げ出そうとした。
「おい! 待て!」
若い警官が男にタックルをかまして引き留める。壮年の警官も加わり、左右から挟み込んで男のベルトをがっちり掴み、逃走を阻止する。
「どうした? なんで逃げようとしたの」
「……ちょっと、ちょっと、」
「いやいや、居てもらわないと困るよ。ちゃんと話を聞かせてくれる?」
「いや、無理です」
「無理ですじゃないよ。携帯見せてもらうよ」
「無理無理、ホント無理」
「おまわりさんに見せられないモノってことはさ、やっぱりおまわりさんに見せちゃマズいモノってことでしょ?」
「いやマズいモノってか……見せたくないだけです」
「……ロックかかってるね」
「中身見せてくれないと、一緒に警察署に来てもらうことになるよ。あなたに脅されたって人もいるんだからさ」
「……………………」
「じゃあ来てもらおう」
「君たちも来てくれる?」
「あ、はい」
「……わかったっ! 分かりました! 見せればいいんでしょ」
「うん。じゃあハイこれロック外して」
「………………」
男は、警官が手に持つ携帯端末の画面を触ってロックを解除する。
「……これは……」
携帯端末を操作して中身を見た若い警官が絶句し、壮年の警官が俺たちに画面を見せてきた。
「君たちの画像はこの中にある?」
「……うわ」
「…………ありますね……ここから、ここまでと……ここからここまで……と、これもですね。……あとこの辺も」
「多いね」
「完全にストーキングしてますね」
「………………」
俺の盗撮画像が、明らかに未成年者と分かる男性とのハメ撮り画像や、公衆便所で撮ったと思われる未発達な男児の下半身露出画像に紛れてずらりと並んでいるが、もはや他の画像に言及する者はいない。男は抵抗する様子もなく、座り込んだまま項垂れている。
楽郎が、さりげなく俺の腰に手をまわして支えてくれた。
「携帯端末は証拠物件だから署で押収するけど、バックアップも全て
「はい……」
男はパトカーで連行されていった。
──この事件についてはその後の捜査により、他の被害者たちも全員、最初はストーキングと盗撮から始まっており、対象の弱みを握った場合のみ今回のように流出を仄めかして関係を迫る、という犯行の手口であったことが明らかとなる──。
そして同日、最寄りの警察署で被害届けを提出した俺たちは、適当なファストフード店で食事を済ませて帰路についていた。
「ハァ……」
「おつかれ」
「うん……助けてくれてありがとう。楽郎がいなかったらと思うとゾッとするよ」
「再起不能になるまで
「だね……でもそれやると楽郎が捕まっちゃうから」
「俺、暴行に関しては割と覚悟してたんだけどな。加減して大の男を無力化できるほど強くないから、全力出さざるを得なかったし」
「そっか……でも、ちょっと注意されただけだったね」
「相手が悪すぎたな」
「あはは、文字通りね……」
「お前……大丈夫か? 家まで送ったら俺もすぐ帰るから、今日はもう休めよ」
「……。楽郎は明日予定があるの?」
「いや、特にないけど」
「だったら泊まっていかない?」
「……慧がいいなら」
「うん。今夜は一緒にいて欲しい」
「……………………」
「どうしたの?」
「……いや」
「ええ、なに?」
「なんでもない」
「……絶対嘘じゃん」
「大したことじゃないから気にすんな」
「やだ。気にする」
「………………」
「話してくれたら気にしない」
「なんだそりゃ……」
俺がしつこく追及すると、楽郎は呆れたように溜め息を吐いた。
「……今すぐ手ぇ繋ぎたいし抱きしめたいしキスしたいけど、俺がお前の弱みになるなら迂闊な真似はできねーなと思ったの! そんだけ!」
言わせんな恥ずかしい……とぶつぶつ呟く楽郎を凝視する。俺の足が勝手に止まっている。喉が詰まって、胸が痛くなり、身体中が熱を帯びて、ドクドクと鼓動が脈打つ。
苦しい、苦しい、苦しい……!
視界があっという間にボヤけていく。夜の街の灯りだけが、楽郎の周りでキラキラと瞬く。
「……おい、どうした?」
「………………」
「えっ、ちょ、おい……」
楽郎が焦ったようにポケットや鞄を漁っている。
「あークソ……ハンカチ持ってねーわ……ごめん、袖でいいか?」
楽郎がパーカーの袖で俺の顔を拭う。
……俺泣いてんの? どうりで楽郎の表情が見えにくいと思った……。
楽郎の顔を両手で包み込み、自分の顔に寄せる。まだ見えない。
もっと近くじゃないと……。
「お、おい……」
楽郎が俺の両手を掴んで押し戻し、離れてしまう。
「落ち着け。とにかくすぐ家に帰るぞ」
楽郎の後ろ姿を見つめながら、腕を引かれて足早に歩く。まだ胸が締め付けられて苦しい。何か熱い感情が込み上げてきて抑えきれない。楽郎の顔が見たい。
振り向けよ……俺を見ろ。
「楽郎」
「ん?」
「俺も。今すぐ手繋ぎたい。抱きしめたい。キスしたい」
「お、おう……とにかく家に帰ってからな?」
「待てない」
「ええ……。じゃあ、手だけ繋ぐぞ」
俺と楽郎の視線は合わない。ぎゅっと手を握って再び歩き出す。手の中にじんわりと温かい湿度が増していく。頭に鳴り響く鼓動は煩いままで、でも少しだけ冷静さを取り戻した俺は、指を絡めたくなる願望を飲み込んだ。
これ以上我が儘は言えない。俺のせいで、あの男みたいに撮られてネットに晒されでもしたら、楽郎に迷惑がかかる。俺の有名税を高校生の楽郎に負担させることなど、あってはならない。
熱いほどの手の温もりと、後ろ姿。
楽郎の耳が赤い。俺もたぶん同じ。
今はただ、それだけでいいと思う。
後半へつづく。